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私は、そのような本質的でないことについて問題にする方がおかしいと思います。今回も横綱審議委員の間でも賛否両論だそうです。
以前にも野球の試合でガッツポーズをして問題になったケースがありましたが、何が問題なのか全く理解できません。
どなたかわかるように説明して下さい。
このようなことを問題にするのは、いかにも日本的といえませんか?

A 回答 (27件中21~27件)

「郷に入れば郷に従え」という言葉があります。


だから外国人とはいえ日本で勝負をするなら、日本の慣習に従うべきでしょう。

というのは建前で、私は朝青龍のガッツポーズは自然に出てきたものだと思います。
横綱としてスランプのトンネルから抜け出たような、喜びを感じました。
もちろん礼節は大切ですし、それを保つのが日本の魅力かもしれません。
でも思わず出てしまった人間らしいところも、魅力だと思います。
諸手を挙げて大騒ぎするわけではないですし、武士道精神だけでは見ているほうもあまり面白くないというのが本音です。
観客を入れたりTVで放映する時点で、すでにエンターテインメント化しているのですから、ある程度の許容が必要なのでは。
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この回答へのお礼

私は反抗的な人間で、「郷の改革は郷の中の人間には出来ない。外部の人間にさせるべきだ。」と考えています。自民党がそうだったではありませんか!

礼節どうのこうの以前に思わず出てしまった人間らしいところに、魅力を感じますね。

お礼日時:2009/09/29 20:03

大リーグでも、相手チームを侮辱するようなポーズをとると次の打席で球をぶつけられることがあるそうです。


そういう意味で、相手の目の前で露骨なポーズを取ることは感心しません。
以前から朝青龍は相手を倒した直後、相手の目の前で自慢するようにガッツポーズをとっており注意をうけていました。

ところで今回の朝青龍のガッツポーズですが、白鵬を倒した直後でなく、白鳳が土俵を降りた後に両手を挙げたものであり、またその日が29歳の誕生日だったこともあります。

このため白鵬や白鵬のファンが見ていても不愉快に感じるガッツポーズではありませんでした。
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この回答へのお礼

今回の朝青龍のガッツポーズが、白鵬を倒した直後でなく、白鵬が土俵を降りた後に両手を挙げたものであり、またその日が29歳の誕生日だったと言うことなら別にいいんじゃないかと思います。
そのようなことを問題にするのは、朝青竜に対するいじめではないでしょうか?もっと他に議論することはいくらでもあるのではないでしょうか?

お礼日時:2009/09/29 20:00

こんばんは。

(*^。^*)
私個人的には、現在の若者らしくてとても好感が持てます。
「品行に欠ける」と指摘する方も多数おられるようですが、
何を基準に品行方正なのか、そうでないのかと思ってしまいます。
ガッツポーズという姿勢が無かった時代なら、
直立不動の姿勢をするしか無いでしょう。
その姿勢が品行方正であるかのように思われているのですね。
私としては、時代と共にその辺も変わって良いと思います。
そのときそのときに柔軟に対応出来ない人は、
「品行に欠ける」と捉えるのでしょう。
私は決して若くはないですが、ガッツポーズは好感が持てます。
現在の喜びを表すときの標準的な姿勢だと捉えています。
参考までに申し上げました。(*^^)v
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この回答へのお礼

有難うございます。
確かに「品行に欠ける」と言われても具体性を欠きますね。
武士道華やかなりし頃には、ガッツポーズというものがなかったので、その頃もしかして認められていたら、今でも認められていたでしょうね。
私は、嬉しい時は喜び、悲しい時は悲しみを表現することが人間らしい行いだと信じている人間なので、喜びを抑える、というのはどうも理解ができにくいのです。

お礼日時:2009/09/29 19:57

こんばんは



でも以前にも怒られているのですから
普通はやらないともいます
横綱としての意識が足りないんだと思います

http://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question …
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この回答へのお礼

挙げて頂いたYahooの過去問へのベストアンサーに、
「嬉しい感情さえも外には現さずに自己に内包する強い精神力と思いやりと驕らない気持ちこそ武道精神の一つなのです。」とありますね。
確かに、喜怒哀楽の表現を抑え、物事に動じない平常心を養うには、いつも安定した、泰然自若とした平和な心の状態を作ることが大切なのだと思います。
国技としての大相撲を考える時、やはりそうした礼節や作法は、引き継いでいかなければならないかもしれませんね。

