A 回答 (27件中1~10件)
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No.27
- 回答日時:
なお、補足させていただければ、
a.「東京」を着点として示す必要が生じたため、
b. その用法を持つ「に」という語を無意識的に想起し、
c. 結果的に着点を表わすため「に」が使用されている。
のように、「に」を着点と決め付け、その運用を言語表現と考えるのが典型的な言語道具観、言語実体観の発想で、この誤りに気づかないかぎり、助詞とは何か、助動詞とは何かを理解することはできません。
「媒介と同時に直接性を含んでいないものは天にも、自然にも、精神にも、どこにも存在しない」(ヘーゲル『大論理学』「d第1巻 有論」)ということです。■
No.26
- 回答日時:
応答ありがとうございます。
大分、問題点が煮詰まり、明確になってきたようです。
>>「東京に行く」の説明として、わたしの当初の説明では何がダメなのか理解できない。
理解できないのが駄目としか云い様がありません。(~_~;)
が、これでは、つれないので、少し。
一番の問題点は、規範としての語の意義と、それを媒介として「着点として示す」という媒介の構造が理解できていないところです。
そして、<「東京」を着点として示す必要が生じたため、>が何故かが理解されていない点です。もっと言えば、何故、どこから生まれたかです。
>>これは、「五時」を「手段・方法」として捉えた、格助詞「で」です。
:
様態(または範囲の限定)というのが私の解釈。「手段・方法」と捉える感覚がまったく理解できませんが、ここは見解の相違ということになるのでしょう。
再三注意しているように、様態は対象の在り方で、「で」は対象自体を表しているのではありません。そして、語に範囲を限定するなどということはできません。「語が範囲を限定する」というのであれば、その具体的なプロセスを提示、明示して下さい。■
ご回答ありがとうございます。
1.
>そして、<「東京」を着点として示す必要が生じたため、>が何故かが理解されていない点です。もっと言えば、何故、どこから生まれたかです。
:
まったく意味不明の文としか思われません。
「東京に行く」と言いたい場合に、「東京」を着点として示す必要が(無意識的に)生じるのは当たり前のことではないでしょうか?
『何故、どこから生まれたか』という疑問の湧く神経が理解できない。
2.
>再三注意しているように、様態は対象の在り方で、「で」は対象自体を表しているのではありません。
:
誰が、『「で」は対象自体を表している』と言ったのですか?
再三注意しているように、
・様態は対象の在り方で、「で」は、それがどんな在り方なのかを表わしている。
と申し上げている。
これを簡潔に表現すると、
・様態は対象を表わす。
と表現するのです。
なんど言っても、こうした点を混同するのは、日本語の基本的な使い方をご存知ないとしか言いようがありません。
3.
ところで、ひょっとしてですが、都合の悪いことは無視するという癖がおありですか?
>判断辞「だ」の連用形「で」の連用中止法です。
「だ」にすれば、終止します。
⇒
①'「今度会うのは若い人で、とても美人だ」
②'「昔は腕白で、親をよく困らせたものだ」
などと同じ用法なのですか?
:
とお尋ねしたはずです。
また、
>お時間のあるときにでも、
・東京に行く
【に沿って、具体的に】どのように「意味の取り違えが実際に発生する」のか?
解説お願いします。
:
とも再三お願いしている。
もうすこし分かりやすく質問し直しましょう。
「東京に行く」
という表現が、
a.「東京」を着点として示す必要が生じたため、
b. その用法を持つ「に」という語を無意識的に想起し、
c. 結果的に着点を表わすため「に」が使用されている。
というプロセスを経ると、どんな意味の取り違えが実際に発生するのか、その発生すると想定される意味を【具体的に】示してください。
No.25
- 回答日時:
丁寧に応答を頂きありがとうございます。
>>「東京に行く」
a.「東京」を着点として示す必要が生じたため、
b. その用法を持つ「に」という語を無意識的に想起し、
c. 結果的に着点を表わすため「に」が使用されている。
というプロセスです。
⇒
a.「東京」を着点として位置付ける認識が生じたため、
b. 「空間的に位置付ける」意義を持つ言語規範としての格助詞「に」という語を規範に沿って想起し、
c. 結果的に「東京」を着点として表わすため「東京に」と表現した。
というプロセスです。
>>>「若い人の間で人気がある」
「当店は五時で閉める」
「腕白でいい」
:
のうち、どの2件が助動詞なのでしょうか。
また、「手段・方法・理由」に該当するひとつはどれでしょうか?
