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海軍兵学校ってバリバリ理数系×体育系のエリートですか?
なんと入試科目が国数英物化という東大理類と全く同じでした。
軍人ってめちゃくちゃ頭も良かったんですねぇ…

A 回答 (3件)

いま世界最強であるアメリカでは、勝敗を分けてるのは最新鋭の兵器開発(民間企業が担う)と、


実際に特攻する海兵隊とかなんですけど、彼らはエリートというのは違うわけですよね。

士官学校卒ならやることは別にあると言うことです。ほかにCIAのような情報将校もなかなか汚い仕事を裏でしたりするわけです。分担が確立されてるし、海兵隊も数としてもかなり多くいるわけです。


日本で自衛隊にそれにあたるところが本当にあるのかな?という感じです。防衛大卒が動かすのが多いのでは?
組織もアメリカの コピーはありますけど。他国が脅威に感じたりするようなものではないと思います。
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海軍や陸軍の兵学校は倍率や優秀さでは、一時期、明らかに東大を超えてましたね。




東大と違ってお金もらえたので人気でした。連勝してたので、国民にも野球選手的な人気もありましたし。
東大は夏目漱石の小説なんかで見るとちょっと不況になるとまるで就職もないし、今ほど楽な生活でもなかったみたいですね。


日清戦争後などでは富豪がたくさん生まれましたけど見ているとあんなのはいわゆる地主であるとか三井三菱や薩長のコネのあるような二世三世やら、あとは叩き上げが多いし、キャリアとしての東大メリットみたいなの無いですね。


それ出てきたのはせいぜい196,70年代以降では?と思います。割と最近なんですよ。それも崩れてきてますが。

士官学校は今で言うフランスのグランゼコールみたいなものでしょう。当時は日本人は貧しかったし。しかし太平洋戦争後半の数々の精神論や悪手を見ると、エリートなんてのはもろいんだなと感じますね。30くらいでかなり偉くなってしまうので、現場経験が不足してて想像力に欠ける秀才が多かったと聞きます。


テストなんかは文理関係なく5日連続で行われて、所定の点数を取れないと翌日に進めないなど極めて理不尽かつ強烈なものだったと言われてます。特に昭和以降の人気はすごくて日本人の中では極めて優秀だったのは確かだと思います。

ちなみに陸軍士官は東京にあったために薩長閥の子弟のコネ的なものが多かったと聞きます。
そうすれば自然と地方にある海軍士官は、
実力と淘汰があったことが見込めます(死亡者も海軍のほうが高かったので金持ちや薩長の子は陸軍に入ったみたいです)。海軍は結果的に薩長などの門閥が少なく、同期は大変仲が良かったみたいです。またよく死ぬので残された家族の面倒を見るのも不文律になってました。良いこともあるのですが、それらが強すぎるが上に奇妙なエリート意識や連帯と、排他主義につながったことは想像は付きます。


いわゆる特攻的なことを平気で課して下士官をかんたんに殺す感じは海軍的な感じがすごくします。また陸軍とは仲が悪くて、アメリカと激戦を繰り広げるときですら日本軍の主力は満州にいたらしいので、そりゃ負けるよ。とは思います。
ソビエト対策でしょうが、
ソビエトとアメリカの2大国家を両方とも相手にしてる時点で勝ち目なんかないのですよ。
そのへんもわからずに陸軍とは仲違いのままですから、頭悪いと思うし、結果的には物凄く非効率だったんだなと思いますね。

日本で特に戦争などの混乱期で、
エリートがうまく活躍した事例はあんまり無いですよ。
豊臣秀吉や西郷や勝海舟や坂本龍馬など現場の叩き上げ系の人が優秀だったことが多いですね。
幕府を開いた源氏や足利氏などは名門ではありましが。


他国は知らないのですが、戦国や幕末と違い、昭和期にはすでに下級兵士が活躍する機会がほとんどなかったのは日本にとっては大きな損失だったと思われます。
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海軍兵学校は、ある意味東大以上の難関だよ。



なにせふだんの採用数は数百人程度。
大正の大軍縮時代になると数十人程度に落ち込む。
太平洋戦争時代になると千人台とか数千人台になるが、これは70余年の海軍兵学校の歴史の例外に過ぎない。

で、海軍が軍事学よりも普通学を重視していたのには理由がある。

海軍の兵器はメカニックの塊である。
それを操作するにも運用するにも、高等数学と科学の知識を必要とする。
理数系の勉強は避けて通れなかった。

海軍士官ともなれば外国の士官と日常的に交流する。
その場に出ても恥ずかしくない教養を身に着けている必要があった。
英語はもちろん、時代によっては美学まで課されていたらしい。
太平洋戦争時代英語を試験科目から外そうとする動きはあったが、時の校長の一喝で沙汰止みになった。
「どこの国の海軍に自国語一つしか話せない海軍士官があるか!」

さらに海軍士官は兵卒を統率すべき存在であり、シーマンシップが人一倍要求された。
「スマートで、目先が利いて几帳面。負けじ魂これぞ海軍」は、軍事学だけに向き合っていては達成できない。

体育の必要性は言わずもがな。

軍事学は兵学校卒業後も各種学校で習得できるが、精神や教養はそうはいかない。
若いうちに種をまいておかないと、20年後30年後大樹に育つだけのポテンシャルを持たせることができない。
だから、兵学校は普通学重視だった。

大尉で予備役となったとしても「海軍士官」というだけで社会的に信用されたのも、故あることだったと思う。
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