こんばんは。

今日、『めぐりあう時間たち』を観てきました。
ニコール・キッドマンのファンで、すっごく期待をして行ったのですが・・・。
ストーリーがイマイチ飲み込めなくって?がいっぱいなんです。

私の解釈が合っているかどうか、この映画を見られた方がいらっしゃいましたら教えて頂きたいのですが。

ニコール・キッドマン=作家
 精神病を患っていて、田舎で療養中。

ジュリアン・ムーア=キッドマンの本の中の登場人物。 
 メリル・ストリープの男友達のお母さん。男友達が小さい時に家を出た。

メリル・ストリープ=キッドマンの本の登場人物。
 

ムーアの息子役の方は、病気を苦に飛び降り自殺をした。
キッドマンは、これ以上夫に迷惑をかけたくなくって川に身を投げた。

私のこの解釈はあっているのでしょうか?
あと、何故ムーアは子供達を残して家を出たのでしょうか?
観たところ、精神的にちょっと辛そうな感じを受けたのですが・・・。

ネットであらすじを検索してみたのですが、上手い具合に見つからずに困っています。

お時間のある時にでも、宜しくお願い致します。

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A 回答 (1件)

私も見て解釈できなかった所をこちらで質問


して回答を得て納得した者です。
こちらで聞いた回答と自分なりの解釈で
アドバイスとゆうか・・・意見しますね!

まずジュリアン・ムーア演じるローラと
メリル・ストリープ演じるクラリッサは
ニコール・キッドマン演じるダロウェイの
小説の登場人物ではないです。
そもそも生きてる時代が違います。
そしてムーア演じるローラが家を出たのは
たぶん他人から見たら幸せなローラですが
心の奥底では悩み苦しんでたのだと思います。

この映画は同性愛の傾向がとっても強い映画だと
思います。
クラリッサもローラもそして作家のダロウェイ
もそのような感じがありますね。
私が以前質問したのも一度見てみて下さい。

参考URL:http://oshiete1.goo.ne.jp/kotaeru.php3?q=554220
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この回答へのお礼

こんばんは。
早速の御回答有難うございます。

私も、ちょっと同性愛を含んでいるのかなぁ・・・って思ったのですが。
ジュリアン・ムーアとメリル・ストリープは本の登場人物ではなかったのですね。
私は映画の何を観ていたのだろう・・・って、ちょっと情けなくなりました。
読解力がないのにも程がありますよね。

nimesさんが以前の質問も読ませて頂きました。
深夜にも関わらず、回答有難うございました。

お礼日時:2003/06/05 00:30

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Aベストアンサー

ニコール・キッドマンは、演じるヴァージニア・ウルフに少しでも近づくため、わざわざ特殊メイクで鼻の形を変えて容姿を似せていたとのことです。
すごい女優魂ですね。

http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/B00008K5NN/250-4723733-1272207

参考URL:http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/B00008K5NN/250-4723733-1272207

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もしかして奥さんが二コールだったというのは、私の勘違いでしょうか?

Aベストアンサー

こんにちは
「マイ・ライフ」だと思います。
感動的ないい作品でしたね。

http://www.allcinema.net/prog/show_c.php?num_c=21959

http://www.walkerplus.com/movie/kinejun/index.cgi?ctl=each&id=10766

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彼女についてのその他の情報、なんでもお待ちしています!

Aベストアンサー

ジュリア・ヴォーン役を演じているのは、クレア・ディンズです。

公式サイトに紹介されていますのでご覧ください。

*クラリッサ→人々→ジュリア・ヴォーン

http://www.jikantachi.com/home.php

参考URL:http://www.jikantachi.com/home.php

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Aベストアンサー

邦題で「母の眠り」です。
(ガンにおかされた母親役ででてる映画ですよね?違ったらごめんなさい)
レンタルビデオ屋さんにおいてますよ。

Qめぐりあう時間たちを観て疑問が・・・。

こんばんは。

今日、『めぐりあう時間たち』を観てきました。
ニコール・キッドマンのファンで、すっごく期待をして行ったのですが・・・。
ストーリーがイマイチ飲み込めなくって?がいっぱいなんです。