①「若い人の間で人気がある」
②「腕白でいい」
判断辞「だ」の連用形「で」の連用中止法です。
「だ」にすれば、終止します。
③「当店は五時で閉める」
これは、「五時」を「手段・方法」として捉えた、格助詞「で」です。
■
ご回答ありがとうございます。
1.
>
a.「東京」を着点として示す必要が生じたため、
アa.「東京」を着点として位置付ける認識が生じたため、
b. その用法を持つ「に」という語を無意識的に想起し、
アb. 「空間的に位置付ける」意義を持つ言語規範としての格助詞「に」という語を規範に沿って想起し、
c. 結果的に着点を表わすため「に」が使用されている。
アc. 結果的に「東京」を着点として表わすため「東京に」と表現した。
というプロセスです。
:
言い直す必要性が極めて曖昧ですね。
もう少し丁寧に頼みます。
本当に必要があるならばですが。
「東京に行く」の説明として、わたしの当初の説明では何がダメなのか理解できない。
同じことを言っているとしか思われない、ということでもあります。
ここがこのように違うため、このような誤謬が生まれる、といったように具体的に説明していただきたい。
2.
>
①「若い人の間で人気がある」
②「腕白でいい」
判断辞「だ」の連用形「で」の連用中止法です。
「だ」にすれば、終止します。
:
①'「今度会うのは若い人で、とても美人だ」
②'「昔は腕白で、親をよく困らせたものだ」
などと同じ用法なのですか?
>③「当店は五時で閉める」
これは、「五時」を「手段・方法」として捉えた、格助詞「で」です。
:
様態(または範囲の限定)というのが私の解釈。
「手段・方法」と捉える感覚がまったく理解できませんが、ここは見解の相違ということになるのでしょう。
No.24
- 回答日時:
>>色々な論理的プロセスを経た結果
などと曖昧な理解ではなく、具体的な認識過程を明確にできなければなりません。
>>非常に重要なご指摘だと思います。
申しわけないのですが、どの箇所(または、どの質問)だったか教えていただけませんか。
No.11に対する応答の、
3.
>「に」の本質(意義)は着点だと確信していますが、「で」の意義を一言で言うとどうなるのか、まだわかりません。
少なくとも、手段・方法・理由はあり得ないかと。
:
「若い人の間で人気がある」
「当店は五時で閉める」
「腕白でいい」
などは?
>いや、「この場合は~」と
:
言わずに解説可能でしょうか。/
です。
「に」の場合はこの形が助詞としての一種類なので、文の意味により適当に誤魔化せますが、「に」という形には助動詞と助詞という全くことなるニ種類があり、
紙にペンで書く。
と
これはペンで、あれは鉛筆です。
は、同じ形の語ですが品詞が異なります。この区分が如何に混乱しているかは、各辞書の「ので」の説明を見れば判るように、各辞書バラバラです。ここに、形式主義/機能主義的な言語観、文法論の限界が露呈しています。■
ご回答ありがとうございます。
1.
>色々な論理的プロセスを経た結果
⇒などと曖昧な理解ではなく、具体的な認識過程を明確にできなければなりません。
:
「東京に行く」
a.「東京」を着点として示す必要が生じたため、
b. その用法を持つ「に」という語を無意識的に想起し、
c. 結果的に着点を表わすため「に」が使用されている。
というプロセスです。
2.
お手数おかけしました。
しかし、まだよくわかりません。
>「若い人の間で人気がある」
「当店は五時で閉める」
「腕白でいい」
:
のうち、どの2件が助動詞なのでしょうか。
また、「手段・方法・理由」に該当するひとつはどれでしょうか?
