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生きる自信が無くなってしまいました。

私はうつ病歴6年程、治療に入ってから2年くらい経ちます。
私は中学、高校といろいろといじめにあってきました。
いじめられるのは、自分が価値の無い人間だからだと思っていました。親とも上手く行ってなくて、私は長女なので親の怒りの矛先はいつも私だったし、その当時父は頭ごなしに怒鳴ったり物を投げたりしていて、母はヒステリック気味で、私は生まれてこない方が良かったんだと思って生きてきました。
親元からも地元からも離れたくて、高校卒業後県外へ進学しました。
でも人間不信気味になっていたし、人への劣等感がものすごくあって、自分を出せずに苦しみました。
人と上手く話せなかったり、自分からなかなか話しかける事ができなくて1人浮いたりして、余計人が苦手になってしまいました。

一人暮らしをしていて、状態が悪化してきて病院に行ったら、うつ病だと診断され実家に帰りました。
その時は、もう親とはだいぶ和解していて親のありがたさを良く分かっていたし、実家に居場所が無いとは感じては無かったので自宅療養に専念する事になりました。

最初副作用や症状で苦しかったりしたけど、治療して一年半ほど経った頃から少しずつ回復してきました。
でも人への劣等感や不信感がひどく、人間関係が上手く築けず苦労していたのでカウンセリングにも通っていました。先生に紹介され今年の春くらいから、うつ病の人のための職業訓練センターに通うようになりました。

週に2回なんですが久しぶりに外に出たせいか、最初は前日にものすごく落ち込んだり、波がありましたが最近は良くなってきて、少し兆しが見え始めたような気がしていました。少しずつ前進できている気がしました。

でも最近しんどくなってきてしまいました。
私は人とどうしても比べてしまう悪い癖があります。人への劣等感が強すぎてしまっています。
新しく入ってきた男の子がいるんですが、私はまだ与えられていない課題をいきなり与えられていました。
私が『私まだやった事ないです』と言うと『そうでしたかごめんなさい!次持って来ますね』と言われたので、『どうでもいいから誰も気づかなかったのかな』と思いましたが『大丈夫、タイミングが合わなかったんだよ』と自分に言い聞かせました。

その次の週、施設に行ったら生徒は私一人だけで『今日は新しく入った○○さんのために本を一冊持ってきたのに』と社員の人が言っていました。いつもは何冊か持ってきてくれるのに、今日はその人用の一冊だけなんだ…と少し思ってしまいました。

授業を始めようとすると『今日は新しく入った○○さんのために自立訓練法を知ってもらうために基礎をしようと思ったのに残念です…』と社員の方が言っていました。私は2ヵ月以上通っているのにそれをしたことが無かったし、毎朝リラックスするために少しだけ自立訓練法をやっていたけど、何のためにやっているのかどんな効果があるのかあまり知りませんでした。

いつもの劣等感が出てきて『やっぱり私はどうでもいいのかな…』と思ってしまい『いや、タイミングが合わなかっただけかもしれない』と言い聞かせましたが少し落ち込み気味で帰りました。

次の週はその男の子は来ていて『今日も○○さんのために自立訓練法をします。これは何回やっても良いものですからまた一緒にやって下さい』と言われました。

悲しくなってしまいました。私の時は一度もやってくれなかったな、やっぱり私はどうでもいいのかな、と考えてしまい、その場にいるのがものすごく息苦しくなり、早退しました。

カウンセリングも受けながら徐々に良くなっていると思っていたけど、まだこんなに自分は弱いんだ、こんなちょっとした事でこんなに辛くなるんだ、と思ったら社会に出て上手くやる自信が無くなってしまいました。こんな事で辛くなっていたらきっとこの先もやっていけない、頑張って生きても苦しいだけなのかも、と思ってしまいました。

私は気にしすぎでしょうか。普通だったらこんな風に思わないでしょうか?

