
フレディ・スペンサーはなぜ勝てなくなったのでしょう?
最近「RACERS」など、昔のライダーやマシンを深く掘り下げた本が出ていてよく読むのですが、読めば読むほど歴代のチャンピオンの中でもスペンサーが異能の天才だった事がわかります。
才能だけ取ればシュワンツもロッシも足元にも及ばない天才だったと思います。
スペンサーを相手に真っ向戦ったケニーにしてみたら宇宙人と戦っていたような気持ちだったんじゃないでしょうか?
それほどの天才が例の腱鞘炎から引退、完治後の89年のマルボロヤマハでの復活。
マシン的には申し分ないはずの環境においてさえほとんど話にならないような成績しか残せずにまた引退してしまいました。
ブランクがあったり、アーブ金本のような有能なエンジニアに恵まれなかったとしても「もうちょっと上位にいてもおかしくないだろ?」というようなていたらくだった事が不思議で仕方ありません。
記憶が定かではないのですが、確か89年当時の日本GPの順位は平忠彦より下だったのではなかったですか(リタイヤでしたっけ)?
個人的にはさすがに復帰後すぐに表彰台の常連に、とまでは期待しませんでしたが何度か表彰台に上ることくらいは難しくないんじゃないかな?と考えていましたのであのメタメタぶりがどうにも不自然に見えました。
以前からスペンサーは「感性で走るライダー」だといわれていましたが、いくら感性が優れていてもテクニックが全く無ければ早く走ることなどは出来ませんし、スペンサーにはそのテクニックがあったと思うのですが。
レースをボイコットしたりと「わがままフレディ」とも呼ばれましたが、きちんと仕事をしてチャンピオンを取っていた実績だってあったわけです。「むらっ気がある」と言われ、ついにチャンピオンになれなかったランディ・マモラ辺りとは違うライダーなわけです。
何が原因だったのでしょう?
No.5ベストアンサー
- 回答日時:
No.5 です。
以下続きです。●精神面の脆弱性
ケニー・ロバーツは件の著書で以下のように書いています。
『スペンサーは強敵だった。勝つことしか考えず、才能に恵まれていた。
だが自分が最高だと信じる事が脆さとなった。』
スペンサーというのは「常に全力を尽くす」完璧主義タイプのライダーで、
極端にいえば「一位が取れなければ、二位もリタイヤも同じ」と考えていたようです。
例えば、勝つことよりも常にポイント獲得を優先するローソンの場合には、
「今日は調子が良くないから出来るだけポイントを取れればいいだろう」と考え
結果的に三位だったりすると、「三位なんてラッキー!表彰台なんて望外の結果だ!」と
前向きに受け止められるので、次のレースにも良い精神状態で臨めます。
しかし希代の天才ライダーであるスペンサーにとっては「勝つ事こそがすべて」であり、
たとえ二位に入ったとしても「今日も全力で走った。それなのに・・・二位だった」
といった具合に後ろ向きに考えてしまう。
有り余る才能を如何なく発揮して勝ち続けている時は良いのですが、
一旦自信が揺らいでしまうと立ち直りに時間がかかり、最悪自滅してしまう・・・
ロバーツはこの事を示唆しているように思います。
●YZRやメカニックとの相性
'80年代後半のYZR500は「(NSRと比べ)素直で自由度の高いハンドリング」
「中低速域から扱いやすい出力特性」「ただし最高出力はNSRに比べてやや劣る」
というのがもっぱらの評価であったと記憶します。
一方でスペンサーの好むマシンというのは
「なによりもまず絶対的な最高出力と高回転の伸びを求め、
中低速域のパワーや扱い易さは必要としない(中低速域は全く使わない)」
「マシンに安定性は求めない、それよりも倒れやすくクイックな操安性を好む」
と伝えられていました。
YZRの特性というのは、マシンなりにライディングする多くのライダーには扱いやすく
戦闘力を発揮しやすいマシンのイメージがありますが、
スペンサーの求めるマシンとは方向性が異なるように思います。
また、スペンサーは自分の閃きやフィーリングで走る典型的な天才ライダーであったゆえに、
マシンの状況をメカニックに上手く伝えるのは苦手であったといわれています。
(上手く伝えられないうえに、どんな状態のマシンでもそこそこ速く走らせる事ができる為、
セッティングが進まない)
セッティングの出ていないマシンで勝てるほどGPは甘くなく、
ヤマハから参戦していた時は肝心のメカニックとの意志疎通が上手くいかず、
セットアップが思うように進められなかったのではないかと推測します。
一方で'92年にRVFで八耐に参戦した時は好成績が残せましたが、
この時はスペンサーと古くからの付き合いがあり信頼を寄せる名メカニック、
マイク・ベラスコがチームに参加していたことが功を奏したように思います。
●アープ金本の偉大さ
