プロが教えるわが家の防犯対策術!

ネオ・カルヴィニズムによれば、コペルニクス的回転により「姦淫」を神聖なものと捉えなおすことも可能ですか。

(1)セックスはそれが自分の性欲を満たすためではなく、子供を作る目的でなされる場合には、神の御心にかなう行為である。なぜなら、それは新たな神の道具を作り出そうという行為に他ならないからである。
(2)妊娠可能性の無いセックス(コンドーム着用のセックス、なんらかの事情で出産できない女性とのセックス)は神の御心に反する行為である。無駄玉を撃ってはならないからである。
(3)妻とはむしろセックスをしてはならない。なぜなら妻には本当に愛する女性を選択するべきでだからである。どうしても、誓いに反する行いをしてしまいそうな時にはコンドームを用いるべきである。妻に妊娠可能性の無い女性(たとえば、高齢負け犬、アニメキャラ)を選択する行為はむしろ神の御心にかなう行為であり、奨励される。妻に子がいないことは婚外児が被差別感情を抱くことを防ぐからである。
(4)中絶は絶対的に禁止される。

この説は異端扱いされるでしょうか。
負け犬女性に「燎原の火」のごとく浸透しそうな気もします。
日本にながれる源氏物語にも通じる思想ですよね。

御回答よろしくお願いします。

A 回答 (1件)

コペルニクス的転回ですね。



ネオ・カルヴィニズムがなんだかよくわかりませんが、「姦淫」が悪とされる反動としてそういう思想がわくのは至極自然なことです。
悪としているものを善だと覆してしまうなら、やはり異端ということになるんじゃないでしょうか。

「神聖さから最も遠ざかったものだ」というテーゼに対して「神聖だ」というアンチテーゼ。
ではその対立を解消させるものは?
神聖視を打破することでしょうね。
神聖であることの基準は一定ではないから、神聖なものなどない、という考え。
最終的にはフリーセックスに行き着くんじゃないでしょうか。
フリーセックス思想では、それぞれ、こうなります。

(1)自分の性欲を満たすためだろうが、子供を作る目的だろうが、セックスは自由である。
(2)妊娠可能性の有無など関係なくセックスは自由である。
(3)結婚制度はこの世のものであり、天の国ではめとることもとつぐこともないのだから、相手が妻であろうとなかろうとセックスは自由である。
(4)中絶ももちろん自由である。

まあ、これもまた異端扱いされるでしょうね。
ところで、naritokuさんの意見が負け犬女性には浸透するだろうか、怪しいものです。
なぞって改変したものを私が書いていく過程でわかったのですが、この発想は男性の視点から築かれたものであることがはっきり見えます。
女性がルールを決めるならこうはならないと思います。つまり、女性に受け入れられるかどうか。
    • good
    • 0
この回答へのお礼

御回答有難うございました。

お礼日時:2007/11/14 13:51

お探しのQ&Aが見つからない時は、教えて!gooで質問しましょう!

関連するカテゴリからQ&Aを探す