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海外で活躍の先覚者:山田長政・ルソン助左衛門等が居ると思いますが、その出自や活躍ぶり、並びに後裔や事業の推移等について余り情報が残っていません。

現在では珍しくない海外移住や国際貢献で活躍する日本人、
その先覚者&先駆けと言えるのが、タイやカンボジアで活躍し著名人となった山田長政・ルソン助左衛門等ではないでしょうか・・・
しかし、彼らの晩年や死後の日本人街や後裔は、現在の日本では語られる事も少なく余り知られていないのでは無いでしょうか・・・
同様に、貴方が興味を持つ、歴史上に於いて、詳らかな情報は乏しいが、海外&国際社会で大活躍した日本人は誰でしょうか?

質問ですが
◇山田長政・ルソン助左衛門の晩年や死後の日本人街や後裔は、どの様に成ったのでしょうか?
◇同じように海外で活躍した人物として貴方がイメージするのは誰でしょうか?
<ex,ジョン万次郎・国姓爺・野口英世・フジモリ元大統領・小野田寛朗・杉原千畝>

A 回答 (9件)

野茂英雄さん。



この人が大リーグで成功したから、続々と日本人プロ野球選手が大リーグに挑戦するようになったんじゃないですか。

この人の功績は大きいと思いますけど。
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この回答へのお礼

確かにそうですね・・・

初頭の大リーガーとしては、マッシー(SFジャイアンツ:村上雅則)の印象が私には強いですが・・・

野茂さんは日本での大活躍とトルネード投法&フォークボールの威力で、彼の朴訥とした語り口とポカーフェイス同様に、パーフォマンスや口先ではなく、普段の(日本での)実力を、そのまま大リーグでもフツーに発揮された感が強かった為、期待通りという当然視なのかも知れません。
本当に、先覚者として大リーグを身近にし、多くのプレイヤーが今日のポスティングシステムでの挑戦に道を切り開いた功績は多大だと思います。


それにしても、最近の日本人プレイヤーへの評価の低さは、井川・川上あたりからか、怪我等の不運も含め松坂・西岡・松井秀&稼・岩村他、イチローを除き期待はずれの感が強いのは何故だろうか?
(ダルビッシュは、これからの活躍に期待してますが・・・)

※村上雅則:日本初メジャーリーガー
野球留学のために渡米し、そこでの活躍ぶりが認められて日本人初のメジャーリーガーとなった投手。
スリークォーターから投げられる速球とスクリューなどの変化球を武器に、先発・中継ぎ・抑えとポジションを問わず日米両リーグで成績を残した名左腕である。

お礼日時:2012/04/13 07:52

僕も、実際にブータンでご活躍中の西岡先生にお会いした身


として、追加させていただきます。
戦後、被援助国に身を落としていた日本が、初めて援助する
側に回って参加したコロンボプランに基づき、最初に送り出さ
れた国際協力専門家の1人が、なぜかいきなり秘境ブータン
に単独で乗り込んだ西岡専門家だったのです。
まだ空港もなく、インドからロバで山道をたどって入国された
ご苦労は有名です。

その後28年間専門家として活動する中、現地での妬みに
よって僻地に追われても、その地の生活の向上に貢献し、
ついには外人としては最初で最後の貴族(ダショー)の地位
に上りつめ、その不慮の死に際しても、国葬をもって送られ、
偉業をたたえる仏塔に祀られたんですよね。
当時僕は、ダショー西岡の拠点のパロから数時間かかる
首都から更にバスで3日かかる東のタシガンにいたので、
葬儀には伺えませんでした。
何度かお会いした実像は、飄々としてザックバランで、
僕の前職が海外コンサルであると知ると、「海外コンサルは
ロクなのがいないよね~、君はどうか知らないけど」と辛辣
な言葉をかけられましたが、その大笑いする姿にこちらも
笑わずにはいられない人物の大きさを感じました。

