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夏目漱石の草枕(新潮文庫)を読んでいますが、注釈を読みながらでないと非常に読みにくいです。

読みやすくしているバージョンはないですか?

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A 回答 (4件)

私も「草枕」を読んだことがありますが、読みづらかったです。


訳の分からない語句がやたらとたくさん挿入されていましたよね。

しかし、冷静になってよく見てみると、
読み流せる部分の比重が高いことに気づきます。
難しい語句のほとんどがムダ知識であり、筋書きに絡まないからです。

質問者様の場合、まずざっくりと最後まで読み通した上で、
分からない部分のみ後から読み直してみては如何でしょう。
律儀に注釈を引きながら読み進めるのもアリだとは思いますが、辛いです。
一読で理解する義務なんて無い訳ですし。
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正直に申し上げると、質問者さんは「草枕」を


読んで楽しむレベルに達していません。
「草枕」より先に漢詩や禅宗の世界を勉強したほうが
よいでしょう。
岩波のハードカバーの漱石全集の草枕には
非常に丁寧な解説があるので、読むならこれで。
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 リズムがあり、歯切れがよくて読みやすいですがね。


 ことばが理解し難いのは大変ですね。
 でも読み難いですか。
 無駄知識ではないですね。
 多分、そういうのは日本や東洋の文化や心性を表現することばですね。
 漱石も源語や記紀のようになるのかな。
 そして私たち老人は歴史の彼方に、消えるか。
 でもだ、これを若者の読書風に書き直しているのはないと存じます。
 まぁ段々なれると段々判ってくると存じます。
 あまり厚くないものですので、頑張ってください。
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すらすら読めたらつまらないですよ。


今と違う意味があって言葉があってこそ文学の楽しみってもんじゃないですか?
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Q夏目漱石の草枕の冒頭の文章の意味

草枕の冒頭で、「智(ち)に働けば角(かど)が立つ。情(じょう)に棹(さお)させば流される。意地を通(とお)せば窮屈(きゅうくつ)だ。とかくに人の世は住みにくい」という文章がありますが、
これはどういう意味なのでしょうか?
恐れ入りますが、わかりやすくご解説いただけませんでしょうか?

Aベストアンサー

智に働けば角が立つ。情に棹させば流される。
意地を通せば窮屈だ。とかく人の世は住みにくい。


久しぶりに聞きましたが、人の世のわずらわしさをうまく表現したものです。さすがに文豪です。
下記サイトに分かり易く解説されています。
よく読めば簡単に分かります。
http://www11.ocn.ne.jp/~gulicomx/ture125.htm

Q夏目漱石の作品を読む順番のおすすめ

 日本語を勉強中の中国人です。夏目漱石の作品を一通り読んでみたいと思います。これまで「こころ」だけ最初から最後まで読み終わりました。ほかの作品は段落ぐらい触れた程度です。どなたか漱石の作品をどういった順番を踏んで読んだほうがよいのかおすすめいただけないでしょうか。

 また、質問文に不自然な表現がありましたら、それも教えていただければ幸いです。よろしくお願いいたします。

Aベストアンサー

別に決まりはないし気の向くままで良いと思いますが。
漱石全集ではこういう順序になってます。
http://www.iwanami.co.jp/.BOOKS/09/X/091801+.html
〈 全巻の構成 〉
◆ 1 吾輩は猫である (注解:竹盛天雄・安藤文人)
◆ 2 倫敦塔ほか 坊っちやん (注解:松村昌家・相原和邦)
◆ 3 草枕 二百十日 野分 (注解:今西順吉・出原隆俊)
◆ 4 虞美人草 (注解:平岡敏夫)
◆ 5 坑夫 三四郎 (注解:紅野謙介・吉田〓生)
◆ 6 それから 門 (注解:中山和子・玉井敬之)
◆ 7 彼岸過迄 (注解:中島国彦)
◆ 8 行人 (注解:藤井淑禎) (夏目 漱石)
◆ 9 心 (注解:重松泰雄)
◆ 10 道草 (注解:石原千秋)
◆ 11 明暗 (注解:十川信介)
◆ 12 小品 (注解:清水孝純・桶谷秀昭)


