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No.6ベストアンサー
- 回答日時:
エジプトではネコが愛されていました。
どうしてか?
http://www.geocities.jp/egypt417/basuto.html
http://www.ann.hi-ho.ne.jp/neko/nekojiten/chap1/ …
http://rmms.jp/magnus/magick.html
http://www.hpmix.com/home/sourumeito/C6_4.htm
古代は宗教と哲学は同一だったと思えるんですね。
自然が法だと考えたんじゃないか と。
ピラミッドを守っているのも猫(というかライオン? ジャッカル?)ですよね。
神社を守っているのは狛犬でしょ?
あの狛犬 犬じゃなくてライオンじゃん。
ってことは猫形。
いろんな猫に関するイメージがあるんですね。
FF11にミスラってキャラが登場するんですね。
猫型人間。
なんでネコ型人間がミスラって種族なんだ???っておもってましたが、エジプトかぁ。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%9F%E3%82%B9% …
ああ だから太陽信仰信者の姿は猫なんだ。
ってことで、猫は弥勒菩薩にまでなりました。
ご回答ありがとうございます。
貼り付けてくださったサイトを興味深く拝見しました。
エジプトの猫信仰は、テレビで猫のミイラを観たことがありましたが、インドやイランの神話、ケルト民族にわたってもその神秘性が重要視されたり、崇められていたのですね。
余分なものが世の中に無い古代と言う遠い過去に、猫が神の位置にいたのは、何にも感化されない無垢で純粋な心を持った人間が認めた神秘性がある、と言うことなのでしょう。
現在は猫はペットにまで身近になりましたが、こちらの意識とは、別次元に居て時々見下されている様に思うのは、このためかの知れませんね。
占い、してみました→犬・アヌビスでした。(結構、当たってるようです。)犬の私が真逆の猫を意識する、このサイトを見るまで隠されていた必然で面白い偶然です。
No.11
- 回答日時:
“If cats could talk, they wouldn't.”の訳は、(もし猫が話せても、何も話さないだろう)という意味にできるのではないかと存じますが。
我が家の猫(先に、この“哲学的猫”に投稿しております)も、下の娘(末っ子)が泣くと、一生懸命背伸びして顔を覗き込み、体をすりすりしていました。
心配しているかのようでした。そして慰めているようでした。
No.10
- 回答日時:
猫を2匹飼っています。
それぞれ全然性格が違います。でも、それぞれが周りの世界をじっと観察し、観察した上であえて周りの世界と無関係、無関心に行動しているんじゃないかと思えるんですよね。基本はマイペースです。人間と同居はしていても、飼い主に気を使ったり、犬のようにご機嫌を伺うことなく好き勝手に生きている感じ。でも、無関心を装いつつ、こっちの行動や感情はじっとみているんです。こっちの考えていることを全部見透かしている感じ。例えば薬をやる時とか、病院に連れていくためにキャリーに入れようとしているときとか、こっちが何気ないそぶりを装っても必ず察知して逃げていきます。
私がソファに座っていて、猫に甘えてほしいなーと思っているときは知らん顔していて、そろそろ立ち上がって仕事するかー、と思った瞬間にひざの上にやってきて寝ちゃったりするんです(笑)
飼い主の言動に無関心を装ってはいますが、ここぞという時は思いやりを見せてくれます。
私が大切な友達をなくして泣き崩れたとき、2匹が同時に寄ってきて、心配そうに私に顔を近づけてくれたんです。いつもはそんなこと絶対にないのに。
父が倒れて落ち込んだときは、普段は絶対にひざの上に乗らないない方の猫が、ひざに飛び乗ってきてゴロゴロ甘えました。まるで慰めてくれているみたいに。
こういう、普段はマイペースで甘えたいときだけ甘え、でもこっちの気持ちはちゃんと察知していてくれる、そんな猫との関係が私はとっても不思議で、とっても好きです。
英語では
“If cats could talk, they wouldn't.”(もし猫が話せたら、何も話さないだろう)という表現があるそうです。
参考URL:http://blogs.yahoo.co.jp/gonsan2005/34191092.html
ご回答ありがとうございます。
猫が観察しているしているのは、何なのでしょうね?