・これはペンで、あれは鉛筆です。
が助動詞であるのはわかっています。
No.23
- 回答日時:
丁寧にフォローいただきありがとうございます。
>>・「東京に行く」は、「東京」が「に」という語によって、結果的に着点として示されている。
なら文句はありませんか?(笑)
「結果的に」を足せばなどというのは姑息(コソク)な発想ですね。現象的にはそういうことになりますが。
ここにも、「に」が使用され、自身の無意識を反省されれば得るところがあるのでは。「着地点」ですかね。
しかし以前の応答で、判断辞の「で」と格助詞「で」が混同され、3件中2件が助動詞という事実が、語を形式としてしか捉えていない事実を明示しています。認識を捉えない限り、判断の基準になりえないからです。
明らかに、
「意味の取り違えが実際に発生する」ことになっています。
一つのパラダイムを超えるということが如何に困難かは、以前お話ししたように天道説から地動説、ニュートンの力学から古典力学への過程を辿れば明らかなことです。■
ご回答ありがとうございます。
>「結果的に」を足せばなどというのは姑息(コソク)な発想ですね。
:
と言いますか、むしろ、それぐらいの意味は当然含んでいるものとして述べてきましたので、ということです。
>現象的にはそういうことになりますが。
:
わここにも、「に」が使用され、自身の無意識を反省されれば得るところがあるのでは。「着地点」ですかね。かりました。
であれば納得できます。
>(「東京に行く」は、「東京」が「に」という語によって、結果的に着点として示されている。)
ここにも、「に」が使用され、自身の無意識を反省されれば得るところがあるのでは。「着地点」ですかね。
:
何も反省の必要などないかと。
色々な論理的プロセスを経た結果、「東京」が「に」という語によって、(結果的に)着点として示されている。
という至極自然な解釈ですよ。
>しかし以前の応答で、判断辞の「で」と格助詞「で」が混同され、3件中2件が助動詞という事実が、語を形式としてしか捉えていない事実を明示しています
:
そうでしたっけ。
非常に重要なご指摘だと思います。
申しわけないのですが、どの箇所(または、どの質問)だったか教えていただけませんか。
いくつか検索してみたのですが、回答・質問が多すぎて、うまく探せず。
No.22
- 回答日時:
丁寧な返答をありがとうございます。
気づいた点を記させていただきます。
>>「手段から派生した」というのは、場所すらも手段と認識可能にした、という意味。
「場所すらも手段」ではなく、単に「マクドナルド」という対象を手段として認識したが故に「で」と表現したものです。【「手段」から派生した「場所としての手段」】と何故言い替えたりする必要があるのか、全く不明です。
「ペンで書く」は「ペン」という対象を手段として認識したが故に「で」と表現したものです。
>>『(そのように)認識したが故、』という表現が可能
(そのように)の「その」は何を指すのでしょうか。
>>「夏は暑い」:夏を話者が主題として認識したが故「は」と表現したものです。
という解説が成立するからといって、主題であることと理由であることとは何の関係もない。
「夏を話者が主題として認識した」のが原因で、結果として「は」と表現したという因果関係を述べているのですが?
>>・「東京に行く」は、「東京」が「に」という語によって着点として示されている。
と表現することで、どんな誤謬が生じるとおっしゃるのか?
「語によって」というのは形式としての「語」によってと理解され、格助詞なのか、判断辞なのかの理解がふっ飛んでしまいます。事実の過程的構造は、先ず話者が対象を認識し、東京を空間的に位置付けようと判断し、そのため、この意義に該当する(判断辞ではなく)格助詞の「に」という語を選択し表現するという格助詞「に」の意義を媒介とした過程の結果、「に」という語が表現されたものです。
≪「に」という語によって着点として示されている≫というのは、この過程的構造を捉えらえないために、無視するしかない結果の表現で、受け手もまたそのように理解してしまうという「意味の取り違えが実際に発生する」ことになります。この点こそが、言語実体観というパラダイムを無批判に継承、感染させるというか、そこから抜け出せないということです。
>>「因」ではなく「果」のみを表わしたもの。
と言えばすむところを、「果」を否定する論理として述べている
≪「果」のみを表わしたもの≫ではなく【「果」しか】捉えらえないため、その結果として≪「果」のみを表わしたもの≫ということを指摘しているものです。
>>どのような形で『空間的・時間的に位置付けよう』としているのかが、「因」だけでは表し切れていないでしょう。
「で」で位置付けようとしたのが明らかですが。そのために、因を正しくとらえ表現する必要があります。■
ご回答ありがとうございます。
1.
>【「手段」から派生した「場所としての手段」】と何故言い替えたりする必要があるのか、全く不明です。
:
単に、場所が手段というのは一般的概念として思い浮かびづらいだろうから、ということです。
・ペンという手段を用いて書く。
という概念は簡単に思い浮かびますが、
・マクドナルドという手段でチーズバーガーを買いました。
というようには通常、考えませんよね。
2.