最近気分が浮かないせいも多少はあるのかな、とは思うのですが、このままで大丈夫なのかと不安になってきました。
もうすぐ24です。
いつまでこんな子供なんだろう…と思ってしまいます。焦ってしまいます。

こういう悩みって家族に話してもいいんでしょうか?話せる友達はあまりいません。

乱文、長文、訳の分からない文章ですみません。
こんな私に生きていくアドバイス下さい。
どうかお願いいたします。

A 回答 (9件)

うつ病経験者の20代男です。



自分も、非常に長い間うつ病で苦しみました。医者に言わせると、順調に治った方だと言われましたが、それでも本当に苦しかった。その経験を元に、少しだけ書かせて頂きます。

自分だけでなく、自分の周囲にも、たくさんうつ病、あるいはうつになりかけた人間がいます。皆理由はそれぞれで、まだ治っていない人もいれば、寛解した人もいます。一つ言えることは、うつ病、あるいはそれに準じる病気で苦しんでいる人はあなただけではない、ということ。全国に、同様の苦しさ、苦しみを持った人がたくさんいます。もしも、自分だけ辛い想いをしているのだ、と不安になっているのなら、そんなことはないということを知って下さい。あなたの苦しみは、あなただけが感じているものではありません。そして、誰でもかかる可能性のあるものなのです。あなたが弱いからうつ病になったのではありません。誰でもかかってしまう病気に、たまたまあなたがかかってしまっただけです。自分が変なのか? という不安に駆られないで下さい。現に、ここにも一人、うつ病になった人間がいるのですから。

ここからは、お医者様にも言われたかもしれないことを書きます。面倒そうなら飛ばして下さい。
うつ病は、本当にデリケートな病気です。よく、心の風邪だ、という人がいますが、かかった本人から言わせれば風邪なんて生っちょろいものではありません。本当に辛くて、何度も死を覚悟します。それだけの病気。そして、治り方、治し方も人それぞれです。何かの切欠ですぐに治る人もいれば(それでも、最低一年から二年はかかります)、一生付き合っていくようなひともいます。実際、自分が治療中に出会った人は、若い頃にかかってから定年間際の現在までうつ病に悩まされているとおしゃっていました。
そして、その人によって治療の段階があります。同じ時期に医者にかかったからと言って、同じように次のステージに進んでいくわけではないのです。ですので、周囲の患者さんを見て、焦ってしまうのも良くない。あなたは、あなた自身のペースで治していくことが大事です。まず、周囲の人のことは気にしないようにしましょう。あなたのことは、あなたのことで必ず明確な治療方針が立っているはずです。きっと、まだまだ治療途中なのです。

それと、これも大事なことですが、うつ病は日によって調子がよかったり悪かったりします。いつもより調子が悪かったからと言って、自棄にならないで下さい。そういう日もある、ということ。

カウンセラーや精神科医と言っても人間で、もしかするとあなたに合わない治療をしている可能性もあります。人によっては、何人も医者を変える人がいます。ただ、あなたの場合は既に長く治療をしているということで、合わないという訳ではないかもしれませんが……大事なことは、医者の言うことを守り、勝手に自分の判断で薬を辞めたりしないこと。

治療法の一つに、認知療法というのもあります。これは、思考をプラス思考に変えていくというもので、時期がくればお医者様から紹介さるかもしれません。治療法が一つだけではない、ということです。

周囲の方に、うつ病を理解してもらうことも大事です。難しい本なんかだと理解されにくいでしょう。よければ「ツレがうつになりまして」というマンガがあります。割とわかりやすくコミカルに描かれているので、ご家族に読んでもらってはどうですか? 

