【大喜利】【投稿~10/21(月)】買ったばかりの自転車を分解してひと言

良い所と悪い所を教えてください。

A 回答 (5件)

謙譲の良いところ。


知らない人から親切でいい子に見られる。評判が上がる。
社会の潤滑剤。
逆に譲られることもあり、ありがたい気持ちでうれしくなる。

悪いところ。
ずうずうしい相手に謙譲の気持ちを持って接すると、どこまでも調子に乗られ、いやな思いをする。

言ったものがちの世の中という方もいますが、その行動で逆に将来的に損をすることもあるのです。ほら「やったもん勝ち」と公言してた某ベンチャーの有名社長がいまや没落し、裁判沙汰になってるじゃないですか。群がってた友人も、手のひらを返したように離れてます。よほど人気がない証拠です。今まで譲ることもなく、譲られることを当然としていたのでしょう。
遠慮せずに行動し、その場は成功を得るかもしれない。けれど、それによって他人に嫌われてしまえば、もし何かあったときに「ざまみろ」と思われる。それはある意味そっちのほうが損だと思います。
損して得とれ、という言葉があるように、その場は損だと思っても、いつかはプラスになることもあるかもしれません。なにより、譲って相手に感謝されると、ちょっと気持ちいい。
かといって、謙譲というのは、常に譲り、自分だけが損をするわけでもない。お互いが気持ちよく行動できる社会におけるマナーのようなものだと思います。その気持ちが通じない人間もいるということを理解し、譲るところは譲り、譲れないところは譲れないとはっきり言うのが大切だと思います。
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損得を考えるようになれば、もうそれは「美徳」にはならないと思います。



自分を抑える良い訓練にはなると思いますが・・・
自分を高めることができず「得だ、損だ」では得るものがあまりないような・・・!?
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>謙譲」=「美徳」



とする、社会通念はあります。
普通、こういったことをお勧めするような場合、
なかなか、ないことだから、「美徳」とするものです。

逆説的なんですね。
ないから、すすめる。
珍しいから、ほめる→「美徳」

有難い(なかなかないから・・・)、アリガトウなんです。

デ、どうして、稀有(めずらしい、すくない)なのかというと、
実用的な価値がない。
わかる人がいない。

この時点で、いろいろなものが没落の運命です。

いろいろな、文化的なことが失われるのは、実用的かどうか、
ものの価値がわかる人がいない=役に立つ→実用的と循環します。

きちんと挨拶するのも、挨拶の重要性がわかる人がいないとダメ。
何も、「謙譲」だけではありません。

文化ですから、異文化が入り込むと変わります。

「謙譲」できるのは、「いわなくてもわかる」という前提がないとダメ、文化基盤がいっしょでないと、ただの、ばかか、はっきりしないやつか、どうでもいいんだろうということになる。

譲ってくクレタと、譲られたほうが感じて、初めて、譲るという行為が意味を持つ。

いわなきゃわからないという基本の世界には通じません。

まずは意見表明、それからネゴ(条件のすりあわせ?)という世界では
謙譲というのは愚策です。

まずは、文化基盤が同じかどうかが問題ですね。
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こんにちは。


そういうのが美徳とされるのは、裕福な人や社会での話です。

極端な話、難民などや大規模災害で救援が滞ってる時などは、もう生きるためなら先を争って、他人に譲った人は死あるのみです。

日本もそういう社会になってきたという事でしょう。
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昔は確かに美徳だったかもしれません。


しかし、最近は一歩引いて事に当たるというよりは言った者勝ち、やった物勝ちという風潮がありますよね。露骨なのはどうかと思ったから遠慮したのに周りが平気で自分が遠慮したことをやってしまったなんてことは珍しくありません。
ある意味時代、常識、倫理観が変わってきてしまったのだと思います。常に遠慮していれば損したと思うことも多いでしょうし、そんな思いをするくらいなら遠慮なんてしないほうがいいでしょう。
謙譲=美徳と自分によっていられれば良いのですが、損したと気分を害されるのであれば後から考えるとちょっと自分がいやになるかもしれませんが、私が!!!と表に出て行くほうがいいのでしょうね。
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