プロが教えるわが家の防犯対策術!

お世話になります。
職場の知人(30代・女性)の母親が亡くなりました。
そこで彼女に何か本を贈りたいのですが、どのような本がよいでしょうか?
身内を亡くしたときに読んで、心があったまるというか悲しみのなか、心に響くようなそのような本があったら教えてください。私自身も読んでみて、贈ろうかと思っています。
よろしくお願いします。

A 回答 (5件)

 失礼な回答になるかもしれませんが、お許しください。


もしあなたが親御さんを亡くされていないのであれば、
本を贈らないほうがいいと思います。私は親を亡くして
いますけど、その直後に「 これを読んだら 」と本をプレ
ゼントされたとしても、困惑してしまったことでしょう。

 親の生きている人に、その知人の気持ちを汲むことは
できないのです。こういうときはそっとしておくのが
一番で、これまでどおり変わらぬお付き合いをすることが
なによりの慰めになります。

※もしあなたも親を亡くされているのであれば、本を
贈ってもいいと思いますが、その際も心あたたまると
いったストーリーにこだわらないほうがいいと考えます。
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私も30代の女性で、一昨年実父を亡くしました。


私自身の経験から言いますと、ごめんなさい、本は欲しくないです。

私自身は慰めようとされること自体が苦痛でした。
身内が亡くなると本当にいろいろ手続きや挨拶等も大変で、嫌でも身内の死と向き合っていかなければならなかったので、
本を読むときは全く死とは関係のない、気分転換になるものを(雑誌や時代小説など)読んでいました。
(当時流行っていた「世界の中心で~」等も読めませんでしたね。)
心遣いはとても有難くても、本を頂いたら「ありがとう。慰められたわ」って御礼を言わないといけませんよね。
それも辛いですし…。

本を読む時間を取れるなら、その時の自分の気持ちが求めているものを自分で探して読んだほうが私は良かったです。
心の傷や立ち直りについては、どんなに人が気遣ってくれても、自分で何とかするしかないんです。
さりげなく見守っていただければ、それが一番私は嬉しいことだと思いますよ。
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私も、二番の回答者の方と同じで「千の風になって」をおすすめします。



3年前に父親が亡くなって、しばらくして母親が新聞の広告を見たので欲しい、と言うのでネット書店でさがして買いました。死んだ私はお墓に閉じこもっているわけではない、風に乗って大空を自由に飛んでいるのだから悲しまないで、といった内容だったようです。

実際、母親はかなり癒されたようです。

そして、これを書いた人は確か他にも何冊か本を書いていたと記憶しています。それもさがしてみてください。
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同じく読み物というものではなく、詩なのですが


「千の風になって」
http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4062121 …
は、身内を亡くされた方に贈る本としてよく紹介されています。
詩自体はネットでも検索すると出てきますので参考にしてみてはいかがでしょうか。
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絵本ですが、スーザン・バーレイの「わすれられないおくりもの」はいかがですか?


とてもやさしい絵で、小学校の本にも載っているお話です。
知人の旦那様が亡くなられた時、逆に香典のお返しのひとつとして?この本をいただきました。
たいせつなひとが亡くなって、悲しんでいるひとに、悲しむばかりでなく、その人の思い出を大切にしようというお話です。
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この回答へのお礼

回答ありがとうございます。
そうですね、絵本もいいかもしれません。
やさしい気持ちになれそうです。
早速見てみたいと思います。

お礼日時:2006/03/15 08:20

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どうしても結婚がしたくて、お見合いをして、ステキな彼を見つけ昨年結婚した彼女。
ところが、不運にも約1年の結婚生活に、彼の死でピリオドを打つことになってしまいました。

どのような形で亡くなったのかは知りません。

彼女を勇気付けてあげるような「本」のプレゼントを考えています。

どなたかオススメがあったら教えて下さい!!

Aベストアンサー

『1000の風―あとに残された人へ』南風 椎(翻訳)三五館(出版)

 以前、朝日新聞の天声人語でも紹介され話題になった本です。「 私の墓石の前に立って/涙を流さないでください/私はそこにはいません/眠ってなんかいません」という文章で始まる写真と詩の小さな本(32ページ)です。下のAmazonのカスタマーレビューをご覧ください。ご質問に添う本だと思います。

参考URL:http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4883209067/ref=pd_ecc_rvi_1/250-3221008-4502642#product-details

Q母を亡くしました。何か生きる希望を見出せるような本

最近母を亡くしました。わたくしは30代です。この苦しい悲しい気持ちを乗り切るために何か良い本はないか探しています。参考になるものがあればぜひ紹介下さい。アドバイス宜しくお願いします。

Aベストアンサー

こんにちは。
質問者様の悲しみお察しいたします。
私もずいぶん前に父を、数年前に友人を亡くしました。
本ではありませんが、このサイトはご存知でしょうか。
私はこのサイトで癒されたり、考えさせられたりしました。
参考まで、ご紹介させていただきます。

参考URL:http://www.asahi-net.or.jp/~KX5N-KGYM/

Q親が亡くなった人にかける言葉

先日、私の職場の同僚のお父さんが亡くなりました。
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それとも、触れるべきではないのでしょうか?
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相手を気遣い、かつ不快にさせないことばがあるでしょうか?

