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外国人に「見せると見させるの違いは何ですか。どのように使い分けますか」と質問されましたが、どのように説明すればいいでしょうか。
いろいろな使用例を見ると同じ意味で使っている場合も多いようですが、働きかける相手に自発性の有無(そんな記述も見かけたのです)とか、相手に見るように使役する意味を持つとかで使い分けている場合もあるようですが、例えば「姿を見せる」の場合は自発性などないが使役の意味もなさそうです。
そのようなことを考えているとすっかり混乱してしまい、明確な説明に行き詰まっています。いっそのこと、自発性の有無を考慮せず、次のように割り切ればいいことなのでしょうか。
・「見せる」=相手から見えるところに物を差し出す
・「見させる」=使役の助動詞を使っているので、見ることを強制する

質問者からの補足コメント

  • とりあえずこれをベストアンサーとしますが、この後もいろいろと議論を展開しています。
    だから後日このスレッドを見る方は、他の回答も参照して下さい。

    No.4の回答に寄せられた補足コメントです。 補足日時:2015/12/14 13:53

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A 回答 (14件中1~10件)

【見せる】には多様な意味がありますが、今回の場合、大辞林の【(1)人に見させる。

示して見えるようにする。】という語釈がご参考になると思います。
http://www.excite.co.jp/dictionary/japanese/?sea …
「人に見させる。」
「示して見えるようにする。」
という2つの意味があることになります。
(例1)『あの映画を彼に見せるつもりだ』
(ア)「彼を映画館に行かせて、上映中のあの映画を見せるつもりだ」(「人に見させる。」)
話者は「見る」という動作に直接的には関わらない。
(イ)「私が( DVD を操作するなどして)あの映画を彼に示す(見せる)つもりだ」(「示して見えるようにする。」)
話者は「見る」という動作に直接的に関わる。

【見させる】
使役の助動詞が使われていますので、強制的(強引)に何かをさせる、という使役の意味になります。
辞書にあるように、不干渉・放任といった意味を分けても構いませんが、これも消極的強制には違いないので、今回は、同じ「使役」としておきます。
(例2)『あの映画を彼に見させるつもりだ』
(ウ)「彼を映画館に強制的に行かせて( OR 連れて行って)、強引にあの映画を見せるつもりだ」
(エ)「私が( DVD を操作するなどして)強制的にあの映画を彼に示す(見せる)つもりだ」
(オ)「私が花子に強制(指示)して、あの映画を彼に見させるつもりだ」

少しまとめてみると、
【見させる】と【見せる】は似通った意味を持つ。
ただ、【見させる】には、「強制」「強引」という要素が顕著である点、また、第3者の介入も想定可能な点が「見せる」との大きな違い。
ということが言えるように思います。
この回答への補足あり
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この回答へのお礼

明解なご回答、ありがとうございました。この回答内容とNo.2さんのご回答のように「見せる」のいろいろな意味を足し合わせると、完璧な説明になりそうですね。
ただ、【見させる】には第3者の介入も想定可能な点が「見せる」との大きな違いであるとの点については疑問です。
「私が花子に強制(指示)して、あの映画を彼に見せるつもりだ」は、通じませんか? 【見せる】も第3者の介入が想定可能だということにならないでしょうか。

お礼日時:2015/12/08 22:58

#13です。



>「自発性」は、相手が映画を見る段階で話者がいるかどうかには無関係です。ここでの意味は、相手が「自らの意志で望んでいる」という意味で言っています。その点だけはコメントさせていただきます。

わかりました。
言われてみると、その解釈のほうが正しいようですね。
この点に関する私見は取り消します。
失礼しました。
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この回答へのお礼

今回もいろいろと、ありがとうございました。

お礼日時:2015/12/11 20:53

#4です。


ご質問文の冒頭だけ見て回答したので、もう少し補足させていただきます。

>いろいろな使用例を見ると同じ意味で使っている場合も多いようですが、

そうですね。
ただ、#4でもお示ししましたが、【見させる】には、「強制」「強引」という要素が顕著である点が若干違っていそうに思います。

>働きかける相手に自発性の有無(そんな記述も見かけたのです)とか、相手に見るように使役する意味を持つとかで使い分けている場合もあるようですが、例えば「姿を見せる」の場合は自発性などないが使役の意味もなさそうです。

a.
「自発性」については、#4でお示しした、
(ア)「彼を映画館に行かせて、上映中のあの映画を見せるつもりだ」(「人に見させる。」)
のような場合を言っているのだと思います。
話者は「見る」という動作に直接的には関わらない。
とも書きましたが、彼が映画を見る段階で話者はいませんから、その意味では彼が自発的に映画を見ることになる、という解釈なのでしょう。
ただ、話者が見るように仕向けているには違いないので、本来の「自発性」とは異なると思います。
「見せる」の場合は強制の要素が希薄である、という分け方のほうがわかりやすいような気はしますね。

b.
「使役する意味」は、#4の
(オ)「私が花子に強制(指示)して、あの映画を彼に見させるつもりだ」
のような場合なのだと思います。
「姿を見せる」の場合、少なくともこの意味では使えません。

c.
色々細かいことを申し上げてきましたが、本質は、おっしゃるところの、

・「見せる」=相手から見えるところに物を差し出す
・「見させる」=使役の助動詞を使っているので、見ることを強制する

で問題ないと思います。
解釈の幅は広いですが、強制・使役といった観点から使い分けるのに十分な説明になっているでしょう。
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この回答へのお礼

ありがとうございました。
「自発性」は、相手が映画を見る段階で話者がいるかどうかには無関係です。ここでの意味は、相手が「自らの意志で望んでいる」という意味で言っています。その点だけはコメントさせていただきます。
いろいろ考えていると、この問題は奥が深そうです。学習者にとっては素朴な疑問をぶつけただけなんでしょうけどね。
この問題にさらに第三者が関与する可能性を考慮すると、ますます複雑な議論になりそうです。そもそも互いの主観をぶつけあうだけの水掛け論になってしまいそうですので、そこまでは踏み込まないこととしましょう。
私としてはこれで気が済んでいますが、何かありましたらあらためてコメントいただければと思います。

