平家物語の登場人物、平惟盛の性格について教えて下さい。
また、参考になるHPがあれば教えていただけると幸いです。

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A 回答 (3件)

以下のサイトは参考になりますでしょうか?


1.http://www.cnet-ta.ne.jp/p/pddlib/biography/ta.htm
2.http://toride.com/~yuga/heike/plot2-1.html
http://toride.com/~yuga/heike/plot2-2.html
(一時間でわかる平家物語)
タイトルがいいですね??
3.http://www.asahi-net.or.jp/~wx7s-yngd/e02/e14s02 …
(新田義貞、足利追討軍を率いて関東へ向かう)
4.http://www.pcs.ne.jp/~sakura/ema.html
(絵馬)

ご参考まで。
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この回答へのお礼

早速の回答、ありがとうございましたっ。
すごく参考になりました。
私も他の質問の回答者となってみなさんにお礼のかわりをしていきたいと思います。
ほんとにありがとうございました(^^)

お礼日時:2001/02/04 23:37

高山樗牛の名作「滝口入道」からも維盛の性格が読みとれますよ.


もちろん,樗牛のフィルターを通してのことでしょうが.

この回答への補足

滝口入道ですかぁ。
知りませんでした、ありがとうございますっ!
古典について無知な私ですが、頑張って調べてみたいと思います。
ほんとにありがとうございましたっ(^^)

補足日時:2001/02/04 23:39
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この回答へのお礼

お礼と補足を間違えました。。すみません(汗)

お礼日時:2001/02/04 23:42

こんなのあります・・・



参考URL:http://www1.ocn.ne.jp/~oomi/heike.html
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この回答へのお礼

ありがとうございますっ。
平家物語について何もしらなかったもので。。
切羽詰って質問させていただきました。
参考にさせていただきます(^^)
ほんとにありがとうございましたっ。

お礼日時:2001/02/04 23:39

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Q平家物語の現代語訳

早速質問させていただきます。
今大学の授業で「平家物語抄」のなかの「小督局(巻第六)」と「小宰相(巻第九)」が前期のテスト範囲になりました。
全文現代語訳のサイトを自分でも探しましたが、リンク切れになっているものが多く、困っています。
一文ごとに細かく訳してあれば大変助かります。

現在「生き」のサイトをご存知の方、是非教えてください!よろしくお願い致します!

Aベストアンサー

 あなたの大学には図書館はないのですか。多くの場合、著作権のあるものはネットで公開されません。図書館であれば、それらを無料で利用できます。試験勉強は図書館でしましょう。

Q平家物語の有名な始まりは「祇園精舎の鐘の声 諸行無常の響あり」ですが源氏物語の始まり又は源氏物語を教

平家物語の有名な始まりは「祇園精舎の鐘の声 諸行無常の響あり」ですが源氏物語の始まり又は源氏物語を教えてください。

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いづれの御時にか、女御・更衣あまたさぶらひ給ひけるなかに

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こちらは如何ですか?

http://www.kaze-oto.com/ujigawanosennjinn.html
「平家物語全文現代語訳」
http://www.kaze-oto.com/heike-yaku001.html
http://www.kaze-oto.com/kaze-oto.sakuin.html

見当違いならお許し下さいm(_"_)m

参考URL:http://www.kaze-oto.com/ujigawanosennjinn.html,http://www.kaze-oto.com/kaze-oto.sakuin.html

Q物語の登場人物と、倫理

 文学作品に限らず、なにかしらの物語を読むというとき、
 「登場人物の道徳意識/倫理基準と、物語そのものの評価は分離して考えるべき」(たとえば、「物語の主人公が悪人→だから、この作品はくだらない」というような評価はアリエナイ)
 というのは、現在、何かしらの物語を読み、評価するときのごくスタンダードな立場だ、と認識しています。私自身もまあまず殆どの場合、そのような読み方をする読者でありますし、私が会話する相手にもそのような読者であるということを期待します。

