アプリ版:「スタンプのみでお礼する」機能のリリースについて

自分でもいくらか試みたのですが、なかなか確信が持てず困っています。お知恵を貸してください。
いくつか質問があります。
・引用譜中17-22小節目の和声は任意の和声を半音下降させているだけ、という理解でよろしいのでしょうか?それとも何か機能和声的な別の原理が背後に控えているのでしょうか。
・ 27-31小節目は何が起きているのでしょうか?これは転旋,あるいは転調をしているのですか?
・ 92小節や、97小節の#F音はA音を基音とするドリア旋法の第6音と考えてよろしいでしょうか?
(92小節目以降の引用譜は補足上)

よろしくお願いします。

「ハチャトゥリアンのソナチネの分析」の質問画像

質問者からの補足コメント

  • 92小節目以降の引用譜

    「ハチャトゥリアンのソナチネの分析」の補足画像1
      補足日時:2016/05/23 17:15
  • 音源

      補足日時:2016/05/23 17:16
  • すいません、もう一点だけEm7 について質問させてください。
     引用符中〇で囲ったところの和音は第三音ソが半音上げられていません。したがって、Em7となっているわけですが、このEm7はドミナントと扱ってもいいし、扱わなくてもいい、くらいに理解してよろしいでしょうか。
     この曲の様に単調において第三音が半音上げられていない(基音から)5度の和音(e-mollではEm, c-moll ではGmの和音)の扱いについて何か理論的な説明はあるのでしょうか。
    お時間あるときで結構ですので是非ご教授お願いします。

    「ハチャトゥリアンのソナチネの分析」の補足画像3
    No.1の回答に寄せられた補足コメントです。 補足日時:2016/05/24 13:12

A 回答 (2件)

半音階的な経過音の多用はロシアとその周辺の作曲家に見られる特徴の一つで、ハチャトゥリアンにも多く見られます。


日本の和声学には「偶成和音」という用語がありますが、これは、ある和音が別の和音に移行する途中で、各声部がそれぞれ経過的な進行をし、一時的に第3の和音が二つの和音の間に生成される現象です。この経過的に表れる偶成和音は、しばしばその場の調性とはかけ離れた別の調の固有の和音のように見えることがあります。こういう場合、すべての音を経過的なものと見なして独立的な和音としてとらえなくてもよいかどうかは、曲のテンポなどにもよって変わってきます。いくら「偶成」といっても、テンポがゆっくりで独立した和音として聞こえてくる場合は、和音として多少の意味を持ってきます。
このことを考慮するとどうなるでしょうか。17~23小節にかけて、G → F# → F → Eと、E♭ → D → D♭ → Cという二声部の半音階的下行があります。16小節まではA-mollのI(16小節目はI7の2転と解釈)で、23小節目もIなので、その間のすべてを経過的な和声変化ととらえることはできますが、やはりそれぞれ和音としてはっきり印象付けるだけの時間は鳴っています。17~18小節のE♭は経過的な音として見るだけでもよいかもしれませんが、19~20小節は+IV7(ドリアのIVの7の和音、D+F#+A+C)として機能していると考えることができます。ただ、こういう経過的な個所ははっきりした意味付けができないので、解釈は一つではありません。17~20小節を、G-durに転調していると見ることも可能なので、その場合は、17~18小節は準固有和音でg-mollのII7の借用(2転)と考え、19~20小節をV7とする方法も可能でしょう。21~22小節は、一応、下の2音、D♭とFを経過音、上のBを刺繍音(A → B → A)とする「偶成和音」ととることになりますが、度数で示すなら、ナポリのIIと同様、半音下がったII度上の三和音ということになります。これは、A-mollのIに対してすべての構成音が半音上になっているので、和音全体がIに対する下行導音的な役割をするともいえますし、この二つの和音の連結の部分だけを、前回お話ししたミクスチャー的な技法ととってもよいです。バスが半音下行解決するという意味では、「フリギア終止」に似た性格ともいえますし、あとからの理論づけはいくらでもできます。機能についても、あえて何らかの解釈をするとすれば、19~22小節はサブドミナント的な性格といえるかと思います。
23、26、92,97小節のF#は、ドリアの6度音と説明するのが普通の慣習かもしれません。ただ、ドリア的な特徴がはっきり出るのはIVの和音のときです。そして、「ドリアのIV」という名称はあくまでも和音単位の説明なので、「ドリアのIVを使っていること」と「ドリア旋法で書かれている」ということは微妙に違います。この曲は、全体を通して見ると、6度音はほぼ常にF♮です。ハチャトゥリアンの音楽の源泉はグルジアの民族音楽なので、民族的な音階と考えていいでしょう。ドリアの6度音は一時的な色付けとして出てくるだけです。なお、97小節は曲の終わりですが、短調の曲の終止でIの付加6を使う場合は、大体常に長6度の音を付け加えます。
27~29小節は転調しているわけではなく、左手の音階はA-mollの旋律的短音階の上行形です。旋律的には28小節から下行しますが、27小節からの和音はI7(A+C+E+G#)の3転の形で、F#はG#の刺繍音になるので、F♮にはできません。それで、そのままG#-F#のまま下りてくる形です(ついでに言うと、26小節目に出てくるF#もこの流れの中にあるので、ドリアの6度音とはとりにくいです)。30~31小節と、画像には出ていませんが32~33小節は、27小節の和音と音程関係が同じになるような記譜にそろえてあります。しかし、30~31小節と32~33小節には、27~29小節の左手パートのような長い音階が出てこないため、それぞれをF-moll、C-mollと聞くことはできず、実質的には30~31小節のA♭はA-mollのドミナント上のG#として聞こえ、32~33小節のE♭は、A-mollのIの和音の第5音Eに上行解決する倚音としてのD#ととらえるのが妥当でしょう。
この回答への補足あり
    • good
    • 0
この回答へのお礼

