
子供のころからファンで愛読している小説「坊っちゃん」からの長年の疑問質問三つです。
(1)松山は十五万石だと知られていますが、漱石は坊っちゃんの中で二十五万石と書いています。子規の句を知っているはずなのに、漱石はどうして二十五万石と書いたのでしょうか。
(2)小説内に出てくる鍛冶屋町、野芹川など松山市内の多くの町名はそれぞれ現在のどこにに当てはまるのでしょうか?その由来は?
(3)祝勝会の余興で、高知のぴかぴか踊り(花取り踊り)が登場し、割と詳しく描写していますが、高知県内のどこの踊りに近いのでしょうか?漱石は実際に見たのでしょうか?
(以上のようなトリビア?について書いてくれている参考書などがあれば教えて欲しいのですが。)
A 回答 (1件)
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