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島原の乱、天草四郎をテーマにした小説を教えてください。
キリシタン側からの視点のほうがいいです。
ちなみに『魔界転生』は知ってますし、あまり好きでないので、
違うものでお願いいたします。

お分かりにならない方が多いと思いますが、
2005年劇団☆新感線で公演された『SHIROH』が大好きなので、
できれば、そのイメージをあまり崩さないものがいいのですが・・・。
(シローは中川晃教さん、天草四郎は上川隆也さんが演じられました。
この舞台では、神の声を持ち人々の士気を高めるシローと、
武士である天草四郎と二人が力をあわせて立ち上がるという内容になっています。)

探しているのはこのようにSFぽいものがいいのではなくて
普通の歴史小説でかまいません。

よろしくお願いいたします。

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A 回答 (4件)

立松和平「奇蹟―風聞・天草四郎」


http://www.amazon.co.jp/gp/product/4487798698

小説ではないですが天草四郎を紹介してるサイト
http://shiro228.web.infoseek.co.jp/
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この回答へのお礼

ありがとうございました!
本もですが、特にこのサイトの情報、うれしかったです。

お礼日時:2006/11/16 21:36

#3です。

マンガでもいいなら
赤石路代「AMAKUSA1637」もお勧めです。
現代人がタイムスリップで1637年の天草に来て
歴史を変えないために死んでいた天草四郎の代役をする話です。
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「冥府の刺客」(勝目梓、光文社)


「寛永の楔・小説天草四郎の乱」(加来耕三、講談社)
「闇の天草四郎」(中津文彦、徳間書店)
「アニマの鳥」 (石牟礼道子、筑摩書房)
「海鳴りの底から」(堀田善衛、朝日新聞社)
「天草回廊記」(示車右甫、文芸社)

検索してみましたが、あまり数が無いようです。
情報が少ないこともあり、魅力的ですが難しいテーマなのでしょうね。
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この回答へのお礼

ありがとうございました。
『アニマの鳥』がおもしろそうですね!読んでみます。

お礼日時:2006/11/16 21:31

 天草四郎がテーマではありませんが、


隆慶一郎「死ぬことと見つけたり」の序盤で、
島原の乱が舞台になってましたよ。
主人公の武士が、反乱軍に付いて…の話です。

 もしよければ一読してみてください。
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この回答へのお礼

ありがとうございます。

お礼日時:2006/11/16 21:14

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Qリベラルとは?

・左派、革新、社会主義
・右派、保守
という分類ができると思うのですが、
リベラルや自由主義は、どう考えたらいいのでしょうか?
よろしくお願いします。

Aベストアンサー

 政治思想は、下記のXY軸に表す事が出来ます。(リベラルを日本語に訳したのが「革新」あるいは左派です。)

 Y軸 Libertarian(自由・市場主義 = 小さな政府) - Statist(統制主義 = 大きな政府)
 X軸 Liberal(革新) - Conservative(保守)
 真中 Centrist(中間主義)

 各派の解説は下のURLの解説部分を参照してください。
   http://meinesache.seesaa.net/category/719933-1.html

 自由主義と言うとリバタリアンの範疇になりますが、アメリカの政治に例えると、レーガン大統領より前の共和党政策が旧保守主義(右派リバタリアン)で、それ以後を新保守主義(ネオコン)といい保守と名乗っていますが、実態は左派リバタリアン(左派が保守に転換し、現状を保守する為に革新的手法(戦争など過激な改革を許容する)を執ると言う主義)です。

 自由主義の反対となる統制主義も左派だと共産主義や社会主義、比べると右派に成るイギリスの「ゆりかごから墓場まで(高福祉政策)」などが有ります。

 簡単に言うと、積極的に変えようとするのが左派で、変わらないように規制するのが右派です。そして変える方向(変えない方向)が自由か統制かで分類できます。

 日本には明確に保守を謳う政党が無いので、イメージがわき難いのかも知れませんが…。
 (自民・民主党は中道で、共産党は左派統制主義ですから…。)

 政治思想は、下記のXY軸に表す事が出来ます。(リベラルを日本語に訳したのが「革新」あるいは左派です。)

 Y軸 Libertarian(自由・市場主義 = 小さな政府) - Statist(統制主義 = 大きな政府)
 X軸 Liberal(革新) - Conservative(保守)
 真中 Centrist(中間主義)