お礼日時:2015/12/11 14:30

#9です。



>この表現からすると、おそらく「彼」は、あの映画をあまり見たがっていないような印象を受ける。
ここが私との一致点です。

一致点が見つかりましたようで、いくらか安堵しております。

>(例)子供に本を見せる と 子供に本を見させる
子供(働きかける相手)が「見せて下さい」と言っている場合なら「見せる」です。
つまり、自発性が十分に強ければ「見せる」

それは確かにおっしゃるとおりで、分かりやすいと思います。
ただ、ご指摘のように『ただし自発性だけで割り切れるわけでもありません。』という点に留意が必要です。
大辞林に「人に見させる」という語釈があるように、「子供に本を見せる」にも強制性が全く無いわけではない、ということ。
むろん、無い場合にも使いますし、それは大辞林の「示して見えるようにする」という語釈に該当するのだと思います。
この後者の場合には強制性の含みはありません。そのため、相手の自発性が十分に強い場合にも使える、というふうに考えるほうがわかりやすいのではないか、と思います。
大辞林では、【(1)人に見させる。示して見えるようにする。】と一行にまとめてしまっているのでわかりづらいのですが、このように2通りの意味に解釈するほうが、「見せる」の全体像が把握しやすくなるでしょう。

>そうではなく、自分が子供(働きかける相手)に「見なさい」と言っているような場合なら「見させる」です。
---
ここから強制的な意味合いも生じ得るでしょうね。

「させる」は使役の助動詞ですから、「見させる」の場合は、強制的意味合いが必至だと思います。
大辞泉では4つに語釈を分類していますが、最後の尊敬を除けば、すべて強制の構図になっているでしょう。
http://dictionary.goo.ne.jp/jn/88100/meaning/m1u …

>「姿を見せる」とか「度胸のあるところを見せる」は、働きかける相手に自発性があるわけではありませんが、これを「見させる」に置き換えると強制の意味になります。このあたりはNo.2さんの回答内容も参考になるでしょうね。

「(観衆の大歓声に応えて)姿を見せる」などのシチュエーションであれば、「見たい」という要望(自発性)が観衆にあったことになると思います。(観衆が嫌がっているのに無理やり見せるわけではない)
「(わざと、手錠をかけた)姿を見せる」のような場合は(若干の)強制性があるでしょう。
「若干の」というのは、「見させる」ほどではないが、という意味です。
「度胸のあるところを見せる」の場合は、大辞林なら【①示して見えるようにする】と同じでも良いように思いますが、または【②おもてに表し出す】という意味でも良いかもしれません。
むろん、No.2さんも引用しておられる大辞泉の【2 行動・態度・表情などに表して、そうであることを人にわからせる。】の意味に解釈しても良いでしょう。
http://dictionary.goo.ne.jp/jn/211967/meaning/m1 …
表現が煩雑になってしまったような気もしますので、腑に落ちない点は、さらに補足していただけると助かります。
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この回答へのお礼

度重なるご回答、ありがとうございました。
このように第三者が関与する可能性を問題にしなければ、素直に納得できるのです。

お礼日時:2015/12/10 01:31

No.7でコメントした者です。



>ただし「見る」と「見せる」は別の動詞であると思われるなら、「『見る』の使役形としても使えなくはない」という発想は避けるべきではないでしょうか。
 すでに書いたとおりです。個人的には〈8)9)にあるとおり、「見せる」は別の動詞と考えるほうがいい〉と考えています。8)9)に関してはリンク先をご参照ください。
 しかし、下記のように辞書にもある解釈なので、無視することもできません。実質的には「別の動詞」だと思います。
https://kotobank.jp/word/%E8%A6%8B%E3%81%9B%E3%8 …
==============引用開始
大辞林 第三版の解説
みせる【見せる】

( 動サ下一 ) [文] サ下二 み・す
①人に見させる。示して見えるようにする。 「
==============引用終了

>こちらの資料(文化審議会答申)をご覧いただければ、参考になると思います。
 この「敬語の指針」の解説は曖昧なところがあり、結局何が言いたいのかわかりません。
 詳しくは下記のコメントNo.2をご参照ください。
【心ばかりの物を、お贈りさせていただきます、は?】
http://oshiete.goo.ne.jp/qa/8472230.html
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この回答へのお礼

ご返信、ありがとうございました。
実に複雑な問題ですね。

お礼日時:2015/12/10 21:01

見せる=実際に見るかどうかは相手次第。


見させる=強要とまでしなくとも、実際に見る、行動を起こすように働きかける、または状況設定する。
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この回答へのお礼

ありがとうございました。
確かにそのような面もあるんですよね。

お礼日時:2015/12/09 21:25

#8です。



>主観の相違とか言葉の文化の違いと言うべきことかもしれませんね。

文化の違いということは無いと思いますが、主観の相違という可能性はあるかもしれません。
つまり、論理を超えた感覚の違いなので、「私はそう思わない」「私はそう感じない」と言われれば、それ以上、「しかし~」などと遣っても、おっしゃるように平行線を辿るばかりですよね。
なので、「見解(主観)の相違」という文言は、基本的にコミニュケーション終了の意志を示す意味があることになります。
ただ、おっしゃっていただいたように、私の説明能力が不足していた可能性は、まだ残されていそうです。
その可能性について言及していただいたことにより、微かながら希望が残されていることになります。
ということで、通常はしつこい押し付けになるので、やらないのですが、再度の説明をさせていただきます。

以下のように誰かから言われた場面を想像していただきたいと思います。
その場合、Mister0413 さんは、第一印象としてどのように感じるか、ということです。
私は次のように感じます。
大事なのは、下記の第一印象が1と2で逆になることは、わたしの場合、まず無いと思う、ということです。
「強制性」の有無、あるいは、その程度の強弱といった要素が伏線として存在しています。

1.『私は、あの映画を彼に見せるつもりだ』

この人は、たぶん、彼を自宅(または映画館など)に呼んであの映画を見せるのだろう。または、彼にDVD などを渡して見るように言うのかもしれない。

2.『私は、あの映画を彼に見させるつもりだ』

この表現からすると、おそらく「彼」は、あの映画をあまり見たがっていないような印象を受ける。
しかし、どうしても見てほしい映画なので、この人は無理やりにでも彼に見させるつもりなのだろう。(強制的に彼が見る状態にする)
あるいは、誰かに指示するなどして、彼にあの映画を強制的に見せるように、と言うのだろう。
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この回答へのお礼

