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なぜ日本人(の多く)は、お寺に行ったり、初詣に行ったり、クリスマスを祝うなど、異なった様々な宗教行事をするのでしょうか?
アメリカ等他の国ならキリスト教だけの行事をする国がほとんどなのに。

A 回答 (31件中31~31件)

日本には、八百万の神と呼んでいる、原始宗教のアニミズム的な要素が多分にあった、今は神道と呼ばれている宗教が自然発生的にあったのですが、日本には西暦538年に仏教が伝来したとされています。


伝来したときは、日本では仏教は完全に貴族階級のみが信仰を独占する宗教でした。3年前の西暦535年にインドネシアのクラカタウ火山が大噴火をして、世界中に異常気象をもたらしたことが科学的にわかっております。日本でも当然に作物の凶作が起こり、古来の宗教の祈祷では全く改善されずに、ほとほと困った朝廷が、進んだ国とされていた中国、朝鮮から仏教を取り入れて、それに救いを求めたことは容易に推測できます。
つまり、日本は土着信仰宗教を除けば、きちんとした体系だった教義や儀礼を持つ宗教は、貴族階級だけが独占していたのです。
そもそも、それまで日本人は文字を持ちませんでした。つまり、書物に教義が書かれた宗教なんぞ、広まる素地が全くなかったのです。文字を使うようになったのは漢字を中国から習った貴族階級だけだったからです。
時代が進むと、渡来僧の来日や遣唐使使節で日本人僧侶を留学させたりしたことで、庶民の間にも仏教が土着神道信仰とまざりながらも浸透していきました。あいかわらず、文盲率は高かったため、宗教の教えは僧が口伝えで信者に語り掛けて教える方法が取られていました。
そのために信者が、僧から聞いたことを、自分なりに解釈して、他人に広める形で信仰は形づけられていたのです。
明治期になると、徳川幕府を倒し、武士階級を頂点とした階級制度をなくし、天皇を階級のトップとした新しい形の国家形態を定着させるために、明治新政府は、廃仏毀釈や、神社合祀を進めました。天皇家の権威と宗教を結びつけることで支配階級を確立しようとしたのです。各地にあった土着宗教組織と、その信者で構成された小さなコミュニティ組織は新政府にとって邪魔になりました。拝む対象は天皇だけでなくては困るのです。そのために実施したのが神社合祀であり、廃仏毀釈でした。
このときに神社にも教義は廃棄するように命令しました。天皇だけを拝むことを国民に求めたのです。
しかし、日本人の宗教観は、国家がどのような宗教をその時代、時代に押し付けてこようと、主要産業だった農業の豊作や漁業の大漁を祈祷する宗教慣習、子どもの健康な成長を願う、老年まで生きられたことを神仏に感謝する、日々の生活に根付いた宗教慣習は失わずにいたのです。
太平洋戦争が敗戦に終わって、アメリカ軍統治下の世になったことで、国家神道すら「天皇人間宣言」が出され、崩壊しました。
つまり、日本人は、ひとつの教義で国民全てが統一された宗教を信仰するような状態に置かれたことはないのです。
戦後憲法下で信仰の自由が認められると、強い信仰対象が欲しい人は、戦後に無数に作られた創価学会のような新興宗教に流れ、神社やお寺の宗教行事は、生活の形が変わるにつれて、信仰とは離れて慣習的な行事化したのです。
だから、他国の宗教行事も、行事として違和感なく受け入れることができています。
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