Aベストアンサー

こんにちは。 30代オンナです。

私は5年前に実母を癌で亡くしました。
そのときに会社の皆さん、友人たちにいろいろな言葉をかけてもらいました。
「大変だったね」「何かできることあったら言ってね」等々なぐさめやねぎらい(お通夜・お葬式は大変だった!)の言葉はどれもありがたいものでした。

ただ、うちの母親の場合56歳という若さで亡くなったのでそれは私自身とても残念で悲しいことでした。
唯一「まだ、若かったのに残念ね・・」という言葉には正直辛く感じました。

わたくしごとをゴタゴタ並べてしまいましたが、やはり何か言葉をかけてあげたほうが良いと思います。
腫れ物を触るように気をつかっていただいたことがあり逆にこっちが気をつかっちゃったりしたことがありました。

ただ、なくなった直後は葬式やら事務手続き等でとても忙しくて亡くなったんだ実感というものが感じられません。
できたら、落ち着いた頃に(49日が終わり、2か月くらいたったころ)食事にでも誘ってお話を聞いてあげてみてください。

Q母の死

4/17 夕方、最愛の母が永眠しました。

昨年の10月に膵臓がんが見つかり、約半年の闘病をしていました。私は小さい時から母が大好きで、この世で絶対に起って欲しくないことは「母の死」でした。

母が死ぬくらいなら、自分が死にたい、死んだ後、精神的に耐えられないと思ってました。ですから、昨年夏頃から調子が悪く、行きつけの病院に行っても原因が分からないとの事で、地域の大病院で精密検査した結果、家族が先生に呼ばれ「病気と治療方針」について病院で説明がしたいと連絡を受けた時は、非常に嫌な予感がしました。

その日の朝は朝一番で近くの神社に行き、神主さんに祈祷をして頂きました。家族と病院に向かう途中「痛いのは胃だと言っていたので、最悪胃がんかも知れない、しかし、胃がんであれば手術が間に合うかもしれないし、今日はその説明かも知れない」とそれだけが頭の中にこだましていました。

しかし、医師から出てきた言葉は「膵臓にがんがある、進行がんでステージ4a、がん摘出手術は出来ない、バイパス手術も出来ない、ステント挿入手術をしたいがそれも成功するか分からない」との事でした。母はその時点でも毎日の様に嘔吐していましたので、元々小太りだった体型はかなり痩せてしまっておりました。

涙がボロボロと流れて止まりませんでした。医師からは具体的な余命は告げられませんでしたが、事の深刻さは分かりました。

それから母は放射線治療と抗癌剤治療を受けることを選択し、3週間後に退院してからは自宅からの通院治療を続けました。

退院後も母は前向きに生きていました。それは恐らく、がんになっても何年も生きている人が居ると言う事や治療の効果を期待していたんだと思いますが、私はネットや本、がん患者の家族会に参加したりして聞こえてくる手術が適応出来なかった場合の末期すい臓がんの現実を知ると1年は持たないだろうとは思っていました。

ただ、その時は現実には母は生きているし、同じ家に住んで話もしたり、TVを一緒に見たりしていたので絶望と言う気持ちではなかったのです。ただ、今年の正月の時に家族が集った時に全員で迎える正月は最後だろうなと思って凄く寂しくなりました。

今年の2月に主治医から「検査の結果、抗癌剤治療は中止し、今後は緩和ケアに移行したい」と説明を受けたと母が言いました。その時に母は非常に不安になり初めて弱気になりました。

母、そして家族と相談し、病院が斡旋する在宅看護を受けつつ、他の治療法を探す事にしました。
そこで、4月の初めにセカンドオピニオンとして国立がんセンターに資料を提出し、見解を聞きました。当初、母も同行する予定でしたが、すでに家から外出するだけの体力も無くなっており、私一人で訪問しました。

そこの先生の話では「データを見る限り、早ければ2週間後、長くても一ヶ月持たないでしょう」と言われました。私は久々に大泣きしました。

家に帰ると母は「どうだった?何か他の治療とか紹介された?」と聞いてきました。
私は本当の事は言えずに「先生は、薬は無い訳じゃないけれど、今は体力が落ちているので、その薬が飲めるようになるまで体力を戻す事が先決だと言っていたよ」と伝えました。

母は久々に嬉しそうな顔をして「じゃ、お母さん頑張って食事取るね」と言いました。私は自分の部屋でわんわん泣きました。

実はもう一つ、母には隠していた事がありました。3月一杯で10数年務めた会社を辞めていました。
退職は会社から解雇通告されたからです。解雇理由は「ここ一年の仕事のパフォーマンスが低い」からとの事でした。

私の会社は外資(アメリカ)で確かに成果に厳しく、社員の出入りは激しいです。自分自身良くこんな自分でも10年以上居れたなと思っていました。パフォーマンスの低下は精神的な影響は多分にあったと思います。会社からはパッケージの提案があり、私はそれを承諾しましたが、1つお願いをしました。

それは退職時期を1、2ヶ月遅らせて欲しいと言う事です。理由は、母は私が働く姿を喜んで居てくれていて、このタイミングで自分が無職になったら母に余計な精神的ストレスを与えてしまう、それで死期を早めるような事があっては絶対にならないと考えたからです。

会社が提示した退職は3月末でしたが、自分は母の状況の事を説明し、4月若しくは5月まで延期してくれないか。3月一杯で社員待遇は終わり、身分はバイトでも何で良いから、そして約束の時期がきたら必ず退社すると必死に食い下がりました。上司は一旦は懐柔を見せ、マネージャー会で検討させてくれと言ってきました。

1週間後に上司に呼ばれ「検討したが、決定は変更できない」と言われ3月退職が決まりました。
その時点で私は会社には完全に愛想が尽きていたので、すぐにパッケージにサインし、4月からは「会社からは家族の状況を相談したら介護休暇と言うのをもらえた、だから、当分は自分が母さんの身の回りの世話をする」と家族に説明しました。母は喜んでいました。

