我々が同じ世界に住んでいるということをいうにはどうすればいいのでしょうか?
普遍言語などもかかわってくるのでしょうか。関わってこないとしても、皆さんがどの様に普遍言語を認識しているのか知りたいので、普遍言語がどの様なものかお教えいただけるとありがたいです。
以上、ご教示願えますか?

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A 回答 (6件)

 勿論世界はたった一つしかありません。

そして、私とあなたの前にそれが立ち現れています。確か、大森荘蔵さんという哲学者の本でそんな文章を読み、なるほどな、と感心した記憶があります。
 世界は一つです。では、このことを「言語」を通して認識しあうことは出来るのでしょうか?
 「出来るとも言えるし出来ないとも言える」というのが私の結論です。
 お互いに認識しあうためには、どのように「認識」しているか、ということを、両者に通じる言語を介して了解しあわねばなりません。
 しかし、この操作のためには、「日本語」ではからまわりします。「英語」では、なお一層私は I don’t know です。言語を言語たらしめる「意味」が「恣意」であるからです。
 ここから「哲学」が登場しました。人と人が共通の認識に達する言語の使い回しは出来ないのか、と。
 私は、あなたの質問をそのような渇望と了解しました。この渇望を仮に「普遍言語」と解釈すると、「普遍言語」は「生成途上」であって、「恣意」の壁を乗りこえることは出来ません。それが「汲めど尽きぬ有限な言語の限界」なのではないでしょうか。
 だが、お互いに、生成のさなか、ついに達し得ぬとの「認識」に基づいて見解を分かつとすれば、それは、永遠がほんの一瞬、氷つくような、そんな悦ばしき錯覚が、芽生えるかも知れません。
 ここからは、「小説」とか「詩」が解答を背負っていくべき問題である、と考えたい、と近頃の私は考えています。
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この回答へのお礼

あなたの吐いた息を、私が再び呼吸する。そのことを理解する事までできる私は、私があなたと違う世界に住んでいるとは言い難い。さらに、海水に触れる事のできる私が、ペンギンと会話できないとは思えない。だからといって、人と会話できるというのは、思えないが。 私が血潮を見た時点で、私は血潮と会話的なことをしたと言える。 私が彼をあえて、無視したとするなら、それは会話であると言える。ああ故に、僕に彼女が見えなかったとするなら、彼女と僕は違う世界で、僕は「彼女」と声を発する事もできない。
しかし、私は私のいない世界があっても、それは全くおかしくないと。世界が一つだなんて、いかに言い切れよう。

「しい」と読むのでしょうか?この「恣意」の意味がわからないのですが、
>私は、あなたの質問をそのような渇望と了解しました。この渇望を仮に「普遍言語」と解釈すると、「普遍言語」は「生成途上」であって、「恣意」の壁を乗りこえることは出来ません。それが「汲めど尽きぬ有限な言語の限界」なのではないでしょうか。
此処で言うなら、私の考える普遍言語は、
>私とあなたの前にそれが立ち現れています。
とあなたが言われる世界を共有する、「個々」の前に「立ち現れている世界です」(きっと)。「私とあなたの前に現れている世界」は「恣意」であり、一般の使用での「普遍言語」かな。
そして、
>言語を言語たらしめる「意味」が「恣意」であるからです。
あなたのいう「意味」が、「恣意」が、おそらく一般の使用としての普遍言語であり、最初からすでに知っている、同じ世界に住んでいるという所似であると考えています。
アドバイスありがとうございました。

追申:あっ!なんか勝手に一人で納得しそうなんですが、僕が解釈で誤ったのは、「普遍言語」のほうが「言語」よりも巨大なカテゴリであるかのように考えていたことではないでしょうか?ホントは、普通に考えると、「言語」をさらに「普遍」という意味で限定してるのが「普遍言語」なんですよね。たぶん。そして、だいじなのは、私は、「言語」をもっており、「普遍言語」をもっている。ということかな?

お礼日時:2001/05/23 07:47

> 補足のところに書かせて頂いてよろしいでしょうか?