 しかし、こういった「読み」の在り方は、特に物語の読者となるための基本的な教養として共有している層と共有していない層がいるよな、ということが最近どうも気にかかるようになってきました。言ってみれば、小説を読む/マンガを読む/映画を観るということの「メディアリテラシー」の在る層と無い層という言い方もできるのかもしれませんが、この問題は意外と複雑な議論を含みうるような気がしています。私自身、それがどういった議論になりうるのか、ということを、まだあまり整理して考えられていないのですが、

 そもそもこういった「登場人物の道徳意識/倫理基準と、物語そのものの評価は分離して考えるべき」といった<読み方>の態度の要請は、おそらく極めて近代的な<読み方>の態度なのではないか、という気がするのですが、

(1)こうした<読み方>の態度は一体いつごろから普及したのか
(2)誰が、どういう理屈を掲げて言い始めたのか
(3)この<読み方>に対する論争史のようなものはあるのか

といったことをご存じの方がいらっしゃったら教えていただけませんでしょうか。シャルチエなどの近代読書行為論みたいな領域で扱われてそうな気もするのですが、どうもそちらのほうに詳しい知人がいないので。

 宜しくお願い致します。

 文学作品に限らず、なにかしらの物語を読むというとき、
 「登場人物の道徳意識/倫理基準と、物語そのものの評価は分離して考えるべき」(たとえば、「物語の主人公が悪人→だから、この作品はくだらない」というような評価はアリエナイ)
 というのは、現在、何かしらの物語を読み、評価するときのごくスタンダードな立場だ、と認識しています。私自身もまあまず殆どの場合、そのような読み方をする読者でありますし、私が会話する相手にもそのような読者であるということを期待します。

 しかし、こう...続きを読む

Aベストアンサー

補足欄及びお礼欄、拝見しました。
お礼欄に記入があった旨のメールが届いたのは3/3だったんですが、何を書いて良いものやら……、と、一週間悩んでいました。

若干これまでの経緯を整理したいと思います。

まず質問者さんの最初の問題意識というのが

「登場人物の行為を道徳規範に照らし合わせて読むことは、文学作品を読む上で好ましくない読み方である。」という考え方は、近代になって、「文学理論」の成立とともに、誕生したのではないか。
この命題が登場した起源・背景を問いつつ、この命題の正当性を再度検討してみたい。

というものだったように思います。

それに対して、そもそも「道徳規範」抜きには「読む」という行為は成立しない、というのが、わたしの一貫した考え方でした。読み手は、それぞれの身体に刻み込まれた「ハビトゥス」を元手に、象徴体系としてある「文学の森」に分け入っていくのです。それぞれの「道徳規範」に照らし合わせないでは、テクストを理解するどころか、先を読み進むことさえできない。

問題は、読み手自身が作品を「鏡」として、自らの身体に刻み込まれた「ハビトゥス」としての「道徳規範」にいかに気がつくか、それが一地方的な、一時代的なもので、「自分の(あるいは人間の)本質」でもなんでもない、ということに気がつくか、ということです。

ところが、このような読み方というのは、ある程度の訓練が必要になってきます。そうでなければ、読み手がすでに持っている「道徳規範」に照らし合わせて読むだけに終わってしまい、そうなれば読書は「道徳規範」を強化・補強する以上の意味を持たなくなってしまうからです。そしてまた、それ以上の読みに耐えられない作品も、山のようにあります。

あくまでも「文学(批評)理論」というのは、多様な「読み」の可能性を開くものでなければならない。そのためにあるのです。

ですから、

> 作品論をやりすぎることで、受容の実体的な状況論がないものにされてしまうのではないか?