> 『私は、あの映画を彼に見させるつもりだ』
この表現からすると、おそらく「彼」は、あの映画をあまり見たがっていないような印象を受ける。
ここが私との一致点です。
実はこの質問をする前に、私は次のような説明を見かけたのです。
---
(例)子供に本を見せる と 子供に本を見させる
子供(働きかける相手)が「見せて下さい」と言っている場合なら「見せる」です。
つまり、自発性が十分に強ければ「見せる」
そうではなく、自分が子供(働きかける相手)に「見なさい」と言っているような場合なら「見させる」です。
---
ここから強制的な意味合いも生じ得るでしょうね。
ただし自発性だけで割り切れるわけでもありません。
「姿を見せる」とか「度胸のあるところを見せる」は、働きかける相手に自発性があるわけではありませんが、これを「見させる」に置き換えると強制の意味になります。このあたりはNo.2さんの回答内容も参考になるでしょうね。
このように考え始めたらすっかり混乱してしまったので、頭を整理したくなって質問した次第です。

お礼日時:2015/12/09 22:55

#4です。



>ただ、【見させる】には第3者の介入も想定可能な点が「見せる」との大きな違いであるとの点については疑問です。
「私が花子に強制(指示)して、あの映画を彼に見せるつもりだ」は、通じませんか? 【見せる】も第3者の介入が想定可能だということにならないでしょうか。

そのような表現は無論、可能です。
しかし、今は、
『あの映画を彼に見せるつもりだ』

『あの映画を彼に見させるつもりだ』
の比較です。
この表現だけで、後者は、
(オ)「私が花子に強制(指示)して、あの映画を彼に見させるつもりだ」のように、第三者の介入が想定できる、ということ。
前者には、それができないと思います。
『あの映画を彼に見せるつもりだ』と言われて、「誰に指示して彼に見せるの?」という疑問を持つことは、まず無いでしょう。
これも、「見せる」に強制性が希薄であることが関係しているのではないか、と今、思いました。
つまり、「見せる」自体には、第三者を介して「見せる対象者(彼)」に使役を行なう、という直接的な意味はない、ということを申し上げたかったわけです。
#1さんお示しのサイトに、「見せる」は使役ではない、という意味の記述があったと思いますが、おそらくこうしたことを言っているのでしょう。
(個人的には先述いたしましたように、希薄ではあるものの使役の要素は存在していると思いますが)

さらには、後だしで恐縮ですが、
(カ)「私が彼に強制(指示)して、あの映画を花子に見させるつもりだ」
というシチュエーションもあり得ますね。
こうした想定が可能なので、『あの映画を彼に見させるつもりだ』と言われれば、「誰に指示して?」あるいは「誰に見させる?」という質問が湧くのは自然だと思います。
しかし、
『あの映画を彼に見せるつもりだ』
の場合、そうしたことは想定が難しい。
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この回答へのお礼

いつも詳細なご回答、ありがとうございます。
このような種類の動詞を、文法用語で「使役動詞」と呼ぶのでしょうか。
今回のご回答を何回も読み返しましたが、やはり納得できません。主観の相違とか言葉の文化の違いと言うべきことかもしれませんね。
> 『あの映画を彼に見せるつもりだ』と言われて、「誰に指示して彼に見せるの?」という疑問を持つことは、まず無いでしょう。
これについては、理解できます。しかしそれを言うならば、私には『あの映画を彼に見させるつもりだ』も同じことだと思えます。
> 「私が花子に強制(指示)して、あの映画を彼に見させるつもりだ」のように、第三者の介入が想定できる
これを言うのであれば、「見せる」も同じことだと思えます。
というわけで、この件に関しては全く平行線のままです。私は何か大切なことを忘れていたり、ご回答の真意をとらえることができていないのでしょうか。別の角度から説明できるというのであれば、さらなるご回答をお願いします。

お礼日時:2015/12/09 17:35

No.5でコメントした者です。



>「脱がす」「脱がせる」の関係を問題にしたつもりです
 そちらでしたか。申し訳ない。
 だとすると
【「見る・見せる・見させる」などの動詞について】
https://oshiete.goo.ne.jp/qa/9125887.html
 で当方が書いた「亜種」(勝手な命名です)の一種だと思います。
 おそらく、「転ぶ」に近いのでは。

 原形が「脱ぐ」
 使役形が「脱がせる」
 使役風動詞は「脱がす」? その使役形は「脱がさせる」。
 一応、「脱がせる」と「脱がさせる」があります。

「脱ぐ」「脱がす」はともにいわゆる他動詞。
「転ぶ」「転ばす」は前者が自動詞で後者が他動詞ですね。
 ただ、「脱ぐ」(使役形は「脱がせる」)は五段活用動詞なので、「見る」(使役形は「見させる」)とは違ってくるでしょう。

 本題の「見せる」「見させる」に関してはリンク先に加筆しました。
【見る・見せる・見させる】
http://ameblo.jp/kuroracco/entry-12104049585.html
==============引用開始
「見る」の使役形が「見させる」。
 8)9)にあるとおり、「見せる」は別の動詞と考えるほうがいい。「見る」から派生したものだとは思うけど、詳細は不明。辞書の引用は末尾に。仮に「使役風動詞」と呼んでおく。
「見せる」は厳密には使役ではない。「見る」の使役形としても使えなくはないが、ほかの用途のほうが一般的なことは、下記の辞書を見てもわかる。これを使役形にすると「見せさせる」。
※「厳密には使役ではない」は言いすぎか。「実質上、使役の意味合いで使われることはほとんどないだろう」くらいか。
「見せる」の使役形の「見せさせる」も実際には使われることがほとんどないだろう。
 たとえば、「(新入社員に対して)まず部下がお手本を見せる」。これを「見せる」ことを上司が命じた場合「お手本を見せさせた」とはまず言わない。
「着せる」は「着る」の使役形として使われるが、厳密にはこれも使役ではない。ただ、これがあるので、本来の使役形の「着させる」はほとんど使われない。
「見せる」と「見させて」の話は、「拝見させていただく」の話につながる。
【〈「拝+させていただきます」は誤用〉ですか?】
https://oshiete.goo.ne.jp/qa/8908533.html
==============引用終了
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この回答へのお礼