どうぞ,どうぞ.

人間が根源的に「孤独」であること(この世界でかぶる場所は二つとない).しかし,他者と言葉を用いることで他者と関わり,一瞬間,「孤独」を忘れ,「私(ある一瞬の交錯の影)」をつくり出すこと.この辺は,よく分かります.詩的な言葉に,少し感動.で,ですね.下のこと.

> 何故、他の場所が私でないのか

これはとても不思議だと,ぼくも思います.“私”の中に他の人が入ってきてしまう感覚というのがあるのですが,それがいわゆる“分裂病”だといわれています.それから記憶の話.記憶がぶつぶつ切れてしまうために解離性同一性障害(多重人格)が発症するようです.自分の中の記憶の連関が断たれ,同一性(アイデンティティ)が解離状態となり,あたかも自分の中に複数の人格が居るような状態を作り出してしまうんだそうです.心因性の精神の病気って“私”の病気なんですよね.いまぼくらは“私”が一定に保たれて,連関が上手くいっているからいいものの,いつかぷつりと行ってしまうかも分からない.そう考えると同一性が保たれていたり,他者を他者と認識できたりすることがいかに不思議なことなのかが実感されます.その意味では,身体的な自分と精神的な私は,別物だと言えると思います.

回答になってませんね.こちらも雑感を書かせていただいた感じです.何かの参考になれば幸いです.

この回答への補足

ぼくらのいる部屋が広いのか狭いのか

僕は君と部屋に 僕は外に出る

そとは僕のウチに 君は部屋の中に

君の部屋は外の外

僕らのいる部屋は広いのか狭いのか

エレベーター塔の屋根で 街の灯りが消える方へ
君が見た? と言えば 見たっていうし
君が見てないと言えば だから僕は見てないって
ほんとは君しか見てないって

                         二十歳記念

補足日時:2001/07/19 19:38
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この回答へのお礼

御礼が遅くなり申し訳ありません。もう少し考えたいので、もう少し開けときますので、ほんとの御礼が遅くなる事をお許しください。jumeさんのご意見、いつもほんとに参考になります。ありがたいです。

お礼日時:2001/05/31 23:00

お返事,ありがとうございました.cafalleroさんのおっしゃりたいこと,よく分かりましたよ.はじめに「明るさ」の型みたいなものがあって,それ以降の経験から,「明るさ」の意味を学習していく…という感じでしょうか? そのときの,「型」に当たるものが「普遍言語」ではないかと言う話ですよね?



ぼくは,この話を読んで「エロス」という言葉を思い出しました.フロイトです.すべての生物に存在し,その成長を促し,より大きな「統一」と「維持」,「発展」と「躍動」を目指すもの,つまり死から遠ざかろうとする原理です.フロイトに言わせれば,このような生の欲動がはじめから人間に組み込まれているそうです.

ところで,赤ちゃんの話が出てきましたが,赤ちゃんは生まれつき「笑い方」を知っているそうです.お母さんやお父さんの笑顔を見て笑顔を学習するのではなく,はじめから知っている.それは,盲目で生まれてきた赤ちゃんが,あやされて笑顔を作ることから分かったそうです.

人間には生まれつき備わったもの,というのが少ないようですが,快感を求める精神的な作用(エロス)と,それに反応する「型」は備わっているのだろうな,と思います.それが,もしかしたらcaballeroさんのおっしゃる普遍言語なのでしょうか?

> 私は明るい事と暗い事の区別をつけれるようになったのでしょうか?

以上のようなことを基本にして,あとは学習じゃないですかね.

「世界」って,もしかしたら,他者なしには生起しないものなのではないでしょうか? ここでいう他者は無生物も含んでいますが,それとの耐えざる関わりの中に浮かび上がってくるのが,いわゆる「世界」であって,それらは常に生成と消滅を繰り返しているのかも知れません.インターネットなんてそれが純化された世界かも….

