推しミネラルウォーターはありますか?

21歳男性です。

昔の歌謡曲や日本映画が大好きです。

2007年に復刻されたタモリさんのアルバム
「タモリ」「タモリ2」「ラジカルヒステリーツアー」
を買ってタモリさんのファンになり
復刻されなかった「HOW ABOUT THIS」も買いましたし
(「タモリ3」は未所有)

映画も「下落合焼とりムービー」(所ジョージさん主演)や
主演作「キッドナップブルース」(浅井慎平監督)
なども観て

先日も初の著書「タモリのカセット面白術」をオークションで買いました。
(「タモリのTOKYO坂道美学入門」も持ってます。)

そういうのを聴いたり見たり読んだりしてタモリさんて天才だなと思いました。

そこで質問です。

デビュー当時のタモリさんをリアルタイムで
見ていないのでよくわかりませんが

サングラスかけたり眼帯したりしてイグアナの形態模写やハナモゲラ語
四ヶ国語マージャンなどをやっていたらしいですが
初めて見た時はどんな印象だったですか
不気味だったですかそれともこの人は天才だと思いましたか?

あとどういう時にサングラスかけて
どういう時に眼帯していたのでしょうか?
番組によって使い分けていたのでしょうか?

「タモリ2」のジャケットは表は眼帯で裏はサングラスでしたし、
「タモリ」はジャケットの両面は眼帯でしたが

同時期に発売された本「タモリのカセット面白術」
は表紙イラストとカバーに載っている
プロフィールの写真がサングラスでした。
(眼帯姿のイラストも載ってました。)

すごい気になったので回答お願いします。

A 回答 (8件)

最初にテレビに露出したのは、東京12チャンネルでやっていた「空飛ぶモンティパイソン」でしたね(多分、全回見たと思います)。


当時、赤塚不二夫さんとご縁があり(先輩が飲み友達)、その縁でタモリさんご本人にもテレビデビュー直後くらいにお会いしました(というより、飲んでいるところにお見えになった)。そのときはサングラスでした。基本、アイパッチはテレビと宴会だけだったんじゃないでしょうか。後、印象としては、H分け(真ん中分けでポマードやチックでなでつけている頭)の時はアイパッチだったような。
で、モンティパイソンで初めて見たときは、パイソンズのスケッチをたくさん見たかったので、タモリさんやチャンバラトリオ(今野雄二や秋川リサといったコメント陣は特に)が邪魔だなあと思いました。


たしか、レコードか書籍で、「豪華アイパッチ」が付録で付いていたのがあったと思います。オールナイトニッポンがらみかも知れません。
オールナイトニッポンでは、せんだみつおと仲が悪く(ヤラセだと思います)。また、さだまさしの音楽を当時、徹底的に嫌っていました。

そういえば、映画初主演作「喜劇役者たち 九八とゲイブル」(愛川欽也とダブル主演)は早々に(多分二週間)打ちきりになり、浅草の名画座で見たと思います。この映画を試写会で見た映画評論家小森和子さんが「1500円の価値無し」と酷評し、しばらくの間冷戦状態でした。その後オールナイトニッポンに小森さんがゲストに来て和解したはずです。

オールナイトではリスナーからの葉書で目に触れられると結構マジで起こっていました(今じゃ放送できない)。
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この回答へのお礼

デビュー当時のタモリさんに会ったことがるなんてすごいです。
うらやましいです。しかも赤塚不二夫さんとご縁があったなんて

やはり「空飛ぶモンティパイソン」でタモリさんを知った人が多いですね、チャンバラトリオさんとかも出ていたのですか、
秋川リサさんは大林宣彦監督の映画「さびしんぼう」に先生役で
出ていた人ですね、たしかファッションデザイナーだとか

あと「豪華アイパッチ」が付録で付いていたのですか
ほしいです。じつは自分でタモリさんのような眼帯作って
それを付けて写真撮りました。変わってるでしょう

「喜劇役者たち 九八とゲイブル」は知っていますが
見たことがありません、桃井かおりさんの本に
この映画のことが少し書いてあって
この映画の同時上映が桃井さんの映画だったそうで
あの映画のせいで私の映画も打ち切りになったと
文句?を書いてましたので
とてもすごい内容のコメディーなんだろうなと思いました。