再度のご回答、ありがとうございました。
考えるほどに複雑な問題で、出口が見つからなくなりかねません。
ただし「見る」と「見せる」は別の動詞であると思われるなら、「『見る』の使役形としても使えなくはない」という発想は避けるべきではないでしょうか。
「○○させていただきます」については、議論があるようですね。
こちらの資料(文化審議会答申)をご覧いただければ、参考になると思います。
http://keigo.bunka.go.jp/guide.pdf

お礼日時:2015/12/09 17:54

>No.1さんにご紹介いただいたサイトには、使役形の意味にはもう一種類「人に何かをしてあげる」があると書いてあります。


「見せる」のように「見させる」と同様の意味を持つ(一語の)動詞ですが、

確かに、「赤ん坊にミルクを飲ませる」のような意味合いがありますね。そういう分類もあるでしょう。要は「強制的にさせる」か、「相手が望むようにさせるか」、ですね。以下引用。
  ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
 『日本語の使役態には、意味から見て二つのものがある。一つは、(1)力をもって他のものを動かす意味のものである。たとえば、
 学生には、学年末にレポートを提出させる
もう一つは、(2)他のものの意志を尊重してその意志どおりの行動を許す意味のもので、
 図書館を建てて自由に本を読ませる
がこれだ。よく話題にのぼる「本日はこれで休ませていただきます」も、「休むことを許可して……」で、この(2)の例だ。(金田一春彦ー日本語 新版)
  ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
>「脱がす」はどうでしょうか。
現時点における私の仮説によると、相手に影響を及ぼす他動詞がこれに該当する気がしますが、どうでしょうか
 
 「脱がす」を入れ出せば切りが無いほどたくさんあります。
合わす・遊ばす・現わす・急がす・動かす・遅らす(ア行だけでこれだけあります。)
 脱がす 脱がせる (脱がさせる?)と並べるとちょっとおかしいと思いす。
「脱がす」は古語における使役形「脱ぐ」+「す」(使役の助動詞)で現代では何と呼ぶか、私は勝手に「使役動詞」と呼んでいます。共通語では「脱がせる」が使役形。
 私の質問は近くにあります。次の質問を今書きかけています。
https://oshiete.goo.ne.jp/qa/9125887.html
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この回答へのお礼

ご返事と質問のURLのご教示、ありがとうございました。

お礼日時:2015/12/08 22:23

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Q日本語「見る」「見せる」「見させる」の違いを説明してください。

日本語「見る」「見せる」「見させる」の違いを説明してください。
特に「見せる」は文法上、どのように説明したら良いのでしょうか。
よろしくお願いします。

Aベストアンサー

・「見る」は、自分の視覚で見ること。

・「見せる」は、相手から見えるところに物を差し出す、など。
 <例> 「『これね、この前旅先で撮ったの』と言って彼女は写真を見せた。」

・「見させる」=「見(る)」+使役の助動詞「させる」 ・・・ 見ることを強制する、など。
 <例> 「うるさい音が嫌いな老人に、民放のクイズ番組を見させては駄目だよ。」

>>>特に「見せる」は文法上、どのように説明したら良いのでしょうか。

一つの動詞と考えるのがもっとも合理的で、辞書でもそうなっています。
http://dic.yahoo.co.jp/dsearch?p=%E8%A6%8B%E3%81%9B%E3%82%8B&enc=UTF-8&stype=1&dtype=0&dname=0na

なお、No.1の方のご回答が気になりましたが、
「見せることを指示」する場合は「見させる」ではなく「見せさせる」になるかと思います。

Q「見る・見せる・見させる」などの動詞について

1.「見る・見せる・見させる」は次のように使いますが、それぞれの場合の実際に「見る」という動作主体は誰ですか。その場合の人物は「自分(話し手)A」と「相手(聞き手)B」とします。A、Bで答えてください。
  絵を見る(   ) 絵を見せる(   ) 絵を見させる(   )
  着物を着る(   )着物を着せる(   )着物を着させる(   )
2.また、このように三つの言い方が揃っている動詞をご存じなら、教えてください。
   《この質問は、使役態(使役形)に関する一連の質問の一つです》

Aベストアンサー

う~ん、主語と話し手がごっちゃになっているような。
「絵を見る」だけでは主語が話し手かどうかは分かりません。
そこはちゃんと指定しないといけません。

たとえば、
X:太郎は何をするの?
A:絵を見る。(話してはAですが、主語は太郎です)


Aが絵を見る(見るのはA)
AがBに絵を見せる(見るのはB)
AがBに絵を見させる(見るのはB)

Aが着物を着る(着るのはA)
AがBに着物を着せる(着るのはB。ただし、Bは何もせず、ただ突っ立っているだけで、AがBに着物を掛け、帯を結んでやっている)
AがBに着物を着させる(着るのはB。Aは指図をするだけ)


>三つの言い方が揃っている動詞

この三つの動詞形が揃うためには以下の二つの条件を満たす必要があります。
1.元が他動詞であること(見る、着る)
2.「させる」が付く活用でなければならないので、上一段か下一段活用であること

何とか絞り出したのがこれ。

似る 似せる 似させる
浴びる 浴びせる 浴びさせる
寝る 寝かせる 寝させる

Q日本語の他動詞文における直接受身と間接受身の相違

前略、日本語教育歴浅いため、「日本語の他動詞文における直接受身と間接受身の相違」をうまく説明出来ません。いろいろ調べましたが例文そのものがわかりにくく余計混乱しています。イメージしやすい例などで指導等いただける大変ありがたいです!

