プロが教える店舗&オフィスのセキュリティ対策術

みんな幸せになりたいと思っているであろう。現在不幸にしがみついている人でさえ心の底ではそのことを願っているはずである。その一方でみんなが幸せになれないことも事実である。ある人が勝ち取った幸せは、別の人の不幸を招くかもしれない。したがって周りの人はみんな敵ではないでしょうか? 敵とまではいかなくともライバルとは言えるのではないでしょうか? 教えてください。

A 回答 (13件中1~10件)

幸せというものの価値観によって世の中は見方が、まったく違って見えます。

お金が欲しい人は、お金の多い少ないが大事かも知れません。永遠なものに憧れている人は、お金にはあまり興味がないかも知れません。生きるという事、人生について深く考えた時に、気が付く事が有ります。それは「死」というものです。その事を深く考えた時には「お金や、地位や、名誉」等には余り価値が有るとか、興味は余り多く感じないと思います。

人生には終わりが来ます。それも、何時かは分かりません。自分が何歳まで生きていけるのかも、まったく分かりません。そんな人生で、お金や、地位や、名誉などの奴隷になって生きてゆくのは、おかしいと思っている人もいるかも知れません。自由にならない、束縛された、何の確約もない人生を、その束縛の中で、その束縛を忘れるために何かに没頭したい。そのために、お金や、地位や、名誉を求めているとしたら、是は返って空しいかも知れません。

以上の観点からみた場合には、皆の幸せのために、自分が地獄で頑張ろうという風に、不幸に見えたとしても、地獄を覚悟して生きて、がんばっている人がいたら、それは、貴方にはにはどちらが不幸で、どちらが幸福に見えますか?不幸とか、幸せという観念は本当は妄想と言えます。それは本人の思い込みでしか在りません。

本当の幸せとは、置かれた環境や、立場の違いでは有りません。それは自分自身が、自分自身をいかに肯定できるかによると思います。言い方を変えたならば、自分時自身が「今」をいかに肯定できるのか、今の環境を肯定できるのかにかかっていると思います。その事を「日日是好日」と言います。是は良い日も、悪い日も有難いという意味になります。

例え自分の死期が近くても全てを肯定できる事です。何ものにも縛られない心です。本当の自由と、本当の安楽です。是はお金には代えられないものです。
    • good
    • 0

こんにちは。



競って勝つことだけが幸せなのかなぁ。
競技とかでライバルはいたほうが、両方伸びて良いこともあったりするそうですね。

自分が幸せだと思う基準は、自分の中にしかないと思います。
そしてそれは人それぞれ。
勝つことだけが幸せなら、
いつも勝ってないと不幸ってことなのかな。

お金もちは勝ち組とか言うけど、
お金さえあれば幸せだとは私は思わないなぁ。

お日様がぽかぽか暖かいと、
単純にそれだけで幸せだと思う日もあるし、
おととい友達に、助かった~ありがとう!と言われたんだけど、
嬉しかったなぁ。
友達は敵じゃないし、何かしてあげて喜んでくれたら嬉しくないですか?
私は、そんなことの積み重ねにも幸せ感じます。
    • good
    • 0

こんにちは。


もしも神様がいて、人類全体に対する幸せの量が絶対的に決めているとするならば、
質問者様のような考え方になるのかもな、と思いました。
だって、人より多く勝ち取らなきゃいけないですもんね。周りは敵になります。

でも、今のところ神様がいるとは証明できていないし、
そうなると、幸せは人類が自ら作り出しているものだと思います。
この場合、単純に、みんなで力合わせたら幸せは無限に生み出すことができるんじゃないでしょうか。
そうなれば周りは敵じゃありません。仲間です。

個人的には、私は周りとの関わりの中で幸せを見つけています。
隣人からお裾分けされた肉じゃがが美味しくて幸せ、とか。

質問者様がこのような質問をされるにあたった経緯が気になります。
大丈夫ですか?心許せる人は周りにいますか?
    • good
    • 0

>みんなが幸せになれるとは限らないのだから、周りの人は敵ではないでしょうか?