◆ 13 英文学研究 (注解:山内久明)
◆ 14 文学論 (注解:亀井俊介・出淵博) (夏目 漱石)
◆ 15 文学評論 (注解:岡照雄)
◆ 16 評論ほか (注解:小森陽一) (夏目 漱石)
◆ 17 俳句 詩歌 (注解:坪内稔典) (夏目 漱石)
◆ 18 漢詩文 (訳注:一海知義) (夏目 漱石)
◆ 19 日記・断片 上 (夏目 漱石)
◆ 20 日記・断片 下 (夏目 漱石)
◆ 21 ノート (注解:岡三郎) (夏目 漱石)
◆ 22 書簡 上 (夏目 漱石)
◆ 23 書簡 中 (夏目 漱石)
◆ 24 書簡 下 (夏目 漱石)
◆ 25 別冊 上 (夏目 漱石)
◆ 26 別冊 中 (夏目 漱石)
◆ 27 別冊 別冊下 (夏目 漱石)
◆ 28 総索引
◆ 別 漱石言行録 (猪野謙二編)

学校では中学で「坊ちゃん」高校で「心」をやる所が多いのではないでしょうか。
まず全集の1、2を読んであとは好きなやつでいいのでは。図書館や古書店にあると思います。全集は旧かな旧字体(繁体)ですが細かく註が付いています。旧かながまだ早ければ文庫版などで。

別に決まりはないし気の向くままで良いと思いますが。
漱石全集ではこういう順序になってます。
http://www.iwanami.co.jp/.BOOKS/09/X/091801+.html
〈 全巻の構成 〉
◆ 1 吾輩は猫である (注解:竹盛天雄・安藤文人)
◆ 2 倫敦塔ほか 坊っちやん (注解:松村昌家・相原和邦)
◆ 3 草枕 二百十日 野分 (注解:今西順吉・出原隆俊)
◆ 4 虞美人草 (注解:平岡敏夫)
◆ 5 坑夫 三四郎 (注解:紅野謙介・吉田〓生)
◆ 6 それから 門 (注解:中山和子・玉井敬之)
◆ 7 彼岸過迄 (注解:...続きを読む

Q夏目漱石作品等の古い文体(?)の本が読みたい!

国語の知識が無いので、何と表現するのかわからないのです・・・
夏目漱石や横溝正史の作品で、オリジナルの古い文体で書かかれたもの
(「云ふ、さうですか、~するやうに」等の語調で書かれているものという意味です。)
はどこの出版社で購入する事が出来るのでしょうか?
また、書店で請求する場合、この様な文体の名称は何と言えば伝わりますか?
宜しくお願いいたします。

Aベストアンサー

夏目漱石の作品については岩波文庫がおすすめです。
漱石に限らず近代日本文学の中で定評のある作品はほとんどが岩波文庫になっています。もちろん、オリジナルと同じ言葉遣い(旧仮名遣い)で収録されていますから、ivy2003さんのご希望にぴったりだと思いますし、大きな書店に行けば入手は容易です。

残念なことに岩波書店の販売方法が一般の本と違う(返品不可の買い切り制)為に、街の小さな書店や中規模の書店ではおいてないかもしれませんけれど・・

なお、参考URLは近くに大きな書店のない方のための岩波文庫の買い方のガイドです。

参考URL:http://www.tomita.net/column/s971008.htm

Q漱石全集と夏目漱石全集

「漱石全集」が岩波から、「夏目漱石全集」がちくまから出版されていますが、どう違うのでしょうか?
文庫本で小説は全部楽しく拝読いたしました。
興味が出てきて、漱石日記、私の個人主義を(これも文庫本)読んでいます。
今は、夏目漱石の価値観や思想観などちょっとしたことでも、もっともっと知りたい気持ちでいっぱいです。

Aベストアンサー

 こんばんは。

 仰る「ちくま」が、ちくま文庫版と仮定して回答します。

岩波:正字。旧かな。文字通りの「全集」。

ちくま:新字。新かな。難しい漢字などはひらがなにしてある。文学と評論のみ。

 『漱石日記』は岩波文庫版でしょうか。これは、新字、新かな、難しい漢字はひらがなに直してありますね。
 『私の個人主義』は、講談社文庫版かな。

 漱石の時代の雰囲気を知り、あわせて全部を見たいのであれば、#1さんの仰る通り、やはり岩波の『漱石全集』でしょう。いちばん新しいもの(第1巻が1993年)か、ひとつ前のもの(第1巻が1984年)がいいと思います。