 各派の解説は下のURLの解説部分を参照してください。
   http://meinesache.seesaa.net/category/719933-1.html

 自由主義と言うとリバタリアンの範疇になりますが、アメリカの政治に例えると、レーガン大統領より前の共...続きを読む

Q豊臣秀頼公の生存説及び島原の乱について

  大坂夏の陣において、名城大阪城とともに運命を共にされたと言われている豊臣秀頼公ですが、
次のような伝説・伝承があります。
 ※秀頼公は、密かに大阪城を脱出し、
  (1) 真田幸村公達とともに薩摩へ逃れ、子供も授かり、島津氏の庇護のもと天寿を全うした。
  (2) 備中足守(?)へ逃れ、木下家の庇護のもと密かに天寿を全うした。(幕府も黙認)
  というものです。私は、当時は写真やビデオなど映像が皆無の時代であり、城からの脱出さえ上手くいけば…ありえないことではないと思うのですが、皆様のお考えやそのような説を唱える学者の方がいらっしゃるのかご教示頂きたくお願いします。
  また、島原の乱について「天草四郎は、秀頼公の子供か孫であり、真相は豊臣家の残党が彼を旗印にして、幕府に一矢報いたものであり、いくつかの外様大名が支持すれば幕府の存立にかかわる大事件(単なる一揆ではない)であったという話を聞いたことがあるのですが、真相はどうだったのでしょうか…
  併せて、お考え等をご教示くださればありがたく存じます。
  どうか、宜しくお願い申し上げます。

Aベストアンサー

>豊臣秀頼公の生存説及び島原の乱について

秀頼の生存に関する伝承は多々あるようですね、皆様より有意義な回答が出揃い、私自身知らないエピソードも幾つか拝見致しまして、非常に興味深いものがあります。
さて御提示された伝説・伝承は、質問者様の興味半分座興半分と理解して、以下申し上げる次第。

釈迦に説法でしょうが、そもそも大阪冬・夏両陣を引き起こした、家康の真の狙いは、秀頼並びに豊臣直系の係累を根絶やしにするというその一点にあった訳で、しかも30万にも及ぶ大軍で水も漏らさぬ布陣を敷いておりましたから、他の枝葉末節はともかく、秀頼の脱出・生存というその点だけは、考え難いものと思われます。

次いで薩摩への逃亡説に言及しますが、恐らく関ヶ原の敗戦後に宇喜多秀家が薩摩に逃れ、島津家を頼った故事になぞらえて流布された、徳川政権に批判的な一般庶民レベルの願望であった可能性が、極めて濃厚でしょう。

無論脱出さえ成功しておれば、薩摩に辿り着く事自体は、物理的に不可能では無いが、そもそも島津家は古より自立した存在、依って豊臣恩顧の諸大名とは異なり、関ヶ原以降の政変劇も、彼らにとっては単に豊臣から徳川へとの権力移譲が行われた結末に過ぎず、自家の存続と旧政権に対する感傷を秤に掛け、敢えて火中の栗を拾う愚を犯す可能性は、ほぼゼロであったものと思われます。

更に足守藩木下家に至っては、御指摘の通り、北政所の実家にして豊臣恩顧の最たる存在であり、最も保身を考えねばならなかった小藩。
浅野家をその筆頭として、確かに家康は北政所の係累を大切に扱ってはいるが、天下の御政道を捻じ曲げるまでの遠慮は考え難く、加えて木下家は大阪の陣以前に一度改易せしめられた前科がある上、その後幕府より2万5千石という新恩を賜ったという経緯もありました。

しかも徳川歴代は、東照大権現の遺法を200数十年後に至るまで、金科玉条の如く護りに護り抜いた政権であって、明確であった家康の意思(秀頼を亡き者にするという)に背く温情は、有り得なかったと考えるのが妥当であろうかと。

さて、福島正則他僅かな例外を除き、本邦津々浦々の大名・小名を大阪の陣に参集せしめ、巷間30万とも言われる大軍を展開させたもう一方の狙いは、豊臣恩顧を始めとする外様大名群にも、豊臣家滅亡の一端を担わせる事で、共同正犯との心理的効果を持たせる事にあったと思われるほど、この当時の家康は悪辣且つ巧妙です。