とにかく、あせらず、あなたのペースで治療して下さい。
お医者さんや、カウンセラーの方ともよく相談して下さい。そういうエネルギーが無い日もあるかもしれませんが、調子の良い時にやれる分だけやれば良いと思います。がんばって早く治そうなんて思わなくても良い。がんばらなくても良いんです。
先のこと、将来のことなんて考えなくても良いんです。
とりあえず、今日一日、生きてみて下さい。

あなたは、どうでも良い存在なんかではありません。
現に、ここに書き込み、多くの人の目にとまることが出来たのです。そして、辛い経験をした分、あなたは人に優しくなれる可能性も持っています。子供だから病気になったのではありません。ただ少しだけ、歯車が合わなかっただけです。
あなたが今まで生きてきて、あなたが知らず知らずの内に築いてきた絆もあるはずです。あなたが知らないだけで、あなたのことを大切に想っている人がいるはずです。

何度でも書きます。あなたはどうでも良い存在ではありません。
少なくとも、今現在、こうして回答を書いている自分にとって、あなたはどうでも良い存在ではなく、同じ痛みを分かち合える大切な存在です。

生きて下さい。
そして、生きてみて下さい。

先のことなんて考えず、ただ、その日、その時を、生きてみて下さい。
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この回答へのお礼

ご回答ありがとうございます。

たくさんの助言を頂きありがとうございました。

その日その時を生きる、という言葉が今の私にはとても大事な事だな、と思いました。

悲観的にばっかなっていないで、前を向きたいと思います。
確かに辛い思いをしたからこそ人の痛みが解るようになりました。

少しずつ前に進みたいと思います。
ご回答ありがとうございました。

お礼日時:2010/09/16 16:32

僕にも少しですが気持ちは分かります。


21歳の大学生です。

僕にはいじめられた経験や友達がいなかったというような経験はありませんが、人に劣等感を抱くということはよくあります。
ほんとうに小さいことで自分はだめだなぁと思うことがよくあるし、人とくらべてしまうこともしょっちゅうあります。

いつも心の中ではそういう自分が情けないなぁと思います。

僕は長男で弟が一人いますが、彼にも劣等感を抱くことがあります。
まわりの友達や大学のサークル内でももっとうまく人と付き合えたらいいのになぁと思うことがあります。

何かのグループや新しいひとと会ったとき、すぐにそこに溶け込めるひととそうでない人がいますが、僕は後者のタイプなので、なにかとそういう時には劣等感を抱きやすいです。

そういう劣等感を抱いたとき、僕は「でも自分には自分のいいところがあるからいいや」と心の中で思うようにしています。何人かの心から気を許せる友達が僕と友達として付き合ってくれるのは僕にいいところがあるからだと思うし、僕が劣等感を抱く弟が自分のことを兄貴として慕ってくれるのは僕に何か尊敬してもらえるところがあるからだと思います。

そんなふうに、自分にほんの少し自信を持つようにしています。
なんでもいいので自分に自信を持つことは生きる力になると思います。

僕は人付き合いが上手にできないことは情けないと思いますが、自分を大事にしてくれる人は絶対に裏切りません。心から大事にします。人に対してどれだけ誠実になれるかということに対しては誰にも負けない自信があります。

だから自分がだめだなぁと思うことがあっても、そういう自分のいいところを自分で大事にしています。

何か自分に自信の持てるものを探してみてはどうでしょうか。
そうやって、自分のいいところを見つけて、自分で大事にしてあげていれば、誰かそれに気がついてくれる人が必ずいますし、誰かがそのあなたのいいところを大事にしてくれると思います。

そういうふうに自分を大事に思ってくれる人には心を開いて精一杯大事にしてあげてほしいです。
そういう人は必ずいます。今はそんな人いないなんて思っていても、自分が少し変われば周りの見え方はずいぶんと変わってきます。

少し自分に自信の持てるところがあれば、自分が変わるし、そうすると環境も変わってきます。
自分を大事にしてくれる人と自分が自信の持てる何かのために生きてください。
それを見つけるために生きてください。
少なくともここに回答を寄せている何人かの人たちはあなたが幸せになってくれるのを心から願っています。
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この回答へのお礼

