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昔のTV事情を聞かせてください。

このサイトではモノクロテレビ時代の思い出も数多く語られておりますが、当方はその時代はまだ生まれていなかったので、知らない部分も多くあります。
なので、昔のテレビ事情(とくにモノクロ~カラー初期)の思い出を聞かせてください。

※当方が生まれた頃(80年代初め~半ば)は、カラー化をほぼ終えて次の世代の放送システムを見据えていた時代でした。テレビは家具調が多かったですね。リモコンやビデオ入力はまだなかったものが多かったです。我が家にあったのは東芝でした(その後も地デジAQUOSの購入までうちのTVは東芝かソニーだった)

A 回答 (14件中1~10件)

すみません、もうチョイ古い時代で1952年生まれ(寒冷地)です。


幼稚園時代まではうちにはテレビは無く、もっぱら娯楽は木の箱で出来たラジオだけでしたね、当時は1町角に1件だけテレビを買った家があり、相撲時期になるとよく近所の人たちが集まったものです。初代若乃花や栃錦戦でしたね。当時のテレビはまだ足も無くただの木の箱状のものでした。
うちにテレビが来たのは小学2年生のときですから58年くらいでしょうか、真四角の木の箱でまだ足も無く、ブラウン管の下は左右にダイヤル(電源スイッチとボリュームを兼ねたダイヤルとチャンネル切り替えダイヤル)が二つとその間に画像調整のつまみが4~5個ぐらい並んでいました。スピーカーは横面に1個のみ。当時は17インチで大型の部類でした。
その頃はまだ真空管式で画像が出るのに時間が掛かり、また受信も安定していなかったせいか画面が上下にパラパラ移動をはじめたり、縦方向や横方向に伸びたり縮んだり、画面が暗くなったり明るくなったりすることが多く、しょっちゅう調整しながら見ていたものです。うちには真空管の予備まで置いてありましたよ。勿論アンテナはテレビの上の室内アンテナでさわると画像が変化してしまったものです。
月光仮面や鞍馬天狗、少年ジェット、初代キングコングなどを見ましたね、力道山や豊登のプロレスも覚えています。
うちでは70年くらいまではカラーテレビは無かったので2代目の白黒(トランジスタ化)になってからも初代のテレビを自分の部屋にもらいうけ、自分で真空管を交換したり修理してなんとか映るようにし、夜な夜な親に内緒でイレブンPMなどを見たものです。
いや、ついつい長くなりました。なつかしい思い出を語れるご質問をありがとうございました。
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この回答へのお礼

ありがとうございました。

真空管はもはや過去のものとなりましたが、古き良き思い出がおありのようですね。

お礼日時:2010/07/28 21:37

今までに出ていない(見落としているかもしれませんが)ところでは、チャンネル式のものでは、VHFは、ガチャガチャ式でしたが、UHFは、ラジオのチューニングのような、無段階のものでした。


ですので、少し電波が弱いところでは、UHFのチャンネルを合わせるのは至難の業でした。

それに、白黒時代のテレビは、スイッチを入れてから、画面が映るまでに1分ほどかかりましたね。
チャンネルの主導権は、父親が持っていました。
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この回答へのお礼

ありがとうございました。

ガチャガチャ式は最初期のビデオでも当たり前でした。その頃は今みたいにビデオ入力に切り替えるタイプではなく、テレビの放送がないチャンネルを使うタイプでした。

3倍モードがない、テープはデッキの上のほうに入れる、リモコンがなかったりワイヤードだったりなど、ここ数年の製品とは異なる部分もありますが、懐かしいです。

お礼日時:2010/07/29 19:44

年代は質問者さんと同じ~若干上の年代になります。


なので、モノクロTV世代ではありませんが、ぎりぎり「がちゃがちゃ」チャンネルのTVだった世代でした。

その頃にはTVは誰の家にもあって、どの家もがちゃがちゃチャンネルで、TVの電源も今みたいなのではなく、重たくて子どもの力でつかなかったり、色んなボタンがあって子どもがどれが電源か分からないために、子どものいる家では、子どもに分かりやすいように意識的にセロテープの上にペンで「かかる」(こちらの方言では「電源が入る」のことを「かかる」と言います)と書いて、電源スイッチに貼ってありました。