というのは、まあ「実体的な状況論」なんて言葉が出てきちゃう時点で、正直、わたしは頭を抱えちゃって、語るべき言葉を失います。だって、「状況」なんて、いかなる意味でも「実体」なんかじゃないですか。
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サバルタンのことも書いておられますが、現にそこにいるのに誰も気がつかないのが、サバルタンなんです。そうして、問題は「語り得ない」、さらに耳にも入ってこないサバルタンの声を、どうやって聴き取るか、ということなんです。

> むしろ、「悪者」というよりも、スピヴァクがサヴァルタンの「語り得なさ」を指摘するような意味で、文学は「語り得ない」ものの位置に置かれてしまうのだと思います。

意味がわかりません。

> 極めてドイツ教養主義的なものにかぶれた一高生徒が自殺したとしても、それが不幸であったのか、幸福であったのか。我々はおそらく「語ることができない」。

なんで他人が「幸福であったか、不幸であったか」なんてことが言えるんですか?
そもそも、そういうことを「語る」必要があるんですか?
これを問題にしようと思えば
・「幸福」をどのように定義するのか。
・「ドイツ教養主義」とは、そもそも何であるのか。
・一高生の当時の日本における社会的・歴史的な地位。
・一高生における「ドイツ教養主義」の受容のなされ方。
そして何よりも、これがなぜ語り手にとっての「問題」になるのか、ということをまず、問題にしなきゃならないんじゃないか。

> 社会に対する影響論的な問題を「語ってはいけない」ものとしても同時に現れてしまう。

そうなんですか?
むしろ、「社会に対する影響論的な問題」というかたちで取り出した時点で、それは文学としての問題ではなくなってしまってるんじゃないんですか?
文学の問題というのはむしろ、「語ってはいけない」ではなく、そこにあることすら気がつかないことを、ほかのやり方では語り得ない方法で物語ることなのでは?
そうして、説明するのではなく、示すことによってそれをしようとする文学が示すものを「読み」、そこからさらにそこから理解の及ばない部分を見つけていくのが、文学評論なんじゃないか。
わたしはそんなふうに思っているのですが。

> 作品を読む、という行為は、読者によって自発的に選び取られる行為だということになっています。

わたしはそうは思いません。
「自発性」なんてものは、「自由意思」と同じで、わたしたちが仮に「あることにしている」もののひとつでは?
わたしたちはどんな意味においても、自由に作品を読んでいるわけではありません。

> もちろん作品は、単純な「原因」の側に置かれるのではなく、無数に開かれた読みを持つ作品―読者が、相互に自己触媒的に作用して、一つの信念が形成されていく

…作用して」までは同感です。
だけど、信念なんてものが形成されるものではないと思いますけれども。
さっきも書いたように「理解の及ばない部分」を新たに見つけていく、ってことじゃないかと。

補足欄及びお礼欄、拝見しました。
お礼欄に記入があった旨のメールが届いたのは3/3だったんですが、何を書いて良いものやら……、と、一週間悩んでいました。

若干これまでの経緯を整理したいと思います。

まず質問者さんの最初の問題意識というのが

「登場人物の行為を道徳規範に照らし合わせて読むことは、文学作品を読む上で好ましくない読み方である。」という考え方は、近代になって、「文学理論」の成立とともに、誕生したのではないか。
この命題が登場した起源・背景を問いつつ、この命題の正当...続きを読む

Q平家物語(覚一本)巻11の現代語訳

タイトル通り、巻11の嗣信最後「九郎大夫判官、其日の装束には、・・・・・」で始まる話の現代語訳を探しています(><)自分でもネットや本で探しましたが、なかなかなくて困っています。
また、こんな話だよ~~っていう要約だけでも教えてもらえると嬉しいです。
自力でも訳しますが、訳するのが苦手なので先にどんな話なのか知ってからのほうが訳しやすいかな、と思いまして。
よろしくお願いします (*゜▽゜*)!!!!

Aベストアンサー

Wikipedia に次のようにありました。

>現在入手しやすい刊本としては、『岩波日本古典文学大系』(覚一系高野本)、『小学館日本古典文学全集』(覚一系高野本)、『新潮社日本古典集成』(八坂流百二十句本)などがある。

小学館の本には現代語訳も載っていたはずです。最も一般的な古典全集だと思いますが見ましたか?

