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わたしは文学研究などしたことがなく,文学作品を読んでもただ面白かった,つまらなかったぐらいの個人的な読み方で終わります。
大学生だったときも文学研究の授業は取りませんでした。
その一方で,文学作品(特に現代)を研究対象として何らかの分析を行う場合(例えば大学での授業などで)があるかと思いますが,
その際,なんらかの理論的枠組み(ニュークリ以降様々な理論←聞きかじりですのでどのようなものか分かりませんが)を前提にして行われているのでしょうか?

つまり,(わたしのような)単なる感想・印象的な語り方と,研究論文とを分かつ境界線は,
単に実証的あるいは論理的な語り方の違い,あるいは新しい解釈にあるのか,
それとも理論的枠組みが前提となったうえでの語り方の違いにあるのか。
そのあたりのことをご教示くださる方,
またはこんな本を読んでごらんなどのアドバイスでもいいのでよろしくお願いします。

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A 回答 (5件)

NO.3です。


もしや、dddluidddさんの質問の意味が、「文学作品の良し悪しを決める物差しがあるのではないのか?」という意味もあるのではないか、というふうに思ったので、再度、書きます。
私も、大学に入るまでは、「私が、この小説をいいと思ったら、他の誰がなんと言おうと、この小説はいいんだ」というふうに、思っていますた。
文学とは、情緒でいいんだと。

「文学史」というものがあります。
文学史の本は、どこの書店でも売っています。
どれも、似たようなものです。
たとえば、白水社は、イギリス文学史や、フランス文学史、ドイツ文学史、といった本を出しています。(たぶん、日本文学史もあります)。
文学史を勉強すればわかることは、文学には流れがあり(歴史と不可分です)、ときどき、画期的な作家や、画期的な作品が現れるということです。(これが、有名作家であり、有名作品です)
これは、個人が、その作家や作品が、好きとか嫌いとかとは、関係ありません。
また、いい作品、たいして良くない作品、というのもあります。
より古い作品、より新しい作品というのもあります。
これも、個人の好き嫌いとは関係ありません。

誰が、それを決めるのかと言えば、読めばわかることです。
まともに文学を勉強している人の間で、作家や作品の良し悪しが、問題になることはありません。

もし、文学を勉強してみたいと、お思いになったのなら、どこかの大学の聴講生になるとか、放送大学で勉強するとか、自分で本を読んでもいいと思います。
簡単なのは、白水社の文庫本で、まず、歴史を通読してから、文学史を読み、文学史の中にでてくる作品を読んでいくことです。
たくさん読まなければ、相関関係がわかりません。
ひとつの作品は、必ず、前の時代の作品の影響を受けています。

文学の切り口は、いろいろあり、論文にも、良し悪しがあります。
知りたければ、どこかの大学の文学研究の雑誌を借りて読むことです。
テーマも、大きなものから、小さなものまで、いろいろあります。
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私も、そういうモノがあるんじゃないかと思って、文学部に入りました。



体系、はありません。
ただ、歴史抜きに、文学は語れないので、歴史は、勉強します。
古語(外国文学なら、そこの国の昔の言葉)も勉強します。
また、その国の文学に影響を与えた、外国の文学も勉強しないといけません。(その国の言葉や歴史も)
また、作品の時代背景も、知らないといけません。
ジャーナリズムや、政治、当時の習慣、価値観等、知れば知るほど、奥が深くなります。

文学では、自分の価値観、文章が、大切です。

文章で書かれたものは、全て、研究対象なので、勉強しようと思えば、いくらでも勉強できます。
自分の得意分野を広げることもできます。
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 理系文学待望論 ~ さらば、余りに文系的な文学談義 ~
 
 わたしは中年をすぎて自伝に着稿して、読みそびれていた尾崎 一雄
《虫のいろいろ 194801・・ 新潮》を読みかえし、ラフカディオ・ハーン
もまた同じような感想を述べていることに興味を抱きました。
 
── これは、真の「昆虫世界のロマンス」への、ほんの序説に等しい。
── Hearn, Lafcadio《虫の研究・蟻》
── 小泉 八雲/平井 呈一・訳《怪談 19650916 岩波文庫》P180
 
 つられて、ファーブル《昆虫記》を読んでみると、これこそまさしく
文学作品なのです。昆虫のように人間を観察すれば、ほんとうに意味の
ある(科学的根拠のある)理系文学が出現するのではないでしょうか。
 
── 人間を低くし、動物を高めて、接触点を作り、次いで同視する点
を設ける。これが現在流行している高遠な学説の一般的方向であった。
また今日でもそうだ。ああ、この至高の学説──これは今の時代の病的
流行である──の証明の中には、大学者エラズマス・ダーウィンのあな
ばちのようにお笑い草に終るものがどれくらい、堂々と主張されている
ことか、実験の光に照らしてみたらわかることだろう。  
── 山田 吉彦・林 達夫 訳《ファーブル昆虫記(一)19930616 岩波文庫》P149
 
 かつての“女子大生亡国論”のように、われわれは文学を落としめ、
いやしく虚しい興味に奉仕させてきたのかもしれません。
 さらにこのことを確信したのは、つぎのテレビ番組でした。
 
 ◇
 
 鼎談 ~ シンポジウムの三賢人 ~
http://oshiete1.goo.ne.jp/qa3922420.html
 以下は、上記の質問の回答として書きつけた未完草稿です。
 
「ある時ふと、おばぁちゃんのことを思いだす。この現象はなにか?」
 ヒトに関する数々の不思議のなかで、最後の謎は“記憶”ではないか、
という利根川教授の提言である。
 
 これに対して、大江氏は「科学を賞賛しつつ疑いもする思想」を紹介、
「これからは、ダライ・ラマのような神秘的な思想家に期待すべきでは
ないでしょうか」さすがに、司会の立花氏も苦笑しながら、とりなした。
 
「ダライ・ラマは、選挙じゃなく、3歳のころに儀式で選ばれたんです。
お菓子とお金と数珠を並べておいて、数珠を選んだから、という理由で」
 すると大江氏は「あぁ、そうですか」と答えただけだった。
 