電源を消すときに、独特の音(ソニーのTVが一番電源のONOFFの音が大きかった)とともに真ん中に四角いような図形が映っていくのを追いかけたり、消えた直後に静電気が発生して、それを意図的に触ったり(ぷつぷつと音がするのが面白かったんですよね)、もっと画面が今みたく角ばっておらず、端が丸みを帯びてたように思います。

また、私が中学生の頃(今から15年ほど前)に、祖母の姉の家にいったときには、かなり年季の入った仏壇のような扉がついたTVがあって、何と、扉のついたTVってTVがついているときに扉を閉めると、電源も一緒に消えるんですね。
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この回答へのお礼

ありがとうございました。

がちゃがちゃチャンネルは親せきの家にあったような記憶があります。

お礼日時:2010/07/29 19:36

 大阪に住む私にとって、最も印象に残っている、テレビに関するエピソードといえば、今から35年前、正確には、1975年3月31日(この年は、この日が月曜日だったため、こんな中途半端な日となった)から実施された、「在京キー局ー在阪準キー局」間の、ネット変更です。


 現在は、ABC朝日放送はテレビ朝日系列、MBS毎日放送はTBS系列ですが、ネットチェンジ以前、すなわち75年3月30日までは、この系列が反対でした。
 私は以前から、福岡に「RKB毎日放送」「KBC九州朝日放送」という、大阪と同様に、「朝日」「毎日」が社名に入った局があるにも関わらず、なぜ大阪の「朝日」「毎日」と反対なのか、大いに疑問に思っていました。
 すなわち、以前のネットは
  「TBS」-「ABC朝日放送」-「RKB毎日放送」
  「テレビ朝日(当時はNET=日本教育テレビ)」-「MBS毎日放送」-「KBC九州朝日放送」
 といった具合で、新聞系列でねじれていたため、業界では「腸捻転ネット」と呼ばれていました。
 そのため、たとえば選挙の開票速報などでは、キー局にそれぞれの系列新聞社の関係者が出演するため、MBSではテレ朝の開票速報をネットできず、関西ローカルで自社製作の開票速報を放送していました。ABCは、JNNの報道協定があるため、TBSからネットを受けらざるをえなかったが、この場合はTBS側が新聞社名を出さないという配慮をしました。
 この状態を最も問題視したのは、朝日新聞とNET(現テレ朝)サイドで、再三にわたりABCにネットチェンジを申し入れていましたが、ABCがTBS系列だった時代は、今とは全く異なり、ドラマ「ありがとう」PTAから槍玉に挙げられた「8時だヨ!全員集合」など、TBSが最強の在京キー局だった時代、ABCがすんなりネットチェンジを受け入れるはずはありませんでした。
 しかしその後、在京キー局の、新聞の持ち株関係の整理などが行われ、ABC側もこれ以上拒むことが困難になり、75年に実現したということでした。
 今から思えば、ABC朝日放送は、ネット系列で最も得をした民放局ではないかと思います。TBS系列時代は、最強キー局の高視聴率番組の恩恵を存分に受け、そのTBSにかげりが見えてきた頃に、タイミングよくネットチェンジ。今のTBSの凋落ぶりを、ABCは「うちのキー局でなくてよかった」と思っていることでしょう。
 このネットチェンジがもたらした影響として
1、「パーマン」「怪物くん」などの「藤子アニメ」は、旧作がTBS系、新作はテレ朝系で放送。関西地区は新旧ともABCでの放送となった。
2、さらにややこしいのが「仮面ライダー」シリーズ。昔のこのシリーズは、実は大阪MBSがキー局で
NET(現テレ朝)系列に流されていた。今のシリーズは、テレ朝がキー局のため、関西地区以外では、
このシリーズはすべてテレ朝系の局で放送されたと思われる。
 なお、テレ朝系の名古屋テレビで、MBS時代のこのシリーズが、ネットチェンジ後に再放送された際
エンドクレジットの「制作:毎日放送 東映」の制作局を表す部分がカットされてしまったということは、オタク族の間で有名な話です。