解答ありがとうございます!勉強になりました。
すいません、2点ほど質問よろしいでしょうか。

(1) 17-22小節について
 >>あとからの理論づけはいくらでもできます。機能についても、あえて何らかの解釈をするとすれば、[...]
極端な話かもしれませんが・・・、もし自分が、この17-22小節間のような半音進行する経過句なり走句を作ろうとする場合、 機能和声等の原理を念頭におかず、ただ、半音進行になるように気をつければ済む話でしょうか?

(2) 30-33小節の解決について
>>実質的には30~31小節のA♭はA-mollのドミナント上のG#として聞こえ、32~33小節のE♭は、A-mollのIの和音の第5音Eに上行解決する倚音としてのD#ととらえるのが妥当でしょう。

30~31小節のA♭はA-mollのドミナント上のG#および、32~33小節のE♭は(旋律ではなく)和音の構成音になっていると思います。そうすると、G#音、E♭音はそれぞれ上行解決する限定進行音のはずですが、ハチャトゥリアンは上行に進行解決させていません。(もっと言うと30-31小節の右手F音もe-mollの属9の和音の第9音として下降限定進行すると思うのですが、やはり下降進行していません)。 これは一体どういうことなのでしょうか?ハチャトゥリアンはこれはなんらかの意図があってあえて限定進行音を限定進行解決させていないのですか?あるいは限定進行音とする私の認識が誤っているのでしょうか?

お礼日時:2016/05/24 09:51

>もし自分が、この17-22小節間のような半音進行する経過句なり走句を作ろうとする場合、 機能和声等の原理を念頭におかず、ただ、半音進行になるように気をつければ済む話でしょうか?



それほど単純ではないですね。はっきりした機能の定義が難しいとしても、各和音の性格を考慮し、全体の流れの中でどういう効果を上げるかも考えなければなりません。特に、複数の声部が同時に半音進行をする場合はそうです。前回のミクスチャーについても同じことが言えるのですが、こういう近、現代の和声技法を目にすると、だれでもすぐにも真似をしてみたいという気持ちに駆られるものです。しかし、洗練した使いこなしができるためには、その前に古典的な和声での作曲の鍛錬がどれだけできているかが大事です。いままでお話をうかがっていると、和声についてある程度の知識をお持ちだと思うのですが、複数の声部が半音進行をして偶成和音を形成する書法は、上級の学習用の和声学でも扱います。もちろん、ハチャトゥリアンがここでやっているような書法までは学習和声では扱いませんが、そういうものを通してオーソドックスな半音階処理の書法をひと通り把握してからの方が、より自由に、しかし自信を持って音の選択ができるようになると思います。結局最終的には耳で聞いて判断するようになるのですが、聴覚的判断のもとになる感性を磨くためにも、基礎からの積み上げが非常に重要になります。ハチャトゥリアン自身がどう感じ判断したかは、本人にしかわかりませんが、この半音進行の中で最も効果的な瞬間は、20小節から21小節への和音の転換です。20小節の旋律の最後の音はAで、21小節で半音「上行」してB♭に解決します。下の二声は「下行」しており、旋律とは「反行」している形になりますが、ここでできあがっている「長三和音の基本形」→「短三和音の1転」という和声進行は、近代和声にしばしば出てくる典型的な和声法の一つです。上声と下2声が反行している形は、伝統的な和声学と同じ美学にあり、単に半音進行の結果たまたまできたものとはいえません。また、長三和音と短三和音の色彩的コントラストも重要な意味を持つと思います。

>30~31小節のA♭はA-mollのドミナント上のG#および、32~33小節のE♭は(旋律ではなく)和音の構成音になっていると思います。そうすると、G#音、E♭音はそれぞれ上行解決する限定進行音のはずですが、ハチャトゥリアンは上行に進行解決させていません。(もっと言うと30-31小節の右手F音もe-mollの属9の和音の第9音として下降限定進行すると思うのですが、やはり下降進行していません)。 これは一体どういうことなのでしょうか?ハチャトゥリアンはこれはなんらかの意図があってあえて限定進行音を限定進行解決させていないのですか?あるいは限定進行音とする私の認識が誤っているのでしょうか?