私の解釈が合っているかどうか、この映画を見られた方がいらっしゃいましたら教えて頂きたいのですが。

ニコール・キッドマン=作家
 精神病を患っていて、田舎で療養中。

ジュリアン・ムーア=キッドマンの本の中の登場人物。 
 メリル・ストリープの男友達のお母さん。男友達が小さい時に家を出た。

メリル・ストリープ=キッドマンの本の登場人物。
 

ムーアの息子役の方は、病気を苦に飛び降り自殺をした。
キッドマンは、これ以上夫に迷惑をかけたくなくって川に身を投げた。

私のこの解釈はあっているのでしょうか?
あと、何故ムーアは子供達を残して家を出たのでしょうか?
観たところ、精神的にちょっと辛そうな感じを受けたのですが・・・。

ネットであらすじを検索してみたのですが、上手い具合に見つからずに困っています。

お時間のある時にでも、宜しくお願い致します。

こんばんは。

今日、『めぐりあう時間たち』を観てきました。
ニコール・キッドマンのファンで、すっごく期待をして行ったのですが・・・。
ストーリーがイマイチ飲み込めなくって?がいっぱいなんです。

私の解釈が合っているかどうか、この映画を見られた方がいらっしゃいましたら教えて頂きたいのですが。

ニコール・キッドマン=作家
 精神病を患っていて、田舎で療養中。

ジュリアン・ムーア=キッドマンの本の中の登場人物。 
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Aベストアンサー

私も見て解釈できなかった所をこちらで質問
して回答を得て納得した者です。
こちらで聞いた回答と自分なりの解釈で
アドバイスとゆうか・・・意見しますね!

まずジュリアン・ムーア演じるローラと
メリル・ストリープ演じるクラリッサは
ニコール・キッドマン演じるダロウェイの
小説の登場人物ではないです。
そもそも生きてる時代が違います。
そしてムーア演じるローラが家を出たのは
たぶん他人から見たら幸せなローラですが
心の奥底では悩み苦しんでたのだと思います。

この映画は同性愛の傾向がとっても強い映画だと
思います。
クラリッサもローラもそして作家のダロウェイ
もそのような感じがありますね。
私が以前質問したのも一度見てみて下さい。

参考URL:http://oshiete1.goo.ne.jp/kotaeru.php3?q=554220

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2008年公開のブラインドネス(主演:ジュリアン・ムーア、競演:木村木村佳乃、伊勢谷友介)の結末を教えてください。主人公の家にみんなで行ったところまで見れたのですが、後を見れずに、もやもやしてます。

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ローラとクラリッサは、ヴァージニアの小説の登場人物!?とか、ローラはバージニアの姪!?などの話を耳にしましたが、本当でしょうか?
私は三人のつながりって、それだとは思いませんが、どうなんでしょうか?どなたか教えて下さい。
ローラとクラリッサは、リチャードを通してめぐりあうけれど、ヴァージニアとは、どういう関係?でしょうか。三人がダロウェイ夫人って事で良いのでしょうか?
どなたか教えていただけませんか?

Aベストアンサー

いろいろな見方ができるのが、優れた映画だと思います。
それぞれの観客が感じたままでよいと思いますが、
僕の考えでは、

>ローラとクラリッサは、ヴァージニアの小説の登場人物!?とか、ローラはバージニアの姪!?

いずれもNoだと思います。
僕はこんな風に感じました。自分のホームページに書いた
感想メモです。長いです。



この映画を俯瞰すると、三人のヒロインそれぞれの物語が絶妙なバランスでシンクロし、一つに収斂していくという全体像が見て取れる。共通する価値観をもつ女性が、時代を経て変わっていく社会環境の中で、別の生き方をしているものとして描かれている。

ヴァージニアは、その天賦の才能と引き換えに、神経衰弱を患い入水自殺。ローラは、自分の生を生きるためには、家庭を捨てるという選択しかなかった。クラリッサは、未婚ながら母であり、同性の恋人と暮らしている。