参考URL:http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%B9%B3%E5%AE%B6%E7%89%A9%E8%AA%9E

Q源氏物語と平家物語比較

こんばんは。社会人になって古典に目覚めだしたものです。
私は恥ずかしいことに、中学校くらいまで、源氏物語は源平の戦い、
の源側を書き綴ったものと思い込んでいました。作品を知ったら、
拍子抜けしました。一方は小説、一方は軍記、、。

ところで、上記二大作品について中国人にどちらが日本では評価されているか、と聞かれました。私と同じように考えていたそうです。読者層では前者のような気がしますが、
それぞれのジャンルが異なるので、単純比較できません。

そこで、人格形成、という点ではどちらがより影響の度合いが高いか、という観点で比較してみたらどうかと思いました、ちょっと強引な基準設定ですが、、そう仮定すると、「平家」を選んでしまいます。

私もほとんど読んでいませんが、、「平家」に惹かれています。
平家琵琶の演奏を聴くとなおさら没頭しそうです。

Aベストアンサー

基本的にはどちらも修養の書とは言えない性格を持っていると思いますし、NO.2の方がおっしゃるように結論は好みの問題に帰するほかはないとも思われます。また「人格形成」という言葉から、いかに若年層に益するかということがテーマのような印象を受けたりもするのですが、敢てそれらのことを棚上げしてお題目にお答えすれば、私の軍配は平家に上がります。

「平家物語ほど運命という問題をとりあげた古典も少ないだろう」(石母田正『平家物語』)

大きな歴史のうねりの中に活写される人物群像を眺めるだけで謙虚な気持ちになるということもありますが、何よりもまず頻出する「死の語り」が平家を推す最大の理由です。

「常々、彼(司馬遷)は、人間にはそれぞれその人間にふさわしい事件しか起らないのだという一種の確信のようなものを有っていた。これは長い間史実を扱っている中(うち)に自然に養われた考えであった。同じ逆境にしても、慷慨の士には激しい痛烈な苦しみが、軟弱の徒には緩慢なじめじめした醜い苦しみが、という風にである。」(中島敦『李陵』)

これと同じことは「死」についても言えると思います。(ちょっと断っておきますが、ここでいう「死」とは、間近に迫まる避けられない死を意識したときの人間の態度や身の処し方のことです。ぽっくり死ぬとか苦しんで死ぬとかいう死に方の意味ではありません)
よく「死に様(ざま)にはその人の生き様が容赦なく現れる」などと言いますよね。確かにガンの闘病記や終末期医療に携わる人たちの本から、死を間近にひかえた患者さんたちのありようを窺うと、なるほどと実感される言葉なのですが、平家を読んでいてもやはり同様の印象を受けることができます。

もちろん平家は史書ではなく叙事詩に分類される古典ですから、「作者」が(死を記録するのではなく)死に様を描くことによって人物を色付けているとも言えるでしょう。また作者が此岸や彼岸にうるさい中世の人間であってみれば、そう考えるほうが自然だとも言えそうです。
しかしそれならばなおのこと、侍や悪僧の死に際にみられる人間模様がこの古典の読みどころとして際立ってくるのではないかと思います。
言うまでもなく、作者は死に様にその人物像を集約しようと努めるはず、だからです。

「人間は刻々に死につつあるので、別に、死という特定のものがあるわけではない。刻々の死を終える時があるだけだ。従って、刻々の死を意義あらしめるためには、刻々の生を、最善を尽くして生きねばならない。それを全うした者にのみ、よき“終わり”がめぐまれる」(新潮45・編『生きるための死に方』・野口晴哉という整体の先生の言葉)

もともと生き様が反映されやすい死に様、そして作者(小林秀雄風に言えば「個人を越えた名手」)が健筆にいっそう力を込めたであろう死に際、それが頻出する古典が平家物語である、というのがお題目を念頭に置いた上での私の見方です。
この観点から結論を述べますと、様々な死のあり方(文学的に気取れば「運命のうねり」とでも言いましょうか)を通して、その対極でもあり背中合わせでもある自己の生き様に目を向ける習慣を獲得することが、おしゃるところの「人格形成」に通じるといえば通じるのかなあと考えます。
そのようなわけで平家かなと。


