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在日韓国人・朝鮮人が経営していたり、従業員もそういう方が多いのですか?

そしてなぜ、賭博なのに放置されているのですか?

A 回答 (5件)

経営者に関してはよく分かりませんが、賭博云々の件で。

。。
確かあれはお金で玉やコインをレンタルして遊び、その玉やコインをパチンコ屋はお金ではなく景品と交換のはずです。
その次点でお金と交換ではないので賭博に当たらないのではないでしょうか。
そして近くでその景品を買い取る古物商みたいな業者があって、みなさんはそこで景品を売っているというシステムのはずです。
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パチンコ業界へ警察から天下りしているからです。


http://www.shugiin.go.jp/itdb_shitsumon.nsf/html …

参考URL:http://q.hatena.ne.jp/1125301898
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戦後、帰国しなかったかの国の人たちが就職難(日本人でないために普通の仕事に就職できなかった)ためにはじめたのが、パチンコの前身である遊技場でした。


ちなみに帰国しなかった理由は本国に戻っても仕事がないからという理由が多かったようです。

そして、日本全国に散らばっていた同胞のネットワークのようなものが構築されました。
そして、そのネットワークを最大限利用し、パチンコ産業というのはかの国の人たちが胴元として機能してきました。

また、パチンコは直接には現金に変換していません。
パチンコの玉と何かの商品を交換し、それを同じ敷地内にあるが別の会社の古物商にその商品を売るという形になっているために、形式上では賭博ではないのです。
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(ある人から聞いた話ですが)ANo.3の方への補足です。


↓のパチンコの歴史の中で
http://www.nichiyukyo.or.jp/toc/history.html

>昭和28年 (1953) 第1期黄金時代の到来(全国に38,764店)。
>循環式1号機の開発(1分間に160~180発の玉を自動発射)。
>昭和29年 (1954) 風俗営業取締法の一部改正で、3号営業の追加規>定として法律に初めて「ぱちんこ」の名称が登場。
>連発式パチンコ機の禁止令。全国的に大打撃を破り、業界不況が到来(全国の店数半減)。

の第1期黄金時代には日本人の経営者も多数いたようです。
しかしその後の連発禁止令で日本人経営者の多くは職を変えてしまったが、
在日の人たちは他に職を変えることが出来なかったため
結局在日系の人の比率が多くなってしまったそうです。
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>そしてなぜ、賭博なのに放置されているのですか?



競馬、競輪、競艇、オートレースなどご存知だと思いますが。これらは公営、パチンコは私営という違いだけですよ。
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