私は、森鴎外の雁を先日読み終わりました。
それで疑問に思ったのですが、なぜ森鴎外は『雁』をこの作品の
題名にしたのでしょうか?シンボリズムなどが関係してるのでしょうか? どなたか回答よろしくお願い致します。

A 回答 (1件)

私が読んだ文献によると、


『雁』の岡田とお玉のすれ違いの運命を、
岡田が適当に投げた石が雁に命中するという
偶然に象徴させることで、
運命の恐ろしさをより浮き立たせられるからだ、
と言うような主張でした。
まあ、色々な考え方が出来るのが文学の面白さなので、
いろんな意見を読み、ご自分でさらに深く考えてみてください。
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この回答へのお礼

やっぱりお玉を象徴していたんですね...難しい。。。笑
また、この前調べていたら、鴎外の学生時代に、実際に
岡田と言う名の高利貸しがいたそうで、学生たちは彼を重宝しながらも
憎んでおり、そこから「雁」と「癌」をかけたとも書いていました。
奥が深いですね。。。
確かに、色々な考え方が出来るのが文学の面白さですよね♪
丁寧に答えていただき、ありがとうございました。

お礼日時:2006/03/22 03:14

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私が読んだ文献によると、
『雁』の岡田とお玉のすれ違いの運命を、
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#6です。

>鴎外が、春の嵐の様子を描いた杜甫の詩句から取られたものだというのは、初めて知りました。お弟子の斉藤勝寿氏と、どんなやり取りののちに、この詩句を採用したのか、興味の湧くところです。
 :
明治23年「衛生新誌」紙上での漢詩文の内容は未詳ですが、ここに大正11年の「新小説臨時増刊」上での「文豪鴎外森林太郎」において、「私ごときの雅号が…」と鴎外追悼文中に認めていることを、斎藤茂吉は「童馬山房夜話. 第2」の「179 「鴎外」の雅号」において転載しています。
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1141874/63

ちなみに、斎藤茂吉はこの後も「190 再び「鴎外」の號に就て ​」、さらに「192 鴎外の號に就て(三たび) ​」において、あらゆる角度から鴎外漁史の来歴研究を行っており、これを以て結論として捉えて構わないと思ってます。
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1141874/75
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1141874/80

これらを具に調査報告した茂吉の報告を集約してみると次のようになるでしょうか。
1.明治13年7月28日付「桂林一枝 第36号」に載った「泛品海」では、「佐藤應渠(元萇)曰。合作」との注が付記されていること。(少年一人のそれでなく、あくまでも義父の手が入っていること。)
2.「雁」の文中にて当時「桂林一枝」を「岡田」が読んでいた記載があること。
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4.鴎外の人柄からして、佐藤父子の「鴎外漁史」の後追いの形で、密かに自身の雅号に用いていたとは信じ難いこと。
5.唐詩選中の杜甫の五言律詩が出所と思われること。
ちなみに中西梅花 (幹男) 「新体梅花詩集」博文館(明24.3)の「鴎外漁史」においては杜甫を踏まえたものか、次の文句があります。
「…
柳ねふりし空を高み、
空をたかみて鳴くと云ふ、
かまめの外に知るよしあらじ。」
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/876384/48
(蛇足ですが、万葉時代の鴎は「加万目」でした。)

およそペンネームもその発端には怪しくも覚束ない草草・来歴があるもので、であればこそ正岡子規の100を超す雅号は例外としても幾十ものそれらの中から定着したただ一つという次第なのでしょう。

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とまれ、若き頃の鴎外といい漱石といい、当座間に合わせのペンネームがこうも重い歴史を持つに至るとは知らぬ仏だったのでしょう。
もはや小倉で森少将閣下となっていた時代のご本人にとっては、いまさら「鴎外漁史とは誰ぞ」なのでしょう。そのレトリック多用の文調からして真面目に裏打ちされており、まあむしろ可愛いもんなのですが…。

#6です。

>鴎外が、春の嵐の様子を描いた杜甫の詩句から取られたものだというのは、初めて知りました。お弟子の斉藤勝寿氏と、どんなやり取りののちに、この詩句を採用したのか、興味の湧くところです。
 :
明治23年「衛生新誌」紙上での漢詩文の内容は未詳ですが、ここに大正11年の「新小説臨時増刊」上での「文豪鴎外森林太郎」において、「私ごときの雅号が…」と鴎外追悼文中に認めていることを、斎藤茂吉は「童馬山房夜話. 第2」の「179 「鴎外」の雅号」において転載しています。
http://dl.ndl.go.jp...続きを読む

Q「どいつもこいつも」の雁 須摩子さん

白泉社の「メロディ」で連載されていた「どいつもこいつも」(雁 須摩子さん)の
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Aベストアンサー

そういえば……と思い、雁須磨子さんの日記があるサイトに行ってみましたが、これという情報は得られませんでした……。

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