猫同士でもお互いのことは、まるでルールでもあるかのように距離をおいた静かなものの様ですね。
周りと無関係でいる様に見えるのは、孤独好きと言うより、自分が生きていることを実感している(ある意味自分を持っている)現われなのかも知れません。
そんな猫が時々優しさを見せるのは、相手の優しさを日々観察し、感じているからなのでしょう。何を言わずとも呼応する心は、その小さな体に閉じ込められているのでしょう。
もし猫が話せたら、何も言わない―猫は、私たちに考えさせる存在だからですね。
私も、人のように口ほどに物を言わない、見開いたまま澄んで全てを映している様な、猫の目が好きです。
![](http://oshiete.xgoo.jp/images/v2/common/profile/M/noimageicon_setting_10.png?5a7ff87)
No.9
- 回答日時:
何で読んだか忘れてしまったのですが、こんな言葉を見たことがあります。
犬は飼い主に対して「この人間は自分に餌をくれる。だからこの人間は、自分のボスである」というように感じるのに対して、猫は「この人間は自分に餌をくれる。だからこの人間は、自分の所有物である」と感じる傾向があるそうです。ガセかもしれませんが。
ご回答ありがとうございます。
人との関係で、犬の満足は、認められること。猫のそれは、認知させる(気付かせる)こと―なのかも知れませんね。
犬のロイヤリティーに心地よさを感じ、親しみが絆となる。
猫のアイデンティティーに魅力を感じ、自分との距離が憧れとなる。
もしガセでも、ここまで考えを膨らませられます。
No.8
- 回答日時:
猫は、「自由」である。
犬は人に従うことで、安心を得て、
猫は人でなくスペース(空間、家)に安心を得る。
従って人類がいなくなったら、犬は滅び
猫は生き生きと生き延びることができる、そうです。
猫は常に、なまめかしく、眠そうだ。
近所に、ロッキーというでっかい野良がいます。
実に賢そうでたくましい。
人間にこびないので、なんだかうらやましくも思えます。
太い手足でのそりのそりと歩く姿は、なにも寄せ付けない不思議な色気。
人の人生の先を歩いていっているような気もする。
でも、いぬはどの子をみても、ただ「かわいらしい」。大型でも小型でも、自分の子供、のような感覚にさせられる。
上を見上げれば猫、
下をむけば犬。
ご回答ありがとうございます。
猫は、自由―自由な猫が大人びて見える、先輩のように感じる。
人間は、大人になる度に自由を無くすので、自由を熟知している猫が人生の先を行っているように見えるのかも知れません。
(子供の頃、猫をカワイイ、とだけ思っていたのは、同等に自由だったから…ですね。)
猫の色気には、自由の裏の秘密を知っているような、秘密主義的な賢さを感じます。
人間にとって上にいる猫・下にいる犬―猫にとって私たちは、従順で・素直かも知れません。
No.7
- 回答日時:
naoaguさん、回答番号:No.5
☆:無念夢想の猫が、挨拶してたり、時間を気にして佇んでいたりするように見えるということは、人間のほうが同等の意識を持って猫を見ている様ですね。姿かたちは猫でも、その存在を家族や友達の存在に似せて重ね合わせているのかも知れません。☆
★無念無想は、現象であるこの創造界に心身、思考、感覚ををおかないということです。だから創造者の意識自体になっているので、一切が自分で自分が一切です。空っぽのレベルと質が違います。
チャトランが時間を気にしているのではなく、時間を感じ取り、食堂からかえって来るお上さんを待っているのです。
私がそう思っているのではなく、事実待っているのです。そのうちの玄関で。
挨拶っていうことばを猫が持っているかどうか知りません。
人間同士もAの言語Bにあるかというと、それは疑問です。同じ発音も表記も両方にあっても、それが同じ言語とは限りません。
チャトランが人間の概念・観念の挨拶かどうかは知りませんが、ちゃんとこちらを見て、顔と顔をみて、にゃぁっと一声して出てきた庭に引っ込む。
猫嫌いの独り暮らしの79歳媼のひさしから、こちらを見て、呼びかけている。
その仕草を受け取れないとしたら、哀れな相手に挨拶しているチャトランとなります。
それは挨拶を知らない人間同士もそうです。
ここは昭和26年頃まで、大きな蓮池が連なり、大きな農業用水路が張り巡らされていました。
昭和30年頃、安保前、自治体はそこをふたをして、道路にし、両側に桜並木を作りました。
最近そこを通り、根方でじっと遠くを見つめている猫が居ました。
その方向にその樹の前の家のお上さんが歩いていくのが見えました。
その猫は見送っていたのです。
それが分かったので、猫語をまねて、呼びかけると、彼女か彼かしらないが、ひょいと振り返り、同じ声で、対応してくれました。