小森和子さんは「下落合焼とりムービー」も悪い評価したそうで
その時もタモリさんとケンカになったそうです。

お礼日時:2010/03/23 10:44

35年以上前の話になりますが、今では考えられませんが当時私が通っていた京都のとある大学の学園祭に来ていました。


その当時タモリさんがすでにテレビに出ていたかどうかは、はっきりとは思い出せませんが、まだほとんど無名だったと思います。
彼の前に一人芸人が出て話をしましたが、学生には全く受けていませんでした。そんな寒い状況の中、今でもはっきりと覚えていますがトレードマークのアイパッチに黄色のジャケットを着たタモリさんが登場し、路に落ちているウンコとそれを発見した男の何でもない話をおもしろおかしくしていました。無論学生たちにはおお受けで大爆笑でした。
そんな何十年も前の話を今でも覚えている位ですから、私にとって強烈な印象があったという事でしょう。
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この回答へのお礼

学園祭に来たとは当時がうらやましいです。
学園祭では眼帯姿で手ていましたか
なんでもない話を面白おかしくするなんて
さすがタモリさんと思います。

たしか当時は結構ライブもやっていたらしく
山下洋輔さんや赤塚不二夫さんのライブに出たり
所ジョージさんといっしょにライブしたり

81年にアルバム「ラジカルヒステリーツアー」を
出したときは初の全国ツアーをしたそうです。

お礼日時:2010/03/25 10:10

 無理やり他の芸人さんにたとえるとしたら、コロッケが近いかな。


地味な見た目と裏腹に、いろんな芸ができる器用な人、という印象でした。
天才とまでは言わないけど、不気味さは感じませんでしたね。

 タモリ自身は江頭2:50になぞらえているようですが、キレ芸以外と
潜水以外にこれといった特色を持たないエガちゃんとは芸のレベルが
段違いでしょう。頭の回転が早いことはテレビ越しでも分かりました。

 ちなみに、永六輔の推薦でNHKに出られたエピソードで言えば、
それ以前に黒柳徹子に気に入られたことに触れずにはいられません。
永六輔と黒柳徹子はテレビ創世記に活躍した旧友で、おそらく黒柳が
タモリを紹介したはずです。その意味では、テレビ分野に踏み出す
きっかけをつくったのは黒柳徹子だったと言えるかもしれません。

 あと他の方も書いていますが、昔のイメージは真ん中分け( スケベ分け )で、
タモリのマネをするときはスケベ分け+サングラスで通じたものです。
眼帯をしていたのは70年代で、80年代になってからはほとんどサング
ラスで通していたと記憶しています。

 印象的だったのはテレビCMの「一醤麺」ですかね。たぶん 1980 年
だったと思いますが、いいともが始まる前に、すでにナショナルクライ
アントのCMに起用されていたわけです。このころにはもう、お茶の前
でもずいぶんと知られた存在でした。
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この回答へのお礼

私がまだタモリさんのファンになる前
ある本で眼帯姿のタモリさんの姿を観て
衝撃を受けたのを覚えています。その時は不気味と思いましたが
ファンになった今ではそんなことは全然思いません

黒柳徹子さんはタモリさんがテレビ初出演をした
赤塚不二夫さんの番組を観て、すぐに赤塚さんに電話し
「あの人はだれ、すごいじゃない」と絶賛し
当時まだ始まってそんなにたってなかった「徹子の部屋」
のゲストに呼んだそうです。

去年タモリさんが「徹子の部屋」に出たときに
「はじめてこの番組に出たときはまだサラリーマンでした」
と言っていました。

お礼日時:2010/03/25 09:57

はっきりいって才能を感じさせるようなコメディアンでは無かったと思います。



80年代に「笑ってる場合ですよ」の後番組で「笑っていいとも」のパーソナリティになった時は違和感がアリアリでした。
たとえばドリフターズなどは今で言うロンハーの様に子供に見せたくない有害番組として槍玉にあげられる事がありましたが、真面目にコントをやってるんだろうというのは伝わってきました。
しかしタモリさんは番組に遊びに来てるとしか思えない様なスタイルだったので、現在の様な巨匠扱いされるようになるなんて全く思ってもいませんでした。

今で言うと…小島よしおや狩野英孝の様なキモさが漂っていたような気がします。
大物芸能人から可愛がられていてその縁だけでTVに出ていたようなイメージしかありません。
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この回答へのお礼

デビューのきっかけもジャズミュージシャンの山下洋輔さんが
福岡で発見し、それを赤塚不二夫さんたちに教えたら
そいつを東京に連れて来いという話になり
東京に来たタモリさんが赤塚さんたちの前で芸を披露して

