No.2ベストアンサー
- 回答日時:
倭建命(古事記 中巻)、日本武尊(日本書紀 巻七景行天皇)。
日本書紀と古事記で若干の違いがありますが一般的なエピソードをいくつか(全部だと本が書けてしまいます)。
景行天皇の皇后が妊娠し産屋に入ったとき、(当時の風習で)天皇は臼を抱えて産屋の周りを歩いていました。
産声が聞こえて天皇が「やっと終わった」と思ったとき、また皇后の陣痛に耐える声。
天皇は悪態をつきながら臼を抱えて歩き出しました。
このとき生まれた皇子が大碓皇子(おおうすのみこ)と小碓皇子(おうすのみこ=日本武尊)です。
父の景行天皇が「大碓皇子が言うことを聞かないので注意をするように」と小碓皇子に伝えたところ、小碓皇子は厠(便所)で兄の手足をもぎ取って殺してしまいます。
小碓皇子を恐れた天皇は彼を西国征伐、東国征伐の旅に追いやります。
西国征伐では有名な熊蘇武尊(クマソタケル)征伐(女装して宴会で勺をしながら油断した熊蘇武尊を突き殺した)が行われ、熊蘇武尊から「今後は日本武尊(熊蘇武尊より強い男)と名乗れ」といわれ、その後は日本武尊と呼ばれます。
また、出雲武尊(イズモタケル)征伐も行われています。
次の東国征伐では伊勢神宮で草薙の剣を手に入れます。
この東国征伐では弟橘媛(オトタチバナヒメ)との出会いと別れ、美夜受比売(ミヤズヒメ)との結婚を経験しますが伊服岐(イブキ)の山の神退治のときに受けた大氷雨(オオヒサメ)によって体調を崩し伊勢能褒野(三重県鈴鹿郡)で命を落とします。
日本武尊の魂は白鳥になって大和を目指しました。
このことから日本武尊の古墳を白鳥陵と呼びます。
特に東国征伐については古事記、日本書紀で大きな違いがあります。
No.1
- 回答日時:
ヤマトタケルノミコトの伝説は、日本書紀にあります。
ヤマトタケルノミコト(日本武尊)は、景行天皇の皇子。
別名、オウスノミコト、兄をも凌ぐ武勇の持ち主。景行天皇の命により、ミコトは、九州の「くまそ」や東国の「エミシ」の征服。しかし、東国からの帰路に死亡(30歳)。ミコトを葬ると、白鳥になって飛んでいった・・・というのが、「ヤマトタケルノミコト白鳥伝説」です。
詳しくは
http://www.mydome.or.jp/habikino-city/format/bas …
→メニュー→ ヤマトタケルノミコト 白鳥伝説
参考URL:http://www.mydome.or.jp/habikino-city/format/bas …
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