1. 生命体があらわれる前の《場》は 生命か無生命か。
2. 生物はおろか無生物がそれとして出現する前の場ないしチカラは 《〔おそらくすでにコトを起こしている〕地》であり その地から切り離されたモノは 《図》と成った。
3. 地図として全体を成す大きな場ないしチカラは 生命か無生命か。
4. 生命体は 図を成すモノから成っている。モノの結合としてやはりウゴキのあるコトでもある。
5. 中で ヒトにかんしては 身体すなわち〔コトを起こす〕モノが あたかも初めの生命によって放たれた稲妻を受け取ってのように 精神を発芽させた。(稲光が コメの成長を促すという俗説のごとく)。
6. 《記憶――司法――》は 歴史すなわち精神の遍歴を刻み 《知解――立法――》は これをナラハシとして整理し理論立て 《意志――行政――》はそこから――自由に――欲するところをえらぶ。
7. 意志が自由にえらぶところは ただし 初めの大いなる生命(もしくは 《無》)と身体とのスパークに 或る種の色分けがあったらしい。
8. 精神にかんして 信教・良心の自由が文字どおり成り立っていると考えられるが その自由度に色分けがついているかも知れないらしい。
9. ひとなら 誰しもヤマシサ反応を体験するゆえ。その反応を起こす選択と起こさない選択とに分かれるようだ。
10. 早く言えば ウソかマコトかに分かれる。自分自身は 知っているからというのが 論拠である。
11. これが 精神すなわちこころである。(他の生物にあるのかどうか)。
12. われわれの心は ヤマシサ反応が起きているのにこれを強行突破すると 心の自由が止む。つまり 自由度があたかもマイナスになる。マイナスに成って継続する。
13. もしヤマシサ反応ないしその後の良心の呵責に対して 答責性を果たさず放っておくなら 自由の止みも 継続する。やまふ。やむの習慣化としての継続(ふ=経る)。つまり やまひ(病ひ)。
14. どうもわれわれヒト族は このやまひから解かれて もとの――自然本性としての――身と心なる生命体に立ち戻るなら われは われありとつぶやくことが出来るようになっているみたいだ。
15. 《われあり》は 幼児のときは ただただほかの人にたよる聖なる甘えを発揮していたが このようにウソをおぼえてからは この甘えが きよらかなおそれとして引き継がれた。おそれを恐れない場合は やまひと成る。
16. 生命は 古来多くの場合《霊性》として捉えられて来た。むろん 《かみ》とも言った。
< 息・生き(アートマン)
風(ルーアハ;プネウマ;スピリトゥス)
16-1. 感性(身:感性の原野)・理性(心:思考の緑野)および霊性(息・風:非思考の庭)。あるいは 感じる・考える および 信じる。
17. 人間の中には 人びとがヤマシサ反応(つまり ウソの警告)を突き破って《やまひ》に落ち入ったとき その不自由(負の自由)なる状態をあたかもアース役と成ってのように――何ものかにみちびかれるようにして進んでやるにしろ あるいは 感覚として分かっているそのことを嫌々ながらもやるにしろ――引き受ける場合が起きる。
18. アース役はつらいよというひと言を突破口として欲しいと願わざるを得ない。けっこう毛だらけネコ灰だらけ。お猿のおけつは真っ赤っかと添えてもよい。
19. いのち・こころ・《われあり》は こんだけのことだと思われる。
20. 世界の成り立ちは シンプルである。
☆ いたらないところをご教授ください。
A 回答 (32件中11~20件)
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No.20
- 回答日時:
質問者君の生命の定義は意味のない言葉の羅列に過ぎません。
それはつまり戯言に過ぎないということですから。とても仮説と言えるモノではありません。何から何まで勝手な言い分を述べるならば好きすればいい。
バカバカしくくて相手になりませんね
No.19
- 回答日時:
場なるエネルギー?
仮に場なるエネルギーと言える状態をエネルギーが取るとしても、それはエネルギーが無限に取りうる状態の一つでしかありません。
場と呼ばれる状態以外の状態を取りうる以上、場と呼ばれるの状態を基に持論を展開したところで意味はないですね
何故ならエネルギーはその状態無限に取りうる事から生命と呼ばれる状態を一切取らない時があるからです。
それとついでに言えば物質は空間が取る状態の一つ。要するに物質も空間だということ。物質として数が数えられても空間に境界が無いので、物質である空間とそれ以外の空間の境界が無いため、物質は空間から切り離せません
ですから チカラと言っています。その説明に エネルギとも言い添えています。
非経験なる生命を 仮りに経験事象として捉えるならば 場ないしチカラとしてであろうという想定です。
この場は 時空間という性質をそなえています。
場は チカラの作用として コトです。
コトは 場の要素としてのモノが起こしている。
No.18
- 回答日時:
生命に対する解釈を非合理的に拡大すべきでは無いです
それと大きい生命云々言うなら誰でも納得出来る生命の定義すべき
★ 非合理
☆ な仮説であって 不合理ではないという最後の砦です。
生命は 有限で相対的そして経験的な事象を超えています。(経験事象としての生命体もあり得ていますが)。
無限・絶対性そして非経験。こうなると 合理か不合理かの問いを超えています。つまり 非合理です。
それとしての仮説です。
No.15
- 回答日時:
場を勝手に定義するのは質問者君の勝手だがそれでは他人と話しが通じるわけがないですよ
生命という状態を現象と見るか情報と見るかという問題発生あるにせよ、どちらもエネルギーが取りうる状態の一つである事から、不確定性によって生命と言う状態を取るときと取らないときがあります。
要するに生命が一切ない時が過去に有って未来に一切無い時があり得ると言う事です
★ 不確定性によって生命と言う状態を取るときと取らないときがあります。
☆ ここでは その《生命という状態を取らないとき》をも 大きく生命とよぶかどうか。仮説として どうか。という問いになっています。
★ 要するに生命が一切ない時が過去に有って未来に一切無い時があり得ると言う事です
☆ という初めとおしまいの時の二つの状態を ひっくるめて 大きく生命とよぶかどうかです。
言いかえると そのまま《無》と呼んだとしたばあい それでもこの《無》が やはり生命であるということかも知れない。
こういった可能性について問うています。
もっと言えば 生命なる状態と無生命なる状態と これら両方とも じつはさらに大きく大いなる生命のこと・・・であるかも知れない。
こういうトンデモ哲学です。
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あぁ ヴァリスだけでなく 《長編》を全部ですか。
ふうーう。
承りましたが まだ食指がうごかない状態でいますと ひとまづ お答えいたします。横着ですが。