ゴリラ向け動画サイト「ウホウホ動画」にありがちなこと

質問です

今、犯罪者を主人公とした、低俗なネット小説を書いているのですが・・・

この中で最も犯罪者に犯罪をさせる為に必要な(最大の)犯罪要因だと思うものを三つ、お教えください

・学校
・会社
・容姿
・児童ポルノ情報(ゲーム・漫画・活字・動画に限らず)
・暴力描写情報。(ゲーム・漫画・活字・動画に限らず)
・性描写情報
・犯罪手口情報
・人間関係
・社会
・ネット
・罪
・罰
・甘やかし
・ストレス
・不寛容
・失業
・差別
・貧困
・お金
・銀行
・本能
・無意識
・理性
・知能(知性)
・社長、企業家
・社会の風潮
・投資家
・親(家庭環境)
・自分自身(遺伝子)
・女(異性)
・要求値
・刑務所
・レッテル
・コンプレックス
・周辺にあるモノ

(例)
1自分自身
2女
3ストレス

人の心理に有害な順で選んでくれると助かります。
立場や視点、統計を用いるかどうかは問いません。

そのように考える理由などを書いてくれると、もっと参考になります。
また、思いつくままに書いたので、実質、言葉が違うだけで意味が被っていたり
連鎖する項目もあると思いますが、そこのところは大目に見てください。

A 回答 (5件)

小説のネタなんでしょ。

全ての言葉を一つずつ、かいた紙をはこにいれ、まぜてから、3カイくじ引きすればよいのでは。
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お礼回答への回答



私の場合は憎むにも多人数からの長年を面白がられているので知らない人だらけで憎みようもありません。

よく出来た世の中だと思うぐらいです。

犯罪者への慈悲を望まれ被害者は自殺ぐらいしか残されてはいませんよ。犯罪痕は被害者に蓄積され自己抑止を突かれたら特定か無差別か向かうことが分かれるだけです。動かすのも間に居る人々によって変わりますから、いずれは国民の責任になると思います。

犯罪でも私の場合は特に性犯罪ですから母体への慈悲など感じれたものでは無かったですし堕胎まで後に望まれるだけの性交で性犯罪者らの償いをさせられ使われるばかりでした。

犯罪者と加害者や加害の幇助人は、いつの時代も強いのでしょう。

犯罪者と被害者のレッテルは、また違うと思いますが、今回は犯罪者と共通する内容で選んでみました。
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この回答へのお礼

お礼回答への回答ありがとうございます
あなたの話を聞いていると胸が痛くなりますね
傷付いた被害者を使って加害者を癒したり、被害者を使って加害者の罪の清算をさせたり被害者を使って加害者の償いをさせられる仕組みが存在していますね

まさに悪が悪を産む悪なる構造と言えるでしょう。悲惨な目に合い更に悲惨な事をかぶせられているように見えます
悲劇のスパイラルが非常に起こりやすい構造になっていると言えます

罪の証明責任と罪の責任と罪の確定とを同時にやってしまうからでしょうか?
憎むとしたらあなたを愛さない世界。あなたに不運の連鎖をもたらせたこの世界ではないでしょうか?不条理がまかり通るこのおかしな世界ですね。

最も救わなければならないのはあなたのような被害者です。社会は全力であなたのような人を救うべきだと思いますね。形だけの救いではなく、裁判や死刑のようなカルト的儀式のような救いではなく本当の意味の救いの事です。痛みを和らげる事とここでは仮定しておきます。
それが出来ていないので自ら痛みを和らげる方法として、自殺と言う選択肢を被害者に選ばせてしまうのでしょうか?
それほど悲惨な目にあってしまうと苦痛を全て取り去るのは不可能かもしれませんが。自殺を考えない程度までなら取り去る事は不可能ではないと私は思います。
しかし今はまだ裁判のようなおかしなカルト的儀式で苦痛を癒した事にして、終わらせているフシが見えますね。

人を救う効果が無い以上、或いはそれを用意していない以上、裁判などと言うものは遊びや、「罪の証明ごっこ」の範疇でしかないと私は思っています。しかしこの遊びのような儀式がこの世界では大きな力を持ち最重視されていますね。

しかし犯罪を奥深くまで見ると、犯罪者も救われなければならない対象となる。と言う結論にどうしても達してしまうのです
というのも自殺者と犯罪者は同様の層から発生しやすいからです
あなたが犯罪者だというつもりはさらさら無いので誤解のないようにお願いします
どちらも深刻かつ、重大で、他者の力なくして解決が難しい悩みが発生しやすい人々が存在する層にいるケースが多いと思っています。
犯罪被害者も犯罪加害者もこの層に割り当てられます。