オンラインゲームのプレイヤーのことですね。
当然敵ばかりです。

マダマダです。
    • good
    • 0

こんばんわ★


>みんなが幸せになれるとは限らないのだから、周りの人は敵ではないでしょうか?
そうかもしれませんね。
ただ私が考えるにその意見は人間があくまでただの動物だったらの場合だと思います。
人って他の動物と違って理性があってお互いを分かり合える動物ですから、
みんなが幸せになる方法を探してるんじゃないんですかね?
じゃなかったらこの世界はもっと争いに満ちてると思いますね。
    • good
    • 0

人生は、受験勉強ではありませんから敵ではないですね。


もちろんライバルでもないと思います。
受験勉強は、進む道が同じで目指すべき場所も全く同じですが、
人の人生は、一人一人が全く違います。
だからライバルというものすら存在しないと思います。
しかも、世の中は一人じゃ生きていけないですよね。
敵とかライバルとして見てしまうと孤立してまって
生きづらくなります。
人生には競争心とかライバル意識はいらないかもしれませんね。
    • good
    • 0

私的には幸せの価値は人それぞれ違うので、周りにライバルと思える人はいないですね。


今就職活動をしていますが、合同面接の時などでも、特にライバルなどとは思いません。
そこの会社に就職できる事が勝ちかどうか、それが自分や他の人にとって幸せだったって誰が言えるのでしょう?

すごーいお金もちで、周りには自分程の金持ちはいないけど、
お金に執着するあまり、いつもこれだけでは足りない、と考える人は
周りにライバルらしき人がいなくても、決して幸せではないですよね。

人はそれぞれで、みなの幸せの定義が同じではないこと、
価値観がそれぞれ違うこと、などをきちんとお分かりになった方がよいと思いました。
    • good
    • 0

そうですね


勝ち取った人の目線で見れば、周りは敵となりますよねライバルではないでしょうね敵です

勝ち取った場所では新たにライバルが出現しますね
そこではまた味方も生まれます
そこで勝ち取ればまた孤独になって敵が増える

でまた次の場所へ……エンドレスゲ~ム?
    • good
    • 0

>ある人が勝ち取った幸せは、別の人の不幸を招くかもしれない。



このように「かもしれない」とはっきり述べているのに

>したがって周りの人はみんな敵ではないでしょうか? 敵とまではいかなくともライバ
>ルとは言えるのではないでしょうか?

なぜ「みんな」なの?
既に理論展開が破錠しているよ
だから一部の可能性を理由に一般論化しちゃダメだって


>教えてください。

人に聞く前にご自分の論理展開の間違いに気が付いて下さい
間違いに気がつく事を繰り返していけば、くだらないご質問が減るし、こんな意味のない疑問は湧きませんよ


そうそう自分以外が全て敵だと思うのであればそれでいいです
原始的な世界ではそれが基本ですし
ただし人に迷惑かけないでね
ここは人間の社会ですから
人間社会に生きたいのであれば、人間社会の生き方を覚えて下さい
    • good
    • 0

みんなが幸せになれるわけではないが、幸せになれる人数は決まっているわけでもない。


10人居て幸せになれる人数は10人全員かもしれないし5人かもしれないし0人かもしれない。
Aさんの幸せが「Bさんが不幸で居ること」みたいな、歪んだ幸せを持っている人がいない限り全員が幸せになれる可能性もあります。
だから別に周りが敵なんかじゃない
良く漫画で描かれているような、「強敵と書いてともと読む」ようなライバル関係なら言えると思います。
しかし相手を蹴落とすための障害でしかないライバルならそんなことはありません。

「エースをねらえ」という漫画に書いてあった話しでこういうのがあります。
極楽にも地獄にも実は同じものがあるそうです。
それはもの凄い豪華な料理が入った大きな鉄鍋と自分の身長以上の長さの箸。
地獄に居るものたちはその料理を他人に食べられないようにと周りを敵視するため回りを押しのけ箸で料理を取るが箸が長すぎて自分の口に料理をもっていけない。手でつかもうにも鉄鍋が熱くて取りにいけない。
豪華な料理が目の前にあるのに誰も食べられずに居る地獄絵図。
極楽に居る人たちは誰かが何かを食べたいといったら誰かがその長い箸で取ってあげて、その人の口に運んであげる。なのでみんなが食べたいものを十分に食べられてみんなが幸せになっている。
有る物は同じなのに周りを敵視しているか仲良しでいるかで地獄絵図なのか極楽浄土なのか変わってしまう。

世の中ってそんなものですよ。
    • good
    • 0

お探しのQ&Aが見つからない時は、教えて!gooで質問しましょう!