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私は、そのような本質的でないことについて問題にする方がおかしいと思います。今回も横綱審議委員の間でも賛否両論だそうです。
以前にも野球の試合でガッツポーズをして問題になったケースがありましたが、何が問題なのか全く理解できません。
どなたかわかるように説明して下さい。
このようなことを問題にするのは、いかにも日本的といえませんか?

A 回答 (27件中11~20件)

>朝青龍が土俵上でガッツポーズをしたことについてどう思いますか?



            ↓
様式美を追求し、心技体の充実を期待する相撲道ファンには顰蹙モノでしょうね。
髷やまわし、仕切りや勝ち名乗りの手刀、土俵入りに、また口をすすぎ、塩を撒く由縁にもあるのだと思います。
しかし、外国人を採用、横綱誕生した今、実力主義と国際化&スポーツ化がどんどん価値感の変化を促進しているとも思います。

そこで、私の受け止め方としては、奨励する&美しい所作だとは思いませんが、自然な喜び表現の一環である場合は日頃の教育で教え、タイミングを見ての口頭注意や部屋別の稽古場での徹底と場所前の所作やモラル指導で行えば良い、ことさら騒ぎ・土俵以外でのバッシングは合理性・必然性・社会性の背景が無い場合には、日頃の生活指導を超えた要求や批判は→外人イジメ&差別に繋がり、賛同致しません。

※古い比喩・引用ですが・・・私が教えられ感動したシーンで言えば「日露戦争での日本の武士道」と太平洋戦争における「傲慢・尊大な日本陸軍」の勝者での対応の差に見えます。

◇水師営の会見
「乃木大将とステッセル将軍の旅順開城、敵味方・勝者敗者を超えた戦い済んでの両軍の勇戦敢闘への称え合い、子息の戦死への悼みに感動した」

◇シンガポール攻略・無条件降伏を迫る山下将軍VSパーシバル将軍
交渉事、条件の攻防や駆け引きがあるとは言え、そこに勝者の傲慢さ・非情さを感じ惻隠の情・相手の尊厳への忖度・労わりが希薄なのは同胞として哀しく悼たまらない。
そこに余裕の無さ、大義の薄さ、人間性の衰退を感じます。


上記の引用は何が言いたいのかと言うと、死者に鞭打ち、溺れる敵には石をぶつける、徹底的に打ちのめし、逆襲の芽を摘む感性・価値感・DNAと死せば贖罪され神仏に還る、罪を憎んで人を憎まず、ノーサイドの精神を希求・共感して来た私達の国民性・求道精神が勝者の敗者への対応に現れ、我が国と敵国での受け止め方が乖離しているのだから・・・

相撲や朝青龍のガッツポーズに話を戻すと→単なる、押し付けや儀礼としてではなく、日本文化・相撲道・日本のスポーツ観として、入門の時から→日本人力士も含め、相撲に関わる者が全員で守る様式美・気風・エチケットとしなければ根本解決&再発防止は難しいと考えます。

見た目・外観は日本人・相撲取りと変わらないかもしれないが、中身は心の中はメイドインモンゴルなんだから・・・
観客も横綱審議会も親方衆も同じ日本人が大同小異で批判したり、弁護してるが、彼らには違う価値感・感性・国民性も残っていると思います。
本音で、他の外国人力士(力士会って無いのだろうか)の言い分や意見をもっと取り入れていかねば、彼らに依存し、番付も取り組みも大きく依存している現実を直視しなければ不公平で時代と国際化に背を向けることとなる。

分り易く基本精神&精神風土やルーツとして、全力士に仕込み指導して行かねば、横綱だから、外人力士は・・で異議・批判は、ダブルスタンダードであり、何故という疑問や俺だけにという不信&猜疑心を生むのではないだろうか?
それでは、心からの反省や同意納得を齎さないであろう。


余談ですが・・・
〔個人的には、スポーツ界全体で、全力プレーと敢闘後の相互の健闘への尊敬とねぎらいの対応が→見る者をして、全力プレーへの拍手喝さい、勝負の決着後で爽やかに美しく感動させると思います)
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この回答へのお礼

今日は10/1です。お礼が遅くなりすみません。
さて、念の入ったご回答恐れ入ります。
日露戦争や太平洋戦争での逸話まで飛び出し、正直驚きました。
しかし、おっしゃっていることには一々賛同出来ることばかりです。
日本文化に見られる「礼節」などの基本精神について、大相撲への入門当時から、日本人、外国人を問わず、わかりやすく説明し、一応の納得を得ておくのは当然だと思います。大相撲の所作の中でこれだけは全員に守ってほしい部分については、エチケットとして理解を求める努力は必要だと思います。しかし、土俵を下りた後などには人間的な感情が出てくるのは自然であり、そこは大目に見るのが、賢明だと考えます。個人的にどうしても賛同出来ないこと(信条、信念に属すること)は誰にでもあり、そこの部分に対する押し付けは禁物だと考えます。