犯罪者は自殺者と非常に良く似た人生を歩む事が多いです
ゆえに生活圏もかぶってしまうことも多く、犯罪行為の被害者同士で傷付けあっている構図が見えます
また、犯罪者(犯罪予備軍)の多くは元犯罪行為の被害者である事が多いです。不条理の被害者でもあります
被害者になり得る潜在的被害者か、元被害者の差です。
不幸や絶望の蓄積から発生した憎悪などのマイナス感情が外への攻撃に向かうか、それとも内に向かうのか?
自殺者と犯罪者の差はこの差にしか思えません。
女性は内に向かう事が多いようです。気質的に攻撃性が弱く、優しい性質を持つので自らを傷つけてしまう方向へと行ってしまいがちです。とても悲惨ですね。犯罪者はその逆です。

憎むとしたらあなたを愛さない世界。あなたに不運の連鎖をもたらせたこの世界ではないでしょうか?不条理がまかり通るこの世界です。

悲劇のスパイラルが非常に起こりやすい構造になっていると思いますね。

社会は犯罪者を作り、あなたを犯罪者から救わず、あなたを放置し、あなたを悲劇な目にあわせ続けました。社会はあなたを救う責任があります。
しかし自らが作成した犯罪者だけに責任を押し付けて逃れようとしているんです。おかしな儀式を用いて。

傷付いた被害者を使って加害者を癒したり、罪の清算をさせたり償いをさせる構造が存在しているようですね
被害者を使う理由がわかりませんが。罪の証明と罪の確定と同時にやってしまうからでしょうか?

被害者、潜在的被害者、犯罪行為の元被害者を最重視しないから犯罪が起こるのかもしれません。形式に乗っ取ったおかしな儀式だけを重視しているかのように思われます

以上の事から私は犯罪加害者を被害者と捉えています。全ての被害者を救助する必要があります。でないと新たな犯罪と新たな被害者が生まれるだけなので。
しかしあなたの言うように被害者を使って加害者を癒すと言う行為は最低最悪の事だと思っています
あなたの言うように最終的にはやはり社会に責任が行き着くと私も思います
今はまだ、犯罪被害者や加害者を使って真の責任の所在をごまかしているだけですね。
救うと言うのは上から目線の言葉なので不快に感じたらすみません。もう少し適切な言葉があると思うのですが思い浮かばなかったので。

お礼日時:2009/12/31 12:40

・本能(欲求)


・自分自身(遺伝子)
・差別、人間関係

・犯罪をする人は、多少の差はあれど本能や欲求に従って動いていると感じます。
欲しい、こうであれば、そうしたかった、などの無いものに対しての欲求です。
それに正直に従っていると思います。

・どんなに親が優れていても、良い教育を受けさせても、兄弟隔たりなく育てても、生まれ持った「性」はあると思います。
後天性の性格とは別のものと考えます。

・差別、人間関係に関しては、犯罪者は犯罪の前に、深く傷付いていると思います。
それは思い込みや、偏った考え方によるものも大きいと思いますが、大なり小なり「そうではない自分」や「そうではなかった他人」に対して、憎悪、裏切り、絶望感の果てに、及ぶのではないかと思います。
「自分は正しい、間違ってない」と主張する、反省のない犯罪者はこのタイプかと思われます。
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この回答へのお礼

回答ありがとうございます^^

・欲求
逆に言えば「無いもの」が多いほど犯罪をしやすいと言う事にもなりますね。参考になります
やはり満たされると言う事は人にとって、重要なのだと感じました。与える事は重要な事なんですね。

・自分自身(遺伝子)
人を構成する成分は30%が遺伝子と言われていますよね。とすると、遺伝子が優れていないから犯罪者となった。このようになりかねないのでちょっと残酷な気がしますが一つの事実でもあると思います。

・差別、人間関係
絶望の果てで犯すのが犯罪。これは参考にします。
これは私の持論ですが、反省と言うものは自らの内部、葛藤の中でのみ行う作業であって
他人に反省を求められたり、態度として見られるべきものではないと思います。
大切なのは反省をする事であって、反省をさせられる事ではありませんからね。

とても参考になりました^^

お礼日時:2009/12/27 15:58

犯罪心理などにはど素人ですが、、、


我々が、なぜ犯罪を犯さないのか?を考えて、それと逆に考えてみようかと思います。
我々は日常生活の中でもちろんストレスもあり、欲望もあり、また犯罪に関するニュースなども見ているのですから、やろうと思えばやれないことはありません。(誤解を招きそうですが)

しかし、なぜやらないかというと 事前に、
1)自分の犯すことの善悪の程度を判断して、
2)犯罪後 その後の自分への影響や
3)自分の周りの人間への影響を想像して、
デメリットが大きすぎるのでやらない、となるのでしょう。

そう考えれば、犯罪をしてしまう人はその要件が欠如しているのですから
1)善悪の程度の判断力が 欠如しており(教わってない)
2)自分の環境も 犯罪前より悪くは ならないと考え、
3)迷惑をかけることに ためらいを感じる周りの人間もいない。
ということかと思っています。

1)に当たるのが、親の教育(家庭環境)
2)に当たるのが、社会(の人間と自分の比較)
3)に当たるのが、人間関係
と 思います。 
1)の善悪の程度の判断は もしかするとDNAかもしれませんが、
小さい頃からすごく汚い言葉を使ったり、意地悪かったりする人間がでは誰から影響受けたのだろう?と考えると 親か、もしくはそういう人間と付き合うことを止められなかった親の管理不足、となるかと思います。

