プロが教える店舗&オフィスのセキュリティ対策術

私の世間話で、「昔 自分の子どもが飼っている亀がいたのだけど、子どもがほったらかしにして亀を死なせてしまった。今思えば私が代わりに育ててやればよかった。」

というたわいも無い会話が出ました。普通なら、「亀かわいそうね」で終わる会話でしょう。

しかし、私は深く考えてしまい、「亀の尊い命が犠牲になった事は心を痛めるが、子どもの命の教育としては必ずしも悪では無い気がする。逆に子どもがほったらかしにしているから、それを見かねて親が勝手に亀を育てたら、子どもの教育には良いのだろうか?」と思いました。




そこで二点お聞きしたい事があります。

質問一
飼っていた亀を死なせる事で、子どもは悲しみます。そして、飼育を放棄した罪を自覚します。
その自覚は命の教育になると思いますが、もし死なせてしまうのを親が回避し、「死の遭遇」を回避する行為は良いか悪いか?

質問ニ
命の尊さを学ばせるには、適度な命の犠牲を必要とする気がしますが、どう思いますか。

*あくまでも適度です。
ト殺現場を見慣れてしまえば豚の命など誰も尊いとは思いません。食べられるために死ぬのは当然、生産動物なのだからと思うでしょう。二度言いますがあくまでも、適度な命の犠牲の事です。




興味のある質問だけでよいので、よろしくお願い致します。

A 回答 (6件)

命の尊さは学ばせるのではなくて、子供が勝手に学ぶものです。


学ばせるために殺す事は間違っていると思います。
「死の遭遇」なら残酷な子供が遊びで昆虫を殺し、成長してから尊さに気づくものです。
    • good
    • 0
この回答へのお礼

回答有難うございます。


>命の尊さは学ばせるのではなくて、子供が勝手に学ぶものです。

なるほど、そもそも論。
これを言われると何も言えないのである。


誰をベストアンサーにするのかいつも迷うのですが、まとめ的なことを言って頂いたのでこちらにします。


もともとアンケート的な質問で、ベストとか順位をつける質問でもないのですが、1の質問では親が代わりに育ててやってもよいと言う私とは違う考えは多かった事を知れたのは良かったです。

社会問題>教育カテゴリーあたりでまた似たような質問をすると違った回答が来るかもしれませんので、時間を置いて、ト殺とか余計な事を省いて再度質問をしたいと思います。


皆様、回答有難うございました。

お礼日時:2011/02/09 18:01

亀についてですが


結果論としての「亀の死」というのと
最初から「亀の死」の可能性を考慮に入れた上での行動とは別物だと考えます

つまり犠牲を必要とするという前提での教育は
長いスパンで考えると歪みを生じさせるでしょうね
    • good
    • 0
この回答へのお礼

回答有難うございます。


言いたい事は分かりますが、要するにこの母親はどうすべきだったのでしょうか。

お礼日時:2011/02/09 17:53

1.良し悪しで言えば良いになりますが、それは亀の飼育を認めた親の責任での話です。



 放ったらかしにしたのであれば、亀が死んでも子どもは悲しまないでしょう。
「このまま、面倒を見なければ亀は死にますよ。
 ○○チャンが見殺しにすることになりますよ」と教えて
 最後まで面倒を見させるべきで、
 それでも放置した場合は(教育上は)死を見せた方が良いと思います。


2.「死なれたら悲しい」と思える相手でないと、命の尊さは伝わらないでしょう。

  せいぜい、肉類や魚介類などの命を奪って食べるから
 「(あなたの命を)いただきます!」ということを教える程度かと思います。
    • good
    • 0
この回答へのお礼

回答有難うございます。


1、なんとなく私の考えに近い気がしました。

2、そうですね。とても難しい事でしょう・・・。


オマケ情報ですが、そのほったらかしにした子どもですが、悲しんだそうです。
恐らく、その子なりに命の重さを感じたのでしょう。

生き物を死なせてしまい、罪を感じる子、何も感じない子と人それぞれ違うのでしょうね。
稀に、生き物を殺す事で、快感を感じる子もいたりして、本当に十人十色で命の教育は難しいですね。