時代が現代にシフトしていくにつれ、社会環境は徐々に個人の自由を許容するようになっていくが、その実彼女達の心中は、ダロウェイ夫人のごとく、「パーティーを主催しても、彼女は幸せではない」。三人のヒロインを通じて、その時々に生きる女性たちから、変化することのない普遍的な部分を掬い取って見せた、それが自分の人生を生きるということである、というのが、この視点から見た見方。

なかなか重厚なドラマであり、時間と空間が交錯するスリリングな構成となっていて、いわゆる凡百の「自己探求の物語」とは一線を画している。でも、僕が感動したのは、もう一つのパースで映画を眺めたときだった。それは、ヴァージニア・ウルフと、リチャード、二人の作家の創造性と、その中心にいるローラ、という構図である。

ヴァージニアは、『ダロウェイ夫人』を執筆中で、小説中のヒロインを現実世界に投影したのがローラ。そのローラの生き方に強く影響された息子リチャードもまた、創作活動を通じて、この世界のすべてを書き記そうとする。だがそれは叶わず、「まだすべてが絡み合ったまま」。

ローラを中心として、ヴァージニアとリチャードは一本の線で結ばれている。それは表現者としての運命、ひとの心の奥底にある闇を形にするという、身を削るような創作活動であったことだろう。朝食を取らず、授賞式には出ず、田舎でも暮らせず、やりたくないことはやらずにいても、その心は決して満たされることはない。一度でも心の闇に捕われたら、そこから目を背けることができない。

彼らがどんなことを書いたのかは観客にはわからない。ヴァージニア・ウルフに関しては『ダロウェイ夫人』が実際に存在しているからまだましだが、リチャードの著作は、「書くのに10年かかった、難解な自伝的小説」ということしかわからない。だが、芸術家が表現したいものというのは、本質的にはただ一つ、「ひとのこころについて」だと思う。

心の奥底には闇しかないのなら(内省していても希望はやってこない)、そしてその闇が人間性というものならば、人間は本質的には「狂って」いて、外部と繋がることで、かろうじて正気を保っている。きっと、人が生きるということは、ナイフエッジの上を歩くようなものなのだろう。そのエッジのぎりぎりのところで、なにかを拾い上げて文章にして書き表す。作家の創造性は、精神の極めて限界に近いところで発揮されるものであるということが、ヴァージニアの創作過程や、ボロボロになったリチャードの姿を見ていて伝わってきた。

一方、彼らの作品の中に生きているかのようなローラだが、彼女は、人が生きるということに、漠然とした意識を向けている。なぜ、なんのために生きるのか、という形而上の問いを発している。少なくとも、今の家庭生活では、自分は死んでいるに等しいと感じている。キティの健康上の心痛すら、ローラにとっては、生きている証と思えたのではないだろうか。

ひとが背負う苦悩こそが、生の実感、なのかもしれない。それは、ヴァージニアの「田舎で生きるより、ロンドンでの死を選ぶ」というセリフと呼応している。ああ、なんてあなたは生きているの!と、ローラはキティのことを愛しくなって、あのキスになったのだと僕は感じた。

そう、確かに、抑圧された感情の爆発として、同性愛を提示するのはわかりやすい。そして、実際そういう視点でも描かれていて、そういう見方ができるというのは、この映画の間口の広さを示している。ただ、ローラが家庭を捨てる理由が、イコール彼女はレズだったから、という風に観客に思わせてしまったら、作品の深みが一気に削がれたことだろう。

2001年のヒロイン、クラリッサについて。三人のヒロインの物語を並列に見るのではなく、ローラを中心とした点対称の構図で見てみると、クラリッサの役どころは、ヴァージニアの夫レオナードだ。もちろん、ヴァージニア-ローラ-クラリッサ、というラインも成立しているし、物語の収斂先を見届けてもいるので、全体の目撃者的な立場でもある。

出版社を興したレオナードと、編集者であるクラリッサ。どちらも、作家に非常に近いところにいて、創造する苦しみを理解している人々だ。作家が闇を見つめていて、自分との間に深い溝ができていることも知っている。手が届かないことがわかっていながら、愛さずにはいられない。過去の幸せから逃れられず、彼らはまた、作家とは別の苦しみを背負っている。