ただ,ぼくには「我々は同じ世界に住んでいるか?」という疑問がとても魅力的でありながら,それに直接答える力と勇気がありません.同じ世界には住んでいない,同じ世界に住んでいると,断言するのが,とても怖いです.ぼくには,どちらの側面も同じようにあるような気がします.もしかしたら「世界」はそれほど秩序立ったものではないのかも知れませんね.
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この回答へのお礼

再びご回答いただけて嬉しいです。もう私めちゃくちゃなんで、文章とかごめんなさい。
さらに言うと、何故私の感覚したものがよりによって「明るさ(文字的なことではなく)」なのか?それで、「明るさ」の形のようなものを知っていたから云々だったんですが、「いかに存在を感覚?したか」、という問いを考えたいです。「いかに自分を感覚しているのか?」は、違う問いですが、でてきたんでここに書かせてください。お礼の欄で思考することを許していただき感謝してます。

>「世界」って,もしかしたら,他者なしには生起しないものなのではないでしょうか? ここでいう他者は無生物も含んでいますが,それとの耐えざる関わりの中に浮かび上がってくるのが,いわゆる「世界」であって,それらは常に生成と消滅を繰り返しているのかも知れません。

「私という場所が自分を感覚している」この世界でかぶる場所は二つとないが、一つ上の次元では、私という場所は無限に分割されうる。むしろ、一つ上の次元のある一瞬の交錯の影が、この世界の私という場所を示しているのではないか?その影はいつから私であったか。自分を感覚したか。で確かなのは、自分を言語的に感覚しているのは間違いない。私が自分である所以は、言語的でないことも確かである。しかし、何故、他の場所が私でないのか?私は、世界という場所にいるし、自分には無数の場所がある。さらに、私という場所は、時間的に動いているにもかかわらず、私という所在は変わらない。それが言葉の能力ではないか?私が突如、あなたになることはないが、意識を失う事はある。意識を失ってる時って、私はないですよね?記憶がないだけかもしれません。私を感覚するのに記憶はいるんでしょか?しかし、突如変っているといわれても、しかし、この私という言葉(場所)は他にない。ここで思い出したんですが、「何故、自分なのか?」という問いで、「全て自分だ」と考えたことを思い出したんですが、となると、「自分」である事と、「私」であることがちがいます。しかし「我々は同じ世界に住んでいる」といえたように思うんです、普遍言語をもって。
甘えまくってすいません、全然お礼じゃないんですが、、今回の思考が途切れてしまったので、補足のところに書かせて頂いてよろしいでしょうか?

お礼日時:2001/05/25 08:24

いつも自信がなくてすみません:


哲学の「て」の字も、「普遍言語」も手元の辞書を見ても
たぶん全然わかることのできない、どシロート、です。

わたしは、音楽を聞くと、こと人間に限っていう限り、
「われわれって、ずっと同じようなものを感じて来たんだねきっと」
って、思うのです。これが、きっと同じような重力を
感じてきたからだよ。って思うわけなのです。

なんか、いつもに増して自信がない・・・・
すみません、ちょっと情緒的な心情で書いていますので、
あんまり恥ずかしくなったら自分で削除依頼出します・・・。
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この回答へのお礼

すみませんなんてとんでもないです。僕等、音楽仲間ですね、きっと。
でも、自信がないというのは素晴らしい事じゃないですか。余裕があるということですよ。自信があれば小さくなってしまいますが、自信がなければおおらかでいられます。
>「われわれって、ずっと同じようなものを感じて来たんだねきっと」
って、思うのです。これが、きっと同じような重力を
感じてきたからだよ。って思うわけなのです。

素晴らしき共感の世界、ですね。「普遍言語」というセリフはどうだっていいんです。ただ、哲学科だぁ~って雰囲気があったんで、それに圧されて聞いたこともあるかなって言葉、使っただけなんです。
回答ありがとうございました。うれしかったです。

お礼日時:2001/05/23 08:03

caballeroさん、こんにちは。



普遍言語について自分もわかりませんが、同じ世界に住んでいるか?
と問われたら、すんでいるともいえるし、すんでいないともいえます。

その人その人の世界観、価値観に影響するのではないでしょうか?
ぜったいに、ありえないことだけどもゆかいなAさん、ニヒルなBさんをまったく同じ状況(現実にはありえない100%同じ環境と仮定します。)
に置いたとして、果たしてAさん、Bさんは同じ世界観を持つと思いますか?