Aベストアンサー

簡単に言えば、
直接受動:他動詞文の「を」が「が」になる受動文
間接受動:受動文を能動態にしたとき、主語の「が」が「を」にならないもの

英語では能動態の直接目的語を主語にして、受動態を作ります。
日本語ではこれを直接受動と言います。

日本語には、直接受動以外に間接受動もあります。
これは、直接目的語を主語にしない受動態です。

直接目的語が主語にならないと言うことは、
1.受動態になっても直接目的語の「を」が存在する。

太郎は 花子を 殴った。
 → 花子は 太郎に 殴られた。(直接受動)

花子は 太郎の 顔を ひっぱたいた。
 → 太郎の顔が 花子に ひっぱたかれた。(直接受動)
 → 太郎は 花子に 顔を ひっぱたかれた。(間接受動)


2.自動詞文で、目的語がなくても可能。
雨が 降った。
 → 雨に 降られた。(間接受動)

赤ん坊が 泣く。
 → 赤ん坊に 泣かれる。(間接受動)

Q見せる見させる着せる着させる

こんにちは。
これは韓国の「質問&回答」の問題です。
なんとなく僕はそれぞれ「見させない、着させたが回答のような気がしますが、間違いでしょうか。ご指導をお願いします。

* 田中選手はもともと 弱みを 他人に (㉠見せ/㉡見させ)ない.
* 母親は 娘の 亡骸に 純白の ウェディングドレスを (㉠着せた/㉡着させた).

Aベストアンサー

見せる⇒自らの意志および行動によって他者に何かを見えるようにする行為
見させる⇒他者に命令するなど、能動的に働き掛けることで他者が何かを見るように誘導する行為

着せる⇒自らの意志および行動によって他者に何かを着用させる行為
着させる⇒他者に命令するなど、能動的に働きかけることで他者が何かを着用するように誘導する行為

それぞれの言葉を噛み砕くと上記のような内容になると思います。
従って普通に考えて、見せる、着せた、が正しいと判断します。

Q日本語動詞のアスペクト・・・?

日本語動詞のアスペクトの特徴ってなんでしょうか?できれば、アスペクトから詳しく教えていただきたいです。

Aベストアンサー

アスペクトとは、「動詞の表す動作を、その動作が時とともに展開してゆく過程においてとらえたときのさまざまなあり方、およびそれを表現する組織的な文法形式」です。

例えば、「食べる」という動詞は、
  今ご飯を〔食べている〕。
という、動作が「進行(継続)」中である状態を経て、
  もうご飯を〔食べた〕。
という、動作が「完了」した状態へと移行していきます。

一方、「開く」という動詞は、
  ドアが〔開いた〕。
という、完了の状態から、
  ドアが〔開いている〕。
という、動作・作用が終わった後、その状態が「結果」として存在している状態へと移行します。

このように、述語動詞の表す動作・作用についての、「完了」「継続」「結果」などの概念、及びそれらの表現形式をアスペクトと呼ぶわけです。テンス(時制)とは全く違った概念です。

このアスペクトの観点から動詞の分類が行われます。以下ほんの一例です。

1、状態動詞…「ある」「居る」のように、「ている」が付かずに「状態」を表すもの。
2、継続動詞…「読む」「見る」などのように、「ている」が付いて、動作が進行中であることを表すもの。
3、瞬間動詞…「死ぬ」「付く」などのように、「ている」が付いて、「結果」をあらわすもの。

ほとんど説明になっていませんが(本気で回答しようとすれば膨大な量になってしまいますから)、なんとなく雰囲気を感じてくだされば幸いです。「ないよりはましか」ぐらいのつもりで回答いたしました。参考URLは、(3)アをごらんください。

参考URL:http://dictionary.goo.ne.jp/search.php?MT=%A4%BD%A4%A6&kind=jn&mode=0&base=21&row=1

アスペクトとは、「動詞の表す動作を、その動作が時とともに展開してゆく過程においてとらえたときのさまざまなあり方、およびそれを表現する組織的な文法形式」です。

例えば、「食べる」という動詞は、
  今ご飯を〔食べている〕。
という、動作が「進行(継続)」中である状態を経て、
  もうご飯を〔食べた〕。
という、動作が「完了」した状態へと移行していきます。

一方、「開く」という動詞は、
  ドアが〔開いた〕。
という、完了の状態から、
  ドアが〔開いている〕。
という、...続きを読む

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外国人に日本語を教えていますが、時を表す言葉に助詞をつけるルールについて、基本ルールみたいなものがあるのでしょうか?

たとえば、「あした」であれば、なにもつけませんよね。
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2)来週の日曜日に公園へ行きます。

これは単に「に」をつけることによる強調であって、(あしたでも、あさってでもない、来週の日曜日に公園に行くんだ!という強調。)基本的にこのような「時を表すことば」プラス「行為」の場合は助詞はなにも要らないのでしょうか??どなたかお願いします。。

Aベストアンサー

 amitoさん、こんにちは。
 
 まず、時間を表わす言葉の品詞を考えてみますと、「今日、去年、この夏、来週、あるとき、むかし、今、現在、このごろ…」などは「(時間の)名詞」です。そして、この「時間の名詞」は文中で「副詞」によく似た働きをすることがあります。

 「は」、「も」、「に」などの「助詞」に関してですが、日本語の助詞には「副助詞」、「格助詞」、「終助詞」、「接続助詞」があります。
 
 さて、時間を表わす言葉に助詞がつくのかつかないのか、あるいは、つくとしたらどんな条件の元でつくのかということですが、まず、時間を表わす名詞が副詞的に用いられている場合は「格助詞である『に』」はこれらの語の後にはつきません。
 『あした公園へ行きます』
 この例文では「あした」が副詞的に用いられていると考えられるため、後に「に」は不要です。

 ただ実際には、この副詞的に働く「時間の名詞」の後に「に」がつくものとつかないものが存在し、これにはある一定の法則があり、我々日本人は普段意識せずに使い分けているのですが、この点は外国人日本語学習者が迷う点の一つですので、注意が必要です。下に少しまとめておきます。

