都道府県穴埋めゲーム

自己実現系領域の哲学・悟り 気付き・スピリチュアルに通じる方 経験者の方、
『宇宙の法則・( ✖️ )・モチベーション 』の観点から
①『継続力』②『行動力 』③『 信頼感 』④『決断力 』について いずれか説明してください。

持論、思想、お持ちの方 、なぜ そうなのかという理由を添えながら 、 説明をよろしくお願い致します。

※ それらの 達成後のメリット、それを出来る様にする為の方法(身に付けるまでの方法・過程・順番)も混ぜて 説明してくださると 尚 有難いです。

質問者からの補足コメント

  • psytex1様、これに気付きましたら理解の為に返信頂けますでしょうか? (私はインディゴチルドレンの様です。 )。

    ・ 心が誘われた仕事に進むのが本来の社会的役割や使命で 個体が最大限活かされる生き方ですか?
    経済的にも 最低限うまく行く様になってるのでしょうか?

    ・ 憧れや理想で興味を持った仕事や業界は 本来進むべき最適な道、ではないですか?
    そうである場合、『 自己実現 』をどう考えますか?

      補足日時:2016/12/13 17:56

A 回答 (1件)

物質に「目的」はない。


しかし、その「無目的=エントロピー増大」は淘汰となり、二次的に進化を導くのだ。
「いや違う!」と主張する事は可能ですが、厳しい生存競争の中で、生き残るために努力しない個体の遺伝子が次世代に伝わり、種の形質となる事はなく、進化は常に、「生きる事」を目的とするよう導く。
(あなたが死にたいと思っても、死ねばそのような形質は遺伝せず、やはり全体は「生きよう」とする)

一方、どのような行動も、本質的には任意=意志の充足であり、「意志の充足じゃない」というのも一つの意志として、精神的充足の追及という方向性から逃れられない。
生きる事の本質的目的は、人生を通算した充足量の最大化(生理的拡大×欲求の強さ×それを「人生通算での最大」にコントロールする認識力×その達成度×それを把握する認識力)に収束するのだ。

「精神的充足感のため」というのは、刹那的な快楽主義に帰結するのではなく、最大限の大きな目的、最大限の愛と、最大限の認識を兼ね備えたものになるのです(短絡的な快感の帰結は麻薬だが、それが最大充足でないのはご存知の通り)。
であるならば、人が生きるのは、物質的豊かさのためではなく、精神的充足感のためであり、人が働くのは、お金をもらうためではなく助け合いのためであり、その自律的社会行動(精神的充足)としての愛のためなのだ。

しかし今、そうした「他人を助ける」=愛のために働いている人が、どれほどいるだろう?
人がとらわれているのは、“お金(や、その源泉としての出世)”という虚構の価値であって。
原始共産制の助け合いから、組織が分業化&拡大する上で、人の意識の社会性を発達させずに、お金や出世他律的に社会行動の道をとったのだ。
お金は、本来助け合うために集まったはずの社会において、自己チュー的な意識のまま社会行動をとらせるための“矯正具”として発達したものなので(社会生命として生きる事である労働(助け合い)を、お金をもらうために嫌々働く)、当然、自由意志を束縛する機能がある。
本来、社会的生命として助け合うために集まっている人々をして、弱肉強食の擬似ジャングルに変える、悪魔のツールなのだ。
要するに今の人は、自ら喜び(自己存在の本質に根ざした生)に目をそむけ、他律的生=「苦痛から逃げる事による生」に堕しているのです。
(「助け合う喜び」から「奪い合って勝つ喜び(幻想)」への変質)

人類は本来の、認識力の発達により環境に即応して行動を変化させる事で、自然淘汰による遺伝的な変化という速度の遅い方式によらず、環境への適応や多様化による分業を可能にする事で繁栄した。
こうした認識の発達による後天的な適応&組織化という「ヒト型進化」だけが進化の方向性ではないのは、同じく自然界に繁栄しているアリ、ハチなど遺伝的な先天的な形態の多様化&条件反射行動の複雑化&による組織化を可能にしている「アリ型進化」によって明らかだ。

ところが先述のように、近代の工業化による大量生産の市場の拡大&分業化において、その個々の生命性の社会的拡張を認識させる労を惜しんで、他律的に社会性のコースを走らせる方式をとったため、社会生命にとって生きる事そのもの(根源的充足)である労働を「お金をもらうためにイヤイヤ働く」ものにしてしまったのだ。
これはつまり、認識力の発達に基づく「ヒト型進化」の総本山である人類でありながら、歯車人間に堕してしまう「アリ型進化」への分岐に入ったという事なのだ。

もし、このまま「アリ型進化」をとるならば、無意識=肉体的増殖指向=生産量の最大化として、生命本来の“生きる意志”はルールやモラル、常識や組織といった社会的なシステム進化の上に転嫁され、インターネットは歯車を使うための情報収集&命令系統となって、人は他律的に操られる歯車として、中枢コンピュータで処理された物質的な最大生産性に向けてコントロールされる機械群の一部のパーツとなる。
(その果てに人は非効率な機械として淘汰される)

もし「分岐」を元に戻って「ヒト型進化」に復帰するならば、意識=精神的充足指向=充足量の最大化として、精神的活性化の乏しい単純労働から機械化し、人は達成感を感じる情報統合的な頭脳労働&創造的作業に集約し、インターネットによって需給をつなぐ物質(=お金)を再び助け合いとしての情報に還元し、それにより社会生命的自覚(他我愛)を促して自律的社会行動=助け合いとしての労働=生きること自体による充足=最大充足を可能にする。
(その果てに喜びを感じる巨大な脳とメカシステムになる)

もしあなたが、「生きる目的は人生を通算した精神的充足量の最大化だ」と思うならば、現代社会に蔓延する拝金主義、経済的に満足なら政治には興味ないという親方日の丸主義などを排し、助け合っている事を実感できる社会、それを認識できる意識を育てるべきなのだ。
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この回答へのお礼

どうもありがとうございます。
理解できる部分、まだの部分あります。時間かけて読んでます。
ありがとうございます。わからない所、質問します。可能でしたら その時は よろしくお願いします。

お礼日時:2016/12/12 21:11

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