
美しいものを愛する人は心も綺麗なんでしょうか?
逆に汚い話や話題を繰り返す人は生まれながら下賤の身だったんでしょうか?
こういう趣向の違いに興味があります。
美術館や美しい花を愛でる人も居る一方で、
汚い場所、混沌とした場所を好む人も居ます。
後者は例えて言うならばハエが本能で汚い物にたかるのと同じです。
本質的に「心が醜い人」って実はいるのではないでしょうか?
私は人混みは嫌いです。
美しい景色や人を見ると癒されます。
礼節を尽くされると私もそれ以上の対応をしたいと感じます。
あなたはどう思いますか?
A 回答 (5件)
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No.3
- 回答日時:
>美術館や美しい花を愛でる人も居る一方で、
汚い場所、混沌とした場所を好む人も居ます。
これを善と悪に置き換えるなら、両者は同じ人です。それが一般的ですよ^^
例えば儲けるために戦争を企てる人が家族想いの父親であったり。
不衛生な場所で生きる少女は花を美しいと感じる余裕はなかったり。
性悪説を正しく用いるのであれば、それはそうだと思います。
人は弱い者。
『荀子は、人間の本性はこのように欲望的存在にすぎないが、後天的努力(すなわち学問を修めること)により公共善を知り、(人間の本性は根本的に変えられないとしても)礼儀を正すことができるとして、(性善説同様に)教育の重要性を説いた。』(Wikipediaより)
遺伝説と環境説でいうなら、僕は環境説を支持します。
ただ、それは生育環境に責任転嫁しろという意味ではありません。
人はいつでも善に変化できるものだと思います。
同じく悪にも。
間違えれば周囲の声に耳を傾ける勇気と余裕があるかないか。
それで違ってくるのではないでしょうか。

No.1
- 回答日時:
「こういう人は、こうだ」と言う決めつけは、あまりよくありません。
人それぞれ、いろいろな価値観があり、その価値観でいろいろな行動をとっています。
また「あなたは優しいが、しっかりとした信念を持ち、時には人に厳しい」なんて言えば、大抵は当たるように、人はそれぞれいろいろな側面を持ち、その比率が人それぞれ違うだけです。
また、たとえばですが(質問者さんがそうだという意味ではなく)
「美しい景色」を見るのは、直に(じかに)見る方がより感動が伝わりますが、そこへ行くのも車で行けば自然破壊に繋がります。
そもそも観光地なんて、そのほとんどが多くの人が見やすいように「整備」されたもので、これも立派な環境破壊です。
何が言いたいのかと言えば、人間として生きている以上、常に人間は自分たちのエゴで生きているものなのです。
ですから、本当に心が綺麗な人は「この人は心の綺麗な人/この人は醜い人」などと簡単に決めつけることをしない人、できない人こそが、真に心の綺麗な人だと思いますし、気軽に自分で「心の綺麗な人」なんて、勝手に勘違いしている人は、到底真に心の綺麗な人にはなれないでしょう。
(あくまで、私見です)
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