母が「あんたは良い会社に入っているね」と喜んでいるのを凄く苦々しく感じましたが、一方これで一緒に入られると嬉しかったです。

在宅でしたので、自力ではトイレも行けなくなっていて、おむつの交換、座薬を入れるなど私と家族で行いました。母は「男の子にこんな事してもらうの恥ずかしい」と嫌がっていましたが、私は「そんな事気にするな、恥ずかしがっている場合ではない」と言いました。確かにおむつの交換、座薬などは最愛の母とは言え、きついです。でも他人に任せたくなった。そう言う汚い部分だけ人に任せて、臨終の時に「お母さん」って泣くのは嫌だったからです。

そして、4/17 夕方母は家族全員に看取られて、最後は私の手を握って、痛みに苦しみながら、荒い呼吸が段々と小さくなって呼吸が完全に停止し、永眠しました。

そして、その日のうちに葬儀会社が来て、葬式が終わり今日に至るのです。

なんかだらだらと長くなってすみません。何が質問かと言うと私は母が死んでから、殆ど泣かないのです。がん告知を受けた時やがんセンターで余命を聞いた時はあれほど取り乱したのに今は何故か冷静なのです。一方、母の葬儀以降、毎日空虚で無気力になってしまい、無職だし、仕事探すとかしなければとは思うのですが、やる気が起きず、母の写真を見たりして過ごしています。

感情が消えたみたいです。抜け殻の様な感じです。
同じような経験をお持ちの方アドバイス頂けたら幸いです。
宜しくお願いします。

4/17 夕方、最愛の母が永眠しました。

昨年の10月に膵臓がんが見つかり、約半年の闘病をしていました。私は小さい時から母が大好きで、この世で絶対に起って欲しくないことは「母の死」でした。

母が死ぬくらいなら、自分が死にたい、死んだ後、精神的に耐えられないと思ってました。ですから、昨年夏頃から調子が悪く、行きつけの病院に行っても原因が分からないとの事で、地域の大病院で精密検査した結果、家族が先生に呼ばれ「病気と治療方針」について病院で説明がしたいと連絡を受けた時は、非常に嫌な予...続きを読む

Aベストアンサー

はじめまして。

今あなたの文章を読んで泣いてしまいました。

私のお父さんも膵臓ガンでした。
あれから約3年経ちましたが、記憶の中のお父さんと被って、久々に泣きました。

私のときは、お父さんが発病したのは、私が中学二年のときでした。
三人家族で私がまだ精神的に幼いと両親は考えたのか、お父さんの病気のことをまだ受け止められないと思い病気のことは黙っていました。

何時間にも及ぶ手術に集まる親戚、心配そうなお母さんの顔…
今思えば自分は本当に幼かった
そんな空気の中でさえ、事の異常に気付かず、盲腸の手術程度に思ってました。
その後の抗がん剤治療も順調に進み、やっとガンだったのかと知りました。

でも中学三年の秋、突然お母さんに涙目で一言
「パパ後3ヶ月しかもたないって…」

頭が真っ白でした。
ガンを克服し会社にまで復活して頑張ってたのに…
この世に神様はいないのかと本気で思いました。
夜一人部屋の中で色んな思いが溢れて泣きました。
私は身近な人で死んだ人がいなかったので、お父さんの死ということがあまり上手く理解できませんでした。
でも、ふとある時、よぎったのは
3ヶ月後は自分の誕生日……
ということ。
なんだか急に現実味がまして怖くなり、これからの人生の色々な思い出のなかにお父さんはあといくつ居られるのだろう…そう思うようになった。

それからお父さんは余命宣告よりも5か月も長く生きました。
でも、みるみる痩せていく体、何度も繰り返す嘔吐…色々なことが私には死が迫ってくるようで怖くて怖くて耳を塞ぎ目を閉じ、この世現実が夢だったらと願いました。
今までずっとお父さんを支えていたのはお母さんだったので、当時の私には一緒に支える方法を知りませんでした。
支えようとするどころか、部屋で一人で泣くことしか出来ませんでした。
だからお父さんはお母さんの前でしか泣きません。
それを見て、私は二人を困らせてはいけないと、泣いてはいけないと誓いました。

高校一年になってすぐ、お父さんは病気と闘いながら死にました。
今でも、お父さんが焼かれて骨になった姿は焼き付いて消えません。

お父さんが死んだあと、家は母子家庭になり、お母さんは自分が守らなくてはと思うようになりました。
当時私は私立の女子高に通っていました。
親の死は女子には格好の話のネタなのは以前別の人がそうだったので黙ってもらってました。
可哀想だとか惨めだと思われたくなくて、学校ではバカみたいにテンションをあげてましたが、家では、部屋で泣きながら勉強してました。
というのも、私立は学費が高かったので、あまり成績はよくありませんでしたが、奨学金を目指し必死で頑張りました。
そのお陰か、高一は奨学金ももらえ、クラスでも1位の成績でした。
でももう心はギリギリで高二の夏に精神を病み学校へは行けなくなりました。
半年ほど、何もやる気がせずただ泣いたり、今の自分に失望したり…
こんなんじゃ、お父さんより私が死んだ方が…なんてことを永遠と考えてました。

だけどある時、自分が心から楽しめるものを見つけ、その時からこんなんじゃダメだと思いました。
もう一度高二からやり直すために転入しました。
今私は一年遅れの高校三年生です。
やっとお父さんの死から立ち直ることができたんです。

私はあなたの文を読んで、隣でお母さんをずっと支えていたあなたを心から尊敬します。
私が目をそむけ、現実逃避しようとした現実から最後まで逃げなかったあなたは誰よりも強いと思います。
今まであなたもずっと闘ってきたのだから、何もやる気がしなかったり、脱け殻のような状態から無理に抜け出そうとしないでください。
そんないまを悲観しないでください。
今は少し心が疲れてるんです。