そもそも源義経・明智光秀他の生存伝説に関しましては、厳密な意味での天下統一という環境下になかった訳で、万に一つの仮説も故無きとはしませんが、一方の豊臣秀頼に関しては、仮に紅蓮の炎に包まれた大坂城を脱出し得たとしても、彼が身を寄せる一片の仮寓すら、この日本列島には存在しなかった、そう断定しても過言ではないでしょう。

以上、歴史のロマンを真っ向から否定して誠に申し訳ないが、秀頼の生存説に纏わる殆んど全ての伝承は、仮説そのものが成り立たないという結論に達しざるを得ないようです。

>島原の乱について

前段に於いて、豊臣秀頼及び彼の係累に関わる生存説を、思い切り否定してしまいましたので、その流れで行きますと、天草四郎=豊臣秀頼の御落胤(或いはその孫)説も、否定せざるを得ませんが・・。

まあ島原の乱の本質に関しては、信教の自由・過重な年貢の取立て・徐々に強まってきた身分制度の固定化に対する、不満分子の複合形といった事なのでしょう。

但し「世に乱の兆しがある限り・・」という事で、大阪の陣の終結に依り、行き場を失ったアウト・サイダー達(或いはその係累)が籠城軍に加わり、戦国乱世最後のシャッフル・敗者復活戦を意図したという側面・ロマンをも、決して否定は致しませんが・・。

>豊臣秀頼公の生存説及び島原の乱について

秀頼の生存に関する伝承は多々あるようですね、皆様より有意義な回答が出揃い、私自身知らないエピソードも幾つか拝見致しまして、非常に興味深いものがあります。
さて御提示された伝説・伝承は、質問者様の興味半分座興半分と理解して、以下申し上げる次第。

釈迦に説法でしょうが、そもそも大阪冬・夏両陣を引き起こした、家康の真の狙いは、秀頼並びに豊臣直系の係累を根絶やしにするというその一点にあった訳で、しかも30万にも及ぶ大軍で水も漏らさぬ布陣を敷...続きを読む

Q江戸時代はなぜキリスト教はNGだったの?

日本は仏教が中心ですが、キリスト教信者もいます。キリスト教に篤い学校・老人施設・病院などもあります。
しかし、江戸時代はキリスト教は禁止されていました。キリスト教を信仰すると罰を受け、踏み絵などキリスト教信者を見つけては処罰という制度もありました。天草四郎を中心とした島原の乱も起きるなどしながらもキリスト教は禁止されましたが、隠れキリシタンも多数存在していました。
で、いったいなぜ江戸時代はキリスト教が禁止されていたのでしょうか???

Aベストアンサー

江戸幕府のキリシタン禁制は慶長17年(1612)、幕府直轄領での禁制、翌18年に、全国さらに外国まで広げたものですが、キリスト教禁令にはさまざまな要素があります。
 キリスト教布教当初から信仰が拡大するにつれ、キリシタン大名領では神社仏閣の破棄が行われました。そのことから民衆側からもキリスト教を邪教視する風潮がありました。同時に寺社の破棄は、日本の伝統的倫理観の破壊と恐れられたのでしょう。

 次に創造主の元の平等、つまり創造主の絶対性ですが、それが日本の封建領主の倫理観とは相容れなかった。欧州では支配者と創造主は同一であるという「神権政治」、そこから発展した、王の地位は創造主より授けられたものという「王権神授」という伝統的倫理観が土壌にあります。そのような倫理観がない世界(日本)に創造主の絶対性を重んじる思想は、主君・領主への忠誠より、創造主への忠誠を優先させます。このことが天下統一のさわりになると、豊臣秀吉は天正15年(1587)に禁教令を発します。

 さらには外交政策の面。徳川家康は和平外交を進めるため、当初は信仰を黙認していましたが、慶長5年、オランダ船リーフデ号漂着により、プロテスタントであるオランダ・イギリスと交渉開始。日本市場の拡大を図るため、ポルトガル・スペインの締め出しを計画。そこでカトリックへの不利な情報と中傷を行いました。つまりカトリック国の侵略的意図。信徒を利用した反乱計画などをは、当時の幕府としては「天下統一のさわりになると」いう危惧をより拡大させました。禁制により教会の破壊・宣教師の国外追放。信徒の東北・蝦夷地への放逐などが行われました。
 徳川家光はさらに厳しく禁制を行いますが、寛永14年(1637)の島原の乱による衝撃から、鎖国政策の徹底とキリシタン弾圧はより強固となります。
 カトリックの海外布教は、プロテスタントに対する対抗措置という面がありました。その点、海外布教を重視していないプロテスタント国とは幕府は貿易を行えたのでしょう。