 そこで利根川教授は、すこぶる興味ある事実を述べた。
「わたしの研究室では、来年の課題を“文学”と決めることもできます」
 これには、作家とノンフィクション作家も、黙りこんでしまった。
 
── 大江 健三郎・利根川 進・立花 隆(司会)《21世紀への創造
~ ノーベル賞受賞者フォーラム(十回記念)東京第3セッション ~
19981118 専修大学 1119 札幌グランドホテル》読売新聞社&NHK(共催)
 
(注)
 
 利根川教授は、ノーベル文学賞作家が“化学”というテーマでは小説
を書けないことを、ずばり指摘してしまったのです。
 もちろん悪意は感じられませんが、致命的な揶揄ですね。
 
 わたしは、学生時代は理系劣等生でしたが、社会人となって、情緒的
な感性が、しばしば問題をややこしくすることに気づきました。
 偏差値の格差には疑問がありますが、論理学は理系の領域でしょうね。
 
 わたしは最近、東京工業大学で文学概論を講じた作家の、現役引退後
のWeb日記を沐読(もっぱら浴槽内で読書)しています。
 《源氏物語》の恋愛は「ほとんど事後承諾のレイプだった」などなど。
 
 秦 恒平 作家 19351221 京都 東京 /保富 康午の義弟/秦 建日子の父
http://umi-no-hon.officeblue.jp/iken15.htm
 闇に言い置く 私語の刻 20021001-1231
 
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私が知り合いの文学教師に質問者さんと似たような疑問をぶつけたとき、彼は以下のように答えてくれました。



Q.作品を読んで面白いか、つまらないかなんて、読者によって違うとしたら、文学研究ってどんな意味や価値があるの?

A.面白いと思ったからには、面白いと思わせた原因・理由が必ずあるはずだから、それを徹底的に明らかにしたいと思うヤツが文学研究に溺れるのよ。
学生のレポートだって、こういう動機で書かれていれば面白いし、エライ文学博士の大論文だって、こういう動機に裏打ちされていないものは読んでいてつまらないよ。

*読み手毎に違った読み方をするのは当然のことで、正しい一つの読み方があるわけではないし、それに一本化する必要もないようです。
ただ、各自にそれぞれの読み方をさせた原因・理由がある以上、それを深く追及していけばいくほど、結果的に一つの作品解釈に近づいていくのだと思います。

Q.ニュークリティシズム、構造主義、脱構造主義、テクスト論、フェミニズム、心理的、社会的、歴史的方法等々、いろんな研究・分析理論があるらしいけど、どれが一番有効だと考えている?

A.どの理論を用いても、結局その理論の鏡に映った作品像しか見えてこないさ。
でも、バカなヤツほど、どの理論が一番実証的だとか、優れているとかということばかり言いたがるんだ。
理論的、厳密であると言ったところで、流行の理論を振りかざしたり、その提灯持ちになることではなく、自分の導き出した自説なり、主張なりに対して、どれだけ徹底してその根拠なり、理由なりを追及しようとするかどうかの問題にすぎないんだ。

*要するに、どんなに立派な理論(公式)を適用しようと、それに依存して、考えるのをサボってしまうのでは、文学研究に限らず、立派な研究なんて生まれないようです。
とすれば、やはり最後に頼るべきは、自分の活き活きとした旺盛な懐疑精神になるのかな、という気がします。

>(わたしのような)単なる感想・印象的な語り方と,研究論文とを分かつ境界線は,
単に実証的あるいは論理的な語り方の違い,あるいは新しい解釈にあるのか,

もちろん、専門分野にはそれなりの専門用語や約束事があるとは思いますから、それに多少でも通じていた方が便利だと思いますが、こと文学となると、他でもなくわれわれが使用している言語を媒介なり、素材にして構成されていますから、誰でも専門家以上の分析なり、批評なりができる可能性を持っているような気がします。
もちろん、「単なる感想・印象的な語り方」が「研究論文」より劣っているなどということはありえないと思います。

ただ、私の経験では、自分で「単なる感想・印象的な語り方」だと思い込んでいたところ、友人から、「お前のは本当の自分固有の感想や印象ではなく、そこいらに転がっている凡俗な型にはまった読み方を、そうと自覚しないで拾い集めてきただけ」と言われて驚いたことがあります。
本当の意味での自分の「感想・印象」となると、それを見つけるのは実は大変難しいのだと感じさせられた次第です。
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この回答へのお礼

>どの理論を用いても、結局その理論の鏡に映った作品像しか見えてこないさ。
>でも、バカなヤツほど、どの理論が一番実証的だとか、優れているとかということばかり言いたがるんだ。

うーん,納得です。

>本当の意味での自分の「感想・印象」となると、それを見つけるのは実は大変難しいのだと感じさせられた次第です。

こう感じられるのは,やはり対話からしかありませんね。
最近の批評はなんとなくひとりよがりとしか思えないものが目についていたので,今回の質問に至ったのかもしれません。
回答ありがとうございました。

お礼日時:2008/07/06 15:20

先ずはシンプルに興味、好みで読む、触れる部分は前提で良いと思うんですよ。

それとは別の部分で視点やその時代背景、テーマなどを意識しながら作品を吟味咀嚼する事で漠然とした読み方に変化をつけることが出来ますし、メッセージ性についても向かい合う事が出来ますからね。
そこをさまざまな視点から考えていく事が研究やディスカスのテーマにもなりますから☆
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この回答へのお礼

「唯一の正しい」解釈というものが存在しないように思われる以上,
大学での文学研究は結局のところ解釈の過程が重要になってくるのでしょうね。
不毛なようでいて面白そう,面白いけど不毛,そんなところでしょうか。
回答ありがとうございました。

お礼日時:2008/07/06 15:09

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Q文学の研究ってどうやるのですか?