こんな私が言うのはなんですが、今はあなたのやりたいように、好きなだけ休ませてあげてください。
そうすれば、ある時からきっと生きる気力が湧いてきて前向きにいまを考えることができると思います。
私がそうだったように。

人にはいつか自力で乗り越えなければならないとてつもなく高くて厚い壁が一度は来ると思います。
それを乗り越えたらのなら、私は、あなたは人の痛みや苦しみを、人よりなん十倍も身に染みて理解し、やさしくなれるんです。

壁は逃げれば自分についてきてどんどん高く厚くなります。
だから、たまには外にも出て、壊そうとする努力をしてください。
努力なしに得られるものなんてたかが知れてます。

最後にあなたは一人ではありません。
苦しくなったら、こうやって、いまみたいな場で良いから、吐き出して見てください。

そうすればあなたが一人ではないことに気がつくでしょう。
だから、いまのこの自分をどうか否定しないであげてください。
長文失礼しました。

はじめまして。

今あなたの文章を読んで泣いてしまいました。

私のお父さんも膵臓ガンでした。
あれから約3年経ちましたが、記憶の中のお父さんと被って、久々に泣きました。

私のときは、お父さんが発病したのは、私が中学二年のときでした。
三人家族で私がまだ精神的に幼いと両親は考えたのか、お父さんの病気のことをまだ受け止められないと思い病気のことは黙っていました。

何時間にも及ぶ手術に集まる親戚、心配そうなお母さんの顔…
今思えば自分は本当に幼かった
そんな空気の中でさえ、事の異常に気...続きを読む

Q母親を亡くした友人との連絡について。

今年の四月末頃に友人Aが母親を亡くし、メールで落ち着いたら連絡する。また遊びに行こうねというメールを最後に、今も連絡がありません。
とても慕っていたお母様を亡くし、生活もあるしで大変な時期だと思います。
あちらから連絡があるまで、下手にこっちから連絡しない方がいいなと思ってはいるのですが
ふと、同じ経験をした人はどうするのかなと思い質問しました。
私は両親が健在で、もし死なれてしまったらどうしよう辛くて大変なことになるだろうなと
想像するだけでも怖くて、具体的に考えられません。。。
ずっと前に、他の友人Bもお母様を亡くして間もない頃、カフェで号泣気味に泣かれた時は
どうしたらいいかわからず、ただただ話を聞いていました。
友人Aも何年経っても悲しいことは変わらないと思いますが。。。

一年は喪に服して、どうにか越えられるように自立心の高い友人は頑張ってると思います。
どれくらい連絡がなかったら、自分から連絡してみますか?
こういう経験をした方、良いアドバイスがありましたら教えてください。
宜しくお願いします。

Aベストアンサー

今、質問者様と同じ立場の者であり、また、過去には、ご友人の立場でもあった者です。

私は三年前母を、そして母の四十九日が終わらない前に父を亡くしました。最愛の存在を殆ど同時に亡くした私に、友人知人は、どう接したらよいか分からなかったと思います。
確かに、その時は人と会ったり電話する余力がありませんでした。

自分からは滅多に連絡してこない一人の友人が、「私には両親が健在なので、貴女の悲しみは分からない。他の人のように分かったようなお悔やみの言葉も言える人間ではない。でも、いつも心に留めています。気をしっかり持って乗り越えね」と、短いメールをくれた時、本当に嬉しかったです。

今度はその友人が、心身共に辛い状況に立たされ、今連絡がつかない状態です。
今しばらくは待って、頃合いを見計らって、季節の挨拶を送ってみるつもりです。

相手の受け取り方にもよりましょうが、いつも心に留めてくれる人の存在は大きいです。
質問者様も、今は待ちの期間かもしれません。
今はそっと見守っていてあげて、もう少し経ったらさりげなく短いメールを送ってみては如何でしょうか。
参考になれば幸いです。

今、質問者様と同じ立場の者であり、また、過去には、ご友人の立場でもあった者です。

私は三年前母を、そして母の四十九日が終わらない前に父を亡くしました。最愛の存在を殆ど同時に亡くした私に、友人知人は、どう接したらよいか分からなかったと思います。
確かに、その時は人と会ったり電話する余力がありませんでした。

自分からは滅多に連絡してこない一人の友人が、「私には両親が健在なので、貴女の悲しみは分からない。他の人のように分かったようなお悔やみの言葉も言える人間ではない。でも、...続きを読む

Q友人のお子さんがなくなりました。言葉がでない

友人のお子さんがなくなりました。なんと言葉をかけていいかわかりません。
私自身も流産したばかりで、遠く気持ちは及ばないかもしれませんが、いたたまれません。

離れて暮らす友人たちに一斉メールで、「今度そっちへ遊びにいくから会いましょう!」というメールを送ったところ、「子どもが先月に急死してバタバタしているから遠慮する」、と返事がありました。
なにも返事を返さないのは悪いし、かといって、なん書けばいいかもわからないし。。。

ちなみに、その友人は学生時代の友人で、男性、既婚、二人の子持ち、そのうち下の
お子さんがなくなったということです。生まれた時から、障害をお持ちで、覚悟はしていた、ということです。
7、8人グループとかでメールをやりとりして会合の出欠を確認していたメールです。

