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多くの有能な映画監督が脚本の重要性について言及していますが、ビジュアルな表現である映画に映像以上に脚本は重要な物なのでしょうか。

A 回答 (5件)

劇映画の制作過程や物語としての映画の完成度のためには脚本は重要ですが、実際に撮影されるもの以上のものではないと思います。

劇映画ではダイアローグ、すなわち物語を構成する重要な要素として台詞がありますので、それを中心として映画を構成してゆこうとすると、おのずと脚本が重要になるわけです。ただ、デメリットもあり日本映画のように撮影段階でストーリボード、コンテをほとんど使用せず、脚本がすべてというような撮影手法だと映像的な表現がが画一化してしまうこともあります。
重要であるとしても脚本は絶対なものではないので、脚本を用意せず、簡単なスクリプトだけで撮影を始める、ロードムービのように脚本が変化するもの、台詞のないドキュメンタリーのようにコンセプトしかないもの、アニメーションのように脚本は過程で作られ、使用されるもので、重要度としてはコンテのほうが高いなど様々ではないでしょうか。従って脚本は制作過程の途上に使われるものに過ぎない、ということもできます。ハリウッドなどでの大作、SFX多用の映画では脚本ではビジュアル的な部分を決められないため、コンテやビデオ・CGによる、ビジュアルコンテ(ビジュアルスクイズ)が併用されたりもしています。
しかしながら、なぜ脚本が重要かといえば、撮影前には存在していない映画の構成、流れ、台詞という全体を検討し、作業を進めるために脚本を使うことが映画撮影システムとして既に出来ているという技術的な理由が存在するからではないでしょうか。
付け加えれば、脚本ではなく、脚本を検討するという行為が重要である、ということになるかも知れません。脚本は台詞とト書きからいきなり書き始めるものではなく、断片的なシークエンス、シーン、スクリプトの積み重ねの最終形が脚本に過ぎませんし、戯曲のような完成品とは脚本はことなり、実際には撮影、制作中に変化するものだからです。つまり、印刷され綴じられた脚本が重要なのではなく、どれだけよい脚本という構成案、台詞案という土台を用意できるか、ということが重要である、ということではないでしょうか。
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この回答へのお礼

すばやい回答恐縮です、映画制作の現場やシステム等専門的な見方からの回答大変参考になりました。

お礼日時:2002/10/03 02:21

私は脚本よりも演出を重要視してます(・・・って言っても自分で作ってるわけじゃないです、あしからず)。

脚本は確かに重要ですが、それ以上に、演出のせいで台無しになっているドラマ・映画は多いような気がします。

日本やアメリカの場合、演出が割としっかりしているので、「脚本が重要」という話になるのでは、とちょっと思ってみました。
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この回答へのお礼

早い回答ありがとうございます。僕も以前そう思っていました。またよかったら良いアドバイス宜しくおねがいします。

お礼日時:2002/10/03 22:05

映画の脚本専門誌「月刊シナリオ」という雑誌があります。


(TVドラマにも「月刊ドラマ」があったりします)

この雑誌の何年か前の記事ですが
お客さん:映画は役者で決まる
俳優:映画は監督が作る
監督:映画は脚本家のものだ
ある意味真理なんだけど、別の意味では大間違いです。

特に日本映画では顕著なんですが、優れた演出家は優れた脚本家でもあります。
小津、黒澤は言うに及ばず最近では北野たけし。
北野たけしは「シナリオは監督が書くものだ!」と言い切っています(別冊宝島「シナリオ入門」のアンケートより)。

人それぞれでしょうし、製作会社配給会社との兼ね合いもあるので必ずしも「名画は名監督が脚本を書く」と言い切れないのですが…

脚本が重要であることは間違いありません。
ただ、「○○よりも脚本が大切」ということは無いと思います。
だからこそ映画は総合芸術なんだと思います。
音楽、効果、撮影、演技、演出、証明、衣装、メーク、言語指導、編集、etc...そして脚本。
何一つ欠けても、何一つ手を抜いても名画にはならないでしょう。
(音に関しても、ある種の無声映画は『無音』という素晴らしい表現手法だと思います)

映画に関係する仕事がしたくて「映画音楽の編曲」と「シナリオ」を勉強してました。
だから「<<えせ>>経験者」と名乗らせてください。
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この回答へのお礼

シナリオの勉強されていたんですか。回答参考にさせていただきます。ありがとうございました。

お礼日時:2002/10/05 15:59

例えば。


寿司はネタと舎利、どっちが重要か?
それとも握る技術か?下ごしらえか?
あるいはサービスか?客の質か?

それらを「どっち大事」とは言えないように
映画も映像と脚本、どっちが大事とは言えないと考えます。

ただし。

文学は、物語れることしか伝えられません。
物語れないことは沈黙するだけです。
(本当は文学にもメタ・レベルがあるんだけど)

映画は物語れることを、伝える一方で
物語れないコトを、伝える術を持っている訳ですよね。

物語を如何に描くか?(物語を如何に映像化するか?)に
注力する作家がいますよね。
一方で、物語れないことを如何に描くか?
(物語れないコトを如何に映像化するか?)に
注力する作家もいるわけです。
例えば、前者の代表がジェームス・キャメロンです。
後者の代表がスティーブン・スピルバーグです。
(異論もあるでしょうが、私はそう見ています)

そういう視点をもって映画を見ると
楽しみ方が深まると思います。
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この回答へのお礼

なるほど、物語をいかに描くか、一方で物語れないことを如何に描くか、どちらも伝える術を持っているのが映画ですよね。やっぱり脚本と映像どちらが大事とは言えないですね。回答ありがとうございました。キャメロンとスピルバーグの比較も面白かったです、参考になりました。

お礼日時:2002/10/05 17:22

私は製作過程で常に脚本を最重要視しますが、作品の要素として何が重要かはケースバイケースです。



クリエイティブコントロールという観点からはミニマムなロジックが必要(重要)で、それに該当するものとして私は脚本を利用します。
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この回答へのお礼

専門的立場から、ご回答ありがとうございます。

お礼日時:2002/10/05 16:43

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