>『(そのように)認識したが故、』という表現が可能
⇒(そのように)の「その」は何を指すのでしょうか。
:
「その=手段以外のなにか」と受け止めていただければ。
・手段としてでなくとも、『(そのように)認識したが故、』という表現が可能だからです。
と申し上げました。
つまり、
・手段としてでなくとも、『(手段以外のなにかと)認識したが故、』という表現が可能だからです。
という意味。
3.
>「夏を話者が主題として認識した」のが原因で、結果として「は」と表現したという因果関係を述べているのですが?
:
「マクドナルドでチーズバーガーを買いました。」は、「マクドナルド」を話者が手段として認識したが故、「で」と表現したものです。
「夏は暑い」は、「夏」を話者が主題として認識したが故、「は」と表現したものです。
「認識したが故」である点は、どちらも同じ。
「手段」と「故」との間にのみ固有の因果関係があるかのように捉えるのは勘違いでしょう、ということです。
4.
>「語によって」というのは形式としての「語」によってと理解され、格助詞なのか、判断辞なのかの理解がふっ飛んでしまいます。事実の過程的構造は、先ず話者が対象を認識し、東京を空間的に位置付けようと判断し、そのため、この意義に該当する(判断辞ではなく)格助詞の「に」という語を選択し表現するという格助詞「に」の意義を媒介とした過程の結果、「に」という語が表現されたものです。
:
何をおっしゃりたいのか、やっと理解できましたよ。
しかし、
>「意味の取り違えが実際に発生する」ことになります。
:
というのがよくわからないんですよね。
過程を無視しているからということであれば、
・「東京に行く」は、「東京」が「に」という語によって、結果的に着点として示されている。
なら文句はありませんか?(笑)
以下補足欄
No.21
- 回答日時:
No.20への応答
>>・手段から派生したところの(動作の行われる)場所
と言ってもわかりやすいでしょう。
わかりやすいのは理解できますが、「手段から派生した」のではなく、「・マクドナルド」を話者が手段として認識したが故(下記参照)、「で」と表現したものです。これが、本質的な意義の理解です。
から【故】
①理由を示す。ゆえ。ため。万葉集20「我が母の袖持ち撫でて我が―に泣きし心を忘らえぬかも」
②あいだ。うち。万葉集6「故郷は遠くもあらず一重山越ゆるが―に思ひそ吾がせし」
【広辞苑】
>>「真面目」「早急」という語は「に」よって着点として示されている。
ここで、≪「語」によって≫と云うのが語を実体として捉えている言語実体観的な発想です。≪「語」によって≫ではなく、語の意義を媒介としてなのであり、この媒介と云う発想が抜け落ちているというか、そこに思い至らないというところが、パラダイムの呪縛です。
≪「に」「に」よって着点として示されている≫のは結果であり、文の意味で、話者が「真面目」「早急」を空間的・時間的に位置付けようと認識し表現した結果だということです。この因果関係を逆転した機能主義的な発想を克服しない限り、「その後、何を言われても、私が理解モードに入ることは無理ですよね?」
>>対象→認識→表現
の「認識」というものが基本的に無意識によって為される部分なので難しいのだと思います。
ここが重要な点で、三浦は『認識と言語の理論 1』で、唯物弁証法に基づく科学的な認識論を展開し、フロイト理論やパヴロフ理論を批判し、また「認識論はどういう科学か」(『三浦つとむ選集・補巻 唯物弁証法の成立と歪曲』 勁草書房:1991/02)で、哲学的な認識論を批判しています。
科学的な認識論なしに言語を語ることはできません。
>>それにしても矢車剣之助とは古いですなア。(笑)
やあ、年がバレテしまいましたね。(~_~;)
精神的にはヤングのつもりですが。■
ご回答ありがとうございます。
>わかりやすいのは理解できますが、「手段から派生した」のではなく、「・マクドナルド」を話者が手段として認識したが故(下記参照)、「で」と表現したものです。これが、本質的な意義の理解です。
:
「手段から派生した」というのは、場所すらも手段と認識可能にした、という意味。
「・マクドナルド」を話者が【「手段」から派生した「場所としての手段」】として認識したが故、「で」と表現したものです。
と言い換えれば済む話。
因みに、この箇所が、手段と理由の概念の同義性を意図しているのであるなら、詭弁と断定させていただきます。
手段としてでなくとも、『(そのように)認識したが故、』という表現が可能だからです。
「夏は暑い」
夏を話者が主題として認識したが故「は」と表現したものです。
という解説が成立するからといって、主題であることと理由であることとは何の関係もない。
2.