Aベストアンサー

すぐに慌ててメールしなくて逆に良かったと思います。
状況が分からない場合には、落ち着いて言葉を選んで送る方がいいですから。


まずはメールでもいいと思いますので、

お悔やみの言葉と、一斉だとしても、また知らなかったとは言えこんな時に不謹慎なメールを送ってしまった事をお詫びするのがいいと思います。
また、返信等は必要ないよう、またはいつでもいいような文面にしておくのも大事だと思います。


(例えばなので、参考までに)
この度は思いがけないお知らせをいただきました上、〇〇さんのお気持ちをお察しする事もできず、メールをしてしまいまして申し訳ございませんでした。
心よりご冥福をお祈りいたします。
ご家族の皆さまにはさぞお力落としのことと思いますが、どうぞお悲しみのあまり、お体をこわされないよう大切にして下さい。

もしも、お気持ちが許される時にはご連絡いただければと思います。



もしも、電話で連絡が取れそうなら、
お悔やみメッセージとともにお花を送られてはどうでしょうか。
(お友達皆さんででもいいと思います)

Q母が亡くなって3ヶ月…。まだ泣いてしまいます。

30代女性です。
2年間、病と闘った母が3ヶ月前に亡くなりました。
告別式を迎えるまでの4日間…ふいに溢れる涙を自分でもどうしようもなく、本当に泣き続けました。

告別式を終えても、本当はもっと泣き続けていたかったし、母の思い出に浸っていたかったけど、「毎日」は容赦なくやって来て日常生活に引き戻され…。

もう3ヶ月も経つのに、一人の時間に、またふいに涙が溢れてしまいます。

同じような経験をされた方がいらっしゃいましたら、ただお話しをかき聞かせて頂ければ…と思っています。

Aベストアンサー

お辛いですね・・・お察しいたします。

わたしは、随分前に、5年間闘病した母を亡くし、4年前には1年の入院のすえ、
父が亡くなりました。

母のときも長い間、道行く人に母の面影を重ね、枕を涙で濡らす毎日でした。

記憶に新しい父の死のときには、母のとき以上に毎日泣いていました。


最近もいろいろ考えると泣けてきますし、夢も見ます。

闘病のさいの可哀そうな姿を思い出すと、後悔もしますし、罪悪感も感じます。

もっとああすればなどと、際限なくハードルを高くして、できなかった自分を
責めてしまいます。

写真のなかの笑った父を見ると、会いたくてたまらなくなります。

今でもとても淋しいです。


亡くなって半年頃、うつのお薬も飲みました。(2週間くらい。)

特別なことではなく、こういうのもアリなのだと思います。

遺品整理でまた泣けて、父の手帳を見てまた泣けて。


でもそうやっているうちに、少しずつ、涙の量が減っていきました。

今でも思い出すといろんな気持ちが溢れてきます。

ただ、自分の悲しさと少し距離の取り方が学べた気がします。

母のときとはまた違うので、亡くなるたびに、また一からですね。


いつまでも泣いていると亡くなった人が悲しむといったことを聞きますが、
そうでもない気もします。

子どものとき、こけて痛くて泣いていたときのように、天国から、
あーあ、泣いてるね、と、笑って慰めてくれているような気がするのです。

kataomaさん、声が聞けなくて、触れなくて、とても寂しいですが、
きっとそばにいてくださっていると思います。

本当に鵜悲しいですよね、大切で、大好きだったのですから。
だからkataomaさんはとても正常なのだと思います。
(すみません、変な言い方ですが。)

どうぞ安心して悲しんでくださいね。
それが人の通る道なのだと思います。
そしてきっとその分、お気持ちに優しさが増えていくのだと思います。

お気持ちを逆なでしてしまったら申し訳ありません。

お辛いですが、悲しいお気持ちをしっかりとお受け止めになれるといいですね。

そうしながら、お気持ちはまた、少しずつ元気に向かわれていると思います。

悲しくて泣かないではいられないほどのお母様との思い出を、これからも
きっと大切にしていかれるのでしょう。

応援しています。

お辛いですね・・・お察しいたします。

わたしは、随分前に、5年間闘病した母を亡くし、4年前には1年の入院のすえ、
父が亡くなりました。

母のときも長い間、道行く人に母の面影を重ね、枕を涙で濡らす毎日でした。

記憶に新しい父の死のときには、母のとき以上に毎日泣いていました。


最近もいろいろ考えると泣けてきますし、夢も見ます。

闘病のさいの可哀そうな姿を思い出すと、後悔もしますし、罪悪感も感じます。

もっとああすればなどと、際限なくハードルを高くして、できなかった自分...続きを読む

Q両親の死が辛い

母が突然亡くなりました。父は勿論、私と娘は何が起こったのか分からないまま葬式をしました。なぜ、どうして母が…と云う思いで信じられず、でも会社も行かなければならないし、家にいる年老いた父の事が心配なので昼休みには帰って食事の用意をし、夜も急いで帰ってました。がその父も母が亡くなって49日目に亡くなりました。それからの日々は、二人の遺影を前に、何をしても何を見ても悲しいと言う想いを語り、泣いています。急に4人家族が2人になって寂しいです。

若い時から内職をして家計を支え、本当に気のいい母でした。少し口やかましいところはありましたが。私が子供をつれて実家に戻ってからは、ずっと食事など皆の世話をしてくれました。
娘にとっては、祖母であり母親でした。私は小さい時から母が大好きで「一緒に死ぬ歳まで待って」と言ってましたが先に逝ってしまいました。当然です、21歳違いですから順番からは親が先です。