 1)「時間の名詞」が単独で副詞的に用いられる場合は、後に「格助詞・に」はつきません。例:「おととい」、「昨日」、「今日」、「明日」、「あさって」、「毎日」、「先先月」、「先月」、「今月」、「来月」、「再来月」、「先々週」、「先週」、「今週」、「来週」、「再来週」、「おととし」、「去年」、「今年」、「来年」、「再来年」など。
 2)「時間の名詞」が複合の形をとる場合、例えば、「おととい」という時間を表わす名詞にさらに「朝」という時間を表わす名詞がついて「おとといの朝」などという形になる場合はやや複雑で、「あしたの昼、テニスをします」と助詞を伴わずにも使われますし,「あしたの昼に、テニスをします」と助詞を伴っても使われます。この二つの文の場合ですが,意味的には実は違いがありません。「に」を伴うことによって「強調」を表わしていると思われる傾向にあるようですが,この場合の「に」は「格助詞」として「より顕著な副詞表現に属することを表わしている」に過ぎません。仮に「あしたの昼、テニスをします」という文の「あしたの昼」を強調するのであれば、「あしたの昼は、テニスをします」と「副助詞・は」が使われます。この「副助詞・は」の働きは「判断の対象や叙述の内容がその範囲内に限られている」ということを表わし,つまりは「他の日ではなく明日」というように限定の意味を加え、そして強調の意味を加えています。「明日の昼も、テニスをします」と「副助詞・も」を使うこともできます。「副助詞・も」には「類似した事柄を列挙したり、同様の事柄がまだあることを言外に表わしたり」する働きがあり、昨日も今日もテニスをしたが明日もテニスをするという「類似あるいは同様の事柄の列挙」を示しています。
 
 a)つまり、「時間名詞」が単独で副詞的に用いられる場合には「に」などの「格助詞」はつきません。
 b)時間を表わす名詞が複合形で用いられる場合には、「に」がつく形も「に」がつかない形も存在し,「に」がつくかどうかは日本人の間でも揺れが見られるので、各個人での判断に違いがあるのが現状です。
 c)ただし、「昨晩」、「夕べ」、「昨夜」、「今晩」、「今夜」、「明晩」、「毎晩」、「毎夜」、「今朝」、「明朝」、「毎朝」、「(先週/今月/来年etc)末」という一種の複合形の例では「に」がつきません。
 d)「時間名詞」に助詞がつく場合は、その助詞が「副助詞」であり、なおかつ、「時間名詞」は副詞的に用いられているのではなく、本来の「名詞」として用いられていると考えることができます。
 e)また、同様に時間を表わす名詞で「四季の名称」や「曜日名」にも、「格助詞・に」がつく場合とつかない場合があります。

 少し分かりにくい説明になってしまったかも知れませんが、お役に立てれば幸いです。

 では、失礼いたします。

 amitoさん、こんにちは。
 
 まず、時間を表わす言葉の品詞を考えてみますと、「今日、去年、この夏、来週、あるとき、むかし、今、現在、このごろ…」などは「(時間の)名詞」です。そして、この「時間の名詞」は文中で「副詞」によく似た働きをすることがあります。

 「は」、「も」、「に」などの「助詞」に関してですが、日本語の助詞には「副助詞」、「格助詞」、「終助詞」、「接続助詞」があります。
 
 さて、時間を表わす言葉に助詞がつくのかつかないのか、あるいは、つくとしたらどんな条...続きを読む

Q「まだ+しない」と「まだ+していない」

 日本語を勉強している外国人です。初心者向けの日本語の教科書を読んでいます。教科書にこんな例文があります。

ーもう荷物を送りましたか。
ーいいえ、まだです。

 「まだです」を完備した文で言い換えるなら、「まだ送っていません」なのか、「まだ送りません」なのでしょうか。もし両方ともありえるならば、ニュアンスの違いを説明していただけませんか。

 辞書に「新聞はまだ来ない」という文例がありますが、「新聞はまだ来ていない」でもありえるのでしょうか。もし両方ともありえるならば、ニュアンスの違いを説明していただけませんか。

 GOOGLEで検索してみたら、「まだ分かりません。」と「まだ分かっていません。」は両方あるようですが、使い分けがよく分かりません。

 「まだ+しない」と「まだ+していない」の使い分けを付けられないので、困っています。教えていただけないでしょうか。

 「日本語を何年間も勉強していますが、まだ文章がうまく書けません。質問文の中で不自然な表現があれば、それも併せて指摘していただければ助かります。質問が多すぎて、申し訳ありません。よろしくお願いします。

 日本語を勉強している外国人です。初心者向けの日本語の教科書を読んでいます。教科書にこんな例文があります。

ーもう荷物を送りましたか。
ーいいえ、まだです。

 「まだです」を完備した文で言い換えるなら、「まだ送っていません」なのか、「まだ送りません」なのでしょうか。もし両方ともありえるならば、ニュアンスの違いを説明していただけませんか。

 辞書に「新聞はまだ来ない」という文例がありますが、「新聞はまだ来ていない」でもありえるのでしょうか。もし両方ともありえるならば、...続きを読む

Aベストアンサー

まず最初のご質問「いいえ、まだです」ですが
「まだ送っていません」がこの場合多く使われます。
「まだ送っていません」は送るべき仕事として私は認識しています、が別の用事があった為に、まだ為すべき事をしていません、というニュアンスです。
「まだ送りません」の方は、送るべき条件が他者に起因する要因によってそろっていない為、要因がそろうのを待っています、といったニュアンスになります。
(こちらは普通使わないでしょう=わざと消印をx日にしたいので待っているような特別なケースです)

新聞はまだ「来ない」「来ていない」は両方とも可です。双方とも待っている物がまだ到達していない、ニュアンスがありますが、この使い分けは明確ではありません。が、私には「来ない」は発言者がその場から動かずに言っており、「来ていない」は新聞受けを見た上での発言のニュアンスで使っています。
例:複数の知人との待ち合わせ場所にて
アナタが最初に来て次にA氏が来た。A氏がアナタに「Bさんはまだ来ていないの?」と質問した時に、
「Bさんはまだ来ない」に比べ「Bさんはまだ来ていない」の方がBさんを待っている度合いが強いと思われます。(少なくとも後者は周囲を見渡した上での発言です)

「まだ分かりません」と「まだ分かっていません」は後者の方が継続調査中で希望が若干ある答え方です。前者はお手上げ状態で、何か新しい進展が無いとこれ以上の情報は提供できません、と言っているのと同様です。
例:災害やテロの被害についての報道
最終的な被害者の数はまだ分かっていません=関係機関が一生懸命調査中です、よって時間と共に明確になるでしょう。
最終的な被害者の数はまだ分かりません=報道している側も第一報を受けただけでこれ以上の情報は皆無です。続報が入り次第、お知らせします。