 TBS系列から、他の系列へのネットチェンジが実現した幸運な(?)民放テレビ局は、ABCと、福島のFTV(現在はフジテレビ系列)だけと言われています。

参考URL:http://g-s.main.jp/b-2003630.html
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この回答へのお礼

ありがとうございました。

そういえばそうでしたね。ネットで調べて見たのですが、旧大阪テレビ放送といろいろ辛みがあったようです。

お礼日時:2010/07/29 19:34

俺ん家では、小学校に入った頃テレビが来たんじゃないかな…


今俺は49歳!
山間で電波が届かないから家から50m離れた場所にアンテナを立て三局入ったかな?
テレビの上に電波を増幅する機械(ブースター?)が乗っていた。
このブースターに触って良く感電したのを覚えている。
テレビ画面の前には二色か三色のプラスチック製の板が架けてあった。
番組では流星(?)仮面、宇宙少年ソラン、スーパージェッター、風のフジ丸、仮面の忍者赤影、キーハンターなどを思い出す。
因みに、地デジの電波は俺ん家までまだまだ届かない!!!!!
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この回答へのお礼

ありがとうございました。

受信困難は昔からあったのですね。ケーブルテレビもないこの時代では、大変だったでしょう。
尚、地デジが視聴可能になるのが2011年8月以降にずれ込むとみられる地域では、BSによる暫定放送措置がありますので、センターに相談されてみてください。

http://www.soumu.go.jp/main_sosiki/joho_tsusin/d …

お礼日時:2010/07/28 21:23

昔のテレビの画面(ブラウン管)は現在の画面のようにキッチリ四角いカタチではなく、楕円形かと思うような角の無いもので、新型になるにつれ次第に角張っていったと思います。


カラーの時代、キャビネットも豪華になり、各社とも派手な名前が与えられていました(家のはサンヨーのサンカラー薔薇)。

我が家のモノクロテレビはUHFチューナーが付いておらず(周りのテレビも無かったと思います)、新規開局した地元放送局のUHF放送受信のため、外付けUHFチューナーを買わなければなりませんでした(今の地デジの状況に似ています)。

カラーテレビの18型は電気喰いました(確か300W以上)価格は30万円したと思います。
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この回答へのお礼

ありがとうございました。

外付けチューナーも懐かしいですね。このほかに音声多重チューナーもありました。
旧式のテレビで音声多重放送を楽しむためのもので、スピーカー付きの製品もありました。

お礼日時:2010/07/28 21:35

テレビやラジオを叩く。

これは真空管時代のスーパーテクニックです。

本体を叩く事により、真空管とその接続ソケットの微妙な導通性を変化させて現状を打破する。(かえって調子が悪くなる場合も多々あり)

その後トランジスターの出現で、叩く事が無くなりました。

テレビもオールトランジスタとか、ソリッドステイトとか宣伝していましたね。

我が家の白黒テレビの時代が長かったのですが、家の近所の電気屋さんのショーウィンドウに飾ってあったカラーテレビをマンガが始まる時間に見に行ってました。

巨人の星の飛馬の目が真っ赤に燃える。明日のジョーの血反吐が不気味。

その後、「謎の円盤UFO」の月面基地の女性隊員の髪の毛が紫色との話を学校で聞いて、親にカラーテレビをねだりました。
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この回答へのお礼

ありがとうございました。

いずれも懐かしい思い出ですね。
来年から完全デジタルに変わりますが、思い出はいつまでも残ることでしょう。

お礼日時:2010/07/28 21:14

私が2歳か3歳の頃(今から半世紀も昔です…)の写真(もちろん白黒です)に


テレビの裏を覗いている私が写っています。

昔は、ハの字形になった4本の足があって、テレビを見ない時は、
お相撲さんの化粧まわしみたいな形で、
ペルシャ絨毯みたいな柄の厚手の布を垂らしていました。
その後、家具調テレビと言って、やたら大袈裟なテレビになりました。

