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働くために遊ぶのですか?
遊ぶために働くのですか?

某掲示板で職業がランクづけされています。これは、「働く」ことを基本とした考え方だと思います。なぜなら、「遊び」を基本とするならば、どのような職業も関係ないからだと思うからです。

何が「遊び」になるのかは、曖昧なので「遊び」の考察もよろしければお願いします。

A 回答 (16件中1~10件)

>なぜなら、「遊び」を基本とするならば、どのような職業も関係ないからだと思うからです。


 俺もそう思う。だいたい、いろいろ分けるからややこしいんだよ。こっちが基本、あっちが基本、なんてな。中心、基準、基本なんてねぇ。あるのは果てだけ。
俺はあの人に比べてこうだとか、こっちとあっちは比べてどうだとか、それがダメだよな。ま、そんなランク付けてるような者は消える。
そんなの気にするな。所詮世迷たわごとだぜ?わすれちまえ。
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我々が生きる中で、社会勉強のうちの経済が遊ぶ事から感じられる以上、


働く事を遊びだと考える人もいるでしょう。
働く事で死ぬ事もあります。
ただ、現代の危険な遊びさえ人を殺す事があるでしょう。
問題ではありません。
こういうアプローチがある限り、哲学は偏った観念をもって統一されえません。人間が社会的、個人的に直面する通過事項です。
通過事項はその基礎をつくった人間の前提に依存して存在します。
はじめにつくった定義が一番大きい、というのが人間生活に属する物事で
はあります。
それをこえる事は経済的には不可能です。社会的にもあまり意味があるとは
いえません。
物を考えた人の世界における(社会における、ではない)立場で、
物に与える定義がきまります。
立場が大きい程世界を広く見渡す事ができ、さらに世界を拡げたいと思う
でしょう。
.....とにかく、働く事と遊ぶ事に人間活動における相互関係を与えるのは
方法としての哲学という馬鹿げた帰着を見る事でしょう。
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再登場ですみません。


職業でランク付けすることについて、ふと思ったので書きにきました。

別に、「働くこと」を基本にした考え方じゃないと思います。
日本人ってブランド好きですよね。たぶん、それと同じことじゃないかなあ。

たとえば、遊びというか趣味についてです。趣味は何ですか?とたずねられて、「ゴルフ」と答えたいためにゴルフをする人もいるかもしれないし、本気で「ゴルフ」が好きな人もいるかもしれません。プロゴルファーや接待で、仕事としてゴルフをする人もいるかもしれないし。

「パチンコと競艇と競輪と競馬が趣味です」という趣味の人に対して、普通の人は「ギャンブルが好きなんだな」と思うと思います。職業にしてもそうだと思うんです。誰かに「お仕事は何をされてますか?」と聞かれたときに、普通の人は「どうしてその職業を選んだのか」についても聞かれていると思うはずです。どういう人なのかを見られているような気がすると思います。公務員と聞けば「将来安心できていいね」と思うかもしれないし、「社長」と聞けば、お金持ちで野心家なのかなと思うかもしれないし。たとえば、女の子が「水商売してます」って答えたとき、男の人はどう思うかです。たぶん、「どうして水商売なんてしてるの?」って思います。理由を探します。それで、女の子が「お金のためだから」と答えると、たいていの人は「この子はお金に困っているか、余程お金が必要な何か夢があるんだな」と思うはずです。「私は水商売しかできないの。就職どこも落ちちゃって」と答えたとすると、「この子は無能な子なんだな」と思うかもしれません。何らかの理由でその人はその職業を選んでいる、という風に人はとらえます。

