チョコミントアイス

こんばんは。研究者志望の大学3年生です。
神戸女学院大学の内田樹先生をご存知の方で、研究者志望の方、あるいは研究関係の仕事をなさっている方にご質問があります。

高校3年生の頃に内田樹先生の『街場の現代思想』に出会って以来、私は内田先生の本を片っ端から読んできました。
先生が書くものはすべて私の「ツボ」にはまります。
「ツボにはまる」ということは、先生の思想に含まれる何かが私を惹きつけているのだろうと考え、その何かを知るべく、私は先生の本をもう一度読み直してみました。
そして去年の冬ごろ、それはおそらくレヴィナスの哲学だろうという結論に至りました。
半年間将来について悩んだ末、哲学の研究者(レヴィナスの専門家)になることを決め、勉強を始めて現在に至っています。

しかし、最近は自分が勉強していることに違和感を感じています。
通っている大学に哲学科がないため、先生に他大学の哲学科の研究会や授業を紹介してもらい、それらに出席しながら哲学を勉強しているのですが、何かしっくりきません。
「レヴィナスを研究したい」という気持ちはまったく変わりません。レヴィナスを読んでいるときには、「自分はこれがやりたいんだ」という強い確信を持つことができます。
しかし、他の哲学者となると微妙なところです。面白いには違いありませんが、彼らと寝食をともにして暮らしていく自信はありません。
このことはそのまま、大学院の哲学科に進学することへの不安に直結しています。

そもそも私が哲学をやりたいと感じたのは、「内田先生のようになりたい」と思ったからでした。
そのように思うということは、内田先生がその思考スタイルを形成してきたような環境に身を置くことが、私にとって最も教育的であり、同時に大きな愉悦になるということを意味するのではないかと思います。
そして内田先生は文学部仏文科の出身です。
極めて安直ですが、私は今の大学を卒業したら、文学部へ編入するべきではないかと思っています。

私の質問は次の二つです。
(1)内田先生の思考スタイルの基盤を形成しているものは何か。
(2)そのような思考スタイルを身に着けるのに必要なことは何か。

どうかご意見をお聞かせください。どうぞよろしくお願い致します。

A 回答 (3件)

私は物理学をやって来た者ですので、文科系の方については門外漢です。

それを承知で、読んで下さい。結構過激なことを書きますが、若い方には刺激になると思います。

私は若いころに、大学、大学院ともに受験に失敗して、自分の希望する所には行けませんでした。そんなとき自分の行っていた大学とは関係ない大学の先生(師)に遭遇しました。その結果、私の人生は全く違ったものになりました。

その大学も有名校ではありませんし、その師も無名な方だったのですが、物理学ばかりでなく人生に対するその方の考え方に魅せられて、大学院のときに、その方の研究室に居候することを許してもらいました。その師の居られる大学では私のやりたい大学院がなかったので、大学院は元の自分の大学に所属しておりました。ですからその師とは公の関係は一切ありませんでしたが、その方の私的な弟子にしてもらったのです。自分の大学には通わずに、その師の下で、とことん物理を勉強しました。始めのうちは、私の大学の先生は、何故お前は大学に出て来ないのかと怒られていました。しかしその言葉を無視して、ただひたすら物理学の研究結果を出すことに専念し、結果が出たときの報告のゼミだけを私の所属する大学の先生の前で時々話していたら、そのうちに私の大学の先生は、文句を言わなくなりました。

私はそれまで何度も失敗して挫折感を味わって来ましたが、失敗をあきらめずにその都度何度も再挑戦を繰り返しました。

私の私的な師は「人生の梯子は下から自分の足で登って行っては行けない。いきなりヘリコプターで頂上に連れて行ってもらいなさい。さもないと、貴方の本当の実力を出し切る前に、梯子を登るのに疲れてしまうからだ」と教えてくれました。そこで、その師から独立したときに、その師の言葉を実行して、外国の世界的な教授にアタックしたら、私の行った大学の知名度や私の師の知名度に関係なく、あっさり受け入れてくれました。大成した方ほど度量が大きく、野心のある若者にチャンスを与えてくれるものです。

その教授も、研究ばかりでなく人間的にも桁違いに崇高な方でした。そこで、私は再びその先生の私的弟子のようになって、その教授から盗めるものは全て盗むつもりで、その教授にべったりまつわりついて研究生活を続けました。私の以前の師も教授もすでにお亡くなりになっておりますが、自分では充実した研究生活を送れたし、また、今でも送れていると思っております。

私にとって最も重要だったことは、その無名の師と後の教授の二人に遭遇出来たことでした。

話が長くなりましたが、貴方の尊敬する内田樹先生にぶち当たって、公的であろうが私的であろうが、その先生の弟子にしてもらうことを試みたらどうでしょうか。運良く内田先生が貴方を試してみる気になられたら、それこそ先生の哲学と心中するつもりで、石にかじり付き、血の涙を流しながらでも、とことん先生の学問を研究して行けば、内田先生は貴方を弟子と認めてくれるようになるかも知れません。

本当の学問には、公的だの私的だの形式は関係ありません。世に認められようが認められまいが、学問に享楽出来れば、人生に感謝出来るようになることを保証致します。

若いのですから簡単にあきらめず、失敗するたびに甦って来て、前よりも強い人間になって下さい。幸運を祈ります。
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この回答へのお礼

実は、この質問を投稿する前に、私も内田先生にメールを送ろうと考え、文章を書いていたのです。
その内容は、この質問と同じようなものでした。つまり、先生のようになるにはどうすればいいか、仏文科に行くべきか否か、というものです。
しかし、cyototu様にご意見をお聞かせ頂き、私が内田先生にお尋ねするべきことは、そのようなことではないと思い当たりました。
弟子入りを志願してみたいと思います。
ご回答、心より感謝しております。
どうもありがとうございました。

お礼日時:2007/11/24 15:14

再び#1です。

書き忘れたことがありました。

このような大胆な行為を行う時には、その迫力が相手に伝わらないことには意味がありません。Eメールや手紙では、その迫力の大部分を削り取られてしまうので、先生により強い印象を与えることが出来ません。一先ずEメールや手紙で連絡を取って先生に面会を求めるにしても、弟子入りの件については貴方が先生に直接会って頼むべきです。例えば、その時に先程述べた推薦状を持って行けば宜しいと思います。

大分差し出がましいアドバイスになってしまいましたが、ご幸運を祈ります。
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#1です。



>通っている大学に哲学科がないため、先生に他大学の哲学科の研究会や授業を紹介してもらい、それらに出席しながら哲学を勉強している

とのことで、貴方の今通っている大学の先生は貴方のことを理解しているように、お見受けしました。この先生か、あるいは貴方のことを理解している、例えば高校の先生などに事情を話して、どちらかの先生、あるいは両方の先生に推薦状を書いてもらえると、内山先生の方も貴方を受け入れるのに心強く感じることが出来るかも知れません。

思索には思索の論理があるように、行動には行動の論理があります。人生の冒険ですので、いろいろ試みて下さい。
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この回答へのお礼

私の大学の先生は、私が研究者を志望していることをよく理解してくださり、力強くバックアップしてくださっています。
私程度のものに推薦状を書いてくださるかわかりませんが、ぜひとも頼んでみたいと思います。
的確なアドバイスをありがとうございます。

お礼日時:2007/11/24 23:10

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