 それからですね、
 集英社『漱石文学全集』の別巻『漱石研究年表』は、漱石の行動を、一日単位で年表にしたすごい本です。
 また、
 ほるぷ『初版本漱石文学館』は、初版本を、装丁まで忠実に復元したものです。
 また、漱石の小説は、ほとんど朝日新聞に掲載されたんですが、当時の新聞を、挿絵ごと、そのまま写真版で復元したものもあります。ゆまに書房『漱石新聞小説復刻全集』です。

 漱石のひととなりを知るには、『書簡』がお勧めです。漱石は書簡の名手で、素晴らしい手紙を数多く残しています。岩波文庫の、抜粋の『漱石書簡集』から入ってみてもいいかもしれません。

 漱石の全集は、たくさん出ていて、その歴史は、日本の全集の歴史を象徴してるといわれているんです。これを書くのに、青英舎『漱石全集物語』を参考にしましたが、そんな本が出るほどなんです。

 復刻版は、かなり大きな図書館でないとないかもしれません。最初は、岩波版『漱石全集』か、岩波文庫の漱石作品がいいと思います。

 ご参考になれば。

 こんばんは。

 仰る「ちくま」が、ちくま文庫版と仮定して回答します。

岩波:正字。旧かな。文字通りの「全集」。

ちくま:新字。新かな。難しい漢字などはひらがなにしてある。文学と評論のみ。

 『漱石日記』は岩波文庫版でしょうか。これは、新字、新かな、難しい漢字はひらがなに直してありますね。
 『私の個人主義』は、講談社文庫版かな。

 漱石の時代の雰囲気を知り、あわせて全部を見たいのであれば、#1さんの仰る通り、やはり岩波の『漱石全集』でしょう。いちばん新しいもの...続きを読む

Q夏目漱石の草枕にある情に棹させば・・・って?

これってどのような意味なんでしょうか?
また、実際、使っているようなとこはあるのでしょうか?
私の知る限りでは、こんな表現しませんので。

Aベストアンサー

草枕の冒頭の文章は有名でよく引用されますが、人生論などを人に説く立場の人が引用するのみで、一般の人、特に若い人が日常会話で使用することは考えられません。

冒頭の文章で漱石は「知、情、意」を分かりやすく且つ彼一流のユーモアで説明しています。こんなことを気にせずもっと自由気ままに生きたいものだが、現実にはそうもいかない。この世は住みにくいところだと嘆いているようです。

「情に棹さす」と言う表現は江戸時代から明治時代の人々ならだれでも理解出来たと思われます。昔の川舟は帆やオール(櫂)を使わず竹で出来た棹を操って船を進めていました。(現在でも観光地で見かけます)人間の情(感情)はコントロールすべきですが、自分のこと、家族のこと、仲間のことなどになると、うまく感情コントロールが出来なくなり、急流にもかかわらず棹を川底に強く突き刺して船を前へ進めたかのように、流されてしまって事態が悪くなり勝ちだと言ってるのです。

流れに棹さすを急流だから棹をさしてブレーキをかける意味に解釈する人がいますが、これは棹の用途を誤解しているからです。棹をブレーキとして使うなら「棹させばながされる」筈がありません。

草枕の冒頭の文章は有名でよく引用されますが、人生論などを人に説く立場の人が引用するのみで、一般の人、特に若い人が日常会話で使用することは考えられません。

冒頭の文章で漱石は「知、情、意」を分かりやすく且つ彼一流のユーモアで説明しています。こんなことを気にせずもっと自由気ままに生きたいものだが、現実にはそうもいかない。この世は住みにくいところだと嘆いているようです。

「情に棹さす」と言う表現は江戸時代から明治時代の人々ならだれでも理解出来たと思われます。昔の川舟は帆やオ...続きを読む

Q夏目漱石は森鴎外をどう思っていたか。

お世話になります。
森鴎外と夏目漱石、ともに日本を代表する作家です。
森鴎外のいくつかの小説には、夏目漱石の名前もしくは夏目漱石をモデルにしたと思われる人物が出て来て、森鴎外が夏目漱石を一目置いていた事が分かるのですが、逆に夏目漱石は森鴎外の事をどう思っていたのでしょうか?2人の間には交流はあったのでしょうか?
そのような事が分かる本などは有るのでしょうか?
宜しくお願い致します。