>>>「真面目」「早急」という語は「に」よって着点として示されている。
ここで、≪「語」によって≫と云うのが語を実体として捉えている言語実体観的な発想です。≪「語」によって≫ではなく、語の意義を媒介としてなのであり、この媒介と云う発想が抜け落ちているというか、そこに思い至らないというところが、パラダイムの呪縛です。
≪「に」「に」よって着点として示されている≫のは結果であり、文の意味で、話者が「真面目」「早急」を空間的・時間的に位置付けようと認識し表現した結果だということです。この因果関係を逆転した機能主義的な発想を克服しない限り、「その後、何を言われても、私が理解モードに入ることは無理ですよね?」
:
1のような横道は極力避けて、こうした点について少し学ばせていただきたいものです。
たとえば、
A. ≪「語」によって≫ではなく、語の意義を媒介としてなのであり、この媒介と云う発想が抜け落ちている。
といった件。
・「東京に行く」は、「東京」が「に」という語の意義を媒介として着点として示されている。
を、
・「東京に行く」は、「東京」が「に」という語によって着点として示されている。
と表現することで、どんな誤謬が生じるとおっしゃるのか?
呪縛云々はどうでも良いので、「このように意味の取り違えが実際に発生する」と具体的に解説していただけると有難い。
以下補足欄
No.20
- 回答日時:
もう少し、コメントに答えさせていただきます。
>>「真面目」「早急」と語自体が状態を表わすものであることは明らかですよね?
「着点」と「着点としての状態」という表現に、それほど重大な影響を及ぼすのですか?
《「真面目」「早急」と語自体が状態を表わすものである》、というより、属性の表現ですが、それが「に」とどういう関係にあり、語が着点なのか、「語自体が状態を表わすものであること」が「着点としての状態」なのか、全く意味不明です。これが、対象自体の在り方と語の意義を実体視した混同であることは明らかで、話者の認識と表現という媒介の過程的構造を理解できない言語実体観のパラダイムであることを最初から指摘しているもので、でっち上げではないと思いますが。
>>『したがって、助詞「に」「で」が表すのは、このような自立語とは異なる意義だということです。』
とおっしゃった点は理解できると申し上げているわけで、それで十分では?
全く、不十分です。何度も申し上げているように、何がどのように異なるかを理解できないため、「に」が「着点」や「着点としての状態」を表すという誤った理解から抜けられません。
>>・東京は着点です。
・東京は着点を表わします。
これが同じ意味ではないことがわからないようではお話になりません。
別に、これが同じ意味だと言っているのではありません。どちらも格助詞「に」の意義ではないと云う意味で同じ誤りだと言っているだけです。この点が理解できないのではお話になりません。
>>何故、こうなるのかと言えば、先にも再三指摘したように言語実体観のパラダイムを抜けられないからです。:仮にそうだとしても、抜けられない理由をでっちあげても良いということにはなりませんよ。
少なくとも筋の通った説明が必要でしょう。
「抜けられない理由をでっちあげ」ている訳ではなく、事実を明らかにし、最初から筋の通った説明をしているのですが?
「に」が「着点」や「着点としての状態」を表すと云ってみたり、《マクドナルドが「あるという状態」になるために駅前という着点が必要になるわけですから「に」を使う。》と、毎回、文に合わせた説明のどこが「筋の通った説明」なのでしょうか?■
ご回答ありがとうございます。
ひょっとすると何か大事なことをおっしゃっているような気もするのですが、本丸への案内係が途中でおかしなことを言い始めるので、一旦立ち止まって、この道は本当に本丸への道なのか?
ということの確認作業です。
1.
>《「真面目」「早急」と語自体が状態を表わすものである》、というより、属性の表現ですが、それが「に」とどういう関係にあり、語が着点なのか、「語自体が状態を表わすものであること」が「着点としての状態」なのか、全く意味不明です。
:
たとえば、今回もこのようにおっしゃる。
それこそ何を意味不明なことを言ってんの?
