いちばん失敗した人決定戦

古典落語の傑作に「寝床」がありますね。義太夫マニアの旦那が、義太夫を語って、店子や店の者を苦しめる、というストーリーです。
この旦那が、御簾の内で義太夫を語っています。
素顔を晒さないで、御簾の内で語る、といのは、義太夫の作法なのですか? あるいは、落語の構成の都合で、御簾の内で語ることになったのですか?

A 回答 (3件)

作法と構成上の都合の両方の要素だと思います。



寝床の義太夫は浄瑠璃ですから、人形を使う場合、観覧の邪魔にならないように御簾を使う事もあります。

また「寝床」の場合は目の前で客がバタバタ寝てしまう訳ですから、御簾内で語った方が、それに気付かなかったと言う事になり自然です。

演者によっては、「今日は喉の調子が悪いから御簾内でやります」と言っている場合もあります。
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この回答へのお礼

回答ありがとうございます。
<演者によっては、「今日は喉の調子が悪いから・・・・・>
ですね。
ほとんどの演者は特に理由もつけず、(人形を使わないのに)御簾内で演じることにしておりますね。かって、ごく少数の演者が、何か理由を言って、御簾内で演じ、聞いていて納得した記憶が微かにあります。しかし、本当に聞いたかのかどうか不確かで、私の記憶間違いかもしれないな、と疑い、今回の質問をしました。

お礼日時:2013/10/31 19:40

こんばんは。



さあ・・・どうなのでしょうね。
あまり面倒な理由もないような気もしますけど・・・。
語り物ですしね!
男と女の悲しい別れを爺様に語られても興醒めでしょうし。
顔が見えないほうが我慢も出来るかな?(笑)

想像をふくらますには御簾内のほうが良いのでは?
義太夫の作法ではなく、テク二ックでしょう。
私はそう思いますけど・・・。

「寝床」と言うと私は志ん生さんを思い出します。
笑いの神が降りたような・・・客席が爆笑の渦で!
私は大好きです。
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この回答へのお礼

回答ありがとうございました。
<男と女の悲しい別れ>
では、演者が御簾内に隠れてもらった方が、想像力が膨らみますね。
志ん生さんに出会えた方は、幸せでしょうね。羨ましいです。

お礼日時:2013/11/04 09:17

もともと「義太夫節」というのは、文楽の浄瑠璃を語るためのものです。


歌舞伎にも移入されました。
歌舞伎や文楽の舞台で義太夫を語るときに、
舞台袖に壁の一部のような形で太夫さんの場所を作り、御簾を降ろして
客席から太夫さんが見えない状態で語る演出があるのです。

義太夫そのものを単体で語る演芸も、寄席などでやっていましたが、
ふつうに「義太夫」といってイメージされるのは、
江戸なら歌舞伎、上方なら文楽です。

なので御簾の内で語る、とうう発想になるのでしょう。
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この回答へのお礼

回答ありがとうございました。
<もともと「義太夫節」というのは、文楽の浄瑠璃を語るためのものです。>
なのですね。したがって、
<舞台袖に壁の一部のような形で太夫さんの場所を作り、御簾を降ろして
客席から太夫さんが見えない状態で語る>
のですね。
義太夫の役割を教えて頂きました。

お礼日時:2013/10/29 22:09

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