「伝説の名チューナー」「チャンピオンメーカー(世界チャンピオン輩出者)」と呼ばれ、
日系人ならではの繊細さと緻密さでライダーの要求に完璧に答えるマシンセッティングを
施すといわれるアーブ金本は、スペンサーにとって単なるメカニックにとどまらず、
チームのテクニカルブレーンであり、また人間として一番信頼のおける存在であったようです。
アーブ金本の場合、スペンサーの微妙なニュアンスから
セッティングが上手くいっているのかいないのかを嗅ぎ分けるという能力に長けていたようで、
例えば、スペンサーの走行後のヘルメット内装をチェックして
汗の量(緊張しているのか、リラックスしているのか)でセッティングの良否を
判断していたのは有名な話でした。
なお、ご存じかもしれませんが、1992年9月の南アフリカ・キャラミサーキットにおいて、
スペンサーはアープ金本が用意したNSR500でテスト走行を行っています。
当日は砂嵐で路面に砂が浮いているという悪条件の中、
3年振りに500に乗ったスペンサーですが、アープ金本のセットアップしたNSRを駆り
記録したタイムは「1分40秒18」でした。
これは同年第13戦・南アフリカGPでドゥーハンが記録した予選タイムと同タイムであり、
最速男シュワンツや、この年も世界チャンピオンとなったレイニーの予選タイムを
上回るという興味深い結果でした。
少なくともこの時のテストでは、世界最速ライダー達と互角
(悪条件を考慮すれば、それ以上)のタイムを叩き出していたわけで、
仮に翌1993年のWGP復帰時にYZRではなく、NSRでアーブ金本と組んで参戦していたら
また別の結果となっていたのでは?と思います。

非常に興味深い回答をいただけてとても感謝しています。
mintair様の考察を読ませていただくたびに、いかにスペンサーが諸刃のような繊細さを持った「超」がつく天才だったのか思い起こされて感慨無量な気持ちになりました。
キャラミでのタイムアタックではそれほどのタイムを記録していたのですか。全然知りませんでした。
うだつのあがらないスペンサーばかりを見ていて気持ちの置き所をなくしていた自分には溜飲を下げさせていただいた思いです。
アーブとスペンサーとの出会いそのものがGP界での奇跡だったんですね。
あの2人が出会うことでGP界に伝説が生まれてその伝説は真の復活間際まで来ていたんですね。
キャラミでの記録があのゴールデンコンビの復活につながらなくて今の自分はとてもとても残念に思っています。
質問の初めはワケのわからない回答者に逆ギレされたりしてどうなることかと思っていましたが、こんなに身のある情報を知る事が出来て感謝しています。
ありがとうございました。
No.4
- 回答日時:
何が原因だったのか、特定するのは非常に難しい問題です。
('89年当時、スペンサー自身も何が悪いのか分からないと答えていました)
一応、いくつかの理由は考えられますので、長くなりますが列記してみます。
●モチベーションの低下
”キング”と呼ばれたケニーロバーツを真っ向勝負で破り、
当初の目標としていた史上最年少での最高峰クラス世界チャンピオンをわずか21歳で獲得。
次に目標として掲げた、前代未聞の上級2クラスWタイトルさえ獲得となると、
もはや次なる目標を見失ってしまってしまい、
精神的にバーンアウトしても仕方ないことなのかも知れません。
余談ですがWタイトル獲得について、過去にも125と250と、250と350、
350と500といった、近いクラスでの同時制覇はありました。
しかし250と500の組み合わせとなると話しは別です。
250と500ではマシンのキャラクターが全く異なるため、それだけに
スペンサーの上級2クラスWタイトル獲得は前例の無い快挙でした。
(ちなみに、250のレースが終了してわずか15分後には500のレースがスタート、
といったタイトなスケジュールもあったそうで、直後の500のレースに備えてか、
スペンサーは250の表彰台ではシャンパンを口につけなかったそうです)
なお、アライヘルメットの新井理夫社長は雑誌記事で以下のように答えています。
『フレディがその速さを保ち続けられなかったのは、
トップに立った後のビジョンがなかったからじゃないかな。
Wタイトルを取った'85年、この先どうすんだ?って聞いたら、”分からない”って。』
(ROAD RIDER 2004 8月号 「特集 フレディ・スペンサーの時代」より引用)
●タイヤとマシンの進化により、スペンサーの優位性が失われてしまった
ケニー・ロバーツは著書「ケニー・ロバーツ ロードレーシングテクニック(山海堂)」
の中で以下のように書いています。
『フレディだけが出来た特徴的な走りはスタートから全力で走る事だった。
一周で後続に6秒の差をつけてしまう。』
スペンサーはタイヤがグリップしない状況でも、マシンを前に進める技術に長けていました。