いい大学へ行くのは、その大学の名前が欲しいからだと思います。履歴書にそれを書きたいからです。どうしてその名前が欲しいのか?ですが、それは、将来が保証されたような安心感があるからです。同じような価値観や希望を持った人がそこを目指しているはずだと信じるからです。企業も大卒を採るのは、私の推測では、どれくらい自分の人生について真剣で一生懸命であるか、ということを見ているのだろうと思います。会社に入ってから必要なのは、大企業の場合は、従順さと協調性かもしれません。大卒が新卒の多数を占める今日、そうでない人はなんらかの理由でみんなと同じ道を選ばなかった人なのだろうと思われるのかもしれません。たとえば東大を卒業してフリーターをする人について、普通の人ならなんて思うでしょう。「せっかくいい大学を卒業してるのに、どうして?」たぶんこれが一般的だと思います。「どうして能力があるのに、それを生かさないんだ」というような気持ち。選ぶのは本人の自由です。

遊びに将来への保証や、安心感は求めません。求めるのは、楽しみです。それを続けてどうなるのか、そういうことではなく、単純にそれがしたいからしてる、ということが「遊び」だと思います。正当な利潤を得ることがなくとも、それを続けたい、あるいは満足できる、それが「遊び」だと思います。仕事が遊びになるのは、その欲求を満たせる時です。させられているのではなく、自らの意思でしたいと思う時です。遊びは何もしがらみがないというようなことを他の方が書いていますが、私はそうは思いません。私の「遊び」であろう「趣味」のひとつは「車」です。新車を買ったばかりで、とってもうれしいので、毎週3時間かけて洗車します。きついけど自分でやりたいし、自分の車がピカピカになるのを見ると、それはそれはうれしいです。やりたくないと思えば、お金を払ってガソリンスタンドなんかで誰かにやってもらえるし、それは誰かにとっての労働になるんだろうと思います。これがもしも他人の車だとしても、自分が磨き上げてピカピカになった車を見れば、それなりにうれしいと思います。自分のものではないから、その分気持ちが入らないかもしれないし、お金をもらうわけだけど、それでもうれしいと思います。自分がやったことに対しての満足感や充実感を感じます。いやいややっても、楽しみながらやっても、給料は同じです。私なら楽しめて、給料ももらえるほうがいいです。いやな時も仕事だったら投げ出せないけど、それは仕方ないです。それが労働だから。それでも選ぶ権利はあります。どうしてもいやだとしたら、やろうと思えば転職できます。だからと言って、いやだと思うたびにそうしてたら、きりがないと思います。そういうときに、ある程度「労働」だと割り切ってやるんだろうと思います。根本的に働くことがキライな人は、一生割り切って仕事をするのかもしれません。たとえばですが、ここにこうして文章を書くことは、私の趣味でもあります。趣味だから好きな時に好きなように無責任なことを書けるのですが、これが仕事だった場合、報酬に応じた何かをしなくてはいけないという責任を感じると思います。報酬は評価に感じることもあるかもしれません。それはひょっとしたら苦痛かもしれません。ここにこうして書くことに報酬はありませんが、報酬を頂くよりも私にとって有意義な時間かもしれません。報酬がないからこそ有意義なのかもしれない、というほうがいいかな。自己満足で完結できることこそが、遊びかも。

プライドも何もなければ、お金のためだけにと思う仕事で、お給料と仕事の内容がそれなりであれば、なんでもいいだろうと思います。フリーターでもなんでもいいはずなんです。なぜ、職種を選ぶのか?それは、将来性とプライドだと思います。ある人はランク付けも好きだろうと思います。その人にとってその会社を選ぶ基準が、ランクであったのなら。

遊びも職業も趣味も、ある意味個性です。誰でもそれなりの物を求めると思うし、いくらお金や生活のためだとしても、選ぶ権利まで捨てはしないと思います。その選ぶ権利の使い方というか価値観ですが、それは人それぞれだと思います。遊びにしても、仕事にしても、です。どちらもその人の人生の時間を使うのだから。
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働くことを「仕事」ととらえると、その目的は生活収入のためです。