意味はわかりませんが、自分の中で人間の概念と観念に翻訳は出来ています。
これは会話でした。
雀や目白は体で会話するが、猫は声で会話してくれます。
哺乳類はそれだけ、我々哺乳類に近いのかもしれません。
こういうことを重ね合わせの一種としていくと、人間同士も所詮こちら側の解釈に過ぎないのだなぁ、という事にまで行くかもしれません。
ありがとうございます。
無念無想、の意味は、取り違えていました。無は、何も無いでのはなく、全て在る、と言うことですね。
私は、観念・概念まで考えずに言葉を選んでいます。(考えているのは、言葉の意味・そこに見え隠れする精神性が上限です。)
人間が同等の意識を持って→人間が親しみの感を持って
家族や友達の存在に重ね合わせる→家族や友達のように身近に感じる
という意味合いです。
私も小学生の頃、猫を飼っていました。(母親が捨て猫を見捨てられない性分で多い時には、5匹ました。)
なので猫に対する気持ちは、好きであることに変わりありません。
今は情報としての哲学的な見方が得たいと思っています。
ただ、哲学的なものの考え方は、少し見えてきた様に思います。
No.5
- 回答日時:
回答番号:No.4
茶虎おにぃさんの愛すべきな点:
天気がいいとき、物干しに出るとおにぃさんの声がする。
一生懸命探すと、一見置いてむこうの家の物干しとひさしの間から、私のほうを見て、呼んでいるのです。
俺、今日向ぼっこしてるんだって、言っているみたいです。
自転車で出かけると、ずいぶん遠くの家からひょいと出てきて振り向いて、にゃぁとかいってまた引っ込む。
挨拶の積りかもしれない。
近所のお上さんが、近くの病院の食堂に仕事にいっています。
夜十時かな、帰ってくるのをちゃんと待っているのです。
時間もちゃんとわかるのかなぁ。時計もないのに。
猫ってじっとして何か難しいこと考えているみたいだけど、なんにも考えていないのだそうですね。
だから無念無想。瞑想、座禅の達人なんだそうですね。
再度ありがとうございます。
無念夢想の猫が、挨拶してたり、時間を気にして佇んでいたりするように見えるということは、人間のほうが同等の意識を持って猫を見ている様ですね。姿かたちは猫でも、その存在を家族や友達の存在に似せて重ね合わせているのかも知れません。
No.4
- 回答日時:
飼い主の英語教師、苦沙弥先生を観察していたのは、名が未だない猫でした。
特別猫が隙だということはありませんが、57年くらい前、中学の頃、野良猫が住み着いてしばらく居ました。かわいいおとなしい雌でした。居心地のいいところ、かわいがってくれる人をちゃんと見分けて、お利巧に共同生活をしていましたが、貧なる飼い主宅で禄すっぽ餌がもらえなくなると、いつかいなくなりました。従来、ペットは好まないのですが、20ほど前、長女と次女が小学校のとき、卒園した幼稚園の植え込みの中に捨てられている、猫を拾ってきました。
いえ、その前に家に戻って、飼ってもいい?訊かれたのです。
老母は家にペットはきらいで、その大分前、同じく小学生の長男や娘たちが猫を飼いたいというのを、家内がおばぁちゃんが駄目だというからね。となだめていたのですが、ある朝、朝食にみんなが座ったとき、末っ子の次女が『おばぁちゃん、早くちんで(しんで)、そしたら猫飼うんだから』といってしまった。
家内と私はひっくり返ってしまった。
老母は箸をからっと置くと、自室に入って唐紙をぴしゃっと。
そんなことから数日後、猫を飼いたいという頼みです。
夏六月、雨も降り出しました。ちょうどいた老母がちゃんと面倒見るんだよ。
といってくれたので、幼稚園にすっとんでいって、抱いてきました。
雌、お利巧なパンダ猫。家の布団に寝かせて、ぬるくした牛乳をスポイトで飲ませると、ちゃんと飲んでくれる。そしてほっとしたため息とともに、安心して寝ました。
幼稚園の名前の一字をとってメイちゃん。
青年になるころを見計らって、近所の獣医さんに手術をしてもらいまで、家中は唐紙から、壁紙、障子と、彼女の爪の後が無いところはなく、天井からみんなの腰辺りまで、ぼろぼろになりました。あまり制限するのも私たちの性分から好きではないので。
それから19年。先おととし。娘たちももう一人前。メイちゃんはもう立派に老猫です。二週間どうも具合が悪い。でもお医者さんも施せなく、それから三週間。ある朝、家内の布団で家内の腕の中で、最後の息を吐ききって、出て行きました。
我侭で、抱いてというとき以外は抱かれるのも、嫌という子でした。
長男が朝の食卓にいないと、人間の娘よりも大きい足音をさせて、二階にいき、長男の部屋の戸スルスルとあけ、起きてくるまで冷たい鼻でとんとん突っつくだそうです。誰の部屋にも自分の都合で起こしに入り、真冬でも戸も閉めずにでていくので、みんな起きてきて、文句をいっていました。