ちなみに私が真っ先に思い浮かべる死に際は「先帝御入水」における平知盛の次の振舞いです。

さる程に、源氏の兵(つわもの)ども、平家の船に乗り移りければ、水手楫取(すゐしゆかんどり・=船頭水夫)ども、或いは射殺され、或いは斬り殺されて、船を直すに及ばず、船底に皆倒れ臥しにけり。新中納言知盛の卿、小船に乗つて、急ぎ御所の御船へ参らせ給ひて、「世の中は今はかうと覚え候。見苦しきものどもをば、皆海へ入れて、船の掃除召され候へ」とて、掃いたり、拭(のご)うたり、塵拾ひ、艫舳(ともへ)に走り廻つて、手づから掃除し給ひけり。女房たち、「やや、中納言殿、軍(いくさ)の様はいかにやいかに」と問ひ給へば、「ただ今、珍しき東男をこそ、御覧ぜられ候はんずらめ」とて、からからと笑はれければ、「何でふただ今の戯(たはぶれ)ぞや」とて、声々に喚(おめ)き叫び給ひけり。【角川文庫版より】

文字通り修羅場なわけですが、このぎりぎりの場面での船内清掃とは妙な行動ではあります。しかし一方で、遺体の清めや死装束・死化粧の施し、あるいはまた、末期ガンを告知された人がするであろう身辺整理、そういったことを想起させる行動ではないでしょうか。
清めた船が「御所の御船」ですから、そんな寓意が込められているのかもしれませんね。
ともかくも、死を、一族の滅亡を目の前にした男が、修羅場でとっさにみせた「死に支度」に武将としての品格を感じさせ、印象的です。

この場面、頼山陽の『日本外史』では漢文らしい簡潔さでこう記されています。

義経、乗輿の在る所を知り、軍を合せて疾(と)く攻む。知盛及ち帝船に赴く。諸嬪迎へて状を問ふ。知盛大に笑つて答へて曰く、「卿(けい)ら当(まさ)に東国男児を睹(み)るべきのみ」と。一船皆哭す。知盛手づから船中を掃除し、尽く汚穢物を棄つ。時子及ち帝を抱(いだ)き、相ひ約するに帯(おび)を以てし、剣璽(けんじ)を挟(さしはさ)み、出でて船首に立つ。帝時に八歳、時子に問うて曰く、「安(いづ)くに之(ゆ)くか」と。時子曰く、「虜(りよ)、矢を御船に集む。故に将(まさ)に他に徙(うつ)らんとするなり」と。遂に与(とも)に倶(とも)に海に投じて死す。【岩波文庫版より】

逆に饒舌な『源平盛衰記』ではこん感じです。

さる程に源氏の兵共、いとど力を得て平家の船に漕ぎ寄せ漕ぎ寄せ、乱れ乗る。遠きをば射、近きをば斬る。竪横散々に攻む。水手(かこ)・かんどり、櫓を捨て、梶を捨て、船を直すに及ばず、射伏せられ、切り伏せられ、船底に倒れ、水の底に入る。中納言は、女院・二殿などの乗り給へる御船に参られたりければ、女房達、「こはいかになり侍りぬるぞ」と宣ひければ、「今はともかくも申すに詞足らず。かねて思ひ儲けし事なり。めずらしき東男共をこそ御覧ぜんずらめ」とて打笑ひ給ふ。手(てづか)ら自ら船の掃除して、見苦しき者共海に取入れ、「ここ拭(のご)へ。かしこ払へ」など宣ふ。「さほどの事になり侍るなるに、閑(のどか)なる戯言かな」とて、女房達声々をめき叫び給ふ。【新人物往来社】

ついでにハーンの『耳なし芳一』から。

More than seven hundred years ago, at Dan-no-ura, in the Straits of Shimonoseki, was fought the last battle of the long contest between the Heike, or Taira clan, and the Genji, or Minamoto clan. There the Heike perished utterly, with their women and children, and their infant emperor likewise―now remembered as Antoku Tenno.