お礼日時:2011/02/09 17:52

1、よいと思います。



そこで親が世話をしたところで、いつか必ず亀は死にますから、その時に「死の遭遇」は起こります。

2、必要というよりも、適度な命の犠牲はそこらじゅうにありますよ。

別に堵殺場でなくとも、路上で車に轢かれた猫や犬、ハエタタキでたたかれるハエ、殺虫剤で殺されるゴキブリなど

うちの子はそういうものを見てもかわいそうだと言っては何か考え込んでいる様子です。
    • good
    • 0
この回答へのお礼

回答有難うございます。

1で、「良い」と言う答えが多いですね。
私は、もし親が代わりに亀を育ててしまっては、子どもは「生き物を育てても代わりに育ててくれる人がいる」と知ってしまい、生き物を育てる事への「責任」を知る事が出来ないと思っていましたが、それほど取り立てる事もなさそうですね。


2の事のあなたの言う「適度な死」ですがそれは該当しません。
ト殺現場の話は、その現場を知っている人の話であって、世の中の大多数はその事実を知っているだけで目の当たりにはしていません。


ト殺の話を持ち出したので、脱線してしまいましたが、「死の遭遇」とは害虫の死とかニュースの殺人事件とかではなく、自分の飼っていた生き物。自分の愛する友人や家族の死の事です。

そのような遭遇はあまりありません。普通に生活をしている人はペットを飼っている時か、稀に家族や友人が死ぬ時くらいです。

子ども時代に家族が死ぬ事は、核家族化、おじいさんおばあさんと別居化の、今の時代は特に稀になっています。

お礼日時:2011/02/09 17:42

1 よい。



子供の教育のために見殺しにされていい命があっていいわけがありません。

2 余り思わない。

釣った魚を美味しく捌いて食べてあげるくらいが限度でしょう。
    • good
    • 0
この回答へのお礼

回答有難うございます。


なるほど、それでは亀を知らずに見殺しにした母親は、かわいそうな事をしてしまいましたね。

お礼日時:2011/02/09 17:27

 ト殺場の人は慣れてはいないと思います。

昔の人も手を合わせてから鶏などもさばいたと言います。犬などの処理場の本も有名になりましたが、必要を感じてボタンを押しているはずです。
 自分の考えとしては、ただ、教えるがために、亀が死ぬことを気づいていて、そのままにすることは、出来ませんね。あくまでも自分でさせるなら、見ていないですな。それを「同じ事」と言われれば、話にならないですが。これを基本に、
(1)気づいたらするのみ。良いか悪いかではなく、自然と考える。最初から親が手を出すのは、質問の意義から離れるので、答えにならない。
(2)そうは思わない。生き物はいずれ死ぬことは考えるが、最初から殺すことを考えて学ばせない。結果論だけで話や教育は子供にはしない。
    • good
    • 0
この回答へのお礼

回答有難うございます。

>ト殺場の人は慣れてはいないと思います。
私の友人にそう言う現場の人がいまして、新人当初は抵抗などあったのですが、今はト殺する事は仕事ですし特別胸を痛む事はなくなったそうです。

つまり「人それぞれ」。まぁト殺するたびに「命を奪ってしまった」と胸を痛める人はそんな仕事続きません。だから私の友人は稀ではなく、寧ろそれが一般的だと思っています。


あと、人は慣れますよ。
戦争カメラマンの新人は、死体が山になっている戦場を見てゲロしてしまった。
しかし、その一週間後には、その死体の山を見ながら昼飯が食べれるようになった。

と言う「慣れ」の恐ろしさを語る戦争カメラマンは少なくありません。

まぁ「人それぞれ」でしょうが。



ところであなたは「思います」と言いましたが、それはト殺現場の人と接して思った事ですか?
もしそうならまさしく人それぞれですね。

お礼日時:2011/02/09 17:25

お探しのQ&Aが見つからない時は、教えて!gooで質問しましょう!