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母から頼まれたのですが、誰か教えてください!
明治30年ごろの男性ファッションを知りたいのですが…当時の秋冬スタイルでマフラーや帽子を身につけるのが流行っていたのかどうかです???出来ればそういった、資料や写真などもあると嬉しいです。
よろしくお願いしますm(__)m

A 回答 (1件)

明治30年頃の男性のファッションということになりますと、さすがに私も見たことがありませんが、夏目漱石の「三四郎」をお読みになるとかなり参考になると思います。



帝大(今の東大)に合格して熊本から上京した主人公三四郎がふとしたことから年上の美禰子に出会い、そして憧れる、美禰子も若い三四郎に思わせ振りな態度を示しながらも,ただそれだけでもないといったストーリーですが、書かれたのがたしか明治34年だったと思います。

三四郎や友人の与次郎は書生(学生)ですからワイシャツの上に木綿の絣、そして袴に下駄といった姿。つまり<柔>を歌うときの美空ひばりさんのスタイル。

ワイシャツですが、今でも礼装用として残る、カラーが外れるタイプで、襟は先の部分だけ折り返したようなスタイル。正装ならカラー付ですが、書生さんたちはカラー無しですから、ちょっと見には低めのスタンドカラーみたいなスタイルに。

先生の廣田さんは、普段は着流しですが教壇に立つ時には、当時の知識層のスタンダード、つまり、カラー付きのワイシャツにネクタイ、その上になぜかちょっと短めでシャツのお腹のあたりが少し覗くぐらいのベストとセットになったピチピチの三つ揃えのスーツといった姿。ベルトのあたりに懐中時計の鎖が唯一のアクセサリーに。寒い季節にはこの上からフロックコートを羽織っていたようです。

先輩の野々宮さん(学究)も廣田先生とほぼ同じ三つ揃えのようです。ただ、面白いのは帝大の運動会のシーン、野々宮さんはなんと燕尾服を着ています。

こうした洋装はどちらかと言えば先進的な知識層や実業家、銀行家といった種族だけのようです。もちろん帽子は欠かせません、実業家あたりならロンドン風かボストン風に山高帽、さらにあらたまった場合はシルクハットなどと。

軍の将校クラスともなると、礼装は今でも皇室のパレードで見られるような姿でしょうか。

また大店の当主ともなると和服の上にトンビと呼ばれる襟に毛皮が付いた黒の和装コートといった姿のようです。こんな姿、昭和初期ぐらいまででしょうか、祖父の時代でも古いアルバムの中に見られます。

一方、一般庶民はまだまだ着物姿か、職人衆は時代劇に出てくるパッチに腹掛け、地下足袋に半纏といった江戸末期の姿と大差ないようです。

こんなあいまいな表現ですが参考になりますかどうか。
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この回答へのお礼

ありがとうございます。初めてこちらのサイトに投稿したのですが、私のような質問でも、すぐに回答が来たのでビックリしています。とても参考になると思います。夏目漱石の本も調べてみますね。なんか自分も勉強になっていいですね。早速母に、教えてあげたいと思います!

お礼日時:2006/03/26 23:31

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