Aベストアンサー

まず、漱石と鴎外では、実際の年齢に五歳、差があります。
しかも、漱石が執筆活動に入った時期、鴎外はすでに押しも押されもせぬ大家の位置にあったことを、まず押さえておくべきでしょう。

漱石は明治二十四年、帝大の学生だった当時、正岡子規宛に以下のような内容の手紙を書いています。
--------
鴎外の作ほめ候とて図らずも大兄の怒りを惹き、申訳も無之(これなく)、是(これ)も小子嗜好の下等な故と只管慚愧致居候(ひたすらざんきいたしをりそうろう)。元来同人の作は僅かに二短篇を見たる迄にて、全体を窺ふ事かたく候得共(そうらえども)、当世の文人中にては先づ一角ある者と存居(ぞんじおり)候ひし、試みに彼が作を評し候はんに、結構を泰西に得、思想を其学問に得、行文(こうぶん)は漢文に胚胎して和俗を混淆したる者と存候。右等の諸分子相聚(あつま)つて、小子の目には一種沈鬱奇雅の特色ある様に思はれ候。(八月二十三日付け:引用は江藤淳『漱石とその時代』第一部から)
--------

鴎外は明治二十三年一月、『舞姫』を、同年八月『うたかたの記』、明治二十四年一月に『文づかひ』を発表しています。

後の漱石、当時はまだ金之助であった彼が読んだ「二短篇」がなんであったかは明らかではありませんが、この冒頭から、二作品を読んで高く評価した漱石に対して、子規が、それはおかしい、と反論した背景があったことがうかがえます。

江藤淳は『漱石とその時代(第一部)』(新潮全書)のなかで、鴎外の作品は、前年に帝大の英文科に入学してからの漱石の状況を考えながら、この手紙を以下のように解釈しています。

-----(p.202から引用)-----
「洋書に心酔」し、しかもそれを意志的・知的に理解しようと努力するうちに、いつの間にか虐待されつづけていた金之助の感受性を覚醒させずにはおかないものであった。つまり鴎外の小説の「結構は泰西」に仰がれていたが、そこにはまごうかたなき旧い日本――金之助が英文学専攻を決意して以来置き去りにして来た「日本」があったのである。

……『舞姫』に描かれた才子佳人の恋は、舞台こそ独都ベルリンに求められていたが、ほかならぬ晋唐小説の伝統を「文明開化」の時代に復活させた恋である。金之助が鴎外の「二短篇」に見たものは、いわば崩壊しつつある旧い世界像の残照であった。その光を浴びた彼の衝撃がいかに深かったかということは、のちに金之助が英国留学から帰国して発表した小説、『幻影の盾』と『薤露行』に痕跡をとどめている。この二短篇の雅文体の背後には、ほぼ確実に『舞姫』や『文づかひ』の鴎外がいる
------

つまり、漱石が英文学の研究から執筆活動へと移っていったのも、鴎外の存在があったことが、理由の一つであったと考えることができます。


後年、両者はそれぞれに、当時の文壇から離れた場所で、それぞれに仕事をするようになります。

このことを中村光夫はこのように指摘しています(『中村光夫全集』第三巻)。ここで「彼等」というのは、漱石と鴎外の両者を指しています。

-----「鴎外と漱石」p.160-----
おそらく彼等が表面冷やかな無関心を装ひながら内心激しい憤怒に燃えてゐたのは当時の文壇といふやうな狭い世界ではなく、むしろこの文壇をひとつの象徴とする或る社会風潮であつた。いはば彼等の誇り高い教養と抜群の見識とは、当時の我国民が無意識のうちに徐々に陥つて行つた或る根深い精神の頽廃を鋭く直観した。そしてこの抗ひ難い社会の風潮に対して勝つ見込のない敵意を燃やしてゐた。…

では彼等がここで生涯を賭して闘つた敵は何かと云へば、それは一口に云つて、近代欧米文明の一面的な輸入の結果たる所謂文明開化の時潮であったと僕は信じてゐる。…明治大正を通じて我国が存立の必要から強ひられて来た欧州文明の物質的側面の急激な輸入と、その結果として我国民の精神の深所に徐々に食ひ入つた或る微妙な歪みを指すのである。
-------