これは一言で言うと、学習用の厳格な和声の規則と、実際の自由な作曲の違いということに尽きると思います。限定進行音が規則通り進行していないという現象は、古典派の曲であっても実作には時々見られることです。近、現代の作品では、より新しい可能性を切り開くために、和声学の教科書的規則はどんどん変えられていきます。限定進行音は、同じ声部内で解決していなくても、後続の和音やパッセージの全体の響きのどこかに解決音があれば、理論上はつじつまが合いますし、聴覚もそのように感じます。さらに近代和声では、非和声音の解決が次の小節で別の和音に変わってしまうまで先送りにされたり、解決しないままになってしまったりして、別の和音のように見えるということがしばしばおこります。この部分の解説は、譜例を付けた方がよいかなとは思ったのですが、時間の関係で言葉だけの説明にしました。しかし、やはり譜例があった方がよさそうですので、添付します。

補足質問の方ですが、このG音は旋法的なものです。教会旋法で言えばエオリアになりますが、すでにお話しした通り、ハチャトゥリアンの音楽の源泉にはグルジアの音楽があるので、むしろ民族的な性格の音階と考えた方がよいかもしれません。旋法的にG♮を使った場合でも、一般的な和声分析の表示では、ドミナントに準じた表記をすることが多いです。もともとこういった和声機能は、教会旋法の時代のあと、近代的な長調、短調という調性概念が確立してから出てきたものですが、主音の5度上はドミナントという定義で、第3音の高さにかかわらずそういう表記がされることが多いと思います。機能の分析方法は世界共通ではなく、日本やそのほか多くの国ではトニカ、サブドミナント、ドミナントで大体済ませていますが、ドイツなどはもっと細かな分類があります。おなじドミナントでも、長三和音と短三和音は、大文字と小文字で書き分けていたと思います。なお、冒頭の部分の分析は細かすぎます。4小節目と8小節目は、旋律のDはEへの倚音と考えればよいので、Em7ではなく、Vの1転、コード表記ならEm/Gになります。9~12小節はIV(Dm)の和音で、丸で囲んでいらっしゃる部分の左手パートの音は経過的な非和声音(経過音)にすぎません。これも図解します。赤い丸で囲んであるのが和声音、それ以外は非和声音(経過音か刺繍音)です。
「ハチャトゥリアンのソナチネの分析」の回答画像2
    • good
    • 0
この回答へのお礼

お礼が遅れました。
なにからなにまで丁寧に私の質問にご教授いただきありがとうございました。非常に勉強になりました。また、お時間を割いて譜例まで作成していただき、感謝の念にたえません。

>>ハチャトゥリアン自身がどう感じ判断したかは、本人にしかわかりませんが、この半音進行の中で最も効果的な瞬間は、20小節から21小節への和音の転換です。

旋律と和声の「反行」、「長三和音の基本形」→「短三和音の1転」という和声進行さらに、長三和音と短三和音の色彩的コントラスト、という非常に重要な要素が潜んでいたのですね。まったく気づいていませんでした。

限定進行音についても譜例を交えてわかりやすく解説していただきありがとうございました。解説を元に再度声部の進行に注意して聴いてみましたが、やはりハチャトゥリアンはやはりいい加減な作曲家ではなく、洗練された作曲家なのですね(こんなことを言うと叱られそうですが)。

>>主音の5度上はドミナントという定義で、第3音の高さにかかわらずそういう表記がされることが多いと思います。[...] 日本やそのほか多くの国ではトニカ、サブドミナント、ドミナントで大体済ませていますが、ドイツなどはもっと細かな分類があります。おなじドミナントでも、長三和音と短三和音は、大文字と小文字で書き分けていたと思います。

なるほど、第3音の高さにかかわらず、ドミナントと扱われることが主流なのですね。
 ところで、以前、この第3音を半音上げない v を使ってピアノ曲を作ったことがあるのですが、最後の最後で苦しみました。どうにも v-ⅰの「終了感」が弱い気がするのです。といって最後だけ第3音を半音上げると、強い「終了感」が出る反面、そこだけ「古典」っぽい感じになり曲の雰囲気を壊してしまうし、えらく悩んだ覚えがあります。じゃあ、最初から、第3音を半音上げない v など使うな、と言われそうですが、この v の和音はなんかモダンな響きがして、個人的には魅力を感じる和音なんですよね。それでハチャトゥリアンのこのソナチネなども分析してみようと思った次第ですが・・・、この点についてはもう少し研究が必要なようです。

教えてもらったことを基に少し自分でも曲を作ってみようと思います。もしかしたらまた質問させてもらうことがあるかもしれませんが、その折り何卒よろしくお願いします。

お礼日時:2016/05/25 11:19

お探しのQ&Aが見つからない時は、教えて!gooで質問しましょう!