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現在のナイジェリアにあったビアフラという国に興味を持っています。今もかつてのビアフラを象徴するような建造物やメモリアルのものは残っているのでしょうか?簡単に旅行できるのでしょうか?

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A 回答 (3件)

手元にあるBradt発行のNigeriaというガイドブックによると、アビア州のUmuahiaというところに、ビアフラ戦争当時の兵器などが展示してあるNational War Museumがあるそうです。

Umuahiaは、エヌグとポートハーコートを繋ぐ幹線道路沿いにあり、エヌグから120キロ。

首都アブジャからエヌグ空港に飛んで、車でエボニ州に行ったことがります。残念ながら、エヌグ市内に行く時間はなかったのですが、周辺は、少なくとも昼間は、のんびりした感じのところでした。エヌグには、首都アブジャや最大都市ラゴスから国内線が飛んでいます。

石油の出る最南部は、実は、イボ人のエリアではなく、イジョー人やオゴニ人などの少数民族の住む場所です。
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この回答へのお礼

有り難うございます。具体的な情報で助かります。『National War Museum』があったなんて、益々興味が湧いてきました。

お礼日時:2010/05/25 07:58

ナイジェリアはあまり治安がよろしくないのではありませんか。


海外安全ホームページなどで確認してみますと、南東部にあるナイジャーデルタ地帯という地域が治安が非常に悪いとのこと。また、ナイジェリア全土に「渡航の是非を検討してください」が出ております。
http://www.anzen.mofa.go.jp/info/info4.asp?id=115

その退避勧告の出ているリバース州ポートハーコート市は、かつてビアフラ域内にありました。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%93%E3%82%A2% …

そこより北のエヌグの辺りはどうなんでしょうね、ビアフラの最初の首都だったところですが・・・・。
ビアフラでなかったもっと西のほうのラゴスという都市はナイジェリアの最大の都市だそうですが、ここも治安悪いみたい。
http://www.dososhin.com/dictionary/detail.php?id …

何かビアフラを象徴するものが残っているかどうかは知らないんですが、簡単に旅行できる国ではなさそうです。ビアフラはとても物資に乏しく食糧にも困窮したようですから、立派な建物やモニュメントみたいなものはどうだかなと思いますが・・・・。

ナイジェリア生まれの作家、チママンダ・ンゴズィ・アディーチェが書いた、"Half of a Yellow Sun"というイグボ族から見たビアフラの内側の生活を描いた小説があります。英語で書かれた小説で残念ながらまだ邦訳が出ていないようなのですが、もし読めるようでしたらお読みになると良いと思います。
また、『アメリカにいる、きみ』という短編集が邦訳で出ているそうです。
アマゾンのカスタマーレビューを見ると日本オリジナル編集の短編集らしいですが、ビアフラ戦争の話も入っているようです。お読みになっているかもしれませんが・・・・

ビアフラ戦争後の1970年代~1980年代頃のナイジェリアを描いた"Purple Hibiscus"という作品もあります。
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この回答へのお礼

有り難うございます。なかなか大変そうですね。ビアフラの戦争に関するものが残っていればと思ったのですが。
短編集は今度読んでみます。

お礼日時:2010/05/11 17:56

ビアフラはフランスと南アフリカの植民地主義者の支援得て東部出身部族が「ナイジェリア東部」につくった人工の国です。

1967年から1070年まで約2年半あった(首都陥落で消滅したが亡命政府(^^)はあるとか)
日本で言えば江戸末期の蝦夷地がフランス軍の支持得て(注 実際はなかった)「エゾ共和国」つくったみたいなものです。明治維新の新政府は北海道まで影響力ないけど。

北部にイスラム系部族ハウサ族、西部にイスラム系キリスト教系のヨルバ族、東部にキリスト教系イボ族多かった。イボ族は経済的実権にぎり政治はイスラム系政府が握っていた。
東部に油田発見され政府が管理した。イスラム系に主導権あったのでイボ族(キリスト教徒)は不満に思っていた。当時は3州の連邦制でハウサとヨルバは連合していた(連邦支配しようとする)

1966年イボ族将校らがクーデタ起こし北部系の政治家や軍人を殺害した。クーデタ派内部で抗争あり、イボ族の将軍が鎮圧した。
新将軍は臨時政府つくりイボ族重用し、州制移行(旧3州を分割)でイボ族の優位保とうとする(連邦解体めざす)
連邦制廃止に北部ではイボ族への反発強まり数1000人のイボ族殺害し、新将軍もハウサ族将校に襲撃される(殺害された)。北部出身のゴウォン中佐が政権掌握し、旧連邦廃止をたてに旧東部州の分割目指す。

1万人超えるイボ族が殺害され100万人超える難民が東部州に避難する。州の軍司令官(知事)オジュク中佐はこの事態利用して独立宣言「ビアフラ共和国」。
石油利権欲しいフランスと南アフリカはビアフラ軍支持する。アフリカの現状変更望まないイギリスは連邦支持、影響力強めたいソ連は連邦支持した。
戦況は膠着状態だったが持久戦で連邦軍優位になる。ビアフラ側は白人傭兵部隊採用で国際的な支持得られない。

1968年には連邦軍が反乱軍(ビアフラ軍)包囲する。早期決着狙い食料物資の供給封鎖する。西側マスコミと赤十字はビアフラ側に立ち飢餓訴えたが、「国民食べさせられない政府」が粘る方が異常です(^^)
1970年1月、オジョク将軍はコートジボワールに逃亡(亡命、ここはビアフラ承認していた)、ビアフラは降伏する。
西側マスコミが期待した「ハウサ族による大規模な報復や虐殺」起きなかった!
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この回答へのお礼

有り難うございます。現在はイボ族に関するものとか何かあるのでしょうか?また行くことは可能なのでしょうか?

お礼日時:2010/05/11 12:50

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