プロが教えるわが家の防犯対策術!

私は学生で、現在大学で動物実験を行っています。
安楽死を行っていますが、私の手技の未熟さから、今まで何度かスムーズにできないことがありました。動物を苦しませてしまうのが辛いと知人に話したところ、「お前はうまく安楽死させられれば、それでいいのか。殺された動物にとっては死んでしまった今、苦しんだかどうかなんて関係ない。苦痛を与えなかったからって自分が楽になろうとするな。全部しょい込まなきゃいけないんじゃないか」と、言われました。
ここ最近は研究室での仕事の忙しさと、1人もくもくと行う動物を用いた実験から気分的に沈んでいました。そして気分転換しようと、週末に友達と少し遠出をして遊びに行きました。
先ほどの知人に遊びに行く前日にへこんでいると話し(彼には言いたくなかったのですが、無理やり聞き出されました)、次の日出かけたことがわかったとき、「よく昨日へこんでるなんて言えたな。お前は悲劇のヒロインぶってる。悪いことした人は気分転換なんかして、忘れようとしちゃいけないんじゃないの?」と言われました。
私は、忘れようと遊びに行った訳じゃないと思うし、少しでも苦痛を減らすことは意味のあることだと思います。3Rも心がけているつもりです。自分で考えていたら、わからなくなってしまったので、客観的に見て教えてください。
私は悲劇のヒロインぶっているのでしょうか?また、こう考えるべきだといったご意見などいただければうれしいです。よろしくお願いします。

まず前提として、私もできるだけ動物実験はやりたくないです。実際やらなければならない人の考え方についてお聞きしたいので、動物実験自体が間違っているといったご意見はご遠慮いただきたいと思います。

A 回答 (4件)

人間は罪深い生き物です。


動物の助けがなければ生活できないのですから・・。
だからこそ、少しでも苦痛は軽減させるのが唯一できる事ですよね。
あなたが思うことは間違いないと思いますよ。

しかし、そのご友人さんの言っている事はある意味真理です。
あなたは、その道を歩まれたのであれば、心を麻痺させてその事に臨まなければならない、余計な感情はこの場合不要、結果は同じなのだから・・。
といったところでしょうか。
動物の苦しみを同情するならば、自分で背負ってこそ意味がある、と。
暗にあなたのやっていることを責めているのでしょう。

しかし自分ができない事をやってくれる人々のおかげで、
私達の生活が成り立っている事を忘れないようにしなければ、と思いました。
そのご友人はその事に携わっていない方なんですよね?
実際経験していない人に、何も言う権利はないと思います。
そして経験していない人に、分かってもらおうとしない方がいいのではないでしょうか?
その行為が自分さえよければいいのか?
と思われてしまうのではないでしょうか。
もう口に出すのを止めたほうがいいでしょう。
相談内容のように、気分転換をするなどして、自分の中で昇華するように心がけましょう。

辛い実験ですね。
やらねばいけない事なのですから、せめて安楽死がうまくできるようになるといいですね。
がんばって下さい。
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まずは大きく勘違いをしています。


人間の活動として手を洗っても排泄をしても数多くの生物を殺します。
毎日食べる米やパンも大量の生物です。
実験動物に多い哺乳類は人間と見た目、性質等が似た部分があるので
自分の命に擬似変換して勘違いの元になりますが
植物、細菌、動物すべて同じ命です。
この部分を考えたことが無い人間が多いのは問題ですが
哺乳類やかわいらしい生物だけを尊いとするのはご質問の場合は意味すら無いことです。
要は自分や仲間が安心して生活するために必要に応じて命を奪うわけですから
必要な「殺し」です。
やりたくない、とかかわいそう他、表面だけの感情が先行して
意味も考えず目標を見失うのは愚かです。

ですが意志の疎通があるような気がする生き物を殺すのは気分が良くないですね。
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私は悲劇のヒロインぶっているとは思わないです。


前にラットの解剖をしたことがありますが、ひとつの命を絶ってしまうことに心を痛めるのは当然じゃないでしょうか?
当たり前のように動物を使って実験している人より、よっぽど人間味があると思いますが・・・。
解剖をしたときに先生から言われたことは「ラット1匹殺すんだから、しっかり見て勉強しなさい」ということでした。
動物実験を行っているのは何かを明らかにするためですよね?ならば、そのためにしっかり努力することが大切なのではないかと思います。
ただ、動物を殺すことへの罪悪感は忘れるべきではないのではないでしょうか。
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動物実験は世の中のためには必要不可欠なものです。

安楽死等は苦痛をせめて最小限にしようというもので、人であれ動物であれ、受け手にとっては同じです。。。
今現在、私達が食べている肉も魚も、必ずそれを殺している人達はいるのです。野犬等も同じです。。。
生活の中から、そういった残酷なシーンが消えつつあることが、そもそも彼氏のように、直接命に関わっている人は悪くて、そうでない人は全然悪くない…といった理解を冗長させているように思います。。。
人に限らず、命の育みには、他の生命の命を犠牲を必要とします。ですから、犠牲となったものに感謝し、犠牲を最小限に押さえる努力以上に、何のために犠牲を強いているのか…という認識を強く思う必要があります。。。
新薬等の開発では、やはり、その薬が開発されることで、苦痛から開放される人々のことを真剣に思う必要があります。実際にそのような患者を訪ねることもときには自責の念から開放されるきっかけになります。。。
と殺を伴う精肉関係では、消費者の喜びを実感することが励みになります。。。
何故私達は他の命を奪い苦しみを与えているのかといった大義無くしては、ただの殺戮になってしまいます。動物実験でのストレスを全部自分で背負ってしまってはいけませんし、する必要もありません。。。
日本の場合は、仏教の影響が色濃いため、一切の殺生を悪いことと見なす傾向がありますが、完全なベジタリアンでもない限りは 「きれいごと」 でしかありません。。。
あなたの彼氏は、年齢的に若く未熟なのかも知れませんが、人の原罪でもあり、大局的な世の中の流れというものが見えていないようです。。。
歳はとっていても解かっていない大人も大勢いますので何とも言えませんが、あなたの彼氏はあなたの苦しみに対して真摯に受け留めてくれていないように感じてしまいます。。。
いずれにせよ、自分が何故動物達の犠牲を必要としているのか…という点を見失わないようにして下さい。。。
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