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今24歳の男ですが中学頃から幸福とは何か、自分はこの人生で何をするべきなのかという観念的な問いに独り悩み、そこから離れることが出来ず意味不明な人生を歩んできました
思春期に入り性欲に目覚め、周りが恋愛にいそしみ普通の幸福を目指していく中、自分は悶々と哲学や暗い作品等で健全な道徳・社会性とはズレた知識をとりこんだり、
またそこからくる社会不安で引きこもったりして、徐々にこのようなしちめんどくさい性格へとデザインしてしまいました
帰属による安心や安全が気分よく嬉しいものだとは分かっています 一瞬ですが好意を寄せて貰ったこともあります
しかしなんというかだからこそ怖いというか、とにかく、
「“罠”なんじゃないか?」 「本当はもっと違った何かがあるのではないか」
という疑惑が消えません 人によれば中二病とか童貞をこじらせたと言われることだと思います
仮にこれまでの人生がいわゆるリア充と呼ばれる生活であったなら変わっていた、いや変わらざるを得なかったと思いますが、
今ではとうとう 自分は一生独りで生きていくべき。それが真にカッコいい生き方なんだ。とか思うようになってしまいました もう峠は越えたので多分死ぬまで守れます
そこで皆さんにお聞きしたいのですが、

○幸福とはどういう状態か
○本能的な快楽や帰属的な充足を排した幸福はあり得るのか
○童貞であることのアドバンテージはあるか

お願いします。前置きが長くなってすみません

A 回答 (17件中1~10件)

童貞なんて、お金払えば捨てられるんじゃないですか?それで幸せになれると思うならすぐに捨てるべき。

というか「童貞」を言い訳にして自分を縛ってしまうのなら、とっとと捨てるべき。

>本能的な快楽や帰属的な充足を排した幸福

例えば、私が幸福感を感じるのは、「うまいものたらふく食って温泉に浸かる」「子供達と一緒に寝る」とかですが、どっちも快楽・帰属に引っ掛かります。「宗教」も帰属に引っ掛かりますね。芸術活動・研究活動などで、自分だけで愉しめれば幸福感を得られるのかもしれないけど、そういう人が歴史上居たのかどうか(生きているときにほとんど絵の売れなかったゴッホが幸せだったのかどうか)・・・あなたの言う幸福はちょっと思いつきません。

もう性格を直せないのであれば、その性格を活かした仕事をしてやりがいを感じるようにしたらいいのでは?
小説・漫画原作など、徹底的にその世界観の視点に立ったものを描いてみては?
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この回答へのお礼

風俗で捨てる人もいますね 自分もいつかはやっぱりしたいと思ってとび込むことになるのでしょうかね
確かにゴッホに代表される天才ぼっち達は生前何を考えていたのかお話したいとよく思います
ネットをしてると自分のような人は今の時代いるっちゃいるようですが、お互い独りなので会うことはまずないというのが皮肉ですね
皆一人で黙々やれる仕事に就いているんでしょうかね 漫画家等は多分幼少からそういう内気な性格をしっかり自覚し努力してきた人達なんでしょうね
回答ありがとうございます

お礼日時:2013/01/15 21:48

ある程度の経験はした方がよいとは思うのですが、、、



質問者さんはこういうの面白いと感じるんじゃないでしょうか。
http://shogongja.seesaa.net/archives/200610-1.html
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>一生童貞で幸福はあり得るのか



女は魔物です。

その魔物の力に冒され、女なしじゃ生きていけない男が大勢います。
童貞は女と言う魔物に冒されていない、実に神聖で高貴な生き物です。

魔物に振り回される事のない素晴らしい生活が保障されています。

おめでとうございます。
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この回答へのお礼

女は魔物ですか… 経験がないので全くわかりませんが、人によったら麻薬にも等しい危険なんでしょうね
この前の恋愛殺人もそのような執着がないと怒るはずがありません
もしかすると僕も根っこにある依存体質を自覚してるからこその不安なんでしょうか
新聖で高貴ですか、、 この前まで真性でしたが
回答ありがとうございます

お礼日時:2013/01/15 22:06

ばっちり きっちり かっちりの質問ですね。



もし、価値観が合わなくて、弄びなんてしようと思わないなら、

孤独のが最も相応しいと思っております。

我が生涯に

我より優れるものは...

