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夏目漱石「こころ」についてです。

この作品の登場人物は、ほとんどが代名詞で表されていますが、
上で、奥さんを「静」
中で、母を「お光」と呼ぶシーンがあります。
この作品で個人名が与えられたのはこの二名だけです。

これは一体何を表していると考えられますか。
みなさんのご意見が聞きたいです。

私はジェンダー論と絡めて考察したいと考えています。
(ジェンダー論に関してほとんど無知なので、これから勉強していくつもりです。)

A 回答 (3件)

>この作品の登場人物は、ほとんどが代名詞で表されていますが、



「こころ」は、漱石の長篇小説の中では、唯一一人称による語り(回想)によって物語が展開されていくという形式を採用していますよね。
こういう場合、これはあくまでも一般論、原則論でしかないのですが、《語り手》と《語り》の対象との間に、時間的・空間的な一種のパースペクティブ(遠近法)な《距離》がありますから、これが《語り手》に作用して、語る対象としての素材・題材をより抽象化や類型化させやすいと言えるかもしれません。

「こころ」の場合、主人公の《語り手》は帝大を卒業して間もない理想主義者で、人間的にも真面目で誠実だが、まだ人生や社会の裏表を十分には理解できていない、良くも悪くも観念先行型、頭デッカチの田舎青年というキャラクターを与えられていますよね。
その点では、テーマは違いますが、やはり熊本出身の三四郞が良くも悪くも文明開化の光と影を具象化し、自我意識に目覚めた、男勝りの超美人の美禰子に翻弄されつつ自己形成していくのと通底するところがありますよね。

この三四郞が「先生」という人物とたまたま鎌倉の海水浴場で出遭い、持ち前の愚直さで先生の人柄に惚れ込み、最終的に「先生」の「遺書」の差し宛人として遇されるだけの信頼を勝ち取った結果、「明治の精神に殉死」した先生によって自分の後継者として、新しい時代《=大正》を生きていくことを託され、そのための《宿題》としての「遺書」を委ねられたと解することができます。

このような「こころ」の《語り手》としては、あくまでも「先生の遺書」を受取り、それを読んで驚愕した時点から時間を遡るようにして先生と自分との関係を反性的に捉え直す必要性に迫られたはずですから、それ以外のこと、登場人物等のプライバシー等が《語り手》の興味・関心の対象外だったとしても何ら不思議ではないですよね。
だから、「登場人物は、ほとんどが代名詞」であっても全然構わなかったと言えるのではないでしょうか。
彼の興味・関心はひとえに先生の「明治の精神に殉死」する必然性を自分自身の人生の課題として受け止め、その真相を明らかにすることに向けられていたはずでして、これを一種の手記の形にまとめ上げ、読者に披瀝することで、問題意識の共有を求めようとしたとは考えられないでしょうか。

ということで、「こころ」では「登場人物は、ほとんどが代名詞で表されています」ことだけに限らず、彼らのプライベートな側面を描くにしても、実は物語を展開していく上での必要最小限の範囲内に限られていると言えるはずです。
だから、「静」にせよ、「お光」にせよ、地の文の中ではなく、会話文の中でしか使用されていませんよね。
やはり、《語り手=主人公》の興味・関心があくまでも、自分の人生の師である「先生」の自殺の動機、必然性だけに向けられていたからと説明するしかないような気がします。

ただし、以上のように考えれば考えるほど引っ掛からざるを得ないのは、冒頭の以下の一節でして、これをどう解釈するかについては、質問者さんご自身に委ねたいと思います。

「私はその人を常に先生と呼んでいた。だからここでもただ先生と書くだけで本名は打ち明けない。これは世間を憚かる遠慮というよりも、その方が私にとって自然だからである。私はその人の記憶を呼び起すごとに、すぐ「先生」といいたくなる。筆を執っても心持は同じ事である。よそよそしい頭文字などはとても使う気にならない。」

なお、「こころ」を「ジェンダー論と絡めて考察」なさるのも結構ですが、漱石が生涯を通じて凝視していたのは、「ジェンダー論」のはるか彼方でチラチラする、より困難な課題であったことだけは忘れてはいけないと思います。
もし、「ジェンダー論」的な視点からということなら、「こころ」よりも「虞美人草」、「道草」、「明暗」等の方が恰好な材料を提供してくれるかもしれません。
「こころ」は「三四郞」と並んで、一種の教養小説(Bildungsroman自己形成小説)と評した方がより適切であるような気がします。
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 55年前の読書、もう一度呼んでみました。


 同じく、私たちの日常とは異なる世界と状況ではあるが、叙述になんら不自然がなく極く当たり前に読みました。
 登場人物が限られているし、固有名詞を付する必要がないと存じました。
 この件がジェンダーに関連するとは必ずしも感じませんでした。
 主題と内容から、固有名詞が欲しいとは存じませんでした。
 奥さんとお母さんについてお名前があるのも不思議とは存じませんでした。
 もうしわけありません。
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そう言われてみればそうですね。



ふと、おもったのですが、こころのなかで人を思い浮かべるとき、身内や非常にひたしい人を名前で思い浮かべることはないかも。
こころの動きをより表すために、実際に呼び止める必要のあるところ以外は名前が必要ではないのでは?
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