父も自分が先に逝くはずだったと嘆き、「寂しい」とションボリしている日が続いていました。昨年末に手術・退院後は回復に向かって喜んでいましたが、やはり体力は弱っていたのでしょう。母の急死で気が弱り余計に菌を受け付ける体になっていたのです。母の法要の後に入院し5日後に亡くなりました。
続けて二人を送り、私は気が動転し何も興味がなくなりました。
今は、夕暮れ時になると母を思い出し、そして父が亡くなる前に世話になったと書き残した言葉と顔を想い辛く悲しく、気が変になりそうです。
また、自分もいつか天国へ行く日が来る、今度は娘たちが同じ想いをする、させてしまうと思うと、どうしようもなく悲しく、それまでに身辺整理をしなくては…とあせってしまいます。
みんな生まれると、必ず死が待っている事は分かっているのですがなかなか立ち直れなくて、もう一度会いたい、声を聞きたい、話がしたいと云う思いに胸が押しつぶされそうです。

迷惑ばかりかけていたとは思いません。母も「お前たちと暮らすようになって生活に張りが出来た」と言ってくれていました。父の病院通いにも毎日行きました。母は元気でした。元気に見えていました。血圧降下剤は飲んでいましたが、それが悪かったかも…と言う人もいます。もっと早く気付いていればこんな事にならなかったのに。もっと手助けをしていれば、もっと早く帰って母との時間を持っていれば…、など色々悔やまれる事ばかりです。
今日は母の4回目の月命日です。もう4ヶ月たちました。まだ4ヶ月なのかも…当初は何がなんだか分からず泣いたり後悔や自責の日々でしたが、今は忙しくしている時や会社にいる時などは忘れる時間があります。
こういう時は両親に対して罪悪感に似たような気になってきます。少しずつ落ち着いてきたので良いのかな?と思ったりもしますが、夕暮れ時や、何もないのに突然悲しくなったり、会って誤りたいと落ち込みます。こんな事を繰り返しながら日々を送り、いつの間にか普段の生活に戻るのかなあとも思います。
もっと若くして親と死別した方々もおられますが、私はもういい歳です。60です。次は自分の事を考えなければならない歳です。娘が嫁ぐと一人になります。その時こんな気弱でどうしていけばいいのでしょうか?
世間では親の歳を聞いて「大往生」と言いますが自分の親なら、大事に思っているからなおさら「大往生」だとは思いません。母は病気で寝込んだ事はないのです。夜中に一人で逝ってしまったのです。
82歳でした。まだまだ一緒に買い物も遊びにも…

私は娘に心配をかけまいと頑張り、仕事と家事で疲れています。これはかえって悪いのかもと思いますが今はまだ「気分転換にどこかへ」という気になれません。

会社のストレスもあり(小さい会社で休むのもままならないです)早く辞めて家の事だけにしたいと思いますが、そうなると収入も減るので大変です。

両親とか大切な人との別れを経験した人はどのようにして、どれくらいの年月でこの辛さがマシになるでしょうか?
私のようにいい歳をして、いつまでもクヨクヨしていてはいけないのでしょうか?

宜しくお願い致します。

母が突然亡くなりました。父は勿論、私と娘は何が起こったのか分からないまま葬式をしました。なぜ、どうして母が…と云う思いで信じられず、でも会社も行かなければならないし、家にいる年老いた父の事が心配なので昼休みには帰って食事の用意をし、夜も急いで帰ってました。がその父も母が亡くなって49日目に亡くなりました。それからの日々は、二人の遺影を前に、何をしても何を見ても悲しいと言う想いを語り、泣いています。急に4人家族が2人になって寂しいです。

若い時から内職をして家計を支え、本当に気...続きを読む

Aベストアンサー

40代既婚者男です。

>私のようにいい歳をして、いつまでもクヨクヨしていては
>いけないのでしょうか?


そんな事はありませんよ。
年齢なんて関係ありません。最愛の人を失った時の喪失感や
悲しみ、寂しさは、何歳になろうと同じだけ辛いものです。
世間では、高齢者が旅立つと大往生という言葉で片付ける
風潮があるのは確かですが、あなたの仰るように、身内にしたら
そんな言葉で整理できるほど単純ではありませんよね。
あなたも理解しているように、人は生を受けた以上、必ず死を
迎えます。
そして寿命というものがあり、親から先に旅立つのは必然です。
しかし、そんな事は頭で理解できることであり、決して心では
理解などできないのが本音だと思います。
私の両親はまだ健在なので、まだ死別の悲しみを味わったことは
ありません。
ただ、大好きだったお婆ちゃんとの別れは経験しました。
肝臓癌が判明してから、あっという間でした。
本人には知らせていなかったので、遠く離れて暮らしていた僕が
急に何度もお見舞いに行くと、おばあちゃんが自分の病を疑う
かもしれないと思い、泣く泣くお見舞いの回数を減らしました。
今思えば、愚かな気遣いであったと後悔しています。
何であろうと、毎日でも会いに行けばよかった。そしてたくさん
話をすればよかったと悔やみます。

人は大切な人を失って初めて、いろんな後悔に押し潰されます。
あの時こうしていたら、あの時もっと・・・・。尽きることは
ありません。
でも、悔やんだところで、亡くなった人は戻ってきてはくれ
ません。
それも頭で分かっているのですが、複雑な思いでした。

私はいつも近しい人とのお別れを経験する度に、思う事があります。
それは、人の死というのは、最後にその人から教えられる
愛なのだということです。
人は死というものがいつも身近にありながら、中々そこを見よう
とはしません。
ですから、そうした愛する人の死を目の当たりにすることで、
そこで改めて、死について見つめることで、それまで気付かなかった
事に気付くのです。
自分がその時を迎えた時、どんな思いで旅立つのだろうか?
思い残すことがあるのだろうか?
残していく大切な家族へどんな思いなのだろうか?
などと、リアルに感じることができます。