ちなみに、ダショー西岡の伝えたジャポニカ米は、伝統の
赤米より倍の収量があり、今では7~8割を占め、同じく
水田のできない所に伝えたリンゴと共に、ブータン人を
とても豊かにしました。
ダショー西岡の亡くなられた原因は、虫歯です。
ブータンでは、まともな虫歯の治療ができないので、
バンコクの歯医者へ行こうとしていたのですが、毎日は
便がないので、首都の病院でフライト待ちした夜に、
急に化膿が悪化して、敗血症になられたのです。
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この回答へのお礼

ご回答を賜りまして、誠にありがとうございます。

詳細かつ丁寧な解説と紹介を頂き、大変解り易く参考に成りました。
心より感謝とお礼を申し上げます。

お礼日時:2012/04/16 21:35

こんにちは。

 #7の再入場です。

ヒマラヤの奥地、ブータンで農業の父と慕われた『ダショー・ニシオカ』(西岡京治)さんの名を挙げたいと思います。

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%A5%BF%E5%B2%A1% …

1964年から28年間、この地(ブータンのパロ)に滞在し、農業の発展に尽力されました。 1992年、風土病に罹られ急逝し、ブータンの土となられました。 今でもブータンの人は彼を『父』のように慕っています。 

そして彼が開いたパロ農園で栽培している日本米は大変な名声を博しています。 現地の人だけでなく、西南アジアで活躍する日本人ビジネスマンが、大挙して遠路はるばる買い付けにやって来るほどです。 
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この回答へのお礼

ウッスラと覚えていた記憶でしたが、貴重な情報・話題を提供いただきお教え願い心より感謝とお礼を申し上げます。

内向きな日本人論が多い中で、改めて日本人・日本の矜持・自信を喚起醸成する嬉しく誇るべき話題だと思いました。

お礼日時:2012/04/14 08:10

こんにちは。

 

Jリーグ発足20年目を迎え、ますます隆盛の一途を辿る日本サッカー界です。 この土台を築いた人として誰でも『三浦カズ』選手の名を挙げるでしょう。

しかし、彼よりも先に12才で単身ブラジルに修業に行った選手がいました。 

●その名を『水島武蔵』さんといいます。

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%B0%B4%E5%B3%B6% …

1964年生まれでカズ選手より三才上で、12才でブラジルに渡りサッカー修業。 Jリーグではプレーすることはありませんでした。 今は横浜で後進の指導に当たっておられます。 
 
•1971年-1975年 - 清水FC
•1975年-1979年 - サンパウロFC少年部
•1979年-1984年 - サンパウロFC育成部
•1984年-1985年 - サンパウロFC
•1986年 - サンベントFC
•1987年-1988年 - ポルトゲーザFC
•1988年 - サントス
•1989年-1990年 - 日立製作所サッカー部
•1991年-1992年 - 全日空サッカークラブ/ASフリューゲルス
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この回答へのお礼

ご回答を賜りまして、誠にありがとうございます。

お礼日時:2012/04/14 08:03

◇同じように海外で活躍した人物として貴方がイメージするのは誰でしょうか?



そういえば、芸能関係では
マダム貞奴(川上貞奴)、ナンシー梅木、早川雪洲なんていう人たちが浮かびます。
早川雪洲はあまり背が高くなかったので、
向こうで踏み台に乗る事を「セッシューする」っていうようになったと
本で読んだことがありました。
あとはずっと時代が下がって、バレエの森下洋子さん。
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この回答へのお礼

ご回答を賜りまして、誠にありがとうございます。

写真やスクリーンで見聞した事があるという程度の記憶しかありませんが・・・
確かに芸能関係では、海外で活躍&著名と言えば有力な人達。
同じく、黒澤明・三船敏郎・渡辺謙・小澤 征爾等も日本に拠点はあっても海外での評価が高く,国際的著名人という意味で名が挙がるでしょうね。

お礼日時:2012/04/14 08:02

 先のご回答でクーデンホフ光子(青山光子)さんの名前が挙がっていますが、彼女の次男さんリヒャルト・ニコラウス・エイジロウ・クーデンホーフ・カレルギー公も日本人の血を受け継ぎながら世界的な貢献をしたひとりでしょう。