お礼日時:2009/10/01 22:43

しても いいと思いますね


他の例として 高見盛は愛嬌のあるせいか
はでにパフォーマンスしてもかえって人気があります

多少の行動は許されてもいいのでは。

日本の「負けた相手の心情を思いやる」という
精神が批判の根拠だと思います
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この回答へのお礼

私の母は高見盛の大ファンです。買った時は大喜びし、負けた時はうなだれて花道を引き上げるしぐさは好感がもてますね。
勝っても負けても仏頂面の力士ばかりでは面白くありません。
「面白さ」や「おかしさ」、「可愛さ」がもてはやされる現代ですから、表現方法も世の中に連れて変わってもいいのではないかというのは私の個人的考えです。

今日はこの辺で失礼します。(9/30)

お礼日時:2009/09/30 21:54

いけないことがわからない輩が増えたこと自体が日本の問題です。

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この回答へのお礼

すみません。私もどちらかというと「わからない輩」だと思いますが、日本的美風を重んじるその心は理解できます。

ただ、現実に以前の考えとは違う価値観の世界に住む人々も増えてきているのはやむをえないのではないでしょうか?
このような時代にあっては、お互いに異なる価値観を受け入れていくしかないのでは?

お礼日時:2009/09/30 21:48

>ガッツポーズをしたことについてどう思いますか?



見ている私もガッツポーズです♪

もし白鵬が勝っても、ガッツポーズです。
何を感じ取るかは自分次第かと思います。
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この回答へのお礼

ガッツポーズは、嬉しさのあまり人間として思わず出たしぐさであり、私自身は肯定したいです。
朝青龍が白鵬の目前ではなく、土俵を下りてから思わず出したしぐさということであれば、一応協会の意向を尊重しているといえるし、とがめ立てする必要のない「かわいい」ものではないでしょうか?

以前にも、朝青龍は、左手で手刀をしていた時がありましたが、注意されて右手に変えています。「聞く耳」は持っていると思います。

お礼日時:2009/09/30 21:44

このようなことを問題にするのは、いかにも日本的といえませんか?


まさに日本ならではの問題だと思います。

そして、私自身の感覚から言えば、朝青龍関が土俵上でガッツポーズをしたことについては、やや不快、やや問題ありと受け止めています。
いえ、正確に言えば、日ごろから品位に欠けた行動が目立つ朝青龍関だからこそ、余計そう感じたのかもしれません。

相撲は日本古来の国技だと一般的には信じられていますが、今日国技だとはどこにも定められていません。だからこそ、考え方や受け止め方が二手に分かれてしまうのだと思います。

二手・・・、相撲を古来神前で行われる儀式として生まれた神聖な伝統を受け継ぐものと受け止める人たちと、そして相撲はもはや単なるスポーツの一種目と考える人たちです。

相撲を今日でも神聖な伝統を守り保つ、日本人独特の心のよりどころと考える人は、たしかに今日ではいかにも封建的であったとしても、そこにやはり古来から伝えられた伝統、つまり、男子は常に矜持を保ち、穏やかに徹し、人の面前でいたずらに感情を態度で示すものではないとした気風を奥ゆかしいものとして尊び、そうした男性の姿勢のあり方を求めるのだと思います。

そうした感じ方をする人たちにとっては、「実るほど頭(こうべ)を垂れる稲穂かな」の句のごとく、日本人ならではの美意識、美学に沿って、ただ強けりゃいいってものじゃない、頂点を極めた人ならなおのこと、もっと矜持を保ち穏やかに徹していて欲しいと感じてしまうのでしよう。

となれば、いくら外国人だからといって、一旦伝統としきたりの世界に身を投じた以上は、ましてや横綱がガッツポーズなどをするなどは、見るからに下賎な人格の男だと見えてしまうのだと思います。

しかし、片や、相撲はもはや今日、単なるスポーツの一種目だと考える人たちにしてみれば、感覚は至極シンプル、宿敵を相手に全力を投じて死闘を勝ち抜いたのだ、その興奮をガッツポーズで表現して何が悪いということになるのでしょう。

だから、この問題は、どこまで行っても、なかなか決着がつかないことになりそうです。でも、こうした感覚の違いから、今の時代に、強けりゃいい、早けりゃいい、仕事さえ出来ればいい・・・と、ただそれだけ、他人への思いやりの心だとか、マナー感覚だとか、自分の精神面だとか、重みのある姿勢に高めようとする気持ちなどは、今の世の中、大して大切でもないことと二の次に考えてしまう・・・、そんな日本人がこれから増えるのではないかと心配になってしまいます。

世界は世界、せめてこの日本の男性には、「武士は食わねど高楊枝」ぐらいのツッパリは持って、いつも背筋を伸ばしていて欲しいです。
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この回答へのお礼

>相撲は日本古来の国技だと一般的には信じられていますが、今日国技だとはどこにも定められていません。だからこそ、考え方や受け止め方が二手に分かれてしまうのだと思います。
そうですね。規則などで明文化されている訳ではない。
確かに、人の面前でいたずらに感情を態度で示すものではないとした気風を奥ゆかしいものとして尊び、そうした男性の姿勢のあり方を求めるのは、日本人のこれまでの美風であり、これからも重んじていかなければならない部分があると思います。