当時のふたりがなぜ交友をもたなかったのかは、さまざまな事情があったことと思います。

なによりも、漱石が専業作家として活動したのは、わずか十年であったことを忘れてはなりません。成熟するまでに時間がかかり、一人前になってからわずかな時間しか与えられなかった漱石は、自分の生命を削り取って作品に結実させていった、といっても過言ではありません。

二葉亭四迷没後、一時期は同じ職場に籍を置きながら、実質的には交遊がなかった二葉亭に対して、『長谷川君と余』(『思い出す事など』所収 岩波文庫)のように、実に心情にあふれた追悼文を残した漱石ですから、たとえば鴎外が自分より先に亡くなってでもいたら、間違いなく、何らかの追悼文を残したでしょう。

こういう位置にあった鴎外と漱石が、たとえ表面的には交遊がなかったにせよ、互いに反目したり、あるいは嫉妬したり、排斥したりということは、非常に考えにくいと思います。
漱石の弟子宛ての書簡にも、鴎外の名は散見されます。
ともに意識のうちにあったのは、日本や日本の文化の行く末であったことを考えると、互いに深い敬意を抱いていたと理解してかまわないかと思います。

まず、漱石と鴎外では、実際の年齢に五歳、差があります。
しかも、漱石が執筆活動に入った時期、鴎外はすでに押しも押されもせぬ大家の位置にあったことを、まず押さえておくべきでしょう。

漱石は明治二十四年、帝大の学生だった当時、正岡子規宛に以下のような内容の手紙を書いています。
--------
鴎外の作ほめ候とて図らずも大兄の怒りを惹き、申訳も無之(これなく)、是(これ)も小子嗜好の下等な故と只管慚愧致居候(ひたすらざんきいたしをりそうろう)。元来同人の作は僅かに二短篇を見たる迄に...続きを読む

Q文学作品の出版社の違いについて

夏目漱石のこころでも、岩波書店、新潮社、集英社の3社から出ていて、
武者小路実篤の友情も新潮社と岩波書店から出ています。

新潮社が一番古いと思うのですが、字体などが違うのでしょうか?
違いを教えてください。

Aベストアンサー

夏目漱石など、一般の人が読まれるものは、オリジナルとはずいぶんと違う印象を受けるかもしれません。
オリジナルは、もちろん旧仮名遣いですし、漢字も旧漢字。現在普通に読まれているものは、オリジナルなものに手を加えて仮名遣いや漢字の使用を現代風に書き直しています。
各出版社がそれぞれの作品の出版に際して、それぞれの基準に応じて書き直して、現代の人でも読みやすいようにしているわけで、違いがあるとすれば、その書き直しの部分で、あえて漢字表記を残して振り仮名で読み方を示しているか、今は用いられない漢字表記であるので仮名にしてしまっているか、そういう部分で、それぞれの編集方針の違いが出るかもしれないと思います。
字体は印刷所の違いがあれば、あるかもしれません。
ためしに図書館でいくつかの文学全集などから、同じ作品の入っているのを選んで、それぞれの表記の違いを比較してみると面白いかもしれません。
「友情」はなつかしいです。小学生の頃だったかに読みましたが、それは少年少女文学全集というか、そういうものでしたから、漢字にはほとんどすべて振り仮名が振ってありました。

夏目漱石など、一般の人が読まれるものは、オリジナルとはずいぶんと違う印象を受けるかもしれません。
オリジナルは、もちろん旧仮名遣いですし、漢字も旧漢字。現在普通に読まれているものは、オリジナルなものに手を加えて仮名遣いや漢字の使用を現代風に書き直しています。
各出版社がそれぞれの作品の出版に際して、それぞれの基準に応じて書き直して、現代の人でも読みやすいようにしているわけで、違いがあるとすれば、その書き直しの部分で、あえて漢字表記を残して振り仮名で読み方を示しているか、今...続きを読む

Q友達を紹介します。どうやって会わせればいいでしょうか?

彼氏の友達(男)が『いい娘、紹介してくれ』と彼氏に言っていたらしく、私の友達を紹介してあげることになりました。

私の友達(女)には了承済みです。

こういう場合、どういうふうに紹介すればいいのでしょうか?
私と彼氏、それぞれの友達が4人で会う方がいいのでしょうか?(←彼氏は恥ずかしいからいやだと言っています。)

それとも、いきなり当人どうしを会わせた方がいいのでしょうか?