ご回答ありがとうございます。

劣等感ってありますよね。それとどうやって上手く付き合っていくかが大事ですね。

参考にさせて頂きます。ご回答ありがとうございました。

お礼日時:2010/09/16 16:27

こんばんは。

私も長い間いじめに遭ってました。酷かったのは、小学生の時便器をなめさせられた上に写真まで撮られたこと。高校の時に右腕を骨折して(骨折自体はいじめが原因ではない)不自由にも関わらず、使いパシリをさせられたこと。いじめが原因で目を怪我して眼帯をしてたのに、眼帯を壊されたこと、挙げればキリがないですが、色々とやられてました。自殺を考えたこともありますよ。社会に出てからもいじめを受け続け、今やっと落ち着いたところです。
最近、ある人から「今を生きる」という言葉を教えてもらいました。質問者さんも今を大事に生きて下さいね。
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この回答へのお礼

ご回答ありがとうございました。

辛い過去がおありなんですね。みなさん苦しんででも前を向いて生きているんですね。

今を生きる、という言葉考えさせられました。

ご回答ありがとうございました。

お礼日時:2010/09/16 16:23

たぶん「カリキュラム」として、たまたま集中しただけだと思いますよ。


私もそちらのほうが詳しくないですけど、新しい人というのは、そういうときは、みんな力が入るものだし、いろいろ「やらせたがる」ものですからね。
…ただ、あまりそれはいいことじゃないですよね?。
あなたのように疎外感を感じる人もいるし、お仕着せになると、リハビリ(といってもいいですよね)は辛くなりがちになりますから。

今あなたに言いたいのは「良くなってるんだからね」という一言だけです。
人と自分を比較すると「余分なエネルギー」を使ってしまう。
「うつ」というのは「エネルギーの欠乏状態」ですから、エネルギーの消費はなるべく抑えたほうがいいのです。

枯れかけていたダムに水が溜まりつつあるのが、今のあなたの状態です。
水が溜まっていかない限りは、発電もできないし、用水もあまり流せません。
そういう時は水門は少しだけ開けて、あとはチョロチョロと水を最低限流すに限ります。
そのうちに水は溜まります。
ですから、子供だとか、比較されてるとか、自分の価値とか、将来とか、そういうことはなるべく考えないように、気を楽にしてすごしてください。
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この回答へのお礼

ご回答ありがとうございます。

そうですね、少しずつだけど進んでいるのかなと思います。
落ち込んでいるときは自分の駄目な部分しか見えなくて考えてしまうけど、そういう自分も自分なんだということを理解し、上手く付き合っていきたいと思います。

ご回答ありがとうございました。

お礼日時:2010/09/16 16:21

そういう時期なんですよ。

20代が悩み多い年代なんです。死のうと思っても死ねない人は、この世に縁があるわけだし、未練があるわけですね。

人は1人では生きられない。だから生かされているわけですよ。だから夢や希望を常に持ち続けることが大事かな。夢も希望もないとよく言うけど、夢や希望がなければ人としては生きられないし、この世というか人間の社会にあなたは存在しないわけよ。

今、人として生きているということは、誰かのために生かされているわけです。人生は自ら切り開くものです。自分の好きなことに没頭する時期かもしれない。私はあなたの年令の頃には商店経営を始めてました。お客さんと話をするのも楽しかったし、自分が仕入れた商品を買ってもらえる嬉しさに喜びを感じたものです。10代は根暗で友人も1人か二人ぐらいだったかな。落ちこぼれでしたよ。
夢の実現、それが人生の目標になります。現実から逃げるのではなくぶつかってゆく勇気を持ちましょう。
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この回答へのお礼