後ろに陰険でこそこそ喋るなどなんて、信用なしなんて、裏切るなんて

男として生きているのが価値ない!!!

男って

大切なもの(家族)、また国のフライドを守れなくて、

正気を照らせなくなんて、恥だ!!!

ただのちっぽけ惨めな存在である。

私、雪が好き、旅へ言っている先生(均ちゃん)にも、

最後の時、旅へ行く前に握手して、何も言ってくれなかった。

よく言っている話は「白い恋人」が好き、大雪は面倒だけど、好きです。

バカ野郎、いつこれができるのか?!

小指を出してやがるじじ。
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きれい事は置いといて、


いま現在童貞であることに不幸を感じているなら、童貞でなくならない限り一生不幸でしょうね。
どんないい事があっても「でも童貞」という心の声が、幸せになることを拒否します。
性行為そのものというより、自分のために服を脱いでくれる人がいるということが幸せなんですよね。
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この回答へのお礼

恋愛においてあくまで行為は重要ではなく、一緒にいてくれるという連帯こそが重要なんだとありました
自分も確かに行為というより青春がないということが辛いです
まずは友達作ってみます
回答ありがとうございました

お礼日時:2013/01/15 21:53

○幸福とは、欲が充足された状態でしょう。


 人間の欲はひとそれぞれで、それと意識しない欲もありますし、体内から分泌されるホルモンによって喚起される欲や充足感もあり、程度の差はあれどそうした条件が充足された状態のことです。

○本能的な快楽や帰属的な充足を排した、ということは、なんの幸福感も得られないということと同義ではないでしょうか。
 静けさの中で座禅を組んで思索にふけるときも、刹那的な快楽に身を任せるときも、体内には何らかの分泌物による反応があり、それによって感情が動くわけですから、本能を排しては幸福は語れないのではないでしょうか。
 理性に従って、理論的な、なにか崇高な、唯我独尊的な孤高のものを得たとしても、その喜びの感情自体も本能的な幸福感であるという可能性を否定できないでしょう。
 あり得ないと思います。

○仙術では古から、精力を蓄えて気を練り、仙丹を見出して不老長生を目指します。
 その第一歩が精を体内から逃がさないことですから、仙人を志すものは性欲を禁忌としてきました。
 仙術を極めるための素養を身につけるには、童貞であるほうが良いかも知れませんね。
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この回答へのお礼

何かの記事でも読みましたが、人間のとるあらゆる行動は性欲による遺伝情報保存と伝達のリソースに過ぎないとあり、そうだなあと思いました
昨今変容するビジネスシーンで日夜革新的なアイデアが生まれ商戦が繰り広げられていますが、煎じつめればそういう理論から成るエネルギーもつまりは出世し、結婚し、子供をもうけるというリビドーへ帰結するのだと思います
ただやはりどうしても自分は、そういう一切の帰属に目もくれないいわゆる孤高という誇りのようなものに憧れてしまいます 漫画を読み過ぎたんでしょうかね
これはもう他人に尋ねるような話じゃあないんでしょうねまず
回答ありがとうございました

お礼日時:2013/01/15 21:43

いろいろ言っているけど、


「一生童貞で幸福はあり得るのか 」が質問者様の一番知りたいことでしょうから、私見を。
童貞と幸福を比較検討するのは無意味なことです。童貞=女性との交渉が無い・・・すなわち、女性と無縁の人生は幸福なか?が質問の趣旨と勝手に解釈すれば、NOです。
なぜなら、長い人生、明日にでも童貞とお別れすることもありえます。
もし、もし、万が一、そうでなければ、
キリスト教の信者であるシスターは、キリストを永遠の伴侶と考え幼い頃から戒律の世界で一生独身で過ごします。充実した毎日を送っているだろうと・・・推測ですが。
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この回答へのお礼

少し理解できませんしたが、人生に決定気な確定事項などないのだから、依然不確定の今そのようなifの話をすることは無価値ということでしょうか
確かにキリシタンや仏僧は異性と関係をもってはいけないんですよね そう思えばすごいですねあの人たちも 心の中はどうなっているのか覗いてみたいですね 僕のようにごちゃごちゃしていないのかな?
回答ありがとうございました