合コンなどしたことがないため、どういうふうに二人を引き合わせたらいいのか迷っています。

私はどこまでやってあげればいいのでしょうか?

Aベストアンサー

私(女)は紹介された事があるのでその例を書きます。

1回目:友達に「紹介したい人がいる」と言われて、友達と、男の人と、私と3人で会う。
ちょっと話した後、二人きりにされて、散歩しながらおしゃべりをした。
しばらくして告白されて付き合う。

2回目:友達に「gomaaburaを気に入った人がいる」と言われて、友達と、男の人と、私と、友達の友達が大勢で会う(暴走族だった)。
男の人のバイクに乗せられて、しばらく走る。
その後連絡を何回か取って、会う事は無かった。

3回目:友達に紹介してもらった、と男の人から電話をもらう。
あやしいけど、会うと普通のサラリーマンだったのでつきあう。

4回目:友達に「gomaaburaに紹介したい人がいる」と言われ、友達と、友達の彼氏と、友達の彼氏の友達(男)と、私でファミレスで食事。
食事した後ドライブを4人でして、さようならをした。

友達ってのは、全て女性です。

この中で一番しっくりきて、不安がなかったのは4回目の皆で食事をした、です。
結局その人とは何もなかったけど、緊張はなかったです。
1回目の、二人きりにされるのはかなり緊張したけど、
色々話せたのでよかったです。
ただ、この場合は私も彼もお互いに第一印象がよかったからだと思いますが。

やはり、オーソドックスですが、4人で食事をしてメールアドレスや電話番号の交換をするくらいでいいのではないでしょうか。
いきなり二人きりでドライブさせたりすると、怖いだろうし、
toroporiさんは、場を盛り上げる役になると、いいと思いますよ。

私(女)は紹介された事があるのでその例を書きます。

1回目:友達に「紹介したい人がいる」と言われて、友達と、男の人と、私と3人で会う。
ちょっと話した後、二人きりにされて、散歩しながらおしゃべりをした。
しばらくして告白されて付き合う。

2回目:友達に「gomaaburaを気に入った人がいる」と言われて、友達と、男の人と、私と、友達の友達が大勢で会う(暴走族だった)。
男の人のバイクに乗せられて、しばらく走る。
その後連絡を何回か取って、会う事は無かった。

3回目:友達に紹介して...続きを読む

Q本日天気晴朗ナレドモ波高シ……は何故名文なのか?

東郷平八郎が丁字戦法を使ってバルチック艦隊を破った時、
秋山参謀という人が東京にこんな打電をしたそうです。

「敵艦見ユトノ警報ニ接シ 連合艦隊ハ直チニ出動 コレヲ撃滅セントス、
本日天気晴朗ナレドモ波高シ」

高木彬光先生の歴史小説の中で「名文中の名文」と謳われていましたが、
どうもしっくりきません。

だって、単なる指令と天候を伝える平叙文じゃないですか。
これだけシャープに必要なことをまとめた、ということが
賞賛されているのでしょうか?

教えてください。

Aベストアンサー

この電文はロシアの大艦隊を迎え撃つ前に打電されたものです。大国ロシアを相手に小国日本が寄せ集めの軍艦で海戦を挑む直前の決意を示したものです。

名文として後に有名になったのは
1.先ず海戦に勝ったこと。(負けたら名文も残らない)しかも世界が驚く一方的といってもいいくらいの勝利をおさめた。
2.これから出撃します。と短く報告すると同時に海の実戦経験者だけに分かる短い言葉で、これから起こる戦闘がどのようなものになるかをうまく伝えているからです。

つまり、兼ねて準備していた連合艦隊は予定どおり、故障艦も脱落艦もなく、直ちに出撃し敵を撃滅することを前文で伝えています。後半の天気の文章も海軍の現場の人にはいろいろな情報を伝えています。即ち、本日は天気に恵まれ海上の見通しは非常に良い。砲撃戦に理想の天気である。しかし、海上には高波が見られるので、魚雷艇などを使った細かな作戦を実行するには難がある。本日の戦いは砲撃で決着がつくだろう。