という印象。
「真面目」「早急」という語に関して、『語が着点』なのでもないし、『「語自体が状態を表わすものであること」が「着点としての状態」』なのでもない。
「真面目」「早急」という語自体は状態(属性でも構いませんが)を表わす語であり、「真面目に」「早急に」と言う場合、「真面目」「早急」という語は「に」よって着点として示されている。
ということです。
そんなに難しい構文ですか?
ですから、こうした点での認識を共有していただかないと、その後、何を言われても、私が理解モードに入ることは無理ですよね?
2.
>>・東京は着点です。
・東京は着点を表わします。
⇒別に、これが同じ意味だと言っているのではありません。どちらも格助詞「に」の意義ではないと云う意味で同じ誤りだと言っているだけです。
:
『格助詞「に」の意義』とは、「着点を表わす」であると再三申し上げてきましたが、これを否定なさるのですか?
私としては、単に説明の日本語の問題かと考え色々述べているわけです。
以下をご確認ください。
>東京に行く。
の場合、着点は東京で、「に」は着点でないのは明らかと思いますが。「東京が着点を表している。」というのが正しい日本語の理解、表現では。
:
とおっしゃいました。
しかし、
・「に」自体が着点であるとは誰も言ってない。
・『「東京が着点を表している。」というのが正しい日本語の理解、表現』ではない。
(「表わしている」のではなく「に」によって着点「そのもの」になっている、ということ)
という点で、アスナロウさんは根本的な勘違いをされている、ということを#16では述べた次第。
この点はお認めになりますか?
以下、補足欄へ
No.19
- 回答日時:
No.17へのコメントについて
丁寧にコメントをありがとうございます。若干、気づいた点を記させていただきます。
>>「ある」は状態を表わす動詞です
これは誤りです。「ある」は存在を表す動詞です。
>>マクドナルドが「あるという状態」になるために駅前という着点が必要になる
マクドナルドは最初から駅前に現実に存在しており、《「あるという状態」になるために駅前という着点が必要になる》訳がありません。根本的な発想、論理が誤っています。
>>素直に、「買う」という「動作の行われる場所」を表わすために「で」を使う。
なぜ、《素直に、「買う」という「動作の行われる場所」を表わすために「で」を使う》のかが問題で、生徒にはそれを教えてあげなければなりません。
>>あとは、読者がこうした辞書語釈を正しく理解できるか否かという問題に帰します。
それは、辞書の本務、責任を放棄した3流の辞書というか、誤った記述に過ぎません。
明鏡は北原保雄(編)ですが、たまたま現在私の手元に、『日本語の世界6-日本語の文法』(中央公論社:昭和五六年九月)と、『日本語文法の焦点』(教育出版:1984.10)があります。
『日本語の世界』では、形容動詞について、辞書が形容動詞を語幹の形で見出しとしているのは「見出し項目を語幹で立てると、項目を並べる上で、いろいろ具合のいいことがあるからであり、」とプラグマティクな見解を真面目に記述し、『日本語文法の焦点』でも、「表現のための文法」「古典解釈のための文法」などと恥ずかしげもなくプラグマティクな記述を披歴しています。こういう人が編集した辞典がいかなる性格かは読む以前に明らかかと考えます。
北原保雄の主著は『日本語助動詞の研究』ですが、ここでは助動詞をテーマにしながら、助動詞の定義を放棄するという体たらくです。この書については、Amazonカスタマーレビューに批判を記してありますので参照下さい。
https://www.amazon.co.jp/gp/customer-reviews/R1T …
■
ご回答ありがとうございます。
1.
>マクドナルドは最初から駅前に現実に存在しており、《「あるという状態」になるために駅前という着点が必要になる》訳がありません。根本的な発想、論理が誤っています。
:
説明が若干ややこしいとは思いましたが、そういうことではないのです。
・駅前( )マクドナルドがあります。
「ある」という [ 状態 ] が成立しているためには、どこかに着点が必要だ、という意味。
・マクドナルド( )チーズバーガーを買いました。
の「買う」という [ 動作 ] には着点が不要なことと照らし合わせるとわかりやすくなるかと。
2.