「まだ+しない」=準備が整っていないので行わない又はもっと良い条件にて行うつもりである
「まだ+していない」=やるべき事であるのに怠って着手していない

宿題を提出日までしないのは「まだしていない」
株券などを売らないでいるのは「まだしない」

といったニュアンスです。
参考になれば幸いです。

まず最初のご質問「いいえ、まだです」ですが
「まだ送っていません」がこの場合多く使われます。
「まだ送っていません」は送るべき仕事として私は認識しています、が別の用事があった為に、まだ為すべき事をしていません、というニュアンスです。
「まだ送りません」の方は、送るべき条件が他者に起因する要因によってそろっていない為、要因がそろうのを待っています、といったニュアンスになります。
(こちらは普通使わないでしょう=わざと消印をx日にしたいので待っているような特別なケースです)

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Q『が』と『こそ』の違いについて

「あの人がいい先生です」
「あの人こそいい先生です」
格助詞『が』と係助詞『こそ』の意味の違いを教えて下さい。

Aベストアンサー

「が」の使い方は、簡単には説明出来ません。特に日本語圏で育っていない方に意味や用法をお伝えするのは、かなり大変です。
勉強したければ、下記サイトも参考にしてください。
http://www.kazandogakukai.com/_d269122444.htm
「が」の使い方は、少々おかしくても、止む得ないと思った方が、気楽で良いと思います。
 
「こそ」は、「強調」「選択」と思ってください。
「あの人こそいい先生です」 = 「あの人は(本当に)いい先生です」「たくさんいる先生の中でも、いい先生です」
 
日本語に慣れている人が「あの人がいい先生です」と言った場合は、「(いま)話題にしていたいい先生というのは、(多くの先生がいる中で)あの人のことです」という意味合いのことが多いです。つまり「あの人こそいい先生です」と似た感じです。
似た感じというのは、実は使い方が違うからです。
「あの人こそいい先生です」は、話しの直前の話題・主題が「あの人」であるケースが普通ですが、「あの人がいい先生です」は、話しの直前の話題・主題が「いい先生」であるケースが普通なのです。
 
早く使い分けを覚えたい場合は、文法書ではなくて、会話文が多い現代小説を音読するとか、テレビラジオなどの会話を口まねで繰り返す方が良いと思います。「習うより慣れろ」が良いと思います。

「が」の使い方は、簡単には説明出来ません。特に日本語圏で育っていない方に意味や用法をお伝えするのは、かなり大変です。
勉強したければ、下記サイトも参考にしてください。
http://www.kazandogakukai.com/_d269122444.htm
「が」の使い方は、少々おかしくても、止む得ないと思った方が、気楽で良いと思います。
 
「こそ」は、「強調」「選択」と思ってください。
「あの人こそいい先生です」 = 「あの人は(本当に)いい先生です」「たくさんいる先生の中でも、いい先生です」
 
日本語に慣れている人...続きを読む

Q「同じくらい」と「同じぐらい」とはどう違う?

いま、ある文章を書く依頼を受けています。
書いていて気づいたのですが、「同じくらい」と「同じぐらい」とは、どちらかが正しいのでしょうか?
また、なぜ2種類あるような印象があるのでしょう?

教えていただければと思います。

Aベストアンサー

通信社・新聞社の用字用語辞典(*)では、
助詞(副助詞)としての「くらい」「ぐらい」に触れていないか、あるいは用例のみを示すにとどまっています。
(*)時事通信、共同通信、朝日新聞、毎日新聞、読売新聞

唯一、『NHK ことばのハンドブック』には、以下の説明があります。
------------------------------
~くらい・~ぐらい
 「このくらい(ぐらい)の広さ」「10歳くらい(ぐらい)の子」
などの「くらい」「ぐらい」は,どちらを使ってもよい。
 以前は,次のような使い分けが行われていた。
(1) 体言には「ぐらい」が付く。
(2)「この・その・あの・どの」には「くらい」が付く。
(3) 用言や助動詞には,普通は「ぐらい」が付くが,「くらい」が付くこともある。

 「ぐらい」と連濁する場合はひらがな表記も濁音表記とする。
 〈例〉10歳ぐらいの子
------------------------------

以前は使い分けが行われていたが、現在は「くらい」「ぐらい」のどちらでも良いという説です。

手もとの国語辞典(*)には、どれも「くらい」の主見出しで名詞の「位」と、そこから転じた副詞(副助詞)の「くらい」の解説がありますが、ほとんどは『「ぐらい」とも』としています。「ぐらい」は参照見出し(空見出し)になっています。
(*)新明解、広辞苑、岩波、大辞林、明鏡

『明鏡国語辞典』だけは、「くらい」の項の最後に以下の説明がありました。
----------------------
[語法]
「くらい/ぐらい」は、今は区別なく使うが、伝統的には、体言には「ぐらい」、コソアド系の連体詞には「くらい」、活用語には「ぐらい」「くらい」ともに付いたという。
----------------------

結論として、
伝統的には使い分けがあった。
現代語ではどちらを使っても間違いではない。
というのが、事実上の正解でしょう。

現実には、個人の言語感覚によってかなり差があると思います。年代差や地域差もあるかもしれません。


ここまで書いて、以前別の場所で同じような話があったことを思い出しました。

『きょうのことばメモ』
  〔早稲田大学の飯間先生(日本語学)のブログ〕
http://yeemar.seesaa.net/article/14552277.html
「くらい」の清濁 2006年03月09日

「以前は」「伝統的には」というのは、江戸時代の頃のようです。

通信社・新聞社の用字用語辞典(*)では、
助詞(副助詞)としての「くらい」「ぐらい」に触れていないか、あるいは用例のみを示すにとどまっています。
(*)時事通信、共同通信、朝日新聞、毎日新聞、読売新聞

唯一、『NHK ことばのハンドブック』には、以下の説明があります。
------------------------------
~くらい・~ぐらい
 「このくらい(ぐらい)の広さ」「10歳くらい(ぐらい)の子」
などの「くらい」「ぐらい」は,どちらを使ってもよい。
 以前は,次のような使い分けが行われて...続きを読む