お礼日時:2009/09/29 19:40

この件でいつも思い出すのは「剣道」です。


確か、大会でガッツポーズをした選手が失格したことがありました。

日本古来の武道では礼節を重んじる風潮があります。
剣道で言えば、自分が勝ったのは、自分と同じ気持ちで修行してきた相手に対する尊敬と、互いに力を出し切って戦った相手に対する感謝の気持ちを表す意味で、禁止されているそうです。
武士が闘って、相手を負かし、相手が死にそうになっている時に万歳をするのは武士道にもとるという、根本的な思想があります。

相撲も似たようなことかも知れませんが、私もいささか荒唐無稽のような気がします。
そういう精神論で語っていては、カビ臭い感じがします。
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この回答へのお礼

有難うございます。
申し遅れましたが、私は日本の伝統や歴史を尊重している(と自分では思っている)一方、英米文化にも触れてきた50代男性です。

確かに、日本古来の武道や華道、茶道、香道など「道」のつく芸事では礼節を重んじる風潮がありますね。

なるほど、確かに、相手が死にそうになっている時に万歳をするのは武士道にもとるというのはわかります。
日本がサッカーでアウェイの試合をした時など、国によっては、敵である日本がエラーをした時拍手喝采をする国もあると思いますが、日本のファンにはそのようなことは少なく、一定の礼節を守っているように感じられます。ラグビーも「紳士のスポーツ」と言われている通り、シア試合が終われば、ノーサイドといって、敵味方関係なく親交を暖め合います。

しかし、自分自身がナイスプレイをしたり、勝ったりした時、単純に喜ぶことがなぜ、相手に対して礼節を損なうことになるのでしょうか?
そのような考え方は、カビ臭いのではないでしょうか?

お礼日時:2009/09/29 19:29

いいとか悪いとかというよりも、美しくないですね。


日本人の美学に反する、みっともない行為です。
せめて横綱たるもの、身体に故障があっても隠し、
勝負で勝っても負けても泰然自若としている
気高さがほしいです。
賛否両論あるということは、半数の人が不愉快に思っているのだから
やめるべきです。
これは、単なるスポーツではなく日本の国技である
相撲道の精神にかかわることで、本質的な問題だと
考えます。
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この回答へのお礼

有難うございます。
私は、全ての価値観の中で「美」つまり「行動美学」を最も重んじます。確かに日本人の行動美学の中で、「奥床しさ」とか第一人者の持つべき「気高さ」や「誇り」が重要な位置を占めているようですね。新渡戸稲造の「武士道」でも描かれている通り、日本人のこうした気高い精神性は、たとえ世界の一般認識とは多少ずれがあったとしても、重んじられて然るべきだと思います。国技である大相撲では、そうした日本人の精神性が体現されることは、基本的に正しいことだと思います。

ところで、これはどこまで行っても平行線だと思いますが、
(1)強い者でも弱くなることがあり、それが人間だと思うのですが、強い者は一生弱みを見せてはいけないのでしょうか? 24時間365日泰然自若としていなければならないのでしょうか?
(2)賛否両論あるということは、半数の人が不愉快に思っているのだからやめるべき・・・なのでしょうか?
逆に言えば、残りの半分は、そう思っていないと思いますので、やめるべきという結論にはならないと思いますが・・・。

お礼日時:2009/09/29 19:14

同感です。



しかし、日本は奥ゆかしさが重んじられるお国柄。
喜びを派手に表現するのは、はしたない・・と
なるようで。

粋と野暮っていうのかな。

自分が良い思いをしたことを、素直に表すのは
自慢げでいけ好かない的な感じでしょうか・・・・。


鎖国開放以来、西洋文化をじゃんじゃん取り入れているにも
かかわらず、精神は大昔のまま。


ほんなら、外国人力士を入門させるなよ!!!!
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この回答へのお礼

早速ご回答頂き、有難うございました。
人間として、喜びを派手に表現するのは当たり前だと思います。
例えば、賞の受賞スピーチなどでも、自分の功績は置いておいて、皆さまのおかげだとか、所属チーム全員がもらうべきものを代表してもらっただけだといったことを強調するのが一般的なようですね。それはそれでいいですが、自分の嬉しい、という感情をなぜ素直に表してはいけないのでしょうか?

お礼日時:2009/09/29 18:58

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