>なぜ、《素直に、「買う」という「動作の行われる場所」を表わすために「で」を使う》のかが問題で、生徒にはそれを教えてあげなければなりません。
:
「で」の語釈である「動作の行われる場所」という意味を理解できないなら、何を教えても無駄。
しかし、これを理解できないということはあまり考えられません。
このような文に限れば、
・手段から派生したところの(動作の行われる)場所
と言ってもわかりやすいでしょう。
・みんなで選挙に行こう
といった構文の理解にもつながりやすくなりますし。
3.
>この書については、Amazonカスタマーレビューに批判を記してありますので参照下さい。
:
大変興味深く拝見しました。
難解な部分もありますが、[ このレビューは ] 基本的によく整理されていて読みやすい文ですね。
対象→認識→表現
の「認識」というものが基本的に無意識によって為される部分なので難しいのだと思います。
明鏡は北原保雄(編)なのですね。
「山は高くない。」が接尾語という点などには同意しかねますが、明鏡には各所に斬新な語釈がちりばめられていると感じています。
まあ、是々非々で行きませんか。
それにしても矢車剣之助とは古いですなア。(笑)
といっても私も赤胴鈴之助世代ですが。
No.18
- 回答日時:
若干、疲れぎみですが、No.12へのコメントにお答えします。
>>広辞苑の語釈は間違っている、ということですね?
➋➌➍は[活用]なら/なり・に/なり/なる/なれ/なれ)
ですね。これは、うっかり見逃しました。誤りです。
>>・元気という状態(様態)でやれよ。/のほうが、意図としては明らかに適切では?
意図というか、文の意味の解釈としては誤りとは言えないというレベルですね。
>>いわゆる形容動詞と呼ばれているものの語幹を見れば一目瞭然では?
当方は形容動詞という区分は誤りだと指摘しているもので、語幹ではなく、一語だと指摘しています。
そして、属性表現の場合と、実体認識としての名詞の場合があると指摘しています。それを、「形容詞性名詞」と云われるのであれば、まあ分からなくはありませんが、この場合だけ語幹を分離するというのはご都合主義としか言えません。
>>今は、状態と様態では客体の在り方が異なるのではないか?という論点を提示しています。
客体の在り方というより、客体の捉え方の相違では。ただ、格助詞がそれを表しているわけではありませんが。
>>「に」や「で」の基本形とは何ですか?
「に」の意義は、空間的・時間的な位置付けの認識の表現であり、「で」は手段・方法・条件・理由などの認識の表現であると最初から云っていますが。ここで、空間的・時間的な位置付けと云う場合、起源はまず空間的な位置付けの認識で、それが時間的な位置付けに拡張したものと考えています。しかし、この拡張は祝詞の例をもう一度良く確認しなければなりませんが、かなり早いものと考えています。こうした、空間的な認識から時間的認識への拡張、転化はこの語だけではなく、また、日本語だけではなく他の言語にも見られる認識の普遍な在り方です。「で」の場合も同様です。
>>これを端的に言うと、「に」は着点を表わす。となるだけの話し。
これまでの応答を考えると俄かには信用できませんが、誤解を招き易い表現であり、端的に言う必要性はないと考えます。■
ご回答ありがとうございます。
>「に」の意義は、空間的・時間的な位置付けの認識の表現であり、「で」は手段・方法・条件・理由などの認識の表現であると最初から云っていますが。
:
空間的でもあり時間的でもあると。
手段・方法でもあり、条件でもあり、理由でもあると。
であるなら、
>格助詞「に」の意義は基本的に一つということです。
>「かなりのケース」ではなく、「に」「で」の各々すべてのケースに当て嵌らなければ語の意義を解明したことにはなりません。
:
ということは言えないのではないですか、と申し上げていますが、水掛け論になりそうなのでこのへんにしておくほうが良さそうです。
>ここで、空間的・時間的な位置付けと云う場合、起源はまず空間的な位置付けの認識で、それが時間的な位置付けに拡張したものと考えています。
:
ここを最も興味深く拝見しました。
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>着点は東京で、「に」は着点でないのは明らかと思いますが。
:
『着点は東京』
これは正しい認識です。
ただ、そのことを表わすのに「東京が着点を表している。」と表現してしまうと間違いになる、と申し上げています。
あくまで「着点=東京」ということを表わしている。
「皆に配ります」という文は、『着点は皆』を意味します。
しかし、『着点は皆』という表現は「皆が着点を表わしている」という意味ではありません。
『「皆」自体がすなわち着点であること』を表わしています。
『「に」は着点でないのは明らか』
これも正しいですね。
ですから、
『「に」は着点』ではなく、『「に」は着点を表わす』と表現するわけです。
#16お礼欄からの続き
>これは、話者の認識、概念ではなく聞き手の理解過程を推測しているもので、何故「に」によりこのような理解がされるのかを明らかにしなければならず、話者の認識が捉えられないため、聞き手の了解過程を持ちだすという論理的な混乱に陥っています。
:
そもそもですが、「に」「で」は無意識的に使い分けられている、という大原則を忘れると、こうした誤謬に陥ります。
『何故「に」によりこのような理解がされるのかを明らかに』するのが語の意味なり意義なりを明らかにする、という作業なのでは?