私も、41歳となり、結婚して妻も子供もいます。
あなたが言うように、私もいつかその時が来るのです。
妻や息子を残して旅立った後、妻や息子が私の死を悲しみ
苦しみ、毎日を泣いて暮らしていたならば、きっと心配で
心配で、残してきたことを悔やみ、きっと次なる場所へ行けなく
なってしまうと思います。
故人への一番の供養とは、故人に心配させないような生き方を
することだと、ある人から教わりました。
そうすることで、故人は思い残すことなく、次へと向かうこと
ができるのだそうです。
私は、その言葉を頂き、それからは、おばあちゃんに対して、
いつも「ありがとう。僕なら心配ないからね」って伝えるように
なりました。

この世へ誕生することをそばで見守ってくれた親へ、今度は
あの世へ向かう時に、そばにいて見守るのが、子供としての責任
だと思っています。
今度はあなたが、子供さんへ教えてあげる番です。
しかしあなたはまだお若いですから、まだ見えない先のことを
考えて悲観的にはならないでください。
そして、また今度会いに行けばいいでは無くて、会いたいと
思えたら、すぐに会いにいくのです。
伝えたい言葉があれば、すぐに伝えるのです。
それが後悔の無い人生というものです。
あなたのお母さんとお父さんがいてくれたから、今のあなたがあります。
そして、子供さん、お孫さんへと命のリレーはどんどん繋がって
いるのです。
私の祖母も祖父と二人で人生をスタートさせてから、今では30人という
家族たちができました。
そして今もなお、増え続けています。
そうした歴史も踏まえて、それぞれのドラマがあります。
辛い事、苦しい事。そして楽しいこと、嬉しかったこと、涙が出る
ほどの幸せな思いを感じてきたのです。
今はとにかくとことん泣いていいと思います。
気が済むまで泣けばいいのです。
そしていつか、涙を拭いて、新しい一歩を踏み出して下さい。
お母様とお父様のご冥福を心よりお祈り申し上げます。

40代既婚者男です。

>私のようにいい歳をして、いつまでもクヨクヨしていては
>いけないのでしょうか?


そんな事はありませんよ。
年齢なんて関係ありません。最愛の人を失った時の喪失感や
悲しみ、寂しさは、何歳になろうと同じだけ辛いものです。
世間では、高齢者が旅立つと大往生という言葉で片付ける
風潮があるのは確かですが、あなたの仰るように、身内にしたら
そんな言葉で整理できるほど単純ではありませんよね。
あなたも理解しているように、人は生を受けた以上、必ず死を
迎えます。
そして...続きを読む

Q友人の親が亡くなった場合 お花を贈ってもいいですか

親しい友人のお母さんが亡くなり、共通の友人と一緒にお花を贈ろうと話しています。亡くなったことは葬儀の後に知り、すでに1週間ほどたっていますが、このタイミングでお花を送っても良いでしょうか。また、お香典も郵送しても構いませんか。友人のお母さんとは面識がありません。また、お香典の金額はいくらくらい包めばよいでしょうか。

Aベストアンサー

5000円が相場ですが・・・
>共通の友人と一緒
>1週間ほどたって

に、お花は不要では?
ふつう、葬儀・告別式にお花を飾る場合、「親族一同」(「兄弟一同」)などが身内がおくることが多い(「社長」もある)。・・・葬儀・告別式会場にて「はなをそえる」ために「お花」を飾るし、納棺のときにお花を入れる場合がある。
今更、お花は迷惑かも(?)

香典(袋表書き)は、通夜または葬式(葬儀)のどちらかに持参(宗教不明の場合「ご霊前」が多いが、浄土真宗では「御霊前」が使えません。キリスト教なら「御花料」「ご霊前」)
「御佛前」「御仏前」「ご仏前」という香典表書きは、一般的には四十九日の法要以後に使います。

参考URL:http://www.johobusoh.com/koudensouba/

Q母の死をどう乗り越えたらいいのか分かりません

母の死をどう乗り越えたらいいのか分かりません
 今年の4月に母を癌で亡くしました。62歳でした。若い時から“百五十歳ぐらいまで生きるんじゃないか?”とみんなに言われるほど元気な人でした。フルタイムの仕事を定年退職してからも、地域のボランティアで広報誌を作り、“若い頃の夢だった新聞記者に一歩近づけた”と、60歳を過ぎてからワードやエクセルを自由に操れるまでに覚え、あちこち取材に行っては記事を書き、楽しそうにしていたのに、去年の2月に末期寸前の卵巣癌と診断されてしまいました。

 それでも、手術を受け、半年間の抗がん剤治療をし、去年の年末には腫瘍マーカーの値も下がり、快方に向かっていた…はずだったのに、年明けに早くも癌が再発。その後は、脳梗塞・脳内出血・てんかんなどを立て続けに併発して抗がん剤治療ができなくなり、あれよあれよと言う間に逝ってしまいました。

 母とは大親友以上の仲だったので、亡くなった当初は天地がひっくり返るような感じだったけど、四十九日を終えて、少し落ち着いたつもりでした。でも、三ヵ月半たった今、なんとも言えない虚無感でいっぱいです。

 母はきっとどこかで見ていてくれるから、前向きに生きていかなければいけない。…とか、
 私が悲しんでばかりいたら、きっと母も辛いだろうな。…とか、
 40年間ほとんど我慢するだけだった結婚生活を送った母だから、きっと今ごろ若くして亡くした最愛の両親と、天国で平和に暮らしてるんだろうな。…とか、
 常に人への感謝の気持ちを忘れずに、いつも回りの人を笑顔にしていた母の心を受け継いでいかなければいけない。…とか、
 そんな心を、自分の子供にも引き継いでいかなきゃいけない。…とか、
 まだ3歳の子供の前で、しょっちゅう泣いているのはきっと良くないんだろうな、…とか、
 いつか母にもう一度会えた時に恥ずかしくないような生き方をしていくしかないかな、…とか、
 きっと時間にしか解決できないことなのかな、とか。