参考
『国史大事典』(吉川弘文館)

 ただし、禁制も太平の世が長く続くことで形骸化していき、当初はキリシタン監視の意味でもうけられた寺請制度も、寺院側からすれば「檀家としての勤めを果たしていれば、裏でキリスト教を信仰していても黙認する」という事実もありました。領主も「良き領民としての勤め」を果たす限りは信仰も黙認状態でもありました。キリシタンであると暴露しても、領主の監督不行届と罰せられる危険性があったからです。
 現在でも「カクレキリシタン」の家では、寺院の檀家であり、神社の氏子であり、家には仏壇・神棚が祀られて、同時にカクレキリシタンである。その信仰体系は仏教・神道・民間信仰とキリスト教が混在した、いわゆるカトリック・プロテスタントとは異なる信仰形態ですが、キリスト教公認以後も、カトリック・プロテスタントに改宗せず、先祖が守ってきた信仰として「カクレキリシタン」として守り続ける家があります。

資料
『オラショ―魂の通奏低音 カクレキリシタン』(宮崎賢太郎・長崎新聞社)
http://www.nagasaki-np.co.jp/jigyoubu/book/kakure_book.html

『カクレキリシタンの信仰世界』(宮崎賢太郎・東京大学出版会)
http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4130104020/250-7207972-6663457

江戸幕府のキリシタン禁制は慶長17年(1612)、幕府直轄領での禁制、翌18年に、全国さらに外国まで広げたものですが、キリスト教禁令にはさまざまな要素があります。
 キリスト教布教当初から信仰が拡大するにつれ、キリシタン大名領では神社仏閣の破棄が行われました。そのことから民衆側からもキリスト教を邪教視する風潮がありました。同時に寺社の破棄は、日本の伝統的倫理観の破壊と恐れられたのでしょう。

 次に創造主の元の平等、つまり創造主の絶対性ですが、それが日本の封建領主の倫理観...続きを読む

Q北海道から沖縄までの距離は何km?

正確にいうと稚内から那覇までの距離が知りたいです。

ネットでも調べてみたのですが、2,000キロと書いてるのもあれば3,000キロと書いてるのもあって、どれが正しいのか分かりません。

ご存知の方がいたら教えてください。

Aベストアンサー

goo 地図で調べると
稚内市役所から那覇市役所まで 3,422.1km です。

http://route.map.goo.ne.jp/route/routemap.htm?ENC=GVRc4LbASCZUrr82JstvpREZCr4De61hZzu0nVFxpig/U/ZS05d5GMAxdY7uqWna

Q江戸時代、藩がどう分布していたかがわかりやすい日本地図を探しています。

たとえば、
今の山口県のあたりには長州藩があり、藩主は毛利家
ということが見てわかりやすい日本地図を探しています。
そのような地図がおいてあるサイトをご存知の方はいらっしゃいますか?

Aベストアンサー

江戸時代初期は大名の取り潰しが多かったので、いつの時代が必要なのか難しいですが、一応300藩と言うことで参考URLをご覧ください。
地方ごとに分かれています。

参考URL:http://www.asahi-net.or.jp/~me4k-skri/han/hantop.html

Q【アドレス】 .co.jp と .ne.jp の違いは何なんでしょう?

【アドレス】 .co.jp と .ne.jp の違いは何なんでしょう?

↑.comと.net の違いもよくわからないのですが・・・
単にアドレス住所の違いなだけでしょうか?
大手はcom で 中小はnet とかでは無いですよね?

Aベストアンサー

ドメインと言うのは国単位で管理され、その国の管理団体が取得を受け付けています。

co.jp は会社(企業)でないと取得できません。(corporation)
ne.jp は、プロバイダなどのネットワーク事業者が利用できます。(network)

http://jprs.jp/info/jp-dom/spec.html

com/net/org はアメリカで管理されているドメインになりますが、誰でも自由に取得できます。


http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%9B%BD%E5%88%A5%E3%82%B3%E3%83%BC%E3%83%89%E3%83%88%E3%83%83%E3%83%97%E3%83%AC%E3%83%99%E3%83%AB%E3%83%89%E3%83%A1%E3%82%A4%E3%83%B3


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