 リヒャルト・ニコラウス・エイジロウ・クーデンホーフ・カレルギー公は幼名を栄次郎といい、生まれは東京、そして彼リヒャルトと言えば、汎欧州主義(Pan-Europeanism)の提唱者であり、反ナチス運動の先鋒でもあったのです。

 汎欧州主義とはその字のごとく、ヨーロッパ圏の各国を一体的に捉え、ひとつに統合するか、あるいは相互に一体性を高めることを志向する思想のこと。いわば、今日のEUの礎となった思想と言っていいでしょう。そのために、彼は今日EUの父と呼ばれています。

 古い作品ですが「カサブランカ」という映画がありました。この中で、主人公リックがかつての恋人であったイルザと再会しますが、彼女にはラズロという夫がいました。イルザとラズロはナチに追われて亡命を決意し、パスポートを手に入れたいとリックを訪ねたのです。リックにとっては恋しいイルザ、だが、リックはイルザを愛するがゆえに二人の亡命の手助けをします。実はこのラズロこそ、リヒャルト・ニコラウス・エイジロウ・クーデンホーフ・カレルギーがモデルだと言われています。

 もし「カサブランカ」の劇中、ラズロが空港でドイツ将校シュトラッサーによって拘束されていたとしたら…、今日のEUは実現していなかったのでしょうか…。

 日系とは言いながら、事実上日本人ではないフジモリ元大統領が質問に挙げられていましたので、リヒャルト・エイジロウ・クーデンホーフ・カレルギーを取り上げてみました。
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この回答へのお礼

ご回答を賜りまして、誠にありがとうございます。

すごくレアな人物・話題を提供頂き、興味を持ち調べ参考に成りました。

尚、フジモリ元大統領は、ペルー日本大使館人質奪還作戦の現場指揮を取り、活動された頃の率先垂範・強きリーダーの印象が→明治の日本人&武士道が彼の地に連綿と生き残っていたのかと感動した頃の記憶が強い為です。

また、その後に政治犯として追われ亡命や日本国籍取得の話題も有って、随分と出自や運命や晩年の軌跡は異なるのですが、私には小野田寛朗さんと何処か価値感や感性や風貌が、国は違えども同じく遠き南米で活動・活躍する日本人として印象がダブルのです・・・。

お礼日時:2012/04/14 07:53

1967年幕末のパリ博覧会に日本から参加した幕府と薩摩藩。



別の国として代表展示し、ヨーロッパの人達を困惑させた薩摩藩代表。「日本薩摩琉球国太守政府」家老の岩下方平。

こういう内輪もめは外から見ると格好の餌食。国内がぐらついて攻めやすい、と読まれたと思います。

あ、活躍ね。活躍したのは芸術面のお披露目として。フランスでジャポニズムの大流行を見ました。浮世絵が印象派に影響を与えました。あっぱれじゃ。
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この回答へのお礼

ご回答を賜りまして、誠にありがとうございます。

すごくレアな人物・話題を提供頂き、興味を持ち調べ参考に成りました。

お礼日時:2012/04/14 07:41

◇山田長政・ルソン助左衛門の晩年や死後の日本人街や後裔は、どの様に成ったのでしょうか?



杉原千畝さんの息子さんのことは以前週刊誌か何かで読んだ記憶があります。

◇同じように海外で活躍した人物として貴方がイメージするのは誰でしょうか?

クーデンホーフ光子さんとか。
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この回答へのお礼

ご回答を賜りまして、誠にありがとうございます。

クーデンホーフ光子さんを紹介頂き初めて知りました。

お礼日時:2012/04/14 07:38

なんとなく思い浮かんだのは谷豊です。

何した人かよく知らないけど。
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この回答へのお礼

ご回答を賜りまして、誠にありがとうございます。

谷豊・・・怪傑ハリマオのモデル(第2次世界大戦下マレーで活躍した諜報員)になった人物ですね。

お礼日時:2012/04/14 07:35

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