ようやく近代国家の仲間入りをしたばかりの日本の存亡を賭けた戦いを前にして、七、五調の短い電文でこれだけの情報を送れるのは名文でなければ出来ません。しかし、これが決意表明ではなく作戦の変更や指示を仰ぐ電文であれば、決して名文とはいえないでしょう。読む人によって理解が異なるような文章は戦時に使用すべきではないでしょう。やはり戦争に勝ったということと決意表明の電文だったからこそ後世まで語り継がれたのでしょう。

この電文はロシアの大艦隊を迎え撃つ前に打電されたものです。大国ロシアを相手に小国日本が寄せ集めの軍艦で海戦を挑む直前の決意を示したものです。

名文として後に有名になったのは
1.先ず海戦に勝ったこと。(負けたら名文も残らない)しかも世界が驚く一方的といってもいいくらいの勝利をおさめた。
2.これから出撃します。と短く報告すると同時に海の実戦経験者だけに分かる短い言葉で、これから起こる戦闘がどのようなものになるかをうまく伝えているからです。

つまり、兼ねて準備していた連...続きを読む

Q漱石は『虞美人草』を嫌っていたのか

内田百閒に『漱石先生雑記帖』という本があります。他の本にも収められているのかもしれませんが、この中にある『「百鬼園日記帖」より』に『虞美人草』について次のようなことが書かれています。

(抜粋)
・篇中で一番優待せられてゐる甲野が非常に浅薄できざな人格だといふ事。いやにむつちりして思はせ振りな哲学者気取りが鼻につく。
・宗近もいけない。あんな人格は小野さんでなくても軽蔑する。いや味のなささうないや味だらけだ。
・先生が善玉として描いた二人ともが今の心で読めばまるで贋物であるには驚く。
・小野丈が真面目な人格に、書くときの先生の予期を裏切つて、人間らしく描かれてゐる。小野のすることと云ふこと考へることは、大凡真面目で全人格的であるところが甲野よりも数等上の人格に見える。
・虞美人艸は晩年先生が非常にきらつてゐたのを、ただぼんやり其文章技巧の点からだと思つてゐたけれど、漸く先生の心持がわかつた。虞美人艸を書いた折はまだ先生も甲野をああいふ風に見る程度の人であつた。

う~ん、すごい斬り捨て方ですね。でも、質問は、百閒の意見をどう思うかではありません。(それも関係ありますが)

★漱石が晩年『虞美人草』を嫌っていたというのは本当ですか。漱石自身の文章で、そのようなものが残っているのでしょうか。

(漱石自身の詳しい言葉が残っていれば話は早いのですが、なかった場合、)

★漱石が晩年『虞美人草』を嫌っていたとすると、それは何故だと考えられるでしょうか。想像でかまわないのですが、回答者さんの考えるところを教えてください。

百閒が言うように、善玉を取り違えていたから、人物を見る目がなかったと後になって気づいた、からなのか。それとも別の理由があるのか。くわしい方のお考えをお聞かせください。
よろしくお願いします。

内田百閒に『漱石先生雑記帖』という本があります。他の本にも収められているのかもしれませんが、この中にある『「百鬼園日記帖」より』に『虞美人草』について次のようなことが書かれています。

(抜粋)
・篇中で一番優待せられてゐる甲野が非常に浅薄できざな人格だといふ事。いやにむつちりして思はせ振りな哲学者気取りが鼻につく。
・宗近もいけない。あんな人格は小野さんでなくても軽蔑する。いや味のなささうないや味だらけだ。
・先生が善玉として描いた二人ともが今の心で読めばまるで贋物である...続きを読む

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☆内田百閒と漱石について

漱石が数多くの門下生を育てたことは、質問者さんもすでにご存じのことと思います。
しかも、門下生のひとつの大きな特徴として、大家の取り巻きではなく、それぞれに人並み優れた個性と才能のもちぬしでした。

門下生筆頭とされる小宮豊隆はこう書いています。

「漱石は人を刺激する事にも妙を得てゐれば、人から刺激を受ける事にも妙を得てゐた。是は漱石の頭脳が明敏で、相手の持つてゐる本質的な良いものを直ちに発見して、それが展開し得る可能性を尊敬する事が出来たせゐでもあるが、同時に漱石の頭が創造的で、他人の中の創造的な機能を活発に運転させるとともに、自分自身の創造への大きな刺激を受け取つた」(『夏目漱石』上 小宮豊隆 岩波文庫)