Q「見せて頂く」という日本語の使い方は正しいですか。

最近「○○させて頂く」という言葉遣いをよく耳にしまして、凄く気になるので気をつけてはいるのですが…

例えば会社などで、「資料作らせて頂きました」とか、「私が担当させて頂きました」などははっきりとおかしな使い方なのだと分かります。

又逆に「フリーペーパーを(お店に)置いて頂く」ですとか、「お客様にお召し上がり頂く」などの使い方は間違ってないのだと判断しています(あってますか??)。

ただ、この間「出来上がった写真を見せて頂く」のような表現を耳にしまして、この使い方は正しいのだろうかと思い、質問しました。
『拝見した』『お見せ頂いた』など別の言い方も考えられると思うのですが、「見せて(或いは見させて)頂く」自体はどうなのか。どなたかご教授お願い致します。

Aベストアンサー

コールセンターの管理に従事していた関係で、敬語の使い方については気になります。私の思うことをコメントさせていただきますので、正しいか否かは分かりません。

先ず、「資料作らせて頂きました」、「私が担当させて頂きました」については、質問者様は正しい使い方はどのようにお考えですか?(参考にさせて頂きたいので。←このように使ってしまうのです^^;)

恐らく二重敬語になっているのでは?とお考えなのでしょうか?
敬語は基本的に「動詞+れる(られる)」や、「動詞+~せて(させて)いただく」となっているので、「作る+られる」と「頂く」が重なっているため二重敬語と判断できると思います。
なので私が校正するのであれば「資料を作成致しました」が無難だと考えます。故に後者も「担当『させて』『頂く』」が二重敬語と判断し、「私が担当致しました」となるかと思います。

ですが、既に回答されている方のコメントにもありましたが、日本文化の相手の関係性から自身を「へりくだる」表現として、二重敬語は当たり前のように使われていることも事実です。「日本語」としては正しくなくとも、慣例化されている例と言えるのではないかと思います。

明らかに間違いと言えるかどうかは「尊敬語と謙譲語を誤って使用する」ことではないでしょうか?ですので、この例では二重敬語ではありますが、明らかに間違いか?と言えば・・・日常生活の上では、そうとも言い切れない気がします。(日本語としては正しくありませんが。)

では次ですが厳密には前後の文にも関わってくるかと思うのです。(それは最初の文もそうなのですが)

敬語には正しく分類すると3種類ありますよね?
尊敬語、謙譲語、丁寧語。なので、会話している相手との関係性や、文章全体として成立しているか否かなどの判断が必要になると考えます。

「フリーペーパーを(お店に)置いて頂く」
↑の場合、関係性は相手が上、自分が下とハッキリしたものがあるので、使う言葉は尊敬語+謙譲語になります。「お店に置く」という行為はお店側に対して尊敬語として表現すべきだと私は考えるのですが、そうなると「置かせていただく(=動詞+~せて(させて)いただく)」が正しいのではないかと思います。

「お客様にお召し上がり頂く」
↑これは文章として抜粋の形式で「~頂く」の後にどのような文章が続く前提なのかによって回答が違う気がします。

誰かにお客様へ「このお菓子をお客様に食べてもらって」と依頼(命令)するような想定では、「お客様にお出ししていただけますか?(依頼系の丁寧語)」という表現が適切のように思います。
恐らく、お客様の前で「お客様」とは言いませんので、お客様に食べていただく「前提」か「報告」になるのかと想定するのですが、「報告」の場合は「お客様『に』」という「てにをは」の部分で違和感が生じるので、「報告」では「お客様『は』お召し上がりになりました」でよいように思います。

さて、前置きが既に長くなっておりますが、本題の「出来上がった写真を見せて頂く」も、会話の相手や会話の流れで異なるように思います。
正しいか正しくないかだけで言えば、「動詞+~せて(させて)いただく」の文章で構成されているので正しいと言えます。

ここで「拝見」という動詞を変形させた尊敬語が登場するわけですが、「見せていただく」を「拝見」という言葉に変化させる場合には、より丁寧な尊敬語を使っているという認識かと思うのです。

分かりやすい例で申し上げますと、「~です。~ます。」という「ですます調」という言い切り方がありますが、これは丁寧語です。なので敬語となるわけですが、より丁寧に表現するのであれば「ございます」という言葉に変化します。

「見せてもらう」という行為を第一段階で丁寧にするなら「見せていただく」。もう一段階アップするのであれば「拝見する」となると思うのです。

「出来上がった写真を見せて頂く」も文章として言い切ってない(終わっていない)ので、前後の流れでの変化が予想されますが、いくつか例を挙げてみます。

<許可を取る>
Lv1:「~見せて頂いても宜しいでしょうか?」
Lv2:「~拝見しても宜しいでしょうか?」←ここで「拝見『させて』を使用するのは明らかに二重敬語です。

<事後報告>
Lv1:「~見せていただきました」
Lv2:「~拝見致しました」←するの丁寧語は「致す」です。

仕事柄、日本語を正しく使う勉強をしているものの、正しいか正しくないかということだけでなく、慣例化されている言葉は沢山あることも学びました。

よく「とんでもございません」と耳にしたり、お使いになる場合もあるかと思いますが、これは日本語としては全く正しい言葉ではありません。正しくは「とんでもないことでございます」となります。ですが、そのようにおっしゃっている方は・・・私はお会いしたことはありません。

日本語はとても美しい言葉だと思っているので、私ももっと勉強して正しく綺麗な日本語を話せるよう努力したいと思っております。

コールセンターの管理に従事していた関係で、敬語の使い方については気になります。私の思うことをコメントさせていただきますので、正しいか否かは分かりません。

先ず、「資料作らせて頂きました」、「私が担当させて頂きました」については、質問者様は正しい使い方はどのようにお考えですか?(参考にさせて頂きたいので。←このように使ってしまうのです^^;)

恐らく二重敬語になっているのでは?とお考えなのでしょうか?
敬語は基本的に「動詞+れる(られる)」や、「動詞+~せて(させて)いた...続きを読む


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