何か長いんですけど、三人しか回答してなのでご勘弁を。

基本的にはどちらも修養の書とは言えない性格を持っていると思いますし、NO.2の方がおっしゃるように結論は好みの問題に帰するほかはないとも思われます。また「人格形成」という言葉から、いかに若年層に益するかということがテーマのような印象を受けたりもするのですが、敢てそれらのことを棚上げしてお題目にお答えすれば、私の軍配は平家に上がります。

「平家物語ほど運命という問題をとりあげた古典も少ないだろう」(石母田正『平家物語』)

大きな歴史のうねりの中に活写される人物群像を眺めるだ...続きを読む

Q古典の現代語訳

『宇治拾遺物語』や『竹取物語』『伊勢物語』『平家物語』などの古典の現代語訳テキストでおススメのものはありますか?シリーズでほぼすべての教科書に出てくる程度の古典の現代語訳ってありますか?

Aベストアンサー

三省堂 新明解古典シリーズ (参考URL)
中道館 古典新釈シリーズ
旺文社 古典解釈シリーズ (文法全解)

これらは学習参考書なので、品詞分解や語釈がていねいに書かれています。かならずしも全文ではありませんが、 「教科書に出てくる程度」 なら、全部入っているはずです。
現代語訳で作品を味わう方が目的なら、文庫本の古典シリーズにいいのがあります。

ビギナーズ・クラシックス/角川ソフィア文庫

参考URL:http://www.sanseido-publ.co.jp/publ/gakusan/h-japanese/smk_koten.html

Qこんな登場人物がでてくる物語を探しています

「善意や好意の感覚が常識とズレていて、周囲の人を不幸にする登場人物」が出てくる物語を探しています。
例えば、
「『目の病気で困っている』という人に、病院を紹介するのではなく、目を潰してあげる」
「『金がないので死にたい』という人に、金を貸すのではなく殺してあげる」
のような思考回路。

古典であるほどありがたいので、漫画よりも小説(含童話)・戯曲(含映画)などが望ましいです。
コメディ・トラジェディは問いません。

Aベストアンサー

中世ドイツ民衆本の「ラーレ人の物語」は如何。賢すぎるために人材の流出を嘆いていたラーレ人たちが、馬鹿になろうと努力した結果、良識を失い、愚行を繰り返し、滅びていく物語です。どこまでが作為的な愚行で、どこから本当の愚人に成り果てたのかわかりませんが。

Q古典の現代語訳のサイトを探しています。

古典のちゃんとした現代語訳を掲載しているサイトを探しています。出来るだけ色んな作品があると助かります。今は平家物語をやっていて「横笛」の訳がなかなかみつからないのでとても困っています。ご存知の方がいらっしゃいましたらどうか教えて下さい。どうぞよろしくお願いします。

Aベストアンサー

有名どころでここですが、
http://www.h3.dion.ne.jp/~urutora/kotenpeji.htm
残念ながら「横笛」は載ってないようです。
他にもいくつか古典の訳のページを探してみたのですが、「横笛」の訳を載せているサイトは見つけられませんでした。

ところでmontomatoさんは高校生でしょうか?でしたら、授業で使っている教科書にそった教科書ガイドを買うのが一番良いと思います。
値段は会社によって違いますが、大体2000円前後で買えると思います。
高いと感じるかも知れませんが、訳だけでなく、品詞分解や作品背景についても説明がされてますのでテスト勉強にも役立つと思います。

参考URL:http://www.h3.dion.ne.jp/~urutora/kotenpeji.htm

Q源氏物語の惟光について

源氏物語について質問です。
今、夕顔の章まで読んだのですが、
惟光という人物と頭の中将(左大臣の息子)は同一人物ですか。
また、もし、違う人物ならば、惟光について、教えてください。

Aベストアンサー

masterPiyoさんも答えておられますが、惟光は光源氏の乳母の息子で、光源氏の従者です。
一方、頭の中将は、光源氏の最初の正妻・葵の上の兄で、光源氏のライバル的存在です。

惟光と頭の中将では、全く身分が違いますが、おそらく光源氏とよく会話を交わしている男性2人を同一人物と勘違いしたのでしょう。

こういう初歩的なミスをしないために、一度、大和和紀さんのマンガ「あさきゆめみし」を通読するのをお勧めします。


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