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泣ける小説やら映画やらって、昔から人気がありますよね。
それは、やはり「泣きたい」から読んだり観たりするのでしょうが、何故わざわざ「泣く」という、いわば負の感情?を味わいたい人が多いのでしょうか。
実生活では、「泣く」などという出来事には出会いたくない人が殆どだと思うのですが・・・

そんな小説や映画には一切興味がない私に、どうぞその理由を教えて下さい。
尚、アンケートとしての質問ですので、正解が何かというより、仮説でもジョークでも何でも結構ですから、いろいろな視点でのご回答を歓迎します。

A 回答 (12件中11~12件)

同情して泣くのも、心の洗濯です。



「他人の痛みがわかる」と、そのような辛い思いをする人が少なくなるようにしようと思えるから…

(悩み苦しみ、不幸な目に合っている人をテーマにした作品と分かっていて「泣けるから読みたい・観たい」というのが、どうしても理解できないんです。)


作品は、「悩み・苦しみ・不幸の伝達」だけでは、終わらないですよね。
必ず、作者のメッセージが込められている。
それを知りたいから、見るんです。

そこに、次への希望があるから…。

(心のコインランドリーで洗濯したら、色移りして服がオシャカになったりしないか…)

新しい色がたされて、味わいが増しますから、心配無用ですよ。
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この回答へのお礼

小説や映画といった作品にはいろいろとありますので、必ずしも作者のメッセージが「次への希望」とは限らないと思います。
そのメッセージを知りたいとか体験したいとかいうことで作品に接することはありますが、正直なところ、泣きたいと思って作品を選んだことはないですね。

結果的に泣くことと、泣きたいと思うことは、同じではないと思っています。

まあ、「心のコインランドリーで洗濯したら、色移りして服がオシャカになったりしないか…」というコメントも、自分の心配をしてのことではないのですが・・・

ありがとうございました。

お礼日時:2010/11/28 22:43

お礼をありがとうございます。



想像で考えると、映画や小説を泣くために観たり読んだりする人は
安全な場所から、傍観者としてじゃなくて、限りなく現実的な痛みや感情を
受け入れるほんのちょっと手前までの部分を、掬って味見をしたいだけなのかな、と。

味見で涙を流せたら、自分の体や心は痛まないし血も流れないから・・?かな、ともおもいます。

時間的にも精神的にも、余裕があるから、そういう負の刺激の享受や
自分の身の安全を確保した上でのアリストテレスのいうところの
娯楽的な「感情の浄化」をできるのだろうか、とも予想します。
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この回答へのお礼

泣くために観たり読んだりするのは、「泣く」ということで味わう快感を求めてのことのように思えてなりません。
しかも、それが如何に悲劇的なことであっても、自分の実生活には何の影響も及ぼさない「安全さ」があるのですからね。

娯楽的な「感情の浄化」を否定するものではありませんが、私にはそういった動機で泣ける作品に接しようとは思えないので、みなさんにアンケートしてみた次第です。

ありがとうございました。

お礼日時:2010/11/28 22:48

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