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地蔵菩薩さまは、お地蔵さまとしてよく見かけますね。
観音菩薩さまは、お地蔵さまほど見かけませんね。
崇拝による違いなどは、どうなのでしょうか?

A 回答 (3件)

専門家でも有りませんし、多少の聞きかじりでの回答ですが。



お地蔵さまは、個人が自分の子供の為にたくさん作られています。
しかし、観音菩薩様は個人ではあまり作る事もなく、それなりの組織で制作管理する事も多いようです。
その違いや崇拝の仕方も、一般にはあまり意識しないでいるようです。
お地蔵さまは、そこにあるからお世話をし、なんとなく守って居る。
観音様は、ある程度の意識をもってお参りに出かける。

この様な回答では参考にはなりませんが、私の個人的な思いです。
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宗教的な意味合いから申し上げます。

「地蔵菩薩、観音菩薩」、いずれも私達この俗世に生きる者にとって何の意味も無く、あえて言えば「心の安らぎ」と思ってどちらにも崇拝して構いません。ただこの「菩薩」と言われるものには沢山あります、文殊菩薩とか弥勒菩薩とか、仏教は中国から日本に渡ってきました。その中で何億万以上の経典も日本に渡ってきました。その経典を元に各宗派が出来ました。「菩薩」はこの経典の中の登場人物に過ぎません。つまりはお経の中に出てくる話の登場人物で、この「菩薩」様がこの世に出現されて苦しむ人々を救ったという事は絶対あり得ません。又宗派によってはこの「菩薩」様が夢枕に出て来て云々という宗派もありますが、それはそう信じ込む宗派なのですから、それも又宗教として成り立てば宜しいかと思います。ですからこれらは特に崇拝する違いなど御座いませんで、私の宗派はこれらは否定しています。
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 細かい事を言い出すと切りがないのですが、お地蔵様のお仕事は、主として子供を対象としています。



 昔は子供がたくさん死んでしまったわけです、日本中で。事故死もあったし、食糧難で病死したこともあったでしょうし、極端な場合には間引かれたりして。

 そういう不慮の死を迎えて親より先に死んでしまった子は、三途の川の河原で石を積む苦役が課されるのだそうです。早死にという親不孝の罪を償うために「1つ積んでは父のため。2つ積んでは母のため・・・ 」と歌いながら、積み上がるまで止めさせてもらえない。

 積み上がりそうになると、牛頭馬頭だったかな、やってきて石を崩してしまう。すると最初から積み直しで、永遠に続く苦役だったわけです。

 そうして苦しむ子供達を救うのが地蔵様です。

 で、あちこちに地蔵様が建立されて、子供達は親に上記の話を聞かされて、「だから、親より先に死ぬような危ないことはしてはいけない」などと教育されたわけですね。

 宗教であると同時に、子供教育の材料であったわけです。ゆえに、子供の姿をして、よだれかけなどをかけられたりして、子供にも親しみが持てる姿になって、日本中あちこちで姿が見られるわけです。

 私がみるところ、お地蔵様は宗教というよりは、日本の習俗(日本のクリスマスみたいなもの)になっていますね。

 それに対して、観音菩薩はまさに宗教、信仰です。

 阿弥陀様は全ての衆生(人々)を救うと宣言されたそうですが、信用できないと考える人もいる。抜け駆けして、自分だけは次善の策も講じておきたいと考える人もいる。さまざまです。

 そういう人が救いを求めるのが観音様です。

 阿弥陀の手を抜け落ちた人たちを、千の手ですくってくれるのが千手観音。千の手で救い漏れた人を、羂索の一本釣りで救ってくれるのを不空羂索観音・・・ という具合。

 心の平安をもたらすために考え出された存在です。それゆえ、信仰する人は一心不乱に信仰する傾向が強いように思われます。つまり、「観音」の字を含む名前の旅館や食堂などがけっこうあります。
 
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この回答へのお礼

詳しいご回答有り難うございました。

お礼日時:2014/03/21 12:19

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