
出エジプト記 34章14節に、主はねたむ神であると書かれています。
「あなたは他の神を拝んではならない。主はその名を『ねたみ』と言って、
ねたむ神だからである。」(共同訳)
一方、アダムとイブがエデンの東に追放され、そこで彼らの子カインとアベルが
主なる神に供物をささげましたが、神はアベルの供物だけ顧みてカインの供物は
顧みませんでした。
でカインは憤慨して顔を伏せました。
(創世記4:6)そこで主はカインに言われた、「なぜあなたは憤るのですか、
なぜ顔を伏せるのですか。
(創世記4:7)正しい事をしているのでしたら、顔をあげたらよいでしょう。
でもこの後カインはアベルを殺してしまいます。
アベルへの嫉妬が動機だと思います。
出エジプト記の「主はねたむ神である」という設定は、ここと整合性を取るために
そういう設定にした可能性はないんでしょうか?
・神は自分の姿に似せて人を造った
・人は嫉妬してしまう存在である。
・理論的に神は嫉妬する存在であることになる。で「妬む神」と設定した。
こういう可能性はないんでしょうか? ←質問
尚私は、カインが供物を顧みられずその挙句弟を殺してしまった逸話は
「嫉妬に煽られるとこうなってしまう、という反面教師のお話である。
嫉妬に煽られてはいけませんよ」という教訓なのではないか、
と思うのです。
つまり、「神は嫉妬の神なので我々も嫉妬に駆られなければならない」と
思う必要はないのではと思います。

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A 回答 (3件)
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No.2
- 回答日時:
ご提示いただいた聖書解釈は、一見すると論理的で鋭い指摘のように見えますが、聖書学および神学的な観点から見ると、いくつかの重大な誤解と恣意的な解釈に基づいています。
以下にその問題点を批判的に解説します。1. 「ねたみ」という言葉の致命的な混同
あなたの議論の根幹は、神の「ねたみ」とカインの「嫉妬」を同一視している点にありますが、これは根本的な誤りです。
神の「ねたみ」(ヘブライ語: קַנָּא, qanna): 出エジプト記で使われるこの言葉は、人間が抱くような自己中心的で破壊的な「嫉妬(envy)」を意味しません。これは神学的に**「熱情」「義なる熱心さ」「義憤」と訳されるべきものです。これは、神とイスラエルとの「契約関係(結婚にも譬えられる)」において、唯一の愛の対象であるべきイスラエルが、他の神々(偶像)に心を移すこと(霊的姦淫)に対する、正当な権利者としての「熱い思い」です。それは関係性の忠実さを求める愛の裏返し**であり、破壊ではなく、関係性の回復を目指す情熱です。
人間の「嫉妬(envy/jealousy)」: 一方、カインが抱いた感情は、他者(アベル)が持つもの(神からの好意)を妬み、その対象を破壊しようとする、自己中心的で罪深い感情です。
この二つは、質的に全く異なります。例えるなら、「恋人が浮気した際に感じる怒りや悲しみ」と、「隣人が高級車を買ったことへの妬み」を同じ「嫉妬」という言葉で括り、同じ性質のものだと論じるようなものです。この言葉の混同が、あなたの解釈全体を成り立たなくさせています。
2. 「設定」という安易な文学的アナロジーの誤用
あなたは聖書をまるで現代の小説かのように捉え、「整合性を取るために設定した」と論じていますが、これは聖書の成立史と性質を完全に無視した見方です。
聖書は一人の作家がプロットを練って書いた物語ではありません。創世記や出エジプト記は、それぞれ異なる時代に由来する多様な口伝や文書(例えば文書仮説におけるJ, E, D, P資料など)が、長い年月をかけて編纂されたものです。
したがって、「創世記の記述と合わせるために、出エジプト記の記者が神の『設定』を考えた」というような単純な因果関係は成り立ちません。それは、聖書を信仰の書、歴史の書としてではなく、ご都合主義的なフィクションとして矮小化する見方です。
3. 「神のかたち」の解釈の浅さ
「神は自分の姿に似せて人を造った」から「神も嫉妬するはずだ」という三段論法は、一見説得力があるように聞こえますが、これも神学的に非常に浅薄な解釈です。
「神のかたち(Imago Dei)」とは、外見や感情の完全なコピーを意味するのではありません。伝統的に、それは人間が持つ理性、自由意志、創造性、愛し愛される関係性を築く能力、神の代理として被造世界を治める役割などを指すと解釈されてきました。
人間の罪深い性質、例えばカインが示したような破壊的な嫉妬までが「神のかたち」に由来すると考えるのは、神の本質を誤解し、人間の罪の責任を神に転嫁する論理です。人間は「神のかたち」を持つと同時に、罪を犯す存在でもあります。その罪の部分まで神に似た、と考えるのは論理の飛躍です。
4. カインの物語の本質の見誤り
カインの物語を単に「嫉妬の反面教師」と見るだけでは、その核心を見失います。
神はカインの供物を顧みなかった後、彼を見捨てたわけではありません。「なぜあなたは憤るのですか。(…)罪が戸口で待ち伏せしている。あなたを求めるが、あなたはそれを治めねばならない」(創世記4:6-7 新共同訳)。
神はカインに対話し、内省を促し、罪に打ち勝つ機会を与えています。 物語の悲劇は、神が不公平だったからではなく、カインが神の言葉に耳を傾けず、自らの内なる罪(憤りや嫉妬)に支配されることを選んだ点にあります。あなたの解釈は、カインの主体的な選択と責任という、物語の最も重要な主題を無視しています。
結論
あなたの解釈は、現代的な心理学用語や文学批評の概念を、古代の宗教文書に無批判に適用しようとする試みであり、その結果、言葉の表面的な類似性に囚われ、聖書テキストが持つ本来の文脈、原語の意味、神学的な深みを完全に無視した、恣意的な読み方に陥っています。
「神は嫉妬の神なので我々も嫉妬に駆られなければならないと思う必要はない」というあなたの結論自体は正しいですが、そこに至る論理(神の「ねたみ」と人間の「嫉妬」の同一視)が根本的に間違っています。聖書を解釈する際は、このような安易な類推ではなく、より慎重で文脈を尊重したアプローチが不可欠です。
No.1
- 回答日時:
アダムとイブがたべたリンゴ
アダムがイブの同意を得ないで性欲のままに追いかけ暴行し犯した
すなわち強姦したということだと思います。
キリスト教や宗教の限界は
人間の感情として神は存在しているということです。
神はただ表現は難しいですが法則とか光とか元のようなものです。
神の言葉は 天使の言葉 だと思います。
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アダムとイブがたべたリンゴですが「善悪を知る木の実」とあります。
これを食べて裸でいることに気づき、イチジクの葉で隠しました。
アダムとイブが知ったのは「恥ずかしいことをしてはいけない」という
知識ではないのでしょうか?
であればイチジクの葉で隠したことも、咎められて言い訳をしたのも
エデンの東でカインが嫉妬に駆られ弟を殺害したことも、
全て説明がつきそうに思います。
話が飛びますが日ユ同祖論があります。日本は恥の文化でもあります。
ここにも繋がってしまいます。