映画で登場人物の心象描写を行う場合、役者の演技や台詞は別として、演出上の方法としては、主人公のナレーションを入れるとか、抽象的な風景を挿入するとか、ミュージカルの手法を使うとか、といったやり方があるが、この映画では、ローラの心象を、ヴァージニアの創作過程における独白、という形で表現していて、リチャードとクラリッサのダイアログも、それを補強している。

作家は心の闇から逃れられず、死への誘惑に抗することができない。編集者は、自ら表現する術を持たない。ただ一人、ローラだけが、死の淵を覗き込み、それに恐怖しながらも、強い意志で飛び越えていってしまった。小説中のヒロインさながらに行動に移してしまったローラは、そういう生き方しかできなかった、という意味で、ヴァージニアやリチャードと違い、表現する必要がない人種である。

リチャードは、自伝的な著作の中で、母親を死んだものとして描いている。母のことを理解できなかったからではない。ローラが、文章では表現しきれない場所に行ってしまったということは彼にはわかっている。そこにこそ核心があるのだと気づいている。それでも、それをどうしても書くことができず、自分の創造性の限界を思い知らされているのだ。

ヴァージニアはリチャードの上をいく。「ダロウェイ夫人」は自殺を思いとどまり、「詩人」が破滅することを見透かしている。「ダロウェイ夫人」=ローラを生かしたまま苦難の人生を歩ませることが、彼女が犯した罪への贖罪となる、と素直に解釈してみるが、だが晩年のローラの顔に刻まれた豊潤な個人史はどうだろう。彼女は、確かに非常にわかりにくい精神性を持っているが、それは、本質的な人間性というものを、ダイレクトに反映しているのではないだろうか。

いろいろな見方ができるのが、優れた映画だと思います。
それぞれの観客が感じたままでよいと思いますが、
僕の考えでは、

>ローラとクラリッサは、ヴァージニアの小説の登場人物!?とか、ローラはバージニアの姪!?

いずれもNoだと思います。
僕はこんな風に感じました。自分のホームページに書いた
感想メモです。長いです。



この映画を俯瞰すると、三人のヒロインそれぞれの物語が絶妙なバランスでシンクロし、一つに収斂していくという全体像が見て取れる。共通する価値観をもつ女性が...続きを読む

Qデミ・ムーア主演「素顔のままで」で、デミ。ムーアがダンスの練習のときに流れている曲

デミ・ムーア主演の「素顔のままで」で、デミ・ムーアがダンスの練習を一人で行っているとき(彼女の娘が舞台のソデから見ています)にバックに流れる女性ヴォーカルの曲はなんというタイトルで、どのアーティストが歌っているのでしょうか。

 ちなみに、サウンドトラック「素顔のままで」を購入したのですが、CDには収録されていませんでした。

Aベストアンサー

jakyyです。
映画では、Annie Lennoxの曲が使われたようです。
下記のところで試聴して、曲をお探し下さい。
この中にあるといいですが。
http://www.hmv.co.jp/product/detail/2544787

Qめぐりあう時間たち

今日、念願のこのタイトルの映画を見てきました。
ヒロインの3者ともに、同性愛が通奏低音のようにあるとおもいましたが、音楽がやたらテンション高くなって、不安を掻き立てられるし、正直、ちょっと拍子抜けしてしまったのですが、みなさんは、どうご覧になりましたか?
この映画のご感想をお聞かせください。

Aベストアンサー

こんばんは。
丁寧なお礼の文章ありがとうございました。
なにかお役に立てればと、反芻してみました。
見当違いかもしれませんが思いついたまま書いてみます。

最初に訂正を。「ルイスを愛するあまりに」は「リチャ-ドを愛するあまりに」の間違いでした。

>ルイスがクラリッサの家に来て、その後、クラリッサがあんなに動転してしまうあたりの、若いときの強烈な出来事が、いまひとつ、よくわかりませんでした

私は単純に過去がフラッシュバックしてああなったのだと思いました。加えて瞬時に現在の自分と彼とを比較して、なぜ自分だけがいつまでも引きずっているんだろうか、と打ちのめされたんじゃないでしょうか。彼は上手に過去を処理して何事もなかったかのように笑ってそこに立っているのに自分ときたら、というようなはがゆさもあって。過去にあった特定の出来事、というわけではないように思えます。