このように無意識的に使っているために、意義・意味に気づきづらいというだけのことであって、それを混乱と言うのは本末転倒ここに極まれりと言わざるを得ません。
下段へ続く
上段からの続き
>「その語独特の意味」とは何で、自立語と付属語がどのような相違と関連にあるのかを明らかにしなければ回答になっていないことが理解できないのでしょうか。
:
『したがって、助詞「に」「で」が表すのは、このような自立語とは異なる意義だということです。』
とおっしゃった点は理解できると申し上げているわけで、それで十分では?
そもそもですが、こうしたことを持ち出すのは、アスナロウさんの勘違いに基づいていますよね。
・東京は着点です。
・東京は着点を表わします。
これが同じ意味ではないことがわからないようではお話になりません。
>それに、先に、助動詞「だ」の連用形「で」との混同に触れておきましたが、この点はどのようにお考えでしょうか。
:
それをおっしゃるなら、#12お礼欄に対する返信を先にしてください。
#20お礼欄からの続き
私の意図をおわかりになった上で『どちらも格助詞「に」の意義ではない』とおっしゃるのであれば、それはもう見解の相違と言わざるを得なくなります。(それはそれでひとつの大団円足り得るでしょう)
つまり、私が述べた内容を理解した上で反論なさっているのか、それとも私が述べた内容を勘違いしているために反論なさっているのか、アスナロウさんの文脈からは見えてこない、ということです。
特に急ぎませんのでよろしく。
#21お礼欄からの続き
B. ≪「に」よって着点として示されている≫のは結果であり、文の意味で、話者が「真面目」「早急」を空間的・時間的に位置付けようと認識し表現した結果だということ。
という件もよくわからない。
・「東京に行く」は、「東京」が「に」という語によって着点として示されている。
というのは、
「東京」を『空間的・時間的に位置付けようと認識し表現した結果』以外のなにものでもないでしょう。当然のことでは?
たしかに、
「東京」を空間的・時間的に位置付けようという(無意識的な)認識があるからこそ、(経験的に知っているところの)着点を表わすことが可能である「に」という語を使うわけですが、これは、『因果関係を逆転した機能主義的な発想』ではないですよね?
下段へ
上段からの続き
「因」ではなく「果」のみを表わしたもの。
と言えばすむところを、「果」を否定する論理として述べている点に、大いなる誤謬が存在していますね。
そもそもが、どのような形で『空間的・時間的に位置付けよう』としているのかが、「因」だけでは表し切れていないでしょう。
お互いに補足的な関係にあるわけで、これは三浦氏の指摘している点でもあるのではないですかね。
>三浦は『認識と言語の理論 1』で、唯物弁証法に基づく科学的な認識論を展開し、
:
無意識や観念論を批判しているということですかね。
今のわたしには荷が重そうですが。
いずれ機会がありましたらまた教えていただければ。
>精神的にはヤングのつもりですが。
:
十分満ち溢れていますよ。(笑)
ただし年寄りの冷や水とならぬようお互い留意してまいりましょうかね。
#22お礼欄からの続き。
もう少し書こうと思いましたが、言語実体観というものについて、もう少し知ってからにしたほうが良いのかもしれません。
・東京に行く
に沿って、具体的にどのように「意味の取り違えが実際に発生する」のか?
という点についての解説を所望いたします。
お手数をおかけして申し訳ありませんが、急ぎませんので、お時間のとれるときにでもよろしくお願いできればと思います。
お時間のあるときにでも、
・東京に行く
【に沿って、具体的に】どのように「意味の取り違えが実際に発生する」のか?
解説お願いします。