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どうして都道府県名と都道府県庁所在地とが異なる県があるのでしょう。その理由を子どもたちに話したいので、ご存知の方は、ぜひお知らせください!!

A 回答 (4件)

北海道→札幌


岩手→盛岡
宮城→仙台
茨城→水戸
栃木→宇都宮
群馬→前橋
埼玉→さいたま(浦和)
東京→新宿(もとは千代田)
神奈川→横浜
山梨→甲府
石川→金沢
愛知→名古屋
三重→津
滋賀→大津
兵庫→神戸
島根→松江
香川→高松
愛媛→松山
沖縄→那覇
こんなところでしょうか
このうち神奈川と兵庫は横浜市神奈川区と神戸市兵庫区がありますから問題ないです
あとのところも県庁所在地が市になる前は(県名)郡(県庁所在地)町というのが多いのです
仲間はずれは埼玉・東京・愛知・北海道あたりかな
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 うろ覚えですが、回答してみます。


 現在の都道府県は明治初期の廃藩置県で形成されましたが、いきなり現在の1都1道2府43県として形成されたのではなくて、当時の県の数はもっと多かったそうです。そうした県が合併して今の1都1道2府43県になったといわれています。これが遠因と考えられます。
 例えば、栃木県の場合、県庁所在地は宇都宮市ですね。現在の栃木県は廃藩置県が始まった当初は北半分が「宇都宮県」、南半分が「栃木県」でした。これが合併して現在の栃木県になったのですが、当初の県庁は栃木市にあったのです。しかし、合併してからそれほど経たない頃、県庁をめぐって宇都宮市と栃木市は対立となり、結局県庁は宇都宮市に移転することが決まって、今に至っているのです。因みに栃木市にある旧栃木県庁舎はいまも現栃木市役所の近くに残っています。余談ですが、栃木県における自動車のナンバープレートは「宇都宮」と「とちぎ」があります。これは旧宇都宮県と旧栃木県からとったそうです。(でも「とちぎ」ナンバーの陸運支局所在地は佐野市ですが。)
 これはほんの一例でありますので、これが全てではありませんが、考えられる要因の一つとして参考になれば幸いです。
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話は明治維新のときにさかのぼります。



新政府はそれぞれの土地にあった旧藩が、
維新の時に新政府に味方をしたところは一緒の名前に、
そうでないところはわざと別の名前にして、
見分けがつくようにしたのです。

ですから、代表的なところで新政府側では薩摩藩は鹿児島県鹿児島市、
長州藩は山口県山口市、土佐藩は高知県高知市、佐賀藩は佐賀県佐賀市と
いった具合ですが、逆に幕府側だったところは水戸藩の茨城県水戸市、
加賀藩の石川県金沢市、仙台藩の宮城県仙台市、南武藩の岩手県盛岡市、
ってな具合になります。

ただし、新政府に強く反抗した場合は、県庁所在地そのものを
その地方の中心都市からわざとはずして定められたところもあります。
たとえば会津若松市が中心だった会津藩は福島県ですが、県庁所在地は
福島市、米沢藩も山形県ですが県庁所在地は山形市、
などというケースです。

ただ、私の知る限りの例外は熊本県ですね。
熊本藩は維新のときに幕府側だったので、
もとは白川県となっていたのを、うまいこと運動して
熊本県に変えてもらったそうです。
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明治時代のジャーナリストの宮武外骨の研究では、明治維新のとき、幕府側に立った藩、たとえば仙台、松江、金沢などは別の名前が県名になったり、弘前、会津、などは、より小さな都市に県庁が移されたという、復讐説が正しい様です。

下のHPに説明されています。

参考URL:http://www.jca.ax.apc.org/rekkyo/newfile2001/tir …
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