しかし、それと反対に考える多くの人々もおります。
例えば、私は、男性だからといって、人前で感情を抑え込む日本的な行動様式に美意識を感じません。戦争中、一億火の玉となって、鬼畜米英を憎めと教育を受けて、質実剛健に表情少なく生きてきた日本の男たちだったと思いますが、終戦直後出会ったアメリカの男性の素朴な明るさや雄弁さをまぶしく感じた方は多いと思います。私の亡父も豪放磊落な力強い男性でしたが、表情が豊かで、冗談を言うのが大好きでした。そのおかげで、私は、男女に関係なく、明るく、表情豊かで、雄弁なのをよしとして育ちましたので、感情を抑えこむことはしたくないです。(勿論TPOにより、ポーカーフェイスを装わなければならない場面があることも、中年になり知りましたが)

価値観が多様化し、外部の世界にも開かれた現代にあって、回答者様のおっしゃる通り、この問題はどこまで行っても平行線だと思います。

ただ、このような時代にあって、現代人がどうふるまえばよいかというと、私は、それぞれの個々人の価値観の多様性を尊重し、異なる価値観の人間の言うことも否定しないでそのままにしておくことだと思います。
もっとも、組織として考えた場合は、その組織がよしとする様式を組織のメンバーに守らせることも必要でしょうね。

お礼日時:2009/09/30 21:37

 相撲はただのスポーツではなく神事としての側面が強かったから。

自分は伝統芸能だと思ってる。
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この回答へのお礼

神道などの伝統的しきたりや宗教に敬意を払っている私としては、そう言われるとGooの音も出ないのですが・・・。

お礼日時:2009/09/30 21:09

ガッツポーズで横審(というか内館個人)が文句言ってるようですが、委員長はいいんでないの?という見解でした。


見ていて、本当にうれしくて無意識にガッツポーズだ出たんだと思います。

これを問題にするより、もっと議論すべきことがあるのにスルーしている横審(というか内館個人)に文句を言いたい。

●いいの?白鵬、国技館でプロレスしちゃった
http://www.sponichi.co.jp/battle/news/2009/08/31 …

場所前のことですが、マスコミにもあまり取り上げられなかったのですが、これは大問題ではないでしょうか。
現役の横綱がプロレスのリングに上がったのですよ。
もしこれが白鵬ではなくて朝青龍だったら、横審(というか内館個人)は鬼の首でも取ったかのように大問題にするでしょう。
何故、白鵬はスルーするの?
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この回答へのお礼

(以下9/30に書き込みます。)
へえ~! こんなことがあったのですか?
何で白鵬はスルーするんでしょうか?
尤も、私はこんなことで驚いている時代ではないとも思いますが・・・。

お礼日時:2009/09/30 21:08

すべきでは無いでしょう。


過去の件から反省してないと捉われても可笑しくは無い。
過去の「外国人力士」では殆ど(皆無?)居なかった筈。
其の「先駆者」に非礼に当たるのでは?
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この回答へのお礼

日本の国技としての誇りと礼節はあくまで守るべきというお考えですね。そのお考えにも一理はあることは承知しています。

10問お礼をした所で、今日は一旦失礼します。

お礼日時:2009/09/29 20:13

いくら日本固有の文化といっても世界第二位の経済大国となって注目されている以上、自国の文化の殻の中に閉じこもることは許されない。

日本はヒマラヤの小国じゃないんです。世界のスポーツではすべてガッツポーズは当たり前だ。外国人をスカウトしていて最高位までのぼりつめさせておいて日本のしきたりを押し付けるな。外国人は「武士は食わねど高楊枝」なんてことはしないんだ。ガッツポーズを奨励するわけではないが、外国人力士の場合は多少やったっていいよ。そのほうが絵になる。破廉恥なことや非常識なことはそりゃいけないが、ガッツポーズが破廉恥か? 正直に喜びを表現しているじゃないか。がたがた言うな。
相撲もだんだん世界に普及してきているが、柔道はもっと先を行っている。柔道はいまや世界のスポーツだ。世界のスポーツとなった以上、日本の好き勝手にはできない。世界のだれも見向きしてくれないスポーツなら好き勝手にできるがそれでいいのか? 私は大相撲ファンとして外国人を歓迎するし、歓迎する以上、多少の変化は止むを得ないと考える。
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この回答へのお礼

理路整然とした、納得性のいくご回答ですね。
世界を相手にする以上当然の帰結でしょうね。
日本の伝統や礼節を何より重んじる皆さんにとっても、やむを得ない(?)帰結ではないでしょうか?

お礼日時:2009/09/29 20:11

真の王たるものは勝ってもツンツンしなければならない。


裏でデレデレするのが日本の文化です。

そんな彼を日本人はツンツンして評価します。
裏ではやはりデレデレとしているものです。
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この回答へのお礼

ハハハ! ツンツンとデレデレですか? 言い得て妙ですね。

お礼日時:2009/09/29 20:05

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