一般的な仕事は、生活収入のためであり、職業意識や責任などは二次的な物に過ぎません。もし、働くことが生活収入が目的でないとするならば、マクドナルドの店員も、医者もある一定の収入以上あればボランティアでも良くなるからです。それは趣味にはなり得ません。
しかし、例外もあります。絵描き(私を含めて)、スポーツ選手、歌手、音楽家、役者、芸人といった芸を売る人は例外になります。これらの物は社会において絶対的に必要なものではありません。かれらの稼ぎは人々の拍手を数値化した物とかわりない。パトロンがあれば有り難いが、無くてもそれを続ける。絵描きがマクドナルドのアルバイトをしたならば、それは生活収入のためであり、決して趣味のためではありません。

 趣味といいましたが、これは当然「遊び」の要素が入っています。「遊び」には、段階があると思いますが、衣食住(必要最小限)以外の楽しみでしょう。創作欲、知識欲、体を動かす欲など、つまり役に立たないが行動そのものを楽しむ物が「遊び」だと考えます。仕事を趣味といっている人がいますが、その場合はたまたま、仕事と楽しみが一致した物だと考えます。
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こんばんは。

ご質問が、目的をはっきりさせたいというものであれば、私は両方ありだと思います。労働と言う言葉にすると、「働かされる」という意味が出ますし、「遊び」とぽんと言われると、収入に関係なくプー太郎しているという意味が強くなります。それらを抜きにして申し上げますが、社会人として、人間として自立するならば、必ずしもお金を儲ける為の職業に就く必要はないと思います。しかし、現実問題として収入がなければ生活できません。これが、私などがよく考える難しい問題です。今の私はお金を稼ぐために学習塾の講師をしていますが、理想的には書物を出版して収入を得たいと思い、少しずつですが文章を書き溜めて、時折出版社へ送っています。で、話を元に戻しますが、「遊び」も「働き」も生活の一部であるとしか言いようがないというのが結論です。「遊び」と言うのは、本人がそう思えるか否かで異なると思います。かつて某有名タレントが、「好きなことをしてお金までもらえてすごく幸せだ」ということをテレビでコメントしていたのを聞いたことがあります。その人にとっては「遊び」と「働き」の境界線は存在しないと思えます。今の私には、収入を得るための講師が「働き」で、それ以外の行為はすべて「遊び」といえると考えて割り切っています。
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何度もしつこくてすみません。



>仕事は嫌なものを前提として、
>回答してらっしゃいますが、仕事の中にも楽しさ
>(遊びの要素)が入っているのではないでしょうか。

下の方にも書きましたが、
辞書に、遊びとは「楽しみですること」と出ていました。
とすると、
「仕事の中の楽しさ=遊びの要素」ではないと思います。
辞書の「楽しみですること」というのに忠実に従えば、
楽しみで「すること」ですから、
楽しむのが目的ですることが「遊び」です。
している行為に含まれている楽しみ、というのとは逆です。
楽しみを得るためにすることが遊びです。
仕事は収入を得るためにするものです。
なぜなら、収入を得られなかったらしないと思うからです。
もし「収入が得られなくても、楽しみが得られるから」
という理由でするのであれば、それは「遊び」です。

ようは目的意識の差って事ですね。
「楽しみ」が目的なら「遊び」、「収入」が目的なら「仕事」です。
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>仕事に対する負荷が強い場合はどうなると思いますか。


>遊びを補完するために働けるとは思いますか。

私なら・・・ですが、仕事におもしろさをみつけないとやってられないんですよね。おもしろくないなあ、やりたくないなあと思いながら、仕事を続けるのは苦痛です。たとえば、仕事に関する知識を増やしたり、要領良く仕事をこなせるようになる自分がうれしかったり、そういうことって、軽い気持ちでの生き抜き風の遊びでは、なかなかないことだったりします。趣味を極めようとすると資金が必要なことが多いんだけど、仕事の場合は、会社がお金を出してくれるというのはとってもうれしいですね。私は以前ドコモショップで働いていました。その頃は、仕事上の知識としてのモバイルやITと、趣味の領域でのそれは違っていたけど、私にとってはたいへん興味のあることで、趣味と仕事を兼ねていた時期もありました。この時私が感じたのは、好きなことを仕事にしてしまう辛さですね。好きなことを嫌いになりそうなことが、仕事上ではありえるわけで。そうだなあ、遊びって、自分がやめたいと思えばやめられるという自由があることなのかもしれませんね。