タイヤが出来上がっていない序盤でのスタートダッシュや、
タイヤが摩耗しきっている終盤のラストスパートで
そのアドバンテージを如何なく発揮していたように思います。
上記は性能の低かったバイアスタイヤの頃の話でしたが、
その後ラジアルタイヤが導入された事で状況が変わっていきました。
ラジアルタイヤの恩恵として、多くのライダー達が安定したタイヤ性能・グリップ性能を
享受できるようになり、タイヤライフも向上しました。
その結果、スペンサーの持っていた「グリップしない状況下でも速く走る事が出来る優位性」を
発揮できるシーンが少なくなり、アドバンテージが失われてしまったように思います。
また、片山敬済選手は引退後に
「近年、タイヤとマシン、フレームの進化で多くのライダーにスライドコントロールが可能となった」
「しかし'80年代前半時のタイヤとマシンでスライドを自由自在にコントロール出来たのは
スペンサーただ一人だけだった」と語っていました。
'80年代中盤以降はロバーツやスペンサーのように、リヤタイヤをスライドさせて
マシンの向きを変えるライディングが主流となっていきましたが、
これはタイヤとマシンの進化により、多くのGPライダーにタイヤのスライドが容易に
そして安定して起こせるようになった事が大きく影響しています。
この点においても、かつてはスペンサーだけが持っていた
「スライドコントロールという優位性」が失われてしまったのだと思います。
(続きます)
No.3
- 回答日時:
ですね、、、私の知ってる全盛時は彼のマシンはフレディSpと呼ばれてましたね
同僚WINEも彼だけ特別だと抗議してたのが有名ですが、、、非常にピーキーなMC
でWINE GERDNERはこれは手に余ると言っていたのが思い出されます
EG出力上昇には回転数をあげる、またはターボ化なんですが、、、高回転まで
上げられたEGは既に常識外のパワーバンドしかなかったんですね、それをコントロール
出来たのがスペンサーしかいなかった、、んです
一応ワークス500しか乗車出来なかったですが、、、(HRCから貸与)
それでもハイサイド領域まで持っていくにはかなりの技量がいりました
(会社からRS250参戦のよしみで借り受けた) スペンサーは後輪でステアを
切る程に後輪依存型のスタイルだったのを今も記憶してます
ちなみにその後は彼の意向でマルボロに行ったと記憶が曖昧ですが、、
その後は接する機会がなくわからないです 同じ8耐で一緒になった徳野
からもその後の引退説は聞けずじまいでした、、、
私が現場で知り得たことは言えないことを除外してこんな感じです
あれ?業界の方ですか?
レアな情報をありがとうございますと言いたいところですが、とりあえずその辺の話は一通り知っています。て言うかバイク雑誌を熱心に読む方でしたら大抵の(熱心な)バイクファンには既知の情報だと思いますよ。
まあ、逆に言うとバイク雑誌はずいぶん深い情報まで私たちに教えてくれていたんだなあ、と思いました。感謝。
あと、質問は「なぜスペンサーは勝てなくなったのか?」ですから。スペンサーSPのEG特性とかの話題も興味はありますがとりあえず質問内容とは違います。
No.1
- 回答日時:
才能やテクニック、恵まれた体格があっても、多くのスポーツ選手が
そうであるように例外なくけがと体力の衰えは、技術や精神力だけでは
克服できなかったのでしょう。
手術を受け、復帰後もGPフル参戦は無理でも、スポット参戦で
そこそこの戦績は残していて、天才の片鱗はうかがえます。
ロバーツ、ガードナー、ローソン、プロスト、アレジ、マンセル・・・
引き際がかっこいいのも一流選手の証かも。
この回答への補足
>けがと
??
フレディはどこか怪我していたのですか?手首の腱鞘炎は完治していた筈ですが?
>体力の衰えは
???
ホンダに電撃移籍し、慣れないNSRでチャンピオンを取ってしまったエディ・ローソンよりフレディは年齢が下なんですが。
>技術や精神力だけでは克服できなかったのでしょう。
????
才能があることは異論の余地がありませんし、あと技術と精神力があるのならそれで克服できなかったモノって何です?
フレディの全盛期の走りを実現するにはアーブがいないとダメだったとか、89年のマシンの操縦性ではフレディはタイムを出せなかっただとか(フレームが高剛性過ぎるとダメとか、トルクカーブがフラットすぎるとダメだとか)、復帰はしてみたけどフレディ自身にやる気がなかっただとか、YZRが実はガワだけ似せたRZVだったとか(笑)。
予選でとりあえずフロントローに着ける技量があったのだから、あの成績はいくらなんでもおかしいでしょう?
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