人生最悪の忘れ物

スポーツなどであれば弱いチーム、
意見などであれば少数派意見など、
弱いもののほうばかりに心が揺らいでしまうのですが、なぜなのでしょうか。
もちろん善悪をわきまえた判断はできてるつもりですが、はっと気付くと自分の弱い側の立場上の意見を押し通したいだけになっていたり、
それが伴わないもの(スポーツなんかは特に)はほぼ例外なく弱いほうを応援してしまいます。
派閥などが存在したら、勢力の弱いほうにつきたくなります。

友人に偽善者みたいといわれ、はじめて疑問に思いました。
私自身が偽善者でもなんでもそれは特にかまわないのですが、
どういう深層心理が働いてるのか気になりました。
自分に似た人がまわりにいないので意見を聞いてみたいのですが出来ません。
よろしくお願いします。

A 回答 (6件)

こんにちは。



庇護意識と、罪悪感、なのかな、と考えました。

庇護意識とは、だれか弱い立ち場の人あるいはグループがあったとして、それを護りたいと思う気持ちです。
書かれている、判官びいきというのもこれかな、と思います。

罪悪感がでてくるわけは、
お友達が、偽善者みたいとおっしゃったくだりです。
まず、お友達の側に、罪悪感が芽生えたので、質問主さんを偽善者みたいと表現します。
そしてさらに、その言葉を受けて、質問主さんが自分の庇護意識を考えるのも、おなじく罪悪感から発生するのだろうと思います。ただしくあろうとしているのに、偏っているのではないかと。

正常な感情だと思いますよ。そのやさしさを大事にしてください。
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質問者様と同じよう気持ちになること、私も良くありますよ。


弱かったチームが強豪チームになったからと言って、興味が無くなるわけではなく。
質問者様は、少数派の意見が、例え間違いだったとしても、押し通したくなりますか?
私自身は、そういうことはないのですが、なぜ弱い方を支持したくなるか、2つ理由があります。

まず、一つ目。
ハンディを背負った人や、チームを見て、私はとても人事には思えないから。
大なり小なりそれぞれ障害ありますよね。生活していても。
交通事故に遭ってしまったとか、生まれつきのものであるとか。
自分だったら、たとえ、マイナスがゼロになるだけのものであっても、最大の努力をしたいと思います。それを、体現しているチームや人がいたら、私は応援したくなりますね。
だから、弱いものに惹かれるというよりも、立場なり力なり弱いものが、試行錯誤して、戦略を考えて、必死で頑張っている姿を支持したいんだと思います。自分もそうしたいから。

二つ目。
自分自身の意見がいつも少数派になってしまうということもありますが、
少数派の意見には、真実が隠されていることもあるから。
ひねくれた考えかもしれません。
多数派が事実を捻じ曲げていたり、そして、殆どの人がそれに扇動されることってありますよね。
弱いものを支持したくなるのは、日本独特という回答もありましたが、私はあまりそうは思いません。メディアが、過度に持ち上げて、落ちたら総だたきってありますよね。
立場が弱くなったら、徹底的に叩く。
なぜそうするかというと、結局のところ、見たい人が多い(視聴率が上がる)からなんじゃないでしょうか。
あとは、スポーツでいえば、例えば、無敵のチームが賄賂で競合選手を集めていたとか。

まとめると、「自分が弱いもの(少数派)であると認識していて、それを相手と重ねているから」ということなのかな、と思っています。
あくまでも、私個人の分析なのですが、参考になるかどうか。
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それは、ほうがんびい・・・あ、もう書かれていますね。

どうも日本人特有の気質みたいです。

私ね、民族性の違いを痛感したこんな出来事があったんですよ。
イギリスのテレビ局BBCが空撮で撮影した狼の狩りの映像があったんです。鹿が追いかけられていて、狼の集団がそれを襲います。
私はそれをハラハラしながら見ました。「あ、捕まる、捕まる。やばい、前に狼が回り込んでる」と。そう、完全に鹿目線で見ていたんですね。動物の狩りのシーンをテレビで放送すると、テレビ局には必ず「可哀想だ。なぜ助けてやらないのか」という抗議の電話がかかってくるそうです。

話しはこれで終わりではありません。その撮影時のメイキング映像が放送されたのですが、BBCのスタッフは撮影しながら、「OK、OK。いい感じだ。そうだ、前に回った。行け!オゥー!惜しかったなあ!」と興奮していました。そう、彼らは完全に狼目線で見ていたのです。
「これが狩猟民族と農耕民族の違いか」と思いましたね。ついでに、欧米人に戦争しても勝てない理由も分かりました。

テレビでも、制限時間内に捕まらない鬼ごっこゲームが人気ですよね。あれ、追う側じゃないところがミソなのだと思います。アメリカで同じ番組を作るなら、制限時間内に何人やっつけられるかゲームになる気がします。
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俗に「判官贔屓」と言われるものですね。



http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%88%A4%E5%AE%98% …


これは、日本人には多い感情だ、と言われて
います。
外国には少ないそうです。

日本人は集団主義で、母性社会です。
母性は能力による区別をしません。
それに集団主義が加味された結果、
他人の気持ちになって考えてしまう
人が多くなるのです。

質問者さんは優しい人なので、つい被害者や
敗者の立場を考えてしまうのでしょう。

http://www.pat.hi-ho.ne.jp/nobu-nisi/soudan/kyou …
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あなたは「心理」についてお尋ねです。

あなたの補足は、あなたが実感されていることを述べていらっしゃいます。しかし、私も先のアドバイスに不足していたことを後に知りましたので再びあなたのご質問の趣旨である「弱いものの味方をしてしまう心理」について申しあげます。

自分が弱いもののを味方をしてしまう究極の心理の本質は、「安心」なのです。自分が安心を得られるからです。どういう状況だろうが対象が何だろうが、これ以外ありません。どういう理屈をつけても最終的には安心が得られるからです。あなたのご質問と補足は矛盾しています。あなたは「実感」「自覚」される、あなた独自の感覚をおっしゃっているのです。
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弱い立場にある法を応援するのは、自分が気持ち的に楽だからです。

人間の心情として誰もに理解されやすいので、応援したからといって敵を作る事はまず無いからです。要するに気楽な立場で応援できるのです。

強いものを応援する場合は弱者からの突き上げが時と場合に依ってあります。その時その突き上げに対して正当に立ち向かわなければなりません。つまり、相手と対峙が可能な能力が必要ですので、それなりの知識とか見識が問われます。

ひと言でいうと絶えず弱い立場に置かれているものをいつも応援するのに能力はそう必要ありません。逆に、弱いとか強いとかは関係なくその時々によって応援するものが変わるには、そのものを理解したり説明したりする能力が必要です。シッカリしたものの考え方を身につけているのか、そうで無いのかの差です。

この回答への補足

自分が気持ち的に楽というのは自分とは異なります。理解されやすいと感じたことはありません。
弱いからゆえ、あまり良くない結果に終わることも多く、批判された経験も少なくありません。
そうなるのが明確でも弱い立場に立ちたくなります。
また弱い立場のものが強くなったとき、弱くなったほうに立場を変えるということはありません。

補足日時:2014/03/31 23:44
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