社会人ですが、大学院に行って児童文学の研究をしたいと思っています。
が、大学時代は哲学・社会学系の学部でしたし、そもそも教官から指導らしい指導を受けていない(図書館にあった文献を何冊か読んで、内容を適当にまとめて提出したらAをもらえた)ので、テーマの決め方や研究の手法、論文の書き方などがよくわかりません。
文学系の研究について、わかり易く説明した本があればご紹介ください。
なお、ひとつの作品の一字一句を細かく分析・批判するような研究よりも、作品や作家の社会的・歴史的な意義を考察するとか、あるジャンルの作品群の歴史的変遷を調べるいった、大きな視野での研究をしたいと思っています。
よろしくお願いいたします。

Aベストアンサー

#2です。お礼欄拝見しました。

>それぞれの分野の中でも、○○という着眼点・手法で論じる方法はもう古いとか、限界があるとか、最近は○○のような切り口から論じる研究者が現れている、といった研究の歴史みたいなのがあります。

たとえば社会学の方法論のひとつに、機能主義というのがありますね。
そこからパーソンズは構造機能主義を提唱し、さらにそれを批判するかたちで、60年代に入ってルーマンの新しい社会システム理論が出てくる。
こうした社会学の「研究の歴史」というのは、社会学理論の歴史にほかならないのではありませんか。

#2で言いたかったのは、内容(理論)があって、方法がある、というように、「方法」はそれだけ取り外して考察が可能なものではない、ということです。
したがって、研究方法の変遷を見るということは、とりもなおさず理論の歴史を見ていくということになると思います。

>#1の回答の方が「現在の文学研究では、こういうやり方が成り立つかどうか自体が論争課題になっていると」とおっしゃっているように、

『文学の思考』を検索してごらんになると分かるかと思いますが、
http://www.utp.or.jp/shelf/200002/083028.html

扱っている内容は文学理論です。
この本はわかりやすくて良い本だと思うんですが、ある程度、受容理論などの基礎タームを理解していることが前提となってくると思います。

>文学研究にも歴史があり、過去にこんな方法で研究をした流派があるとか、今、○○や○○が盛んに研究されているとか、○○的な方法は現在では否定されているとか、新しいところではこんな研究が登場している、といった流れがあると思うのですが、いかがでしょう。

文学理論の歴史でしたら、テリー・イーグルトンの『文学とは何か』(岩波書店)をあげておきます(この本はここで過去三回ほど紹介しましたが、ほんとによくまとまっていて良い本です。多くの大学でテキストとして用いられています)。
文学研究の誕生した18世紀から、最先端のポストコロニアリズムまで、文学研究の流れの大枠は理解できるかと思います。
巻末に参考文献のリストもついています。

そのほかには
土田知則・神郡悦子・伊藤直哉著『現代文学理論 ―― テクスト・読み・世界』(新曜社)
キーワードを手がかりに、さまざまな文学理論が簡潔に説明してあります。手元においておくと、便利かも。

あとはやっぱりはずせないのがウラジミール・プロップの『昔話の形態学』(白馬書房)でしょう。
プロップは理論的系譜でいくと、ロシア・フォルマリストの一員なんですが、この人たちは、言語ばかりでなく、小説や映画にも固有の「文法」があると考えた。プロップは膨大な量の魔法昔話を収集し、話型に分類することで、昔話の「文法」をあきらかにしようとしたのです。
物語論(ナラトロジー)もここから始まっていくし、童話などを研究していくときにも、絶対出てくると思います。

逆にグリム童話を取り上げて、そこからプロップの形態学や精神分析批評、フェミニズム批評などさまざまな文学理論を浮かび上がらせていくマリア・タタール『グリム童話――その隠されたメッセージ』(新曜社)もおもしろい。

おまけとして神宮輝夫の『世界児童文学案内』が電子テキスト化されてここで読めるのであげておきます。
http://www.hico.jp/ronnbunn/jinguu/sekaijidou/sekaijidoumokuji.htm

YAの歴史をたどった本としてはMichael Cartの"From Romance to Realism: 50 Years of Growth and Change in Young Adult Literature"が気にはなってるんですが、まだ読んでいません。

http://www.amazon.com/exec/obidos/tg/detail/-/0064461610/103-4086258-4175803?v=glance

#2です。お礼欄拝見しました。

>それぞれの分野の中でも、○○という着眼点・手法で論じる方法はもう古いとか、限界があるとか、最近は○○のような切り口から論じる研究者が現れている、といった研究の歴史みたいなのがあります。

たとえば社会学の方法論のひとつに、機能主義というのがありますね。
そこからパーソンズは構造機能主義を提唱し、さらにそれを批判するかたちで、60年代に入ってルーマンの新しい社会システム理論が出てくる。
こうした社会学の「研究の歴史」というのは、社会学理論の歴史にほ...続きを読む

Q文学レポートの書き方を教えてください。

現在、レポート真っ最中です。

文学でレポートを提出するよう指示されました。
その内容が

・作品の中で最も興味を抱いた登場人物を選び、その人物に作品を分析
・あらすじでも感想文でもない
・何故、取り上げるのか
・その人物は作品の中でどのような位置づけになっているか
・他の人物との関わり

などを具体例と共に書き込む

とのことなのですが、
感想文とどう違うのでしょうか。

上記のように具体例をあげてくださったものの、作品分析とは一体なんなのか。
最終的に何を書いていいか全くわかりません。

また、文中もどのように書き、展開していけばよいのかさっぱりわからないのです。

私は昔から文系は苦手でレポートに戸惑っています。
皆さん忙しいかと思いますが、よろしくお願いします。

Aベストアンサー

こんばんは。レポート大変そうです。私も大卒なのでレポートの大変さはよく判ります。私が過去書いた書き方でよければお教えします。参考になれば幸いです。

まずレポートは自分が考えて答えにいたったその”答え”から書き始めるのが普通ではないでしょうか。そのあとからその答えに至った経緯を説明していきます。
中身ですが、質問にもある通りその5点を頭に入れて書いていけばいいと思います。こだわる必要はありません。多分、あくまで”例”としてあげてくれていると思います。
例えばですが、小説を挙げてみましょう。主人公では面白くありませんので脇役とします。
その脇役からみた”主人公”ですとか時代背景、いろいろ書けると思います。要はその登場人物になったつもりで作品を説明していけばいいかと。