それと前後して、三毛のおかぁさんがいました。
毎年産むらしくて、子連れで門付けにきました。向こう三軒両隣よりも範囲は広いエリアをもっていたようで、みんなで話題にすることが多かった。
子どもたちが食べ終わってから、ガツガツと自分が食べていました。
そんな様子をみて、近隣の母親たちは三毛のおかぁさんとよんでいました。
最後の出産が五、六年前かな。
そのごしばらくの後、三毛のおかぁさんはもう子どもを連れてこなくなりました。
かわりに、その前に生まれ居た茶虎の雄が、まぁ弟なのか、妹なのかを連れてみんなの家をまわってくるようになりました。おにぃさんのこの茶虎は三毛のおかぁさんと同じ事をやって、育てていました。
でもそのうちみんな独立したのか、いまは茶虎おにぃさんが一人できます。
おかぁさんのときから知っているご近所さんは、変わりばんこにあまりものをあげているようです。人うちの事情や生活を知っているみたいで、みんなの邪魔にもならないし、要領よく、顔馴染になっています。
哲学的ではありません。
ここは東京の、神田浅草側から隅田川を渡ったところです。
みんな六十年以上も住んでいます。古い人は江戸時代から。
ご回答ありがとうございます。
哲学的でないにしろ、猫と下町の人たちの心温まる日常が見えてきます。猫の寿命は人間より短いですが、何代にもわたってその場所で生活し、人間と寄り添っていけるのは、互いに依存し合わない関係を維持できるからかも知れません。(猫可愛がり、という言葉はありますが…)
猫も人間も独立した世界を持つことは、大切なことですね。
No.3
- 回答日時:
猫は確かに哲学的に見えますね。
ところで哲学的に見えることと哲学的であると言うことは、同じではありませんね。以下の論述で、猫は哲学的なわけではなく、哲学的に見えるだでであることを論証してみましょう。それには、犬との比較が役に立ちます。猫がペットとして優れているのにはいろいろな理由がありますが、その中でも特筆すべきことは、猫には体臭がない、すなわち無臭であることです。モンテーニュに言わせると、最も好ましい女性の体臭は、体臭がないことだとのことですが、猫はこの条件を満たしている珍しい獣です。犬には獣臭があるのに、猫には何故ないのでしょうか。それは、猫の餌の穫り方に理由があります。犬の肺の大きさを見ると、何時間でも何日でも追いかけ続けられるように出来ていますね。犬は、これと狙った獲物を只ただ追いかけて、相手が疲れきるまで追いつめて捕まえるので、臭いがあろうが自分の体が相手に見つかってしまおうが全然構いません。ところが、猫の餌の捕まえ方は、犬とは全然違います。獲物の通り道で何時間でもじっと待っており、相手が気が付かないで自分の前を通った時に突然襲います。そのためには体臭が在っては駄目なので、進化の過程で体臭のないものだけが生き残れるようになったのです。
そして、もう一つ、いよいよ哲学ですが、待って獲物を捕まえるためには、何時間でもじっとしていなくては成りません。訓練をした犬を見ていると分かるのですが、犬に何時間でもじっとしているようにさせるのは大変です。犬は常に回りに気配りをして、一生懸命いろいろなことを考え、すなわち哲学しているので、ただじっとしているとすぐに飽きてしまうのです。ところが、猫は何時間でもじっとして居られる者だけが進化の過程で生き残ってたので、それを可能にするためには、頭を空白にして何も考えないでいられるようになったのです。何も考えなければ、何時間でもあっと過ぎてくれるので、ちっとも苦痛ではないからです。この何も考えていな状態を端から見ていると、如何にも猫が瞑想をしているように見えたり、あるいは妙に哲学的に見えるわけです。
結論としては、犬は常に考えながら行動し、喜んだり落ち込んだりと余りに哲学的なので、何か間抜けのようで哲学的には見えない。ところが、猫は何も考えずに何の哲学もせず、何時間でもじっとしていらるので、如何にも哲学でもしているように見えるのです。
ところで、哲学をすることの一つは、一見もっともらしく見えて、如何にもそれらしい理屈がついているように見えることを疑り、一皮も二皮も剥いてみて、ものの本質に迫って行くことです。猫は何も哲学をしていないので我々には哲学的に見える、という結論は、如何にも哲学的でしょう?
ご回答ありがとうございます。
詳しく、(哲学的に)猫について書いて頂き、猫の静けさ(寡黙さ)を以前より見透かせたような感じです。
猫の習性や体臭の話は、進化の過程での必然性を思い、頷けました。
猫が哲学的に見える―その仮面の下の当の猫は、私たちの作り出したイメージなど知るすべもなく、呑気で気ままに呼吸して生きているのかも知れませんね。生きとし生けるものの1部として…。
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