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動物愛護団体の皆様への質問です。
蝿や蚊、ゴキブリを殺すことをどう思っていらっしゃいますか?
それらも広義の動物ですが。

A 回答 (4件)

 動物愛護団体のものではありませんが、彼らにすればそういう生き物も大切な命なんでしょうね。

動物愛護団体の“動物”から排除されているのは“人間”だけなような気がしています。

 野良猫の糞尿に悩まされた者の繰言とお聞き下さい。
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この回答へのお礼

回答ありがとうございます。それを確認したくてご質問させていただきました。

お礼日時:2010/05/13 12:23

少し質問内容とずれますが、ご容赦下さい。



私は「一部の」動物愛護団体に対しては、あまり良い印象を持っていません。極端な例では「シー・シェパード」などもそうですが、「動物愛護」の名の下、正義を自認し、過激な言動を弄する人(団体)には強い嫌悪感を抱きます。

人間、「自分は正義を行使している」と思うと、歯止めが利かなくなることがありますね。有無を言わさず「正しいことをしているのだから文句は言うな」とばかりに先鋭化した言動をとる人は恐怖ですらあります。

以前、地方の山間の村で野生の鹿が農作物を喰い荒らす被害に困り果て、「計画的に」駆除していることを知った「動物愛護団体」が、村人の駆除行為を「野蛮だ」とか「けしからん」、「非常識だ」など、口汚く抗議している(罵っている)のをテレビで見たことがあります。
村人たちは、それまであらゆる方法で防獣対策を講じてきたにも関わらず、一向に被害が減らなかったため、「自分達の生活を守るため、やむを得ず」最終手段として駆除という方法を採ったわけですが、動物愛護団体の人は「鹿を駆除した」という点のみを取り上げて非難していたのです。

私から言わせれば、動物愛護の精神を「正しく」発揮するならば、ここは非難するのではなく、村人と鹿の共存が可能となるための支援や助言をすべきなのです。

広義では人間も動物です。鹿を守るために人間が犠牲にならなければならない、というのは本末転倒です。
もちろんこの場合、人間は単に「生活に困る」だけなのに対し、鹿は「殺されている」訳ですから、単純比較すれば「人間側に譲歩の余地がある」と思えなくも無いですが、しかしその「譲歩」を村人だけに押し付けるのは問題です。人間側が譲歩すべき、というなら、皆で村人の生活を(経済面で)支えるべきなのです。鹿対策にかかる費用を負担してあげる、とか、鹿の食害にあった農作物の被害金額相当を支援する等、具体的で効果的な、目に見える援助をする。これがこの場合における「正しい」動物愛護のあり方だと思うのです。
しかし、そういうことはせず、単に非難だけして「鹿の駆除は今後一切しないことを求める」などと言ったところで、一体何の解決になるというのでしょうか。

「言うだけ」なら簡単なのです。幼稚園児だって「動物の命も大切、殺してはダメ」と「言うこと」は出来る。ですが、それを実現しようとした時、あらゆる面で障害が出ることがあります。その障害の程度が軽微であれば誰でも実行出来るでしょうが、逆に障害が著しく大きかった時、どこまで信念に基づき「正義」を行動に移せるか。

動物愛護の考え方は全く正しいですが、理想と現実という側面も考慮に入れないと、単なる過激な原理主義に陥ります。「一部の動物愛護団体」というのは、まさにこの状態になっていると言えるのではないでしょうか。
「他人事」だから平然と「正義」などを声高に叫ぶことが出来るのですが、自身の身の上に降りかかってきたとき、全く同様の「正義」を実行することが出来るか、ということです。

私には、「一部の」動物愛護を唱える方々には、上記のような部分、すなわち「偽善」の臭いが強く感じられ、それが不快感へと繋がっています。
前の回答者さまも書かれていますが、その時々で都合の良い解釈を持ち出して、「正義という名の暴力」を振り回す。しかも自身が「暴力を振るっている」という自覚が全く無い。むしろ自身の「正しい行い」に酔っている。こういう連中が跋扈しているのが現実です。

本来の「健全な」動物愛護の活動をされている方々には本当に頭が下がりますが、一部の心無い「似非動物愛護団体」のために悪いイメージを持たれてしまうとしたら、大変不幸なことだと思います。

動物愛護というのは、大げさに理想を語るよりも、各人の身の丈にあった「常識的な範囲」で行動すべきものだと考えます。屁理屈ばかり捏ね回して頭でっかちになったら駄目だと思います。
最後に質問内容に触れるとすれば(私は動物愛護団体の人間ではありませんが)、ハエ、蚊、ゴキブリは何の躊躇いもなく殺していますし、そのことに対し後ろめたい気持ちは一切ありません。ですが、それらの生き物の命は、犬・猫・人間の命とは何ら違いがないとも思っています。一方で、矛盾する書き方になりますが、ハエ・蚊・ゴキブリの命と犬・猫・人間の命を天秤にかければ圧倒的に後者の方に重きをおきます。さらに後者3つの中でも人間の命が一番重い。
全くつじつまの合わないことを書いていますが、正直な気持ちとしてこれらは全て自分にとっては真実です。

長々と失礼しました。

この回答への補足

これ以上回答がありませんので締め切らせていただきます。

補足日時:2010/05/15 07:33
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この回答へのお礼

回答ありがとうございます。質問の趣旨はNo.1回答者様に対するお礼として書きました。
貴方様の回答から察すると、皆さんが仰る通り、動物愛護団体の方は人間を動物だとは認めていないんですよね。
そういうところも含めて当事者のポリシーを知りたいと思っての質問です。

お礼日時:2010/05/13 12:29

その前に蝿、蚊、ゴキブリって虫でしょ・・・。

この回答への補足

生物全体を大きく二分すると植物と動物になる筈です。その時には昆虫は動物に含まれる筈です。そういう意味で広義の動物と表現しました。

補足日時:2010/05/13 12:17
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別に動物愛護団体ではないですが


一部の彼らにしてみればいろんな意味で都合の言いように解釈します。

でも一般的な人にしてみれば愛玩動物なのか害虫なのかでの判断でいいのではないかと
思います。
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この回答へのお礼

回答ありがとうございます。人間は自分の都合で微生物の生命維持活動を、有益なものを「発酵」、有害なものを「腐敗」と表現しますから、動物愛護団体の方はそういう人間のエゴな分類をどう思っているのかを知りたくて質問させていただきました。

お礼日時:2010/05/13 12:22

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