レポートですから
1)
2)
3)・・・なんて感じでまず見出し、で、それについての説明で私は書いていました。私の場合、経済だったので細かくはアレンジした方がいいかと思います。具体例を見出しにしてはどうでしょうか?それについて自分の考察を下に書いていくわけです。

いきなりは難しいと思いますので、自分の言いたいことをまずメモ書きでいろいろ書き出してみてください。それに順番をつけていくのもいいと思います。

こんなところでどうでしょうか。同じレポートをやっている友人に展開を聞くのもいいでしょう。私のやり方を書いてみましたが、個人によってそれこそその個人分のやり方があると思いますので他の方の意見もあるといいですね。
長くなりましたが、がんばって完成させてください。

こんばんは。レポート大変そうです。私も大卒なのでレポートの大変さはよく判ります。私が過去書いた書き方でよければお教えします。参考になれば幸いです。

まずレポートは自分が考えて答えにいたったその”答え”から書き始めるのが普通ではないでしょうか。そのあとからその答えに至った経緯を説明していきます。
中身ですが、質問にもある通りその5点を頭に入れて書いていけばいいと思います。こだわる必要はありません。多分、あくまで”例”としてあげてくれていると思います。
例えばですが、小説を挙げ...続きを読む

Q面白い近代文学作品・作家を教えてください

来年度、卒論でひとり作家を選び、その作家の作品について様々な研究をします。
しかし…日本文学を専攻しているのに、近代文学ってつまらないような気がして今までほとんど読んだことがありません!なので、どの作家を選んでいいのか困っています。
おもしろい作品に出逢えたらいいな、と思うので、おすすめがあればぜひ教えてください。

Aベストアンサー

 どの辺りから、近代文学に分類されるのかが分からない程度のものです、はじめまして。
私も日本文学が苦手です。内輪のことをぐだぐだ言っていて、スピード感がないのがまずいやですね。でも、梶井基次郎の「檸檬」はいいです。ものすごく短い作品ですがキレが違います。「闇の絵巻」なども気に入ってます。対象から距離をとっていたくせに、一瞬間合いが縮まる感じが巧いと思います。
 それから、坂口安吾もひねくれた感じで、バサバサ斬ってて気分爽快です。「堕落論」。

Q文学は何の為に存在するのか? 文学の存在意義・定義・役割

タイトルの通りです。

文学は何の為に存在するのでしょうか? 社会における文学の存在意義・定義・役割とは何でしょうか? 
無知で大変恐縮ではありますが、他に言い様が無いのであえてストレートに質問させて頂きます。

これにまつわる回答をお持ちの方、意見、ご事情などをご存知の方がいらっしゃいましたら、小さい事でも構いませんので教えて下さい。
同意、反論、ご指摘など何でも結構です。
あるいは私が後述で雑感を記載しておりますので、これに対するご意見があればお願い致します。

尚、私自身は極力本を読むようにしていますが、ここにいらっしゃる皆様方と比べて、読書量は全く少ないであろう事だけ先に申し上げておきます。

佐藤優は亀山郁夫との対談で「文学はインテリと話す為の方便」とバッサリ切っており、私も文学と呼ばれるものに対して、実用にはこの編(会話の種)くらいしか使えないのではないかと思うのです。つまりは実用には耐えないが、芸術的な部分で残っているのかな、と推測しているのですが、そうした場合、大学における文学部の位置が芸術的な位置に行くのかと思いきや、現在はパッと見、実学的な位置に置かれているように思えてなりません。
文学は一見何の役にも立たないように見えるけれども、実はこうした部分でかなり役に立っているんだよ、という部分があるのではないかと現在想像しているのですが、皆目どの部分で現実の社会に対して役に立っているのか分からないので質問させて頂きました。

以下、私が思う雑感です。

1.
「怒りの葡萄」は資本主義における社会的欠陥を問題提起しており、社会に対して注意喚起をするという媒体として役に立っておりますが、これは別に当時のニュースや歴史書でも良い。あるいはその事件を発端とした批判や感想などでも良く、最終的に伝えたいメッセージを搾り出す前に「怒りの葡萄」は不要な描写が多すぎるのです(情景の描写など)。

2.
国語力をつけるというのであれば新書などを読めば事足りるのではないかと思うのです。
無論、基本的な部分で国語力をつける為に必要最低限の本は読むべきなのでしょうが、それが今現在、文学を残す為の理由とするには弱いように思えます。

3.
文学から日本国体の体現の為の下地を作るという実用もあるかと思いますが、
枕草子なんかを読んで「ああ、そうそう」と共感を得たり、
芭蕉の俳句で”閑さや岩にしみ入る蝉の声”を読めば「こんなんあるわー」と思ったり、
そうした感覚というのは文学ありきではなく、日本人として自然に身に付く感覚なのだと思うのですね。
むしろ、日本人の教養としては、古典や名文の前に「学問のススメ」などの社会生活を送る際の気構え入門書のような実学的なものを読むべきだと思うのです。

また、上述で挙げた名文を読む際に感動はあるのですが、それでは近年の文学で良作とされるノーベル文学賞を受賞した川端康成の「伊豆の踊り子」を読んだ時に感動はあるかというと、私見ではありますが感動を受ける事ができませんでした(川端ファンの皆様、申し訳ございません)。

霊長類たる人類が作り得る文化遺産を残す為、あるいは何か人に思想やら感覚やらのテーマを与え、文化的な感動を与えたり、冷酷な事実を突きつける事が文学の役割かなと思っておりましたので、個人的な評価ではありますが、普遍的テーマとしての感動が無い作品郡を書いている方が賞で評価される、といった面を鑑みると、川端康成が世間的に評価されている手前、文学というものの意義というのは私が考えている文学の存在意義と乖離しているのではないのかな、と疑問に思ったのが発端でした。

4.
文章を後世の人の魂が震える綺麗な形で残すのも文学の役割なのかな、とも思っています。
「知もて露西亜は解し得ず。ひたぶるに信ずるのみ。」
「知識を持ってロシアという国は理解する事はできない。ひたすらに信じるしかない。」
という二つの文はどちらも最終的な意味として同じものですが、どちらかというと前者が人に感銘を与える、文学的である、そして上の文を残すべきだと私は思っているのですが、これは当たっているでしょうか? 