仕事で得た何かについて、仕事で必要なこと以上に、自分で追求することは、趣味というか遊びの一環になります。もちろん、趣味を極めようとした場合、趣味という遊びに重点が置かれるわけですが。おそらく、趣味でもある程度極めたり、行き詰まった時に、「もういいかな」と思ったりすることがあると思います。これを乗り越えようとするのは、自由なだけに、仕事の壁を乗り越えるのよりも難しいのかもしれませんね。

時には仕事のおもしろさが、遊ぶ以上に楽しく感じることもあります。充実感や達成感が満足につながるというか。そういう場合、遊べるはずのOFFというか休日は、寝たりボーっとしたり、疲れを取るための休息に当てられることが多くなります。週末に遊びすぎて体が疲れた場合は、仕事に影響しますが、仕事中にきつい思いをしても週末はめいっぱい遊びたいと思う人は、それなりの気合があるんだろうと思いますよ。私はもう年なので、若い頃のように、時間をめいっぱい使おうとすることはないのですが。

アルバイトなどでは、遊ぶお金や、夢とか何かの資金のためだけに働く人もいます。それでも、多くの人は、その仕事なりのおもしろさを見つけていたような気がします。おもしろさを見つけられない場合は、どうしたらラクにやれるかってことを考えていそうだなあ。それが難しい人は、辞めていくことが多かったですね。余程強い意志がない限り、いやなことを「いやだ」と感じながら続けることは難しいだろうと思います。それに、いやだいやだと思っていると、仕事は全然うまくならないし、上司や同僚にも良く思われないし、その環境を気にせずに仕事を毎日続けられるくらい割り切れることは、私から見ればすごいなあと思うことです。

残業が多すぎて、プライベートの時間がうまく取れない場合も、仕事に対して誇りを持っているとか、将来の夢を持っているとか、大切な何かを守るためとか、そういう目的がないと、難しいのかも。時には惰性もありだと思います。人は弱いから。遊びでも仕事でも、自己管理することって難しいですよね。

仕事で遊びを補完する、という意味で回答を書いたつもりなんですが、ずれていたらごめんなさい。あーなんかえらそうなことを書いてしまっていますが、私も仕事と遊びについては考えているところです。参考までに。
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何の為に遊ぶって、人はいちいちそんなこと考えて遊んだりはしないでしょう。

ただ遊びというものが自分にとって何なのかということではないのでしょうか。はっきり言って何のために遊ぶかこれは一人一人、状況や生きてる環境も違うから一概にこうだとは言えないと思います。あなたはどうなんですか?何故遊ぶのですか?それが快楽だけを求めてそうしているのならそれがあなたの答えでしょう。
こういう類の質問はこうだとは言えないと思います。一人一人自分の中に哲学というものが年と共にできてきますからね。 それと言い方は悪いかもしれませんが子供は原始人だと思います。彼らはお金の使いかた、学力、精神的な成熟度、様々な意味で未熟です。わたし達大人は遊びの方法や金の使いかたは彼らより熟知しています。反面、一番の原点つまり快楽を見出しにくくなっているのではないでしょうか。これも人にもよると思いますが。何の為に遊ぶのかというあなたの質問もこの原点に返ればきっとなにかがみえてくると思います。
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この回答へのお礼

007yamiさん、ありがとうございます。

ここでは、哲学しているつもりです。答えは無数にあるかもしれませんが、私に
回答を求めるという行為は、場違いのようにも思えます。
なぜなら、私は答えを出せないから、ここで質問しているからです。みなさんの
回答によって、解を出そうとしているため、序盤から解を求めて欲しくないと思います。
もう一つ加えておきたいことは、根本を問いたいため質問した限りです。
ヘーゲルやニーチェなどの思想家から解をだすのも手段ですが、私は読書家では
ございませんので、いつも自論として回答しています。
(自論でも著名な思想家と考えがだぶる点もあるため、自論でもよいと思っています。)
ところで、方法論は要りませんので、あなたの考えはどのようなものでしょうか。