クラリッサが再会したときの場面で「あの頃あなたがいて彼がいて私がいた」というようなセリフを言ってませんでしたっけ?それを聞いて三人とも仲のよい友人同士だったのが恋愛感情が混入したことでバランスが崩れたか、あるいは想像をたくましくすると、トライアングルが崩れてルイスとリチャ-ドが付き合った後も、クラリッサは自分の心を隠して、彼らのよき理解者であり続けたのだろうかと思いました。それは苦しい時間だったでしょうし、長い地獄でもあったかもしれません。そんな「時代の記憶」が一気に彼女を襲ったのだとしたら?

推測にすぎませんね。やはり本を読むのがいいと思います。もともとの原作ダロウェイ夫人も読みたいと思っていますが、今回の映画の原作となったのはマイケル・カニンガムの「めぐりあう時間たち―三人のダロウェイ夫人」の方かと思います。あわせて読んでみてはいかがでしょう。

参考URL:http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4087733793/ref=sr_aps_b_1/249-3553417-0673169

こんばんは。
丁寧なお礼の文章ありがとうございました。
なにかお役に立てればと、反芻してみました。
見当違いかもしれませんが思いついたまま書いてみます。

最初に訂正を。「ルイスを愛するあまりに」は「リチャ-ドを愛するあまりに」の間違いでした。

>ルイスがクラリッサの家に来て、その後、クラリッサがあんなに動転してしまうあたりの、若いときの強烈な出来事が、いまひとつ、よくわかりませんでした

私は単純に過去がフラッシュバックしてああなったのだと思いました。加えて瞬時に現在の...続きを読む

Q二コールキッドマン主演、ステップフォードワイフ衣装について

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あの洋服を着ていた時代は具体的にいつごろなのでしょうか?また、もとはどこで生まれたファッションでしょうか?あのような洋服は何かスタイル名などあるのでしょうか?
ぜひ深く調べてみたいのです。
本などの参考文献などでも構いません。教えてください。

Aベストアンサー

「女性が女性らしく、男性が男性らしかった時代」を皮肉を込めて懐かしむ物語ですね。ブルネットでショートヘアの現代風キッドマンもステキですが、それがまさしくバービー人形そのものに変身しますよね。

ステップフォードの町の妻たちが着ている華やかな服は、第二次大戦後から60年代初期にかけての時代をモチーフにしているのだと思います。とても華やかで女らしいけれども、コルセットやヘアスプレイやハイヒールが窮屈そうなスタイルというわけでしょう。

ああいう服がお好きなら、MGM製作の往年のミュージカルなどをご覧になると楽しめるのではないでしょうか。『ステップフォードワイフ』も、そういう華やかで作り物っぽい世界を意識していたのだと思います(実際、踊るし)。とりあえず、MGMの『ザッツ・エンターテインメント』というドキュメント仕立ての映画を見てみると、だいたいどんなミュージカルがあるか分かります。

また、キッドマン主演の映画は同名の小説を原作に1975年に作られた映画のリメイクで、このオリジナル版も、うそ臭いまでに華やかな衣装のシーンが売り物のようです。私は75年版のほうを見ていないのですが。

ちなみに、日本でも当然、ああいうスタイルは流行りました。石原裕次郎や加山雄三の若かりし頃の映画などに登場しますよ。

参考URL:http://ja.wikipedia.org/wiki/MGM

「女性が女性らしく、男性が男性らしかった時代」を皮肉を込めて懐かしむ物語ですね。ブルネットでショートヘアの現代風キッドマンもステキですが、それがまさしくバービー人形そのものに変身しますよね。

ステップフォードの町の妻たちが着ている華やかな服は、第二次大戦後から60年代初期にかけての時代をモチーフにしているのだと思います。とても華やかで女らしいけれども、コルセットやヘアスプレイやハイヒールが窮屈そうなスタイルというわけでしょう。

ああいう服がお好きなら、MGM製作の往年のミ...続きを読む


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