伊豆の踊り子、斜陽、シェイクスピア4大作品、カラマーゾフの兄弟(現在は上巻のみ読了)などを読み、時間を浪費した、という感じが拭えません。
この文学というジャンルはこれからも読む意義や意味があるのだろうかと、時間を割いて読む必要があるのかという疑問が沸いております。
そこで、文学の存在意義、意味を知れば、そうした観点から文学の実用的意義が見出せるのではないかな、と感じました。

乱文になってしまった部分もあるかと思いますが、どなたか思う所がある方がいらっしゃいましたら、ご教授頂きたく宜しくお願い致します。

タイトルの通りです。

文学は何の為に存在するのでしょうか? 社会における文学の存在意義・定義・役割とは何でしょうか? 
無知で大変恐縮ではありますが、他に言い様が無いのであえてストレートに質問させて頂きます。

これにまつわる回答をお持ちの方、意見、ご事情などをご存知の方がいらっしゃいましたら、小さい事でも構いませんので教えて下さい。
同意、反論、ご指摘など何でも結構です。
あるいは私が後述で雑感を記載しておりますので、これに対するご意見があればお願い致します。

尚、...続きを読む

Aベストアンサー

1.

フーバービルまで辿り着けなかった私が言うのもなんですが。
情景描写対象に何を選ぶかに関しては、作家のこだわりというものがあります。

これは私見なのですが、作家が何かをしつこいぐらい描写するとき、その描写対象を深く愛している場合が多い。きっと「俺の中のこれを文章で再現したいんだよ!」と必死で頑張っているので、温かく読み飛ばしてあげてください。ジェイムズ・ジョイスの『ユリシーズ』なんか、なぜか無駄に猫描写がありますし。もちろん、単に小道具みたいな感じで、より物語を現実らしく見せるためだけに書かれる描写もありますが。

言いたいことを物語に仮託する作家の中には、自分のことを直接言うのが気恥ずかしいと思っている方々がいます。照れ屋さんなんです。そういう方々は、物語の中の「私」とか「彼」に自分の意見を言わせるんですよ。物語だと「神を信じる」「神を信じない」というような矛盾した考えが同じ人間に生じたときにも、別々のキャラクターに言わせることができます。そうすれば無神論者だとかつっこまれても言い訳が可能です。
言論弾圧されている場合もしかりです。太宰とかあれな作風なのでナルシストとかいろいろ言われますが、戦時中に戦争礼讃の文学なんて一行も書きませんでした。

何を言いたいか、ということよりも、物語を通して、読者にある世界を追体験させたいと思っている作家達がいます。
ミヒャエル・エンデは読者にこう問いかけます。

「小説でカフカが言わんとすることが、評論家がその小説を解釈して述べることであるとすれば、なぜカフカはそれをはじめから書かなかったのでしょうか?」

安部公房はインタビューでこう答えます。

「日本の国語教育というのは、文章があれば必ず「右の文章の大意を述べよ」とくる。文学作品というのは、大意が述べられるという前提、思いこみ。ぼくの作品も教科書に載っているんですが、「大意を述べよ」といわれたら、ぼくだって答えられない。 ひと言で大意が述べられるなら、小説書かないですよ。 小説というのは、まだ意味に到達していないある種の原型を、作者が提供し、読者はそれを体験する。際限なく読み尽くせるでしょう。無限の情報ですよ、現実は」

二人ともカフカに強い影響を受けているのは、興味深いですね。

2.

まあ、役に立たないと言えば、立たない。単なる趣味です。でも古典を読むようになって、ときどき身につまされることがあります。それは、今私達が何気なく日常的に使っている言葉でも、昔の作家が発明したり、頑張って翻訳した言葉だったりする、ということ。
例えば、「猟奇」は「curious hunting」を、佐藤春夫が訳したものです。

3.4.

実学のほうが、確かに万人に受けいれられる「価値あるもの」かもしれません。でも、どうでもいいようなものに慰められることってありません? 道端に咲いている雑草とか、つまらない冗談とか。
文学って、そんなどうでもいいものに似ていて、誰にでも届くものじゃないと思っています。メッセージボトルなんですよ。同じように思っている人間には届くけど、届かない人間もいる、みたいな感じ。要するに合わない人にはとことん合わない。川端がだめな人もいるし、太宰がだめな人もいる。

私が大好きな作家に開高健という方がいて、なぜ書くかと聞かれたときに、「助けてくれのひとこと」だと言っています。また、どんなに絶望的なことを書いていても、字でものを書いている限り、作家はヒューマニストなんだ、とも。
信じられないかもしれないけど、世の中に絶望しきっていて、書かないと死ぬってタイプの人間は確実に存在します。
愛する妻の死後に広島で被爆した原民喜、アウシュヴィッツから生還したプリーモ・レヴィ……
二人とも最期は自殺してしまったけれど、本当に物語を書いていてくれて良かった、と私は思います。

こんな風に必死に文章を書くことで、精神的危機を乗り越えている作家が特に多いのは、文学、今では純文学と呼ばれている分野なんですね。なぜって、絶望的なことだけを書いてもエンターテインメントにはなりにくいから。だからサブカルチャーを楽しむことが多い私は、純文学の偉そうな雰囲気を腹立たしく思いつつも、存続してほしいと思っています。

思うところを書いていたら、長文・乱文になってしまいました。読みにくかったらすみません。

1.