ご回答ありがとうございます。
悩み多き時期なんですかね。

確かに現実にぶつかっていく勇気は必要だと思っています。

ご回答ありがとうございました。

お礼日時:2010/09/16 16:17

こんにちは



僕も人間不信な傾向があります。自己分析してみると、父親の関係で頻繁に転校を繰り返し、転校先でいじめにあったり、そういう幼少期の経験が自己を形成したのだと思っています。いつも自分の居場所がどこなのかわからないーーそんな感じです。でも人間不信でありながら、一方で信頼できそうと思った人にはとことん信頼しようとしてしまうようで(つまりさびしい、うらやましいわけです)、そうなると、裏切られたときの落ち込みようはないです。それが怖くてあまり親密になれないという悪循環。そのままの性格で大人になってしまいました。
6年前に相手の裏切りによって離婚をしたとき、人間不信は最高潮に達し、minieechan さんと同じように生きる自信も、生きる意味も見失い、結果、睡眠障害、うつ病になりました。自分に対する不甲斐なさ、人と比べての絶望感に思考回路が追いつかないというか、破裂しそうな気持でした。「もしもこの手に今、拳銃があったら..」とか妄想していたり、気がつくと真夜中に国道沿いで行き交う車をぼーっと眺めていたり、今考えると、かなり危険な状況だったです。
他人のちょっとした一言が痛かったり、今の状況から抜け出さなきゃという焦り。不甲斐なさ、絶望感。これの繰り返しでした。

だから、minieechanさんの苦しさがちょっとは分かるような気がします。

家族への相談ですが、minieechanさんが相談してみようという意思が少しでもおありなのであれば、してみてもいいかもしれません(一般的には家族の協力があったほうがいいといいます)。ただし、そのことで家族との関係がぎくしゃくするような気配が感じられた時は、すぐさまカウンセラーに相談したほうがよいと思います。あるいは、家族に相談しようか迷っているのであれば、まずカウンセラーにそのことを相談してみたほうがいいと僕は思います。

僕の場合は、離婚したことによる両親への罪悪感というか申し訳なさもあって、相談することはできなかったですし(家族へ相談しようと考えるだけで情緒が不安定になるので)、やはり相談できる友達もいませんでした。一度だけ会って相談した人がいますが、その人の、今考えると気を使ってくれたであろう受け答えに対しても、「どうせこの場限りの受け答えだろう」って数日後には考えてしまい、不安感が増長される始末で、その後は、もっぱらカウンセラーに相談しました。

これがminieechanさんへのアドバイスになるかわかりませんが、僕が気持の上で上を向けるようになったきっかけの言葉がありますので、贈ります。

テレビで見たのか、本で読んだのかも覚えていませんが、「生きるふりをすればいい」という言葉です。抜け殻のような状態だっていい。人間、いいときも悪いときもある。悪いときにがんばれないのであれば、ムリに頑張る必要はない。「生きるふりすること」だって、立派に生きているわけで、それを悲嘆することはない。そして時間はかかるかもしれないが、「ふり」をしていれば、いつかそれは、必ず「ふり」でなくなるときがくる--といった内容でした。
その言葉に接した時、いろんなことで堂々巡りする自分の気持ちを脇におけるような気がして涙が出て、何かが胃の腑にストーンと落ちたような感じでした。その後、苦しいときには、心の中で「生きるふりをするんだ」と繰り返していたのを覚えています。

僕は何か打ち込めるものを見つけようと、あれこれやってみました。でも、やってはみるものの、やっぱり入り込めない、意識がほかへいってしまうものもたくさんあって、ダメだと感じたこともありました。本も読めない、テレビも見れない、外へ出れない、そんな時期もありました。でも、徐々に「ダメかもしれないけど、やってみよう」を増やしていき、その中で今、カメラで風景を撮りにいくのが楽しみになりました。そんなささやかな楽しみから気持ちが上向き、人との関係の中でぐらつく不安な気持ちを支える"柱"になることだってあります。