有害な順番で選べということですので、きっかけとしての「親」があり、以下 「社会」 > 「人間関係」が私見です。
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この回答へのお礼

>我々が、なぜ犯罪を犯さないのか?を考えて、それと逆に考えてみようかと思います。

この視点は、凄く有益で現実的だと思います。

なぜ犯罪者は犯罪を犯すのか?ではなく、なぜ犯罪者は犯罪を犯さないのか?
なぜ人は犯罪を犯すのか?ではなく、なぜ人は犯罪を犯さないのか?
最後の視点がリアルに犯罪を考え、そして見るときには重要な事だと再認識されます

あなたの回答は全体的に素晴らしい回答で、とても参考になります

>1)善悪の程度の判断力が 欠如しており(教わってない)
善悪を反転させ、反社会行為を美化する人々なら多くいそうですね。
真面目かっこわるい。勉強ダセー。と言う価値観がある社会が存在していますからね

社会性を持とうとする動物、人間は悪い事をすると、人から嫌われ、時には反発する力や、弾かれる力が生まれます。
しかし必ずしもそうなるとは限らない。むしろそういう人ほど、人気者になってしまう事がある
価値観を反転させる複雑な社会で一部の人は生きているのかもしれません。

とても参考になりました。よかったらまたお願いしますね

お礼日時:2009/12/27 16:24

1.レッテル



2.社会

3.人間関係

犯罪者も犯罪からの被害者もここからがんじがらめのままだと逃げても無駄になります。

私の実話です。0歳児から性被害者・被害者の繰り返しは続けられました。繰り返せば荒れても本人が捕まるだけ。犠牲者の的が無いと限界は既存だったのだろうと思うしか出来ませんし、犯罪も可能なぐらいの強さが頼られ不安の解消の為の人材が何かと役に立つのは現代の傾向でも同じだと感じますし、私に集中攻撃だったものが矛先が変わると、隠蔽や自分達に向かってこないという確信が持てなくなり、犯罪者と犯罪被害者の間に居た人たちは既に傷入りの何も知らされていなかった方の被害者へ動き、関与。

関与してた人たちも自分達がやられたら、知り得たはずの身を守れた目安が存在しながら、苦痛・病・自殺・他殺・犯罪者・犯罪の幇助などにそのまま分散され変わってしまったんじゃないかと思ってしまうほど事件や事故や病人が多い気がします。

私の家系では、ひぃばあちゃんが性被害者(高齢者になり、終戦後戻ってきた兵士達により性行為を後に生き残る若者たちに教える為、いくら10人兄弟のうち大半が国の為に強制労働の徴収命令で戦死していても、多く子供を産んだことに変わりは無い立場なのだからと息子(私の祖父)を撃った国籍不明の兵士に狙われ性教育材料として貧困中に残った娘たちに海外からの孤児を数名足して金銭や利益は与えず育てさせ、作業でも腰を痛めてたから腰を曲げたら性的要求されたと嘘で騒ぎ集団強姦)で土の上で言葉もあまり喋れぬまま抵抗届かず、わずかに痙攣を起こし寝たまま動かなくなったことを、その家系が今でも執拗に繰り返し、ひぃばあちゃんと同じように私にしてきてたことが判明しましたし、私は勝手に祖父母の家に上がり込まれ連れ出され道路の上でも庭で遊んでいてもやられ、転居も無意味にされ、漏洩も犯罪者から回され悪用されました。
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この回答へのお礼

かなり悲惨ですね。悲劇のスパイラル・・・
犯罪者とは、憎むべき対象ではなく、救うべき対象なのかもしれません
無闇に、憎んでも全く無意味ですからね。憎んで犯罪がなくなるならいくらでも憎みますが
憎しみグセは犯罪の源泉となるだけですからよくないでしょう。

参考になります

幼い頃は、虐待者は死刑にしろ!と思っていました。
しかし、虐待加害者には、元虐待被害者が多いと聞きます。
アダルトチルドレンは崩壊した家庭から生まれる、
しかし家庭を崩壊させた親、自身も崩壊した家庭で育った人である事が多い
リストカッターは性的虐待経験者が多い。などの統計を見た事があります

犯罪とは悪意の最終到達地点である。とも言えます。
たくさんの人に悪意を向けられ歪められてしまったのでしょう。自己を防衛する為に。

危機から自然発生的に、身を守る為に、強くなろうとした結果、生まれたもの。それが犯罪の実態なのかもしれませんね。

生きようとする力そのものが結果的に犯罪と結びついているのかも知れません

人は暴力や非道行為、説教、暴言、支配に酔う傾向がある生き物でもありますからね。
集団などの影響されやすいツールがあると深い傷を引きずっていない人も危険行為に及ぶ事もあります。

歪もうとする時、堕ちようとする時、なぜか快感が生まれてしまう。これも身を守るための本能なのかもしれません

お礼日時:2009/12/27 16:49

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