小宮らがそうした教師としての漱石に出会い、親炙したのに対して、岡山の中学時代、漱石の【ヨウ】虚集に心酔し、その作品を通して漱石に導かれていきます。
やがて習作の『老猫』を漱石に送り、
「筆ツキ真面目にて何の衒ふ所なくよろしく候」(明治四十二年八月二十四日付書簡)
と返事をもらい、その二年後、長与胃腸病院に入院する漱石に初めて対面します。

大正二年から五年にかけて、百閒は漱石の著作の校正を任されます。
百閒の経済的困窮に対する漱石の配慮でもあったのですが、百閒はその期待に十分応える仕事をする。
漱石の死後、全集編纂の際には、校正の担当者として、『漱石校正文法』を体系化し、漱石の用語法・かなおくり法に法則を導入するのです。

同年代の芥川龍之介や久米正雄らは、ある意味で、漱石を足がかりとして、文壇へ出ていきます。そうした彼らが脚光を浴びる傍らで、黙々と漱石の校正をしていたのが百閒でした。

「百閒が漱石著作について行なったような校正ということ、即ち漱石の全作品の味読と、発想法や文体の根本的理解に立ってその用語用字をたどり、漱石の冒した無意識の誤りを看過せず漱石の発想法にまで立ち戻ってこれを改めるという風な校正に、長年の間携わるということは、あたかも書道を学ぶ人が、古い手本を敷き写しにしてその筆勢をおのずと我身につけると同様に、漱石の文章に備わる「筆勢」即ち文体や発想法を自然に身につけることを結果したに相違ありません」(『内田百閒―『冥土』の周辺 内田道雄 翰林書房)

同書からの孫引きになるのですが、雑誌『新潮』昭和26年6月号に、こんな座談会の記録が紹介されています。

  安倍 内田さん何かありませんか。たとへば夏目さんをどういふ人とあなたは見てをられるか……。
  内田 どういふふうな人つて、私なんかには絶対的なものですね。
  小宮 内田君はその点は実に純粋だ。無条件に先生を崇拝してゐる。
  内田 どうも、批判も何もありませんね。
  小宮 それに較べると、僕なんかは生意気で不順で、悪いことした気がする。
  安倍 君の態度だつて純粋だよ。
  内田 僕なぞは口もきけなかつたやうなところがありますね。小宮さんなんか、先生と対話ができましたからね……。(笑)

この中に、座談会のような席上で、漱石のことをあれこれ語りたくない、という百閒の拒否感が、それとなくうかがえるような気がします。それくらい、百閒にとって漱石は「絶対的」な人だった。

質問者さんがあげられた百閒から見るところの『虞美人草』の問題点を、いちいち論評できるほど、私は百閒についても漱石や『虞美人草』についても、詳しいわけではありません。
ただ百閒と漱石の関係をこうやって見ていくならば、それは、漱石の発想から誰よりも詳しい人間がする批判、むしろ、後年の漱石自身の問題意識に限りなく近いものとして見ることができるのではないか、と思うのです。
そうした上で、再度質問者さんが『虞美人草』をお読みになり、考えていただければよいのではないか、百閒が投げかけた問題点は、そうしたものとしてあるのではないか、と思います。


以上、大変に長くなりました。
最後までおつきあいくださってどうもありがとうございます。
分かりにくい点、さらに詳しく知りたい部分などありましたら、補足要求お願いいたします。
なお、私自身は、一応文学研究の端くれに身を置こうとするものではありますが、漱石や日本文学の専門家でも何でもありません。
ただ、興味を持つ一般人であること、ある程度、文献には当たっていますが、正確さに関しては必ずしも保証の限りではないことをご理解ください。

☆内田百閒と漱石について

漱石が数多くの門下生を育てたことは、質問者さんもすでにご存じのことと思います。
しかも、門下生のひとつの大きな特徴として、大家の取り巻きではなく、それぞれに人並み優れた個性と才能のもちぬしでした。

門下生筆頭とされる小宮豊隆はこう書いています。

「漱石は人を刺激する事にも妙を得てゐれば、人から刺激を受ける事にも妙を得てゐた。是は漱石の頭脳が明敏で、相手の持つてゐる本質的な良いものを直ちに発見して、それが展開し得る可能性を尊敬する事が出来たせゐ...続きを読む


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