それで赤塚さんたちがタモリさんを気にいって
タモリさんをテレビタレントとして売り出そうと
赤塚さんたちが考え当時赤塚さんがやっていた生放送番組に
台本にもない役をタモリさんに与え出演させたのが
タモリさんのデビューらしいですから

大物芸能人から可愛がられている感じは
そこから来ているのではないでしょうか

お礼日時:2010/03/23 20:53

NHKの番組にデビュー間もない所ジョージさんや永六輔さんたちとともに出ていたのを覚えています。


「NHKもかわったなあ・・・」と思ったくらい奇抜な番組だったかと・・・

一目見ると忘れられない外見でした、(オールバックにアイパッチ・・・)
はじめはすぐ消えちゃうんかな?なんて思ったりもしましたが・・・

「4ヶ国語マージャン」面白かったです。。。またやらないかな?
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この回答へのお礼

NHKの番組は多分「ばらえてい テレビファソラシド」ではないかと思います。永六輔さんの推薦でその番組のレギュラーになったそうです。
当時のNHKはあまりお笑いを起用することはめったになかったそうですがタモリさんの芸が他の人たちと違ったのかNHKから気に入られたのでしょう

所ジョージさんが歌手としてデビューしたとき(今も歌手やってます)
才能を認めたのがタモリさんだそうで所さんの仲人もタモリさんで
結構共演も多かったのですが、この前所さんが「テレビでは見るけど
最近はお付き合いがない」と言っていました。

最近は仕事でもプライベートでもビートたけしさんとのお付き合いが
多く、たけしさんが所さんの家によく遊びに来ているそうです。

お礼日時:2010/03/23 10:57

タモリさんのTV初出演番組だったモンティパイソンを観ていました



具体的なネタは覚えていませんが、ものすごく不気味で印象に強く残りました
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この回答へのお礼

何かの本で読んだのですがモンティパイソンを日本で放送
するときにオリジナルのコーナーがあった方が良いという
ことでタモリさんのコーナ-を入れてそれがタモリさん初の
レギュラー番組になったそうです。

あと清水ミチ子さんがモンティパイソンを観て
タモリさんのファンになったと本に書いてました。
その本にはタモリさんの清水さんに対する
コメントも載ってました。

お礼日時:2010/03/22 22:07

38歳主婦です。


デビュー当時かどうか分かりませんが、小さいときにテレビでタモリさんのイグアナや、わけのわからない外国語(ハナモゲラ?)の芸をみていました。

あの当時は、欽ちゃんのような家庭的な笑い(下ネタのない)番組が主流だったので、びっくりしたのを覚えています。
ルックスも芸も今とは違い、気持ち悪いというのが子供の頃の私の感想でした。
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この回答へのお礼

うちの母はデビュー当時のタモリは変なことばかりやっていたで
嫌いだったと言っていました。

あとこれはタモリさん本人がたしかとんねるずの番組で
「引退前の山口百恵ちゃんの前でイグアナの物まねした
ら百恵ちゃんに嫌われてしまった」と言っていました。
なので一部のマニアにしか面白さはわからなかったのでしょう

話変わりますが
欽ちゃんも好きです。
コント55号や「欽ちゃんのどこまでやるの」の
DVDも持ってます。ああいう笑いも好きです。

お礼日時:2010/03/22 21:59

タモリさんは、片方の目が義眼なのでサングラスをかけていますが、


デビュー当時は眼帯(アイパッチ)をしていました。
私が覚えているのは、和田アキ子さんの「金曜うわさのチャンネル」に
出演していたことです。

中州産業大学のタモリ教授と名乗って、新人歌手の歌詞に
難癖をつけるというコーナーがありました。
そこに、デビュー当時の牧村三枝子さんが出てまして、
タモリに歌詞をけなされているうちは平気だったんですが、
その後でその歌を唄っているうちに、ポロポロ泣き始めました。

とてもかわいそうに思え、ひどいことをすると感じましたが
今ではタモリさんが芸能人では一番好きです。

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%87%91%E6%9B%9C1 …
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この回答へのお礼

タモリ教授のネタはCDにも入ってました。
実は私の持っていない「タモリ3」というアルバムが
昭和の歌謡曲をパロディ化して歌ったアルバムゆえ
元歌を歌った人たちなどからクレームが来て
発売中止になったそうです。

あと当時はラジオでさだまさしさんの歌の悪口も
言っていたそうです。
(ちなみに私はさだまさしさんの歌好きですし
トークも面白いと思います。)

お礼日時:2010/03/22 21:50

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