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- 回答日時:
>平安時代には枕草子や源氏物語など、後宮の女性が書いた文学作品がありますが、
おっしゃるとおり、平安時代の優れた物語や日記文学の多くは、当時の宮廷に出仕していた女官たちによって生み出されたと言えるかもしれません。
が、女性の手になる最初の本格的な「文学作品」、『蜻蛉日記』の作者である道綱の母は、宮仕えの経験がない、今でいう専業主婦だったという事実を見落としてはならないと思います。
しかも、『源氏物語』にしても『蜻蛉日記』の延長線上に誕生したとされている以上、平安文学の書き手が「後宮の女性」であったことだけに拘泥しすぎない方がより賢明かもしれません。
むしろ、『万葉集』以来、和歌が日本文学の中核となってきたこと、和歌は男女関係なく抒情的な表現様式として確立していたこと、さらには仮名文字が女手(女文字)として女性の間に普及していたこと、藤原摂関家がわが娘を入内させるべく、娘の教師にふさわしい才媛たちを集め、彼女らの文学活動を優遇したこと等々が、結果的に平安時代に優れた後宮文学を輩出させる最大の要因になったのではないでしょうか。
>江戸時代の大奥や、あるいは中国やイスラム世界など外国の後宮ではこういったものは無かったのでしょうか?
全く「無かった」わけではないでしょうが、それらの時代・場所に、平安女性文学を発生させたのと同じような条件、文化的土壌が準備されていたとは考えにくいところです。
>「小説」が「史書や詩に比べてくだらない物」という意味で使われていたというのを聞いた事があり、物語などを書いても後世に残らないのかとも思いました。
「小説」にしても、ROMAN(仏・独)にしても、NOVEL(英)にしても、その語源から推察する限り、知識人、文化人、公人たちからすれば「くだらない物」でしかなかったのは確かだと思います。
その意味では、小説や物語というのは、良くも悪くも俗文学であるし、支配者たちの公用語(ラテン語、漢語等)によってではなく、あくまでも民衆の話し言葉、俗語によって、民衆の日常生活、その本質、真相を活き活きと描き出したものだと思います。
なお、口誦されただけのものなら、確かに「後世に残らない」でしょうが、文字化された「物語」については、より優れた作品ほど後世の同好の士によってより頻繁に複写されざるをえず、結果的にそういう「物語」だけが今日もなお文学的生命を保ち続けているということではないでしょうか。
この回答へのお礼
お礼日時:2011/12/20 21:10
藤原氏の入内のための結果だというのは、時代背景を考えていなかったため思い当たりませんでした。
大変詳しいご説明ありがとうございました。
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