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タイトルのとおりです。
昔の映画を観ると国によって当然言葉が違いますがこれで終わりですよっていう意味の言葉が必ず最後に出ました。
ところが最近の映画は出演者や製作者などはこれでもかっていうほど出るのですがこれが出てくる映画は邦画・アジア映画・欧米映画を問わずほとんど皆無です。
一種の流行なのでしょうか。
それとも何か特別の理由があるのでしょうか。
個人的には昔の方がよかったと思います。

A 回答 (6件)

No.3の方と同じ、「権利」の問題だと思います。


日本では1970年に著作権法が制定され、著作物の使用などに制限が加わりました。今では一般的な考え方ですが、70年以前は権利に対してアバウトだったので、映画の雰囲気を重視できたのでしょう。
スタッフロールが肥大化したのも、製作者全員の権利問題などがあるのだと思います。
基本的に映画(劇映画)は製作会社が著作権を持っていますが、外部委託する際「スタッフロールに名前を載せる」という条件が大抵あるので肥大化しているのでしょう。
だからスタッフロールは「会社や個人の権利と宣伝のため」フィルム一本一本に付けているようです。
ほとんどの監督は最終編集権(ファイナル・カット)を持っていないので、それを持っている巨匠で、なおかつ「終わり」と挿入したいという監督しかやらないのでしょう。
ちなみにぱっと調べた限りウォン・カー・ウァイが「完」と付けています。
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大きな理由はスタッフロールが肥大化したことだと思います。



昔の映画は、開始直後に主な配役、主なスタッフを出すだけで、エンディングの後のスタッフロールはほとんどありませんでした。
ですから、本編終了でエンドマークを出して場内の照明が上がると言う上映だったのですが、最近は、どんな映画でも延々とケータリングやロケバスの運転手まで入ったスタッフロールを出します(スターウォーズあたりがその嚆矢だと聞きましたが、確認はしていません)。ここで、本編から雰囲気が切り替わってしまうのでエンドマークを出さないのでしょう。

香港のアクション映画はかなり後まで、古いスタイルが多かったと記憶しています(香港だと「終劇」ですね)。また、インドなどだと、国内公開は未だにこの形と聞いたことがあります。スタッフロールは時間とフィルムの無駄だとか(ちょっと賛成だぞ)。もっとも、インドに行ったことがないので真偽はわかりかねます。

そういや、最近、レイティングの表示って見ていない気がしますね。
「Universal Studioに来てね」なんかもしばらく見てないような(ユニバーサルの映画を見ていないだけかも)。
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昔のヒッチコックの作品やチャールトン・ヘストン等の映画は必ず『THE END』ってなりましたね。


最近だと見ない理由は全くの個人的意見になりますが、
・本編は終わっても最後のシーンのままカメラが引いていく。
・主題歌(時には大物アーティスト)が流れるので連続性をもたせる。
・『バックトゥザフューチャー』『ゴーストバスターズ』の特に1作目の様に続編を期待させる作りにしている為。

・始まりも題名が小さく表示されるだけなので同じ雰囲気にさせる為。
・『T2、3』の様に余韻を与える為に映像をバックにしつつエンドクレジットを流している為に本編との線引きを敢えて明白にはしない。

こんなところかな、と私は考えてます。
ちなみに最後まで見ていると、007は昔(リビングデイライツまで)は次回作のタイトルまで発表していたんですよ。
以降はJames Bond will returnだけになりました。
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今はエンドロールの最後に「配給会社名」が出て終わるパターンが殆どだからね。


そう言う意味では「この作品は我々の著作物です」と念押ししてる様な意味が強いから
もうそう言った表現は完全に「監督の趣味」に一任されてるって事だと思うよ。
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こんばんは



宮崎駿作品は「おしまい」がまだでてたと思いますよ(^^)
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そういえば最近みませんねぇ



監督が続編に期待してる とか?
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