お礼日時:2013/01/15 21:31

例えば盲目の人には一般的な幸福はあり得ない、と言い切れるでしょうか。

貧乏人は結婚できない、など一般論や平均論は全てに当てはまるわけではなく、個人の命と生活はユニークです。

戦前は国際結婚は不幸の始まりだったのが、これだけ時代が変わりましたね。

未婚率が増えただけでなく性の未経験率も増えていると思いますよ。性の解放は低年齢化してますが、結婚に届かない部分で一生近寄らない人も出てきているはずです。

結婚と家庭が幸せの形とはある種の国家誘導型の平均的姿です。就職して税金を納める、と続きます。ミャンマーやチベットのようにお坊さんが増えて生産活動に繋がらない健康な青年の層ができることは日本では考えられません。

しかしそれが個人の幸福ではないと他人が決める事でもないですね。

幸福は気持ちが昇華する瞬間に存在すると思います。物事を成し遂げた達成感、ホッとした瞬間、愛を感じる瞬間などです。
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この回答へのお礼

この前20前後の半数が恋愛経験なしと答えていましたね
確かに今のご時世、恋愛→子作りへの躊躇は拭えないのかも知れませんね 
自分は一度も我が子を連れて歩いているイメージをしたことがなく、そういう父性の無さが今の不安や違和感に繋がっているんだろうなと思っています
とにかうこういう人間はそのようなユニークな生き方を目指すしかないんでしょうね 違和感を感じるのならやるべきではないと思うんです
回答ありがとうございました

お礼日時:2013/01/15 21:26

『性が問題なのではない、性を問題化するのが問題なのです。



by クリシュナムルティ
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この回答へのお礼

深いですね
でもこの社会で生きてく以上恋愛というのはどうしても無関心ではいられないので辛いんです
いつも、「独裁スイッチがあればいいのに」とか「全員中性だったらいいのに」とか考えてしまいます
回答ありがとうございました

お礼日時:2013/01/15 21:19

幸福とは自分の心しだいです。


どういう状態でも,自分が幸福だと思えば幸福なんです。それだけです。
幸福だと思えないとしたら,貴方の本能が満たされていないということです。
本能は人によって違います。
本能的な快楽や帰属的な充足を排した幸福はあるか?
そうした状態で貴方が幸福を感じるというなら,それが貴方の本能であり,答えは貴方に限ってはあるということになります。
いや,幸福を感じることに疑問を感じるというのであれば,『今ではとうとう 自分は一生独りで生きていくべき。それが真にカッコいい生き方なんだ。とか思うようになってしまいました』が嘘を隠すための強がりに聞こえてしまいます。とうとうと言ってますがどれほどの経験をしたのでしょう。
『もう峠は越えたので多分死ぬまで守れます』 守る? 何から? 峠?(もう超えたとなぜ分かるのか?) 
人生とは多くの事象と因果と念や,縁,道,心,離,別,合,集,散,また八道の複雑な結果によりその人がその都度判断したことにより分岐していくものです。運命や宿命も関係してきますが,最後に決めているのは本人です。
童貞であることのアドバンテージはありません。
一部の宗教では聖職につ就くための条件にもなっていますが,この世に男と女がいて女を知らない,二つあることの片方しか知らない,というのは”歪”です。所詮人に共感するふりはできても,希望を与え導くことはできません。もちろん性差を超えた尊敬などうまれません。なぜなら”愛”がないからです。
まだ24歳ということみたいですので,もっと多くの経験をしてみることをお勧めします。
それでも今の気持ちがそのままだったら,それが貴方の本能であり宿命です。
それを幸福として受け入れましょう。
最後に,もう少し猜疑心だけでも弱くしてみては?
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この回答へのお礼

自分は強がっているんでしょうかね、、それを籠ってずっと考えて来ました 
たしかに周りがしていたような一般的な経験はしてません 
それは投稿文にあるようにこれじゃないという疑念があったからです。と2年程前までは思っていましたが、やはり今では「もしモテなかったらどうしよう」という自意識過剰さが含まれていたことを否定しません
峠というのは、同世代が一通り経験を済ませてしまった、要は青春期間は過ぎたということです
普通の考え方は「何はともあれやってみる」なんですよね 僕はなぜかそれに不安と恐怖をかんじます 不可逆さというか
前の投稿者さんも仰っていたように、自分のような人間とはどこまでいっても平行線というのはこういう認知のズレを言ってるんでしょうね 自分は何を守っているんだろう
回答ありがとうございました

お礼日時:2013/01/15 21:15

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