この場に相談を載せた、minieechanさん。それだって一歩前進ですよ。本当に歩みはゆっくりかもしれませんが、でもゆっくりでも前進しているわけです。
長々と失礼しました。
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この回答へのお礼

ご回答ありがとうございます。

回答者様も苦労をなされたんですね。生きるふりをする、ですか。
私には少し難しい言葉ですが、参考にさせていただきたいと思います。
趣味も見つけて、打ち込める何かを見つけられたらなと思います。

暖かいお言葉ありがとうございました。

お礼日時:2010/09/16 16:14

あなたの気持ちは私には解りません。


私の気持ちもあなたには解らないでしょう。
私は50代の男です。

他人の気持ちを考えても解りません。
私自身、自分自身の本心すらわかりません。(見てみぬふり・妥協)

みんなそんなものじゃないですか。
こじつけ、思い込みで生きてます。

余計な事考えず、感じるままにすごしてみたら?(感じるだけにしたら)

いやなことは嫌なのだから、嫌じゃないようにこじつける。それで良いんじゃないの。
自分が落ち込まないように、コントロールしましょう。

考えたらきりがない。

ただ、喜び、苦しみ、すべて生きるための刺激です。
刺激がなければ人間は生きていけません。あとはどう感じるかだけです。

美味しい。綺麗。快感。痛い。暖かい。冷たい。気持ちよい。・・これも刺激です。
面白いだけが楽しみではない。学ぶ楽しみ。人とかかわれる楽しみ。
普通に歩ける楽しみ。行きたいところへ自分の足でいける楽しみ。

両親が健在である喜び。自分が身も心も女であるという自覚がある喜び。
生きて感じれる喜び。
死んだらもっと苦しいかも・・・?

人間、必ず死にます。あわてる事ないですよ。刺激受けるだけ受け止めてみれば。
先に何があるかわかりません。

あなたの生きる道の参考になれば幸いです。
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この回答へのお礼

ご回答ありがとうございます。
考えたらきりがないんですけど考えないのってなかなか難しいんですよね。

刺激を受けるだけ受けてみればって言葉に考えさせられました。
いろんな刺激を受けて生きてみたいと思います。

ご回答ありがとうございました。

お礼日時:2010/09/16 16:10

すいません。

間違えました。

「その○○さんは、質問者様よりも病の深刻さが重いからだ、特別にその人のために療法をやっているのだと思います。別に質問者様が大事な訳ではありません。」

は、



その○○さんは、質問者様よりも病の深刻さが重いから、特別にその人のために療法をやっているのだと思います。別に質問者様が大事でない訳ではありません。

に変えて下さい。すいませんでした。
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愛に飢えているんだと思います。



人に大事にされた経験が無いから、自分と同じ境遇の人が自分より大事にされるとそれだけで、自分の愛の枯渇に気がつかされて、嫌になってしまうんだと思います。

別におかしなことでは全くありません。

人に大事にされなければ適度な自尊心を持つことができず、自信も持てないから、社会生活に支障をきたしてしまう。

その○○さんは、質問者様よりも病の深刻さが重いからだ、特別にその人のために療法をやっているのだと思います。別に質問者様が大事な訳ではありません。

こういう時にどうすればいいか。

それは幅広い偏りのない読書です。

まずお勧めは、「赤毛のアン」「竜馬がゆく」です。

別にこれにこだわる必要はありません。自分の中の幅を広げるために趣味を持ち読書をして世界を広げるのです。

趣味も良いですよ。スポーツでも良いし、囲碁将棋でも良いし、何かダンスみたいなものでも良いですし。

人生って楽しいものだということを実感して欲しいです。
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この回答へのお礼

ご回答ありがとうございます。
そうかもしれません。愛されていると実感できた事が少なかったです。

やはり趣味や打ち込めることがあると違うんですかね。私も自分に合うことを探していき、見つかればいいなと思います。

ご回答ありがとうございました。

お礼日時:2010/09/16 16:07

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