 頭ではいろいろ考えるのですが…。 

 飛行機と電車を乗り継いで6時間かかる実家に、職場にこれ以上ないくらい無理を言っては、しょっちゅう長期で帰って、してあげられるだけのことはしたつもりだし、最期にも間に合ったから、後悔はあまりしていないつもりです。だからか、亡くなる前や亡くなった直後の方が、悲しみは深いながらも上に書いたような前向きな悟り、みたいなものを心から感じていました。でも、ここに来て、なんだか時間が止まってしまったような感覚に陥ってしまっています。

 長い文章を読ませてしまい申し訳ないですが、皆さんはどうやって身近な人の死を乗り越えられましたか?乗り越える手助けになった本なども、もしあれば教えていただけませんか? 

母の死をどう乗り越えたらいいのか分かりません
 今年の4月に母を癌で亡くしました。62歳でした。若い時から“百五十歳ぐらいまで生きるんじゃないか?”とみんなに言われるほど元気な人でした。フルタイムの仕事を定年退職してからも、地域のボランティアで広報誌を作り、“若い頃の夢だった新聞記者に一歩近づけた”と、60歳を過ぎてからワードやエクセルを自由に操れるまでに覚え、あちこち取材に行っては記事を書き、楽しそうにしていたのに、去年の2月に末期寸前の卵巣癌と診断されてしまいました。

 それでも...続きを読む

Aベストアンサー

私は同居の祖父母の死を経験しました。
両親よりも接する時間が長かったので,存在も大きかったです。
年相応で,ある程度予想はできており,質問者さんほどの衝撃ではありませんでした。
しかし,

>母とは大親友以上の仲だったので
という部分,私が祖父に対して持っていたのと似ているようにも思えるので,お答えになるかどうか分かりませんが,ご参考になればと思い書いてみます。
私の場合は,親友というよりも,耐え難い日本の不条理に対する戦友のような感じでした。

私は祖父譲りの徹底的な無信仰です。
なので天国で~,といった感傷はありません。
でも,「生きていたらどう言うだろうか」というシミュレーションはします。
祖父はとくに
「死亡通知は出さない。形式ばかりのお悔やみをもらっても意味がない。知人から連絡があったときに,こういう事情で亡くなりましたが故人の意思によりご連絡しませんでした,と返信せよ」
と,若い世代でもなかなかできない思い切ったことを遺言しました。
「死者は生者を惑わすべからず」が信念でした。

また,私自身は非婚男性で,おそらくこのままだと思いますが,「先祖代々」といったつながりは重視していません。
よく言われる「たくさんの人が先祖にいてあなたがいる」というのも信用していません。

霊感商法が問題になったときに,祖父の言った言葉が強烈な記憶になっています。
「先祖が苦しんでいるから供養がどうのなんていうが,子孫を苦しめるようなことをするはずがない」
私はさらに拡張して,子孫を苦しめるような祖先はいなくても結構だ,と言っております。

でも,これだけ極端に過激な考えを持ってる私でも,純粋に今でも「かっこいいなあ」と思います。
現代の若い世代でもこんなこと言えるのは何人いるんだ?と,身内贔屓ながら思ってしまいます。

死後の世界を否定しても,受けた教育や影響,話してくれた体験談や直接見聞きした記憶というものはちゃんと残ります。
長所も短所も個人の記憶として残っています。
自分のDNAは残せなくても,こういう考えをした人がいる,という話は伝えられます。
教育は誰も奪うことのできない財産であり,絶対に消えないものだと信じています。
残っているのは過去の出来事であっても,そこから新たな法則性や価値基準は抜き出せると思います。

視点を,ちょっとだけ亡くなったお母様から外してみませんか。
~してはいけない,~しなくてはいけない,と考えるのはどんな場合にもつらいです。
お母様は,あなたをここまで育てあげたんだから,あなたは何をするにも自分の考えと都合に素直に従っていいと思います。
泣きたいなら泣いていいでしょう。そこで泣けるように育ててくれたんですから。
お母様がどう思うかと意識が集中しすぎるとつらいと思います。
親がどう思うかで動くのは,言い方は悪いですが,ある種子どもの考え方ですよね。「怒られるからしない」と同じような。
でも,一個人として成長すれば,誰が何と言おうと私は嬉しい,何と思われようと私は悲しい,といえるようになります。
それで必要かつ十分です。
いま,質問者さんはどうしても亡くなったお母様に視点を合わせてしまうために,どう思うだろうか・これではいけない,と自分を抑えつけてしまうのではと思います。
自分を信じてあげてください。自分を大事にしてあげてください。
ときに自信がなくなったら,「お母さんが私には合格出してくれたんだから私はこれでいい!」と考えてはいかがでしょうか。
ご参考になれば幸いです。

私は同居の祖父母の死を経験しました。
両親よりも接する時間が長かったので,存在も大きかったです。
年相応で,ある程度予想はできており,質問者さんほどの衝撃ではありませんでした。
しかし,

>母とは大親友以上の仲だったので
という部分,私が祖父に対して持っていたのと似ているようにも思えるので,お答えになるかどうか分かりませんが,ご参考になればと思い書いてみます。
私の場合は,親友というよりも,耐え難い日本の不条理に対する戦友のような感じでした。

私は祖父譲りの徹底的な無信仰です。
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