一人一人、姿・声・思想が違うように『同じ世界』という言葉一つにしても
認識がちがうとおもいます。

もし、ご希望の答えとずれていましたらすみません。
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この回答へのお礼

それでは、同じ世界に住んでいるが、違う世界をそれぞれもっているということでしょうか?
>もし、ご希望の答えとずれていましたらすみません。
いえいえ、すみませんなんてとんでもないです。もうずれているのかも分からないcaballeroです。ありがとうございました。

追申>『同じ世界』という言葉一つにしても
認識がちがうとおもいます。
しかし全く違うという事もないのではないでしょうか。(確かめれないのですが、、)もしそうなのであれば、その方は真に違う世界の方だと思います。きっと我々には見えないでしょう。「『同じ世界』もってきて!」とたのんで、ウサギのような動物を持ってきた人がいれば、その人は、『同じ世界』の変わり者の住人だといえます。

お礼日時:2001/05/23 06:52

普遍言語って知らないんですが,しかも,どのように相手とコミュニケーションをとっているかなんて意識化できないような気がしますが,たと

えば,子どもが目から水滴をこぼしている.しかも,足に擦り傷がある…となると,痛がっているんだなと言う想像が自然に行なわれる.他者理解はすべからく自己の経験に基づいた理解ではないかと思ったりします.経験の記憶を相手の置かれた状況に当てはめて考えるって事ですね.でも,それだけじゃ,われわれが同じ世界に住んでいるという証拠にはなりませんね.それにしても普遍言語ってなんですかね?
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この回答へのお礼

僕も他の方がどの様に解釈しているのかよく分からない上なので、僕がどう考えているかはうまく説明できないんですが、
子供が目から水をこぼしているという事を目撃するには、周囲と「子供」を識別せねばならないし、子供の一部として「目」を、さらに異質なものとして「水」を捕らえなければなりません。さらに言うと、まず周囲を感覚しなければ、何かが少なくとも存在していることを感覚しなければ、これらのことは分からないわけです。いつから、私は明るい事と暗い事の区別をつけれるようになったのでしょうか?視覚だけでなく、他の4感についても同じことが言えますが、きっと、一般にいわれていることは、「明るさ」を感覚するためには最初からすでに明るさを知っていなければならない。Q=Qを、この意味のない命題を理解するには、最初からすでに、「Q」が「Q」であることを知っていなければならない(=が大切)。というようなことだったと覚えています。この言語活動をするための能力のことを普遍言語といっていると思うのですが、僕は、普遍言語がその様に機能しているのではないと思うんです。Q=Qの命題では、ホントは左の「Q」と右の「Q」は別ものだと思うわけです。それを、「=」が、「Q」という形(図形じゃありません)としてなしているんだと思います。ほんとに分かりにくい表記で申し訳ありません。
だったら、「明るさ」の形を知らないのにいかにして「明るさ」をつかむねん!コラッぁ!と言われそうですが、しかし、知っていると言うよりも、決めているってゆうか、(いやいや、知らなければ決めれんよぜ)いや~、今はかんべんしてください。
赤ちゃんは我々より見えているものが少ないと思うのです。当然「明るさ」なんて言葉は知りません、むしろ、温度や皮膚感覚等の触覚の方が先だと思うのですが(そんなことはどうでもいいのに、、)、カオス状態の我々が、最初(順番とかのじゃなしに)の感覚を得るための感覚を普遍言語だと思っています。こう言えば一般的な解釈と同じように聞こえますが、どうなんでしょう。このような文章読んでもらってすみませんでした。だったら、以下の突っ込みに答えられるようにしたいんですが、、、

お礼日時:2001/05/23 06:42

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