フーバービルまで辿り着けなかった私が言うのもなんですが。
情景描写対象に何を選ぶかに関しては、作家のこだわりというものがあります。

これは私見なのですが、作家が何かをしつこいぐらい描写するとき、その描写対象を深く愛している場合が多い。きっと「俺の中のこれを文章で再現したいんだよ!」と必死で頑張っているので、温かく読み飛ばしてあげてください。ジェイムズ・ジョイスの『ユリシーズ』なんか、なぜか無駄に猫描写がありますし。もちろん、単に小道具みたいな感じで、より物語を現...続きを読む

Q作家研究について

尾崎紅葉の作家研究をレポートとしてまとめたいのですが、押さえておくべきポイントはどんなことなのでしょうか?
有名な作家なのですが、太宰や芥川ほどの人気のある作品の数が少ない為どのようにしてまとめればいいのか分かりません。
A4一枚程度、大体多くても2000字程度でまとめる予定です。

尾崎紅葉に限らず、作家研究とはどんなことなのか、また方法についてのアドバイスを頂けると嬉しいです。

ちなみに金色夜叉について、という授業内容です。よろしくお願いします。

Aベストアンサー

>有名な作家なのですが、太宰や芥川ほどの人気のある作品の数が少ない為…

なにがどう有名なのか確かめもしないで、「太宰や芥川ほどの人気のある作品の数が少ない」などと勝手に言明してはならないでしょう。
弱冠22歳にして紅葉は露伴とともに、そのデビュー作からしてたちどころに「咲盛る文壇の花形といふべき作家」(緑雨「日用帳」)と称賛されたほどで、しかも一文壇に留まらずその反響は社会的事件をなしたほど画期的だったとされています。

太宰のデビューが27歳で自殺が39歳(作家歴16年余)、芥川のデビューが22歳で自殺が35歳(作家歴13年)に対し、紅葉のデビューが22歳で肺がん死が36歳(作家歴14年弱)でほぼ類似しており、またその作品ごとの当時の人気度は決して勝るとも劣るものではありません。

しかも、紅葉の場合は、その衝撃的なデビュー作は雅俗折衷の美文体として言文一致の動きに挑戦したものですが、24歳の作品では「である」調の洗練された文体を創作して大成功を収め、「だ」調の二葉亭、「です」調の実妙とで、見事に鼎立させる新機軸を以て当時の社会に衝撃を走らせた事は歴史に残された通りです。

新時代の開拓者として、この「である」調の研鑽・辛苦を重ねたがために、その後の創作活動は停滞を余儀なくされたものであり、またそれ故に代表作「多情多恨」という精妙な成果を生むに至ったものでしょう。また、彼の新聞小説「金色夜叉」が未完でありながら永年にわたり日本の演劇界に、いや大衆社会に齎したインパクトの強大さのほどは、芥川・太宰クラスとは比較にさえなりません。

何よりもまず、紅葉の作品そのものを読む作業なくしては、ことは始まりません。
そして、こつこつ読みながら、強く感じた箇所ごとにチェックを入れ、感想メモを付けることです。
たくさん溜まったそのメモを纏める作業を始めたら、それがあなたの作家研究への確かな一歩です。

おまけですが、読み続ける困難さに疲れた時には、私が参考にした次のような評論などで骨休めを愉しんだらいかがでしょう。
坪内祐三「慶応三年生まれの旋毛曲り─漱石・外骨・熊楠・露伴・子規・紅葉・緑雨とその時代」(新潮文庫)
http://www.shinchosha.co.jp/book/122634/

>有名な作家なのですが、太宰や芥川ほどの人気のある作品の数が少ない為…

なにがどう有名なのか確かめもしないで、「太宰や芥川ほどの人気のある作品の数が少ない」などと勝手に言明してはならないでしょう。
弱冠22歳にして紅葉は露伴とともに、そのデビュー作からしてたちどころに「咲盛る文壇の花形といふべき作家」(緑雨「日用帳」)と称賛されたほどで、しかも一文壇に留まらずその反響は社会的事件をなしたほど画期的だったとされています。

太宰のデビューが27歳で自殺が39歳(作家歴16年余)、芥川の...続きを読む

Qイデオロギーって何ですか???

イデオロギーとはどんな意味なんですか。
広辞苑などで調べてみたのですが、意味が分かりません。
どなたか教えてください。

Aベストアンサー

イデオロギ-というのは確かに色んな解釈をされていますけど、
狭義ではそれぞれの社会階級に独特な政治思想・社会思想を指します。

つまり分かりやすく言えば、人間の行動を決定する根本的な物の考え方の
体系です。一定の考え方で矛盾のないように組織された全体的な理論や思想の事を
イデオロギ-と言うんです。

例えば、人間はみんな千差万別であり色んな考えを持っています。
だから賛成や反対といった意見が出てきますね。
しかし、イデオロギ-というのはみんなが認める事象の事です。
イデオロギ-には賛成・反対といった概念がないのです。

例えば、環境破壊は一般的に「やってはいけない事」という一定の考えに
組織されています。つまりみんなが根本的な共通の考え(やってはいけない事)として組織されているもの、これがイデオロギ-なんです。
しかし、社会的立場によってはその「やってはいけない事」を美化して
公共事業と称して環境破壊をする人達もいますけど。
ここでイデオロギ-という概念に対して色んな論説が出てくるわけです。
一応これは一つの例ですけど。

というかこれくらいしか説明の仕様がないですよ~~・・。
こういう抽象的な事はあまり難しく考えるとそれこそ分からなくなりますよ。
この説明で理解してくれると思いますけどね。

イデオロギ-というのは確かに色んな解釈をされていますけど、
狭義ではそれぞれの社会階級に独特な政治思想・社会思想を指します。

つまり分かりやすく言えば、人間の行動を決定する根本的な物の考え方の
体系です。一定の考え方で矛盾のないように組織された全体的な理論や思想の事を
イデオロギ-と言うんです。

例えば、人間はみんな千差万別であり色んな考えを持っています。
だから賛成や反対といった意見が出てきますね。
しかし、イデオロギ-というのはみんなが認める事象の事です。
イデオ...続きを読む

Q比較論文の書き方(結構緊急かも)

小説の比較について質問です。今回4冊の小説を読みました。
1.『ガリレイの生涯 (1937-1943)』ベルトルト・ブレヒト(1898-1956)
2.『ドン・ファン (1953)』マックス・フリッシュ(1911-91)
3.『ホモ・ファーバー (1957)』マックス・フリッシュ(1911-91)
4.『物理学者たち (1962)』フリードリッヒ・デュレンマット(1921-90)
これらを比較して論文を書くように言われました。