お礼日時:2002/02/27 18:57

御礼を見て、なんか伝わっていないようなので、また来ました。



>仕事が基準となることはありえないのではないでしょうか。
と書いたのは、
「仕事のために遊ぶはありえない」という意味です。
だから、
>どちらの方が大切だと思いますか?
なんて質問は、無意味です。100%遊びですから。

また書きますが、
「仕事は本来やりたくないこと」だと思います。
収入が無いと生きていけないから、仕方なくしているだけです。
生まれながらに大富豪かなにかで、有り余る財産があれば、
仕事する意味は無いですから。

「働く」という行為自体は、本来、意味は無いと思います。
収入を得るための単なる「手段」です。
たとえば、
「受験勉強」は試験に合格するためにするのですよね。
だから、合格したらもうやりませんね。
それはつまり、合格するための「手段」なわけです。
「受験勉強」自体が目的なら、合格しようがしまいが関係無くするはずですから。
仕事だって同じです。
ただ、
生きていくために、目的である「収入」を途絶えさせるわけには行きません。
だから、止めるわけにはいかないんです。それだけのことです。

何度も書きますが、基準は「遊び」です。
しかし、ただ遊んでいるだけでは収入が無いから生きていけません。
だから、働くんです。仕方なく働くんです。

カテゴリー「哲学」なので、哲学的に考えるとこういうことになります。

現実的に自分自信の場合を考えてみても、やっぱり「遊び」の方が大切です。
「仕事のために遊ぶ」なんて、正直、意味がわかりません。
確かに、
下の方々が書かれているように、ずっと遊んでいるだけはつらいかもしれません。
でもそれは、現実的にいつまでも遊んでいられない、というような思いが、
根底にあるからなんだと思いますよ。
このままでは、いつかお金が尽きるとか、世間体がよくない、とか。
そういう事が無くて、
ホントにまったく、一生働かなくて良い、となれば、
一生を通じた遊びを計画できると思うんですよ。
だから、本来は「遊びがつらい」なんてないはずです。

改めて辞書を引いてみたところ、
遊びとは「楽しみですること」と出ていました。
とすると、つらくなった時点で「遊び」では無くなっているのではないですかね。
逆に、一般的にいうところの「仕事」でも、
その行為自体が楽しみであれば、収入のある「遊び」になるのだと思いますよ。
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この回答へのお礼

tomikou0000さん、ありがとうございます。

>「仕事のために遊ぶはありえない」という意味です。
仕事は嫌なものを前提として、回答してらっしゃいますが、仕事の中にも楽しさ
(遊びの要素)が入っているのではないでしょうか。

「遊ぶ」というのは、簡単に定義できるものではないと思います。回答を聞いてい
る限りでは労働の対極として捉えておられるし、ストレスのかからないものだと
捉えているようにも思えます。

お礼日時:2002/02/27 18:44

働くために遊ぶのですか?  そうじゃない。


遊ぶために働くのですか?  そうじゃない。
働く時は働く 何故なら 働く時というのは すでに働いている時
遊ぶ時は遊ぶ 何故なら 遊ぶ時というのは すでに遊んでいる時
 
「今はねる時間でしょ!」
「なんでママ。僕は起きてるよ?」
 
この問いは、この母親のような言動です。 
遊びもかえ難く、労働もかえ難い。
畑に行く時は畑に行く。学校に来る時は学校に来る。
では、
行って来ている時とは何時の事でしょう。
このアドバイスにお礼はいりません。

「ねぇ、学校に来てよ。」「え?おれが行くん?」「違うよ、君が来るの。」
「え?だから俺が行くんだろ?」「いいから早く来て!」 
「わかったよわかった。行くよ行くよ。」「ゼンゼンわかってない!」
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この回答へのお礼

ランチさん、ありがとうございます。

あいかわらず要点を得ていない回答だと思います。私の主観ですが、質問を取り違えているようにも思えます。

お礼日時:2002/02/27 06:32

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