重要なお知らせ

「教えて! goo」は2025年9月17日(水)をもちまして、サービスを終了いたします。詳細はこちら>

電子書籍の厳選無料作品が豊富!

「無無明亦 無無明尽」の解釈について、教えてください。
①と②のどちらが本来の意味に近いですか?

① そもそも無明というものが無いのだから、無いものが尽きるということはない → 要するに、無明は無い

② 無明が無いとも言えるし、無明が尽きることがないとも言える → つまり、無明が無い状態と有る状態が両方とも存在している(無いと言えば無いし、有ると言えば有る。無いとも有るとも言える)

A 回答 (4件)

ないない尽くしの般若心経ですね。



この“無い”とは、実体と云えるものは無い、という事でしょう。
実体とは、永遠に変化せずに存在するものの事、であるとするならば、この宇宙そのものの事を云うように思います。

しかし、その宇宙は時間空間こそ永遠ですが、そこに現れる諸現象は変化という運動をし続けているので、有ってないようなものだという意味で“空”と云ったのでしょう。

青空に漂う白雲は、そこに現れたかと思えば消えていきますが、そのように人間の存在も、時々刻々と変化し続けています。

色即是空・空即是色とは、色(物)は空(変化)しますが、空(変化)しながらも色(存在)する、と。

人間の心は無明では有るけれど、それも時々刻々と変化するもの、という事を「無無明 亦無無明尽」という言葉で表したように思います。
    • good
    • 0
この回答へのお礼

なるほど、「実体=永遠に変化せずに存在するもの」「空=変化し続けて存在するもの」と考えるのですね。

これまで、「空とは、空っぽ(無)ではなく、全て(有)だ」みたいな事を聞いても、うまく理解できずにいました。

永遠ではないけれど、この物質的な現世において、(無明も老死も色も)一時的には存在すると認めて良いならば、ずい分とすっきりします。

そもそも、複雑な概念を言葉で正確に表現することが不可能に近いのかもしれませんが、お経だけを読むと、矛盾だらけの謎かけのようで理解するのが難しいです。
(「無永久不変」とか「諸行無常」と言ってくれたら、もう少し理解しやすいと思います。)

分かりやすく解説してくださって、ありがとうございました。

お礼日時:2024/11/24 23:15

まず、文節の切り方が間違っていて、「無無明」「亦無無明尽」です。


その先を読めば分かりますが、釈迦が唱えた十二支縁起の最後に来る「老死」をきっぱり否定していますので、最初に来る「無明」を否定した①が正しい解釈です。
    • good
    • 1
この回答へのお礼

「無明」も「老死」も無いということですね。
ご回答ありがとうございました。

お礼日時:2024/11/23 20:24

ほんとうには、人の体や心が感じることや、考えることはすべて存在しないのだ。

それらを知らないことから起こる、悩み苦しみも存在しない。しかし、老いも死も避けることはできず、悩み苦しみは尽きることがない。それらをすべて解決などできない。
結論は、無い物は無い。と言う事です。
    • good
    • 0
この回答へのお礼

悩みも苦しみも、老いも死も、本当は存在しない。
にもかかわらず有るように感じてしまう、その勘違いが尽きることない、ということでしょうか。
難しいです。

ご回答ありがとうございました。

お礼日時:2024/11/23 20:14

②では無いです。



そもそも無明はないのだから、ないものをなくしてもさとりは得られません。つまりさとりにひきずられないようにということです
    • good
    • 0
この回答へのお礼

なるほど。さとりを得るために「無明」を無くそうと頑張ったところで甲斐もない(だって、それは幻想なのだから)ということでしょうか。
ご回答ありがとうございました。

お礼日時:2024/11/23 20:07

お探しのQ&Aが見つからない時は、教えて!gooで質問しましょう!

関連するカテゴリからQ&Aを探す