そこで質問です。
まず比較の方法ですが、今回の4冊すべてを同時に比較しなければならないのでしょうか?
それとも2冊ずつ比較していくのでしょうか? (この場合6通りの比較が必要になります)
それともそれらの混合でしょうか?
たとえば今回の小説のうちの2冊(2.と3.)にマザコンとファザコンの要素が垣間見れます。
そうなるとそれら2冊は比較できても他の2冊は比較できません。
なので、この比較をしてしまうと他も同様に2冊ずつ比較していかないといけないのかな、と思っています。

それと比較する要素なのですがほとんど思いつきません。
比較するのは主人公の性別とか年齢とか職業とかでしょうか?
…というかそれくらいだとネタが尽きてしまいます。
4年前に批評論文の書き方の本を図書館で読んで比較の仕方を勉強したのですが
もう忘れてしまい、しかもその本を探したのですが見つかりませんでした。
どなたか基本的な比較要素を箇条書きしてくださいませんか?
もしくはそんなホームページを教えてくださいませんか?
(自分で検索したのですが、比較文学の学部の紹介はたくさんあるのに
比較論文の書き方についてのHPは一つも見つかりませんでした)
今週中に仕上げないといけないのでどうかよろしくお願いします。

小説の比較について質問です。今回4冊の小説を読みました。
1.『ガリレイの生涯 (1937-1943)』ベルトルト・ブレヒト(1898-1956)
2.『ドン・ファン (1953)』マックス・フリッシュ(1911-91)
3.『ホモ・ファーバー (1957)』マックス・フリッシュ(1911-91)
4.『物理学者たち (1962)』フリードリッヒ・デュレンマット(1921-90)
これらを比較して論文を書くように言われました。

そこで質問です。
まず比較の方法ですが、今回の4冊すべてを同時に比較しなければならないのでしょうか?
それとも2冊ずつ比較して...続きを読む

Aベストアンサー

こういうのは実例を見ながらやっていくのが一番いいので、いくつか論文を検索してみましたが、どれもちょっと長すぎて、ここで構成を見るには適当じゃありませんでした。
そういう事情で、「いわゆる論文」ではないけれど、論文の構成をとっているものをひとつあげます。

http://c-cross.cside2.com/html/b00he001.htm

第一パラグラフで取り上げるテーマがあきらかにされます。
第二パラグラフでそのテーマの今日的意味が述べられます。

第三パラグラフ以降、取り上げた作品を、自分の切り口に沿ってレビューしていきます。これがほとんどを占めることになるんですが、ポイントは「だらだらあらすじを書くのではない」ということです。
テーマに結びつける。
たとえば、
>人の感情をあまり考えることが出来ない合理主義者
であれば、それ以外の要素は全部落とします。
ファザコンであることが主人公にとって大きなファクターだと思ったとしても、「ファザコン」と「合理主義者」の間に決定的な因果関係を見出すことができなかったら、そんな自己主張の強いファクターを入れちゃいけません。
また、作者がこの作品を書いた、ということが、テーマと重要に結びついていくのであれば、第四パラグラフのように、作者とこの作品が書かれた経緯を書いていくことも必要です。

最後の前のパラグラフで、いままでとはまったく別の角度からこのテーマに関わる作品をあげ、テーマをさらに掘り下げます。

最終節、結論です。
これは結論の部分が簡単ですが、全体とのバランスはこれくらいで十分だと思います。


重ねて言います。
何よりも重要なのは、切り口です。その論文の命は、結論ではなくて切り口です(こんなことを大きな声で言うと怒られるから小さい声で)。

>人の感情をあまり考えることが出来ない合理主義者

これ、いいですね。
このテーマの中にもう結論は含まれていますね。
合理主義者という角度から四つの作品を見ていく。
人の感情をもともと考えることができないのか。
理解はできるのだけれど無視して突き進むのか。
どうしてそのようになってしまったのか。
その結果、まわりにどのような影響をあたえたのか。
その性格が主人公の生涯にどのような影響を及ぼしたのか。
そうでなかったガリレイはどうなったのか。
こうした観点から、もう一度それぞれの作品を再構成して、要約してみてください。

ファザコン/マザコンは上にも書いたけど、それ自身大変強烈な要素なので、ひとつの流れにまとめていくにはちょっとムズカシイです。相当な腕力が必要になってくる。

>既に調べてしまったものですからちょっともったいないなと思ってます。
この気持ちは、ものすごーく、ものすごーくわかります(力、入ってる?)。
だけど、そういうもんなんです(溜息)。
私なんかも論文に取り上げるのは、読んだり調べたりしたことの三割ぐらいで、残りの七割は日の目を見ません。で、いつも、もったいないなー、どこかで使えないかなー、とうらみがましく思ってるんです。私のパソコンには、こうした日の目を見ない過剰仕入れ品のフォルダがいくつもあります。そのうち何かの形で在庫整理をしてやろうとは思っているのですが。

参考URL:http://c-cross.cside2.com/html/b00he001.htm

こういうのは実例を見ながらやっていくのが一番いいので、いくつか論文を検索してみましたが、どれもちょっと長すぎて、ここで構成を見るには適当じゃありませんでした。
そういう事情で、「いわゆる論文」ではないけれど、論文の構成をとっているものをひとつあげます。

http://c-cross.cside2.com/html/b00he001.htm

第一パラグラフで取り上げるテーマがあきらかにされます。
第二パラグラフでそのテーマの今日的意味が述べられます。

第三パラグラフ以降、取り上げた作品を、自分の切り口に沿ってレ...続きを読む

Qレポートの書き方

こんばんは。
冬休みの課題で、「美術館に行ってレポートを書く」というものが出ました。
ですが、あまりレポートを書いたことが無いので書き方がわかりません。
アイヌ文様の美というのに行こうと思っているんですが・・・
やはり写真もレポートには入れた方がいいでしょうか?
レポートの書き方に次いでわからなくて困っています。
美術が好きなので、良いレポートを書きたいと思っています。
どうか、書き方を教えてください。お願いいたします。

Aベストアンサー

美術大学に在籍しています。ご参考程度に、私の経験からアドバイスをさせて頂きます。


全体の構成としては
(1)表紙(主題タイトル)
(2)本文

主題について、どういうところが自分にとって魅力的なのか、
それにはどういう由来や歴史があるのか、何を意味するのか など
いくつかの項目に分けて考えると書きやすいと思います。

例えば…「印象派について モネの魅力」が主題だとすると
1.印象派とは
2.モネの生きた時代とその功績
3.代表作『睡蓮』の連作とその変化
(以下必要なだけ項目を設ける。最終的に、
ある程度自分の主観を入れた論述があったほうが「美術館に行って」という部分が活かされるので、良い と
私は思います。)

…など
主題の背景(アイヌの文化でしたら、アイヌ民族のことなど)から
徐々に幅を狭めていって、主題を浮彫りにしていくと読み手がすんなり入り易く、
印象に残るレポートができるのではないでしょうか。
又、写真は効果的に入れていったほうが良いと思います。
レポートの読み手はその内容について知らないわけですから
いわば教科書や新聞のようによりわかりやすく情報を伝えることを考えると…
あったほうが、親切なように感じます。

(3) まとめ
上にも記述しましたが、「美術館に行って」ということなので
美術館に対する感想、今回レポートを作ったことによって気付いたことや良かったことを書き、あとがきとします。
ある程度の長さがあったほうが説得力があると思います。
又、最後に
参考にした文献(本やWEBページ)について「参考文献」として記述しておきます。(箇条書きで大丈夫です)
本はタイトルとISBN、WEBはタイトルとURLを記述します。
版権的な問題のためもありますが、これだけ色々調べました というアピールにも繋がると思います。


私は以上のような手順で、レポートを書いています。
わりと高評価を頂くこともあるので…ある程度参考にして頂けると思います。

余談ですが
「美術館の入場券の半券を
表紙かはじめのほうに展示タイトル・日時・場所 の明記と共に貼って提出しなさい」という指定で
レポートを作ったことがありまして…
指定が無くてもそうすると、なんだかそれらしくなる気がしますので、
ちょっと使える手かもしれません。


レポート制作 頑張ってくださいませ!
微力ながらお力添えできていましたら幸いです。

美術大学に在籍しています。ご参考程度に、私の経験からアドバイスをさせて頂きます。


全体の構成としては
(1)表紙(主題タイトル)
(2)本文

主題について、どういうところが自分にとって魅力的なのか、
それにはどういう由来や歴史があるのか、何を意味するのか など
いくつかの項目に分けて考えると書きやすいと思います。

例えば…「印象派について モネの魅力」が主題だとすると
1.印象派とは
2.モネの生きた時代とその功績
3.代表作『睡蓮』の連作とその変化
(以下必要なだけ項目...続きを読む

QWord 文字を打つと直後の文字が消えていく

いつもお世話になっています。
Word2000を使っているものです。
ある文書を修正しているのですが,文章中に字を打ち込むと後ろの字が消えてしまいます。
分かりにくいですが,
「これを修正します。」
という文章の「これを」と「修正します。」の間に「これから」という単語を入れたときに,その場所にカーソルを合わせて「これから」と打つと,
「これをこれからす。」
となってしまいます。
他の文書では平気です。
何か解決する方法があれば教えて下さい。

Aベストアンサー

入力モードが「挿入」(普通の入力)から、「上書き」になってしまっているのだと思われます。
キーボードに[Insert]というキーがあると思いますので、1度押してみてください。

Qレポートの指定字数について

 大学に通っている1回生のものです。
 只今レポート課題を頑張っているのですが、その課題の指定がワープロ打ちでA4サイズ2枚程度、字数3200字程度となっているのですが、この程度とはどのような意味を含んでいるのでしょうか。
 例えば3200字の9割にあたる2880字以上ならばOKということでしょか。友達の話では指定字数の8割を満たしていれば良いとのことですが・・
 レポート課題に今苦戦していて3200字はなかなかの厳しい状況で・・ 年明けの授業で提出なので困っております。
 よろしくお願いします。

Aベストアンサー

一般に、レポートの字数制限には、
(1)・・字以内(・・ページ以内)
(2)・・字程度(・・ページ程度)
という2種類があると思います。

出題する方としては、書かれるべき内容の常識的範囲を想定しているので、これを大きく外れることは、書かれた内容に対して、出題者が例外的なプラス評価をしない限り、マイナス点になります。
では、どの程度が常識的な範囲か? 私は会社の内外で論文試験を課す立場にありますので、その点から参考意見を述べれば、次のようになります。

(1) ・・字以内というのは、資格試験や検定試験などで適用されることが多く、この場合には、

・上限 : 指定された字数を、たとえ句点1個といえども超えてはいけません。

・下限 : 字数の指定があれば、それに従います。なければ、一般には、-10%程度が常識です。

(2) ・・程度というのは、学校のレポート課題などで適用されることが多く、上限も下限もゆるやかですが、常識的な範囲としては、

・上限 : 基本的には、指定字数を超えないようにまとめるた方が良いと思います。しかし、+10%ぐらいは許されるのではないでしょうか?
それ以上は、大体が駄文ですから、やめるべきです。

・下限 : -10%を目処にまとめると良いと思います。ただし、-20%でも、書くべきことが要領良くまとめてあればOKですし、-30%でも、出題者が感心するほどの内容であればOKです。

ただし、あくまでも「どんな場合にも通用する目安」だと考えて下さい。
たとえば、技術士試験というものがありますが、「用紙3枚以内にまとめよ」との指定に対して、2枚しか書かなかったのに合格した、という報告もありますから。

一般に、レポートの字数制限には、
(1)・・字以内(・・ページ以内)
(2)・・字程度(・・ページ程度)
という2種類があると思います。

出題する方としては、書かれるべき内容の常識的範囲を想定しているので、これを大きく外れることは、書かれた内容に対して、出題者が例外的なプラス評価をしない限り、マイナス点になります。
では、どの程度が常識的な範囲か? 私は会社の内外で論文試験を課す立場にありますので、その点から参考意見を述べれば、次のようになります。

(1) ・・字以内というのは...続きを読む


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