カラーテレビになった時には、ご近所の人たちが我が家に集まって観ていました。
特に、プロレスの時は大勢集まって来ました。
流血シーンの迫力が違うということで、ご近所の皆さんは大興奮でした。
母も私も妹も、プロレスは恐かったので嫌で嫌でたまりませんでした。

記憶違いかも知れませんが、
今の天皇陛下のご成婚パレードが放映されるということで、
お美しい美智子様を一目観たくてテレビを買った人が多かった…はずです。
間違っていたらごめんなさい。
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この回答へのお礼

ありがとうございました。

カラーテレビを初めて見た感動など、白黒時代を知らない当方にはどうも理解できない部分がありますが、プロレスは特に昔は人気番組だったみたいですね。

お礼日時:2010/07/28 21:02

昔はどこの家でもテレビは「高級品」だったので


茶の間に1台しかないっていう家が多かったと思います。
家族でどの番組をみるか「チャンネル争い」あたりまえでした。

今はチャンネル争いなんて死語ですね。
そもそもチャンネルなんてないですね。

あとテレビそのものにアンテナがついてました。
そのアンテナの向きを変えるとテレビの
うつり具合が良くなったり悪くなったりしてました。

滑稽な話では、テレビのうつり具合が悪くなると
「テレビをたたく」人もいてウチでもやってたことがあります。
するとテレビのうつりが急に良くなることもありました、
今思えば不思議です。

あと話が少し変わりますが
むかしのテレビ番組が制作費がかかってたせいか
面白い番組がたくさんあって
「毎週見るのが楽しみ」って多くの人がいうような
高視聴率番組もありました。
「8時だよ、全員集合」とか「ザ・ベストテン」とか、
家族みんなで楽しめるようなドラマとか。

そんな時代が懐かしいです。
(ってこんなこと書くのって年寄り的ですね、笑)
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この回答へのお礼

ありがとうございました。

テレビが1台しかないのが普通だった時代は、家族が少ない家庭であっても「チャンネル争い」は宿命だったのかもしれませんね。

お礼日時:2010/07/28 21:02

ありますなぁ~。


くやしい思い出が。
もうメッチャクチャくやしい思い出が。

昔、TV番組で西部警察と言うのがありました。
舘ひろしが乗っていたバイクの、GS650Gやカタナがカッコよくて。
その頃世間では殆どカラーTVでした。
しかしウチは親父がTV嫌いで。
長い事白黒TVのままでした。
ある時、西部警察のキャンペーンで、舘ひろしのカタナをプレゼント!なんて企画がありました。
おお~!!
あのカタナをプレゼント???
メッチャすげー。
クソガキながらに興奮した事を覚えています。
何が何でも応募するつもりでした。
プレゼントの条件は、番組内でのあるクイズに答えること。
その回の放送は目を釘付けにして見ましたね。
そして番組の最後にクイズが出題されました。
よーし。
どんとこい。
何でもいったるでぇ~。
なんて意気込んでいます。
そして出題されたクイズは。

「犯人が逃走に使った車の色は、何色だったでしょう!」

・・・・・・・・・・・。
・・・・・・・・・。
・・・・・・・。
判るかアホウ。

俺の家のTVは白黒じゃ~~~!!!!!!!

恨みましたよ。
オヤジを。
あのクソオヤジを。
そして思いました。
自分で稼ぐようになったら、どでかいカラーのTVを絶対に買ってやるぅ~!!って。

後日談ですが。
その後、間もなくヤ○ザの幹部だった叔父貴が亡くなり、遺品として当時としては超弩級のステレオカラーTVが家に舞い込んで来ました。
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この回答へのお礼

ありがとうございました。

しかしお父様がテレビがあまり好きではないとはいえ、なぜ白黒のままである必要があったのかが気がかりですね。
当方も今の番組はあまり好きではないですが、地デジの用意